誕生日と出さなかった手袋

明石多朗

前編


「じゃあ私と一ノいちのせは大阪方面を、けい種田たねだは京都の主要駅とコンビニ周りね。はい、解散!」


 訪問先の分担を告げて、ナオ先輩は元気に立ち上がり、流れるような動きで見本誌の束を右腕で抱え、一ノ瀬さんに社用車のカギを開けるよう指示した。


「あ、慶」と、ナオ先輩。

「ん?」

「今日、誕生日でしょ? 誕プレは明石焼きでいいよね?」

「どーせ冷めてるだろ。いらんわ」


 慶さんとナオ先輩が話すときは2人とも砕けた会話になる。

 慶さんもナオ先輩の同級生で、小学校からの幼なじみだからだ。


「はいはい。んじゃ19時から店予約しといたから、遅刻すんなよー」

「聞いてないぞ?」

「いま聞いたじゃん。ほら、サプライズサプライズ。誕生日会」

「何の喜びもないサプライズだこと……」

「まあまあ終わったらすぐ解放してやるさ。お喜びはそのあと2人やっててくれ」

「はぁっ!?」「――っ!?」

「そいじゃまた夕方なっ」

「いや、あのナオ先輩っそれは違――」

「いいのいいの~♪ じゃあねー」


 そう言って、ナオ先輩は去ってしまった。


 そう、私と彼は付き合っていた。

 でもそれはたったひと月前から。


「誕生日プレゼント、か」

「……期待してるものは無いですよ」

「まじかよ」


 彼とは仕事を組んで1年経つ。

 でも付き合うという関係になってからはまだひと月。


 わたしはもちろん誕生日プレゼントを用意した。

 でも、さんざん悩んだ。重過ぎず、軽過ぎず。幼すぎず、大人すぎず。……と。

 なので手袋を送ることにした。

 手編みではないが、店内で二時間かけて選んだ毛糸の手袋。

 いつも素手のままで、寒ければポケットに手を入れている彼にはきっと邪魔になることはないだろう。そう思い、選んだ物だった。


 今日だってどう渡すかまだ悩んでいたのに、こんなことになるなんて。

 横で、何でばれたんだろ……? とか言ってるこの男は、絶対にわたしの悩みに気付いていないだろうな、と思ってちょっとイラついた。


「二人に何か言ったんじゃないんですか?」

「そっちこそ」

「私は全然。忙しくて浮かれるヒマも無かったから」

「そうかぁ? その割りによくライン送ってくるから、こいつヒマだなあと……いてっ」

「そういうデリカシーのなさが情報が漏洩させているじゃないですか?」

「なんだよ急に……いてて」

「ほらほら仕事に行きますよ!」


 私は彼の分の見本誌も両脇に抱えて出て行く。


「ちょっと、俺の分よこせ!」

「今日は運転手私の足になっててください」

「ふざけんな!」


 彼に追いつかれないよう足をズンズン進ませる。

 渡すタイミングの逃したプレゼントをどう仕切り直したらいいだろうと、悩むのは割とすぐの話だった。


****


 彼が得意先の新しい担当者と名刺の交換をしている。

 わたしは一緒に営業回りをするのがちょっと居心地悪くなっていた。

 もっと言えばいささかの不満にもなっていた。

 なぜなら、どこかに必ず誰かの目があるのだ。

 仕事の時間は彼氏-彼女の時間ではないのだ。


 しかし目の前の営業スマイルで得意先の世間話に乗る男は、

「前の1年だって付き合ってたも同然じゃないか。何を意識してるんだ」

 なんてのたまりやがったことがある。

 

 貴殿の言うところの付き合うとはノルマ制なんですか?

 クエスト的なものがあって、達成したらランクアップするんですか?

『半径何メートル以内に5時間一緒に居る』とか『会話のラリーを5回続ける』とか明確な条件があるんですか?

 違いますよね?


 そうも言いたくなった。

 ので、実際言ったけど。


 まあ、わたしだって特に甘えたいわけでもないし、甘え方も分からない不器用なタイプだと思う。でも、つきあい始めておよそひと月。いまだに手もつながないままで、変化がないのはなんというか、つまらない。

 そう思うようになっていた。


 家に帰って数回のラインのやりとりだけではなく、もっと、こう……何か、何かあってしかるべきなのではないのか? 毎夜自問しては朝を迎えるという消化不良な気持ちを、いつも心のどこかに住わせていた。


 気持ちを打ち明けてから、「まだ」ひと月と取るべきか。「もう」ひと月と取るべきか。よくわからないわたしだが、それでも特別な瞬間を彼に期待している自分がいるのは間違いなかった。


「すいません、すこし店内を見させてください」


 わたしはそう言うと、彼と店の責任者から距離を取った。

 離れてカバンの中身に目を落とす。期待する特別のきっかけがここにある。手袋を包む白い袋は、他の荷物に押されてシワの数を増やしていた。わたしは荷物の位置を整える。彼への贈り物をずらすと、もう一つ同じ色の紙袋が顔を出す。サイズの違う二つの紙袋が横に並んだ。大きいのが彼ので、小さいのがわたし用だ。


 そう、色違いで同じデザインの手袋を見つけて、つい買ってしまったのだ。

 おそろいの手袋。

 買った当時は、「なんてわたしらしくないものを!」と、家で悶え狂っていたのに、渡せない今は、そんな興奮すら幸せだったとあの自分が羨ましく思えた。


「おまたせ。何か気になる雑誌はあったか?」


 仕事を終えた彼がやってきた。

 いえ、とわたしは答え、彼の何もつけていない手を見てからひとつ息を吸って訊ねてみた。


「け、慶は手袋、したりしないの?」


 口調もちょっと冒険をしたせいもあり、胸がいつも以上に早鐘を打っていた。


 ――あると便利だよな――


 その一言をわたしは切望していた。

 きっと言ってくるるんじゃないかな。

 大丈夫、言ってくれたら渡せる。

 自分の期待を肯定して、応援して、言葉を待った。


 でも出てきた言葉は違った。


「仕事柄、名刺をすぐに出せるようにしなきゃいけないからな。だから手袋はしないことにしてるんだ」

「……………………」


 頭から足に向けて、すっと力が抜けていくような感覚だった。

 胸の鼓動はいつものペースを下回ったかのように遅くなっている気がした。

 ……そう、ですか、と応えるのが精一杯だった。

 口調も仕事時のものに戻る。


「そういえば、かさねも手袋しないよな」

 その質問に「わたしは……」と口を開いて、肩に乗せたカバンの紐を両手でぎゅっと握り、



「わたし、手袋は嫌いなんです」

 と、嘘をついた。


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