寵愛の結末
帆場蔵人
第1話
その女は怪しいほどに艶めかしく美しかった。吸い付くように滑らかな白磁の如き白い肌、妖艶な微笑をたたえる赤い唇を見たものは魂が抜けたように恍惚とした。
多くの男や女が彼女の寵愛を得ようと近づいたが、彼女が選んだのは冴えない三文小説を書く四十路の物書きであった。物書きは若いころある文芸賞を獲ったことがあり、一時は良家の息女と結婚していたこともあったが今では碌に売れない作品をたまに出版するぐらいだ。
選ばれた物書きとしては天にも昇る心地であった。そして夜毎、貪るように情事を重ねた。物書きは知識が豊富で寝物語に様々な話しをする。ある日、物書きが尋ねた。
「ねぇ、君はなぜ私を選んだのかな?私より若くて遥かに容姿が良く、金持ちな奴らがいるだろうに」
「そうね。貴方のいうとおり貴方より秀でた人は沢山いるわ。でも貴方が良いのよ」
答えらしい答えでは無かったが、黙って微笑まれると物書きの疑問は溶けて消えるのだった。
女の繊手が物書きの頬をくすぐるように撫でる。その指を見つめながら物書きは、ふと10年前に別れた女を思い出していた。最初に結婚した良家の息女で、家に格式があり金持ちである以外は容姿も醜い陰気な女だった。その女の指は人差し指と中指が同じくらい長かったのだが、今、自分の頬を撫でる女の指も同じようだったので物書きは笑った。
「なに?」
「君の手を見て少し昔のことを思い出しただけだよ」
「さては別の女のことでしょ。嫌な人。それでどんな女だったの?」
「ん〜、陰気で家が金持ちだってこと以外、取り柄の無いわつまらない女だったよ。それにひどいやきもち焼きでね。辟易して離婚したのさ」
男は言わなかったが離婚をしてからの人生は碌なことがなかった。どれほどの作品を書いても評価されず、付き合う女、付き合う女が消えるように去っていく。
「その頃の彼女はあなたのような才能溢れる人には似つかわしくなかったのね」
物書きは妙な言い回しをするな、と思ったが女は薄く笑うと酒を用意するからとベッドを離れた。
物書きは壁にダーツボードがあるのに気づいて、ダーツを手にした。古いが良く手入れされた物だ。物書きの趣味であるダーツを用意してくれたのだろう。そう言えばあの離婚した女はダーツだけは極めて上手かったな、と低く笑った。そして、見るとはなしに豪奢な部屋の中を見回した。年代物の家具や数枚の絵画が飾られている。タバコに火をつけてそれらを眺めながら、離婚の後につきあった女は画家だったと思い出した。あれも次の女も何も言わず消えた。だがそれもどうでもよいことだ。今は金持ちで美しい女を手に入れたのだから。
やがて裸身にシーツを纏った女が大きなカートを押して戻ってきた。カートは上下に二段あり下にはグラスや酒などが乗っている。上には何か大きな物が乗せられていて赤い覆いがされていた。水割りを持ち隣に座った女に口づけしながら女の首に金色のペンダントが下がっているのに気づいた。
「あなたが送ってくれた物でしょ。あなたの写真を入れているのよ」
そう言ってロケットを開く。確かに物書きの写真が入っていたが、今より少し痩せて若いような気がした。多くの贈り物の中にそんな物もあったかもしれない。女の手が伸びてロケットの蓋を閉じた。
「なぁ、携帯にでも写真を入れておいたら?」
「私、携帯嫌いなの。それより美味しいお酒があるのよ?」
何か引っかかりを覚えたが突き出されたグラスから漂う、えもいわれぬ芳香に物書きの心は奪われた。単なる酒精の香りとは思えない。頭の中まで痺れるような刺激的な芳香であった。物書きは誘われるように酒に口をつけた。
「美味い!こんな酒、飲んだことはない。もう一杯、もう一杯くれ!」
空のグラスに注がれた酒をあおり、物書きは全身が蕩けるような、漲るような不思議な感覚に満たされた。
「そのお酒には貴方への愛が溶けているのよ」
「あぁ、素晴らしいよ!今なら傑作が書けそうなきがする」
「ねぇ、以前に首酒の話をしてくれたのを覚えてる」
「首酒?そう言えばそんな怪談があったね。死んだ妻の首を酒に漬けている男の話。ん?君にその話をしたっけ」
「したわよ。十年前に」
物書きは女を見やる。この女と物書きが出逢ったのは一年程前だ。女は艶然と微笑み、まだわからないの?と言った。
「ま、まさか、お前は…いや顔も名前も違うじゃないか」
「いいえ、私は…よ。今は顔も名前も違うけれど。貴方が家を出るとき私の顔も性格も名前も嫌いだと言ったから、私は変わったの。貴方が愛した人たちに助けてもらったわ」
女はカートに近づき赤い覆いをサッ、と取り払った。そこには巨大なガラス瓶の中、透明な液体に沈む女の頭部が二つ。
「…な、なんてことを…」
そのまま男は絶句した。そして思い出す。あの壁に掛けられた数枚の絵は離婚後すぐにつきあった女の作品だ。それにあのペンダントは次につきあった女の…ロケットの写真が若いのは数年前に撮影したからだ。
「見て!この首酒を飲むと身は綺麗になって、記憶や経験も私と彼女たちが混じり合い一つになれるのよ」
女は纏っていたシーツを脱いで裸身を晒した。
「貴方好みの体に美しい容姿」
女が近づいて来て男に抱きつき、囁く。
「これなら愛してくれるでしょう?」
「う…うぁぁぁぁぁ!」
女をつき飛ばして男は立ち上がった。
「く、狂ってる。頭がおかしいんだろ!」
「いいえ、愛しているだけ」
物書きは適当に衣類を引っ掴むと女に背を向けて逃げだした。しかし、扉に手をかけたところで首の後ろに痛みを感じた。手をやると何かが刺さっていた。引き抜いたそれは鋭く尖ったダーツであった。その途端、頭がクラクラして身体の自由が利かなくなる。立て続けに身体に突き立つダーツ。まさかダーツに毒か何か塗られているのか?必死の形相で女を睨みつけた。
女は最後の一本を投擲するところであった。そのフォームは無駄が無く美しかった。物書きは、そう言えばあの美しいフォームを見て女に声を掛けたのだと思い出した。飛来したダーツは物書きの額に綺麗な軌道を描き突き立った。女は艶然と微笑み、崩れ落ちた物書きを眺めながらベッドの下に隠してあった斧を取り出し腹部を愛おしげに撫でる。
「貴方もお酒になれば四人、いえ五人が一つになれるわ」
そして斧が降り上げられた。
寵愛の結末 帆場蔵人 @rocaroca
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