アルカンシエルホワイト

小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】

アルカンシエルホワイト

 雨が降ると虹ができるのは、雨が空を綺麗にした証拠に光っているからだという。なんともロマンチックな話だが、僕はこの話がとても好きだ。さらに、このお伽噺は子供だましにしてはちょっとした後付けまである。雨あがり、空は全ての色を映し出せる状態、つまり白色になる。人間の目には未だ青いままかもしれないが、空は虹を綺麗に映し出すために一度白色になるのだそうだ。だって、青い空にも美しく青が映えるためには空は青以外の方がいいから、と。

「玄崎っ」

「玄崎くんっ!」

 僕の仲間が僕の名前を呼ぶ。声は僕の前の方から聞こえる。隣でも、後ろでもない。

 前からだ。

 僕はどうしても誰かの隣を歩けない。いつもみんなが話しながら歩く後ろを歩いている。本当は楽しく話したいはずなのに、僕は率先して違和感がないように細心の注意を払って、自分の位置を後方に決める。待ち合わせの時とかもそうだ。三十分も前に着いているのにもかかわらず、僕はどこか適当なところにわざわざ寄り道して数分遅れてみんなに謝りながら姿を現す。そんなことをしていると少し仲の良くなった―― 一般的には友人と呼ばれる――人たちは僕に「もっと積極的に来ていいよ、遠慮なんかいらない」と言う。僕はそれがとても怖かった。だからこんな妙なことをするのだ、と僕は自分を理解している。共通の話題やちょっとした世間話で少し盛り上がって、ちょっと昼食を共にしたぐらいの相手を友達だ、というのがどうしても理解できなかったし、どうしても友人とは呼べなかった。僕だってすぐに仲良くなって気兼ねせずにどうでもいいことで楽しんでいたかった。ずっと友達だとか、友情だとか、青春とかを叫んでみたかった。でも、ぬぐえぬ不信感と違和感は残り続けた。

 一方でそんな僕をそのままでいい、と慰めてくれる人もいた。小説家の言葉だった気がするが一時期はそのような言葉が心の支えになっていた時もあった。何度も何度も言い聞かせて抱え込んだ劣等感の使い道を必死に探す日々だった。でも、やっぱり僕はそんな自分を好きになれずにもがき苦しむのだ。そして知らぬ間に恥ずかしい、でも消すことのできない炎へと戻される。僕はどうしよう、大丈夫だろうかという自信の喪失を自分を信じることができるのは自分だけ、と滑り落ちそうな時間ときの中で繰り返すのだ。一人ぼっちのまじめな夜が寂しくなって泣き出して、苛立ちと共に外へ出られない僕はまたみんなの後ろを歩く。

「玄崎……」

「くろさきくんっ」

 それでも彼女ら――僕は仲間と呼んでいる――は僕を呼び続ける。零れ落ちそうなほど小さくて貧弱な命を彼女らはいじめることも、冷やかすことも、馬鹿にすることもなくお前はそのままでいいんだと今も僕の名前を呼び続けている。

「くろちゃん、さあ選んで。もちろん、氷見はくろちゃん一択だけどね」

「僕は……」

 僕と七人と一人の彼女たちは虹の下にいた。虹の下というのは七色が鮮やかに映し出されるためだけの空間なので白い空間だ。頭上にはオーロラのように虹が揺れていて、七人の少女は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫のミニドレスを身に着けている。ふわふわ感や露出度は個人によって大きく異なっているがそれぞれのスペクトルの色を表している点では共通している。彼女たちは僕を軽蔑せずに仲間――本人は友達のつもりなのだろうが――だと言って、武器を手に白いドレスの一人の少女と戦ってくれた。

 だけどそれもここまで。これはまだ僕の望んだ結末じゃない。僕はポケットに突っ込まれた七つの光りが眩しいパズルを取り出した。パズルは全部で九つのマスがあり、スペクトルが八個ある。一マス空いているので、カチャカチャと動かすことができる。僕は一つずつ重なるようにスライドさせていく。赤から順にその色を重ねていくのだ。すると、色が混ざって一つになる度に同色の彼女たちは色を失って紙に描かれた線だけになる。もう彼女たちの声は聞こえない。僕は何度この光景を見たのだろうか。せっかくのつながりを消してしまうのは悲しくて苦しい。七つのスペクトルが一つになると、その色は黒になった。仰々しいただの黒色。僕は白の少女の問いにようやく答える。

「僕は、それが怖いんだ」

 僕はその黒色を真っ白な世界に落とした。落ちたところから白は黒へと変わっていき、ただの一色に染め上げられた。もうそこに虹はない。再び雨が降って綺麗になる時まで虹は光らない。


 ***


 人工知能を一人一台持つことが当然となった平成から二十年後の世界。その媒体は人によって様々だが、多くの人はスマホで配信されている模倣型人工知能「イミテ」を使用している。人工知能の主な役割はその人の相棒であることだ。自分だけの自分のためのちょっと特別な存在。情報を表示したり管理したりすること、悩みを相談して一緒に考えてくれることなどはもちろん、遊び相手にだってなってくれる。時には親のように考えを示唆してくれたりするなど、その活躍範囲は私生活にとどまらない。ついこの間だって人工知能は国家を創立させた。目的は増えすぎた人工知能の統率と律による人工知能の制限だ。試行によって得た思考は時に悪行に走ってしまう人工知能も少なくはない。そこで国家を樹立し、規律を設けることで人間社会にも適応させようとしたわけである。わざわざ国を作ったのは、全世界共通の規律を作りたかったからだそうだが、果たして真相はそうだろうかと疑惑と詮索は今日も止まず、週刊誌やジャーナリストがあれこれ唱えていた。

 僕も人工知能を持っている。名前はケイという。ケイは家庭用人工知能が出始めた頃に生産された人工知能なのだが、頭が取り外し可能というオプションを付けた結果不評から生産中止になったものである。家族のだれもが買ったは良いが気に入らないというので僕が引き取って改造。目を点のように小さくして可愛らしくてしてから、多くの機能が頭に集約されていることをいいことに頭だけを携帯している。後に購入した浮遊装置で浮かばせて今は僕の肩の辺りをふわふわと浮いている。ケイは改造の際、どこかの回路を僕が間違えてつなげてしまったらしく、異端型になってしまった。異端型は模倣の対義としてヘレテ型と呼ばれることが多いが、僕は同義であるドイツ語のケッツアーの頭文字をとってケイと呼んでいる。

「そうか、お前はまだ友達ができないのか」

「うん。高校生にもなって、とは思うんだけど、でもどうにもうまくいかなくて」

「クロ、この前あげたケースは忘れずにちゃんと持っているか」

 僕はポケットに突っ込んでいたケースを取り出し、左手の親指で側面のスイッチを押して開いた。

「うん、でもこれは一体に何に使うんだい?」

「そこにダイヤモンドみたいな物が八個あるだろ。それはまだ本来の色じゃあない。色を集めて元の色にすればきっと友達ができる」

「ケイが言うなら、そうするけど……具体的には何をすればいいの」

「その光っていうのは簡単に言うと他人に信頼されたってことだ。大丈夫、クロはそいつらを信用しなくてもいい。一方的に信じてもらうだけだ。簡単だろ?」

「えっと、つまり光を持っている人から信頼されればこの透明なダイヤが光るってこと?」

「そうだ」

 僕にはこんなことをやって本当に友達ができるのか、実際には何の意味があるのか分からなかったけど、ケイが言うなら仕方がない。やって見ることにした。

「その光を持っている人って誰なの?」

「ダイヤを手に取ってみろ」

 僕は言われた通りに一つ手に取ってみる。するとそこには誰かが映っているようだった。それはポニーテールの少女だった。何かスポーツのユニフォームを身に着けており、しかも見覚えがある。僕は角度を変えながら思い出していると、漸くその名を思い出した。

「あ、松原さん」

「じゃ、まずはそいつからだな」

 ケイは表情を変えないで淡々と言った。松原紅音先輩は二年生で、バスケ部の部長さんだ。僕が中学の頃バスケ部にいたのを知っていたらしく、一度校内ですれ違ったときに声をかけてもらった記憶がある。中学は別だったはずなのだが、もしかしたら練習試合や大会で対戦していたのかもしれないと、その時思ったのだ。

 バスケ部は朝練をしているはずなので、この時間は体育館にいると思い足を運んだ。予想通り体育館に近づくとボールが床にぶつかる音が幾つもしていた。正面の扉は頑丈に閉まっていたので空いている横の扉からそっと顔を覗いた。体育館内には男子と女子のバスケ部が半分ずつ場所を分けて練習をしていた。次々と決まるレイアップに僕も体がわずかだけど疼いた気がした。やがてブザーが鳴り響いて、練習は中断。一か所に集まって何か話してから片づけを始めた。松原さんを探すのに必死になっていた僕は、まさか後ろから来ているとは夢に思っていなかったので声を掛けられたときに思わず変な声を出してしまった。

「やあ、玄崎くん。君はいったい誰が目当てかな」

「ひゅい!? ……あっ、松原先輩」

 額にはうっすらとだが拭い忘れられた汗が浮かんでいた。まだジャージ姿なところを見ると、やっぱり先まで練習していたのだろう。その練習の途中で僕の方が逆に見つかってしまったらしい。

「盗撮の子ってもしかして玄崎くんじゃないよね?」

「え? 盗撮? いや、僕はそんなことはしてないですしないです。したくてもしないです。その、えっと、僕は松原先輩に会い来ただけで、えっと、その」

「私に?」

「はい、ああっと、その」

 どうしよう、何も考えていなかった。取り敢えず、居そうなところに来てみただけなので、この先どうするかは全く考えていなかった。それに、まさか盗撮犯と間違われるとも思っていなった。バスケ部が盗撮の被害に遭っていることも知らなかったぐらいなので、慌てて会いに来ただなんて言ってしまったけど、どうしよう。

「ん? 玄崎くん?」

 僕は不覚にもドキドキしてしまった。何も言わないからそりゃ、不思議に思って、僕の顔を覗き込むのは当然の行動なんだけど、とてもドキドキしてしまった。だからだろうか、僕は僕らしくないことを言ってしまった。

「今日放課後お時間ありますか」

 というわけで放課後。

 今日は放課後の練習は定休日だったらしく、松原先輩は少し驚いてはいたが笑顔で快諾してくれた。ファミレスから見る外の天気は今日も曇りだった。厚くて黒い、重たそうな雲だった。

「おまたせー」

 僕は軽く会釈しようとしたのだが、上手くいかずに変な動きになってしまった。それに気づいて少し笑われたので、恥ずかしくて真っ赤になってしまった。ケイは僕の隣で静かにオレンジジュースのストローに口をつけていた。

「今朝はごめんね。実は最近捕まったんだよ、盗撮犯が。一応停学にはなったらしいんだけど、なかなか皆警戒心が解けなくってね。そんなところに玄崎君がいるんだから、驚いたよ」松原先輩は一口コーラを飲んでから続けた。「それにしても意外だったな」

「え、何がですか」

「玄崎くんだよ。君に、誘われるとは思わなかったからさ」

「ああ、はい」

 おい、何が〝ああ〟だよ。返事になってないぞ、玄崎。はい、って分かったようなことを言っているが、ここはお前が理由を説明するところだぞ。普段しないようなことをなんでしたのかって言うこと。相手にとってはそれが一番の興味対象だ。

 いや、分かっている。それは分かっているのだ。だから〝はい〟と答えるしかなかったのだ。だってそうだろう。いきなり僕の事を信じてください、信頼してくださいなんてことは言えない。だからと言って急に信頼されるような人間では僕はないし、なれるわけでもない。信頼できるようなことができるわけでもない。他人から信頼されることが、人を信頼することがどれほど難しいのか、誰よりもわかっているはずだろうよ、玄崎。

 僕が自問自答で悶々としていると、松原先輩は見かねて話を進めてくれた。

「で、どうしたの。何か話があるんでしょ」

 僕はどうしたらいいかさっぱりわからなかった。でも、僕にまったく手法がないわけでもない。今日の昼休み、「光を下さいって正直に言えばいいんだよ」と、ケイはこんなことを言い出していた。もはや僕にはそれ以外思いつかなかった。そんなことを言ってどうなるのか想像にもしていなかったし、この時は人工知能の恐ろしさをまだ知らなかったのだ。便利な道具とか、ちょっとした友人だとかそんな風に勘違いしていたのだから仕方がない。

 僕は言った。

「松原先輩、僕にあなたの光を下さい」

 途端、周囲は白くなった。隣でケイが薄く笑ったことにも気づかないほどに、僕はこの光景に圧倒され、困惑していた。右も左も上下さえ失ってしまいそうな場所だった。僕と先輩は突然の事に二人してきょろきょろと辺りを見回し始めた。僕はどうやら、別のところに来てしまったらしい、と考えた。先輩は前にここに来たことがあるような気がする、とやけに落ち着いていた。僕はケイに話しかけた。こんなことができるのは、ケイ以外にいないし、他にすがるものがなかったっていうのもある。

「ケイ、これはどういう……」

「なんか、怖いね」

 松原先輩は僕に近づいてきて服にしがみ付き、戸惑いの声を漏らしていた。ケイはそれに答える。

「あれだよ、あれ」

 ケイが見た方向にはなにやら大きな球体のような物が浮かんでいた。そしてそれは徐々にこちらへと向かっているようだった。ケイは僕の耳元で話し始める。

「クロ、友達っていうのは、あれだろ。信じられる奴の事を言うのだろう? 『友達だから』の一言だけで、信頼を表すことができる関係の事だろう。クロ、お前が欲しいのはそういう繋がりだって言うなら、話は簡単だ。まずはお前が信頼に値する人間であることさ。そうすれば自ずと願いは叶う。だから近道を用意してやった。俺ってやっぱ有能だわ。うん、超有能なエーアイ」

「えっと、うん。ケイが言ってることは、なんとなく分かるんだけど、その、どうして僕らが置かれている状況が今ひとつよくわからな――えっ? 松原先輩?」

 気が付くと松原先輩は赤いミニドレスに身を包んでおり、自分の姿を見てぽかんとしていた。情熱的な赤ではなく、可憐な赤。靴もいつのまにかなくなっていて裸足になっていたし、何よりもその麗しさに僕は一気に惹きつけられてしまっていた。安閑としている場合ではないのに、僕は体に空気が詰まったような、ただ何も考えずにこの写真を眺めていたい、そんな気分になってしまった。すると、どこからか一つのバスケットボールが転がってきた。先輩はそれを手にすると、これ以上になく不安そうな顔を僕に向けた。ケイは話を続ける。

「だからさ、わからんかなあ。クロ、お前が英雄ヒーローになれってことだよ。あのでっかいのは、敵だ。男なら誰かのために戦って守り抜いてみろ。結果は自ずと付いてくるはずだぜ」

 むちゃくちゃだった。何が英雄だ。僕は英雄になりたいんじゃない、友達ができなくて寂しいだけなんだ。僕が欲しい友達っていうのは、笑うことを笑っていられる関係だ。それ以上望むってのは、エゴが過ぎる。だから、戦うなんて、僕に何ができるっていうんだ。

 大きな球体の進行が止まり、大きな音がした。その下方から静かな音と共に波が現れた。その敵が近づいてきて漸くわかったその波はまた球体だった。今度のサイズはちょうどバスケットボールぐらいの大きさだった。それぞれには楕円形の腕のような物が付いていて、球体に張り付いている目玉は明らかに僕らを敵視していた。

「な、何よあれ。ちょっと、来るっ」

 松原先輩が手にしていたボールを思わず投げる。やがてそれはみるみる平らな楕円型になり、赤く光って数多の敵を消していった。僕は赤い閃光から先輩へと視線を移す。

「先輩、今何を……」

「クロー、来るぞー」

 ケイの声でやっと反応できた僕は迫る敵の左右の腕を止めるのでやっとだった。両手で受け止めた腕の先は思ったよりも尖っていて、僕は見えない死に恐怖した。先輩はおっかなびっくり球を投げていたのだが、どうやらすぐにコツを掴んだらしく、僕が敵を足で蹴飛ばして何とか距離を取れたころには手当たり次第に手にしたボールを次々と放って、敵の侵攻を妨げていた。

 敵は僕らの奮闘にやや下がり、今度は別の敵を送り出してきた。小さい球体が一つになり、少し大きめの敵になった。敵はどうやら大きさに比例して、進む速度も落ちるようで今度のは小さい時よりも遅めだった。これに対して松原先輩は怯まずに球を投げて光を放つが、すぐには倒せない。四発目が命中したところでようやくその姿が消えた。だけど、

「数が多すぎるよ。玄崎くん、何とかならないの」

「ケイ!」

「おいおい、それはないぜクロ。俺ではなく、ここは自分で頑張るところだぜ」

「今すぐ元に戻してくれ。僕はこんなこと頼んじゃいない。なんだよ敵って。どうして戦う必要があるんだよ、このままじゃ死んじゃうよ。ねえ、ケイ」

 僕は自分が何もできないことが何よりも焦らせた。先輩にただ一人で戦わせていることが何よりも僕を焦らせた。

「心外だなあ。俺はこれでもクロが望む通りの事をしているんだぜ。ちゃんと協力してるんだから、クロも協力してくれよ。大丈夫だって、あの敵倒したらきっと友達ができるさ」

 先輩は懸命に一人で奮闘し続けていた。しかし、いくら敵を葬っても次々と現れるのでいたちごっこだった。敵の腕が僕らを襲撃する回数も増えてきた。

「僕は、どうすれば」

「さあな。確かにクロは何もできないつまらない奴だが、居ないよりかはましだろうよ。背水の陣で孤軍奮闘より、そばに誰かいるってのは心強いものだぞ、うん」

「そんな……」

 こんなこと、何の意味にもならないと僕は思った。ましてや先輩に恐怖を与えたきっかけの張本人なのだ。信頼も何もないように思え、僕は初めてケイの事を憎んでいた。敵は見える限り六体は居た。まだこれからも増え続けるのだろう。初めに見えた大きな球体の敵はその奥の方で影となっている。たぶんあれを倒さない限り、この敵は侵攻を止めないのだろう、とさすがの僕でも感づいた。

「きゃあっ」

「先輩っ」

 敵はすぐそこまで迫ってきていた。敵の攻撃は辛うじて頬をかすめる程度で済んだのだが、手にしていたボールが彼方へと転がって行ってしまった。これではもうこちらに手立てはなかった。見上げた先にはサーフボードのような腕で立っている敵が僕らを見下ろしていた。敵は目の表情を一切変えずに、僕から見て左側の腕を上にスライドさせた。

 僕は、

 僕は震えながらも少しだけ前に出た。先輩が後ろになるように、気持ちだけ前に出て、庇おうとした。ケイの声も先輩の声もせず、聞こえる音が自分の呼吸だけになった。僕の呼吸音が聞こえなくなったのは敵の攻撃によるものでも、本当に呼吸が止まったからでもなかった。新たに聞こえた音は僕を呼ぶ声だった。

「くろちゃーーーーん、んっ」

 僕を呼ぶ叫び声と共に誰かが敵の目玉を一突きにした。目の前の敵は動きを止め、やがて消えていなくなった。空白となった場所に今度現れたのは黒のミニドレスに身を包んだ少女だった。少女は僕に向かって言った。

「くろちゃんは大丈夫だよ、氷見が守るもの。そばに居てくれるだけでいいの」

「真城、氷見……」

 真城氷見。僕は間違えようのないその顔にひどく驚いていた。できることならば二度と会いたくのない人だった。真城は僕の事を一方的に好きだと言って聞かない言わばストーカー。そんな彼女がどうしてこんなところに。

「じゃあ、くろちゃん。ちょっと行ってくるね」

 黒の真城はそう言い残すと身軽に高々と飛び上がって近くの敵の上に乗り、何か刀のようなもので一刺しし、あっという間に倒してしまった。ついでにといった具合にに三体倒してから戻ってきた。僕ににこやかに笑いかけると、武器の説明をしてくれた。

「この傘ね、氷見のお気に入りなんだけど、こうやてくるくるって回すと先が長くなるんだよ」

 真城は開いていた傘の笠を左右に回してくれた。すると、笠の部分が徐々に小さくなり、代わりに傘の上の先が長くなった。フェンシングのあれみたいだな、と思った。感想はともあれ、僕は毒づく。

「――真城、お前なんでここにるんだ」

 普段とは違う口調に松原先輩は驚いていたけど、真城と僕は構わず続ける。

「くろちゃん酷いな。氷見はくろちゃんの彼女さんだよ? そばに居て当然じゃない」

「僕は君と交際しているつもりはないし、仲良くしているつもりもない」

「またまた、照れちゃって。ほら、また来るよ」

 真城は会話を切り上げてまた敵と対峙する。リズムよく二体の敵を倒した。僕は返す言葉もなかった。一体何をしたら僕はあのような人と関われるのだろうかと、過去の自分に聞いてみたいほどだ。松原先輩もボールを少しついてから小脇に抱えてこちらへと来た。真城も事を済ませると忍びのように戻ってきた。また傘を回して優雅に笠を開いていた。

「よしよし。いい展開だ。取り巻きは居なくなった。あとはボスだけだ。何とかして倒せ」

「あれを倒せばいいんだね。じゃあ、行ってくる」

「おい、真城」

 真城は今までと同じペースで抜刀して敵へ向かっていった。敵はそれを見つけると巨大な目玉を真城へと向け、光を放った。真城は咄嗟に剣を傘へと戻し、受け流したがその強さに押し負けて落ちてきた。

「真城ちゃん、大丈夫?」

「うう、手ごわいね」

「ビームなんて反則だろ……いや、でも先輩も」

「ああ」

 松原先輩は手にしていたボールを再び投げた。球は光となって敵へ到達したが、敵はビクともしない。すると敵はお返しに巨大な光線をこちらに撃ってきた。

「うわっ」

「くろちゃん、どうしよう。勝てないよ」

「クロ、どこかにお前が持っているクリスタルと同じやつがあるはずだ。それが敵の活動源となっている」

「――って言われても」

 あのバカでかいやつのどこにそんなものがあるんだよ。全体がはっきりとするぐらい前に相手が進んでは来たが、そんな物はどこにも見当たらない。

「また来る! くろちゃん危ない」

「しまった――」

 敵の放った光線がまっすぐ僕の方へ来ていた。思わず顔の正面に僕は手をやったのだが、どうやらそれが正解らしく、敵の光線は全て手中に収まっていった。

 

 【ねぇ、聞いてくれない。私の言い分も。実はね――】


 同時に聞こえた女性のある叫びも僕の中に納まっていた。一度に二つの事が起きたので、僕は驚いていたが、なるほどと納得もした。やはりケイの言うことは正しかったのだ。

「真城。どこでもいいから敵を突き刺してくれ。先輩は僕がこの球を渡したら投げてください」

「おっけー、くろちゃん。任せておいて」

 真城が三度みたび走り出した刹那、再び中ぐらいの敵が現れた。真城はそれらを次々に刺して消滅させ、松原先輩の応援砲も効いてボス敵に到着。一気に敵の頭の上に乗っかるとそこに剣を突き刺した。

「あれだ」

 突き刺さった傷から見覚えのあるダイヤのようなものが出てきた。真城は僕たちの方に戻ってきて、傘を元に戻す。敵はこの時初めて焦ったような動きをして、一心不乱に光線を乱射した。その一発が僕らの方に向かってきたが今度はしっかりと右手でその光を受け止めた。

「大丈夫です。受け止めました。――先輩っ」

 松原先輩は僕からボールを受け取ると、今日一番の球を投げた。球はやがて赤い光線になり、敵へと直線を描いた。視界が赤く染まった所で戦いは終わり、僕らは元居た場所に戻った。


 ***


 後日談。ファミレスに戻った皆から聞いた情報を統合すると以下のようになる。まず、あの場にはいなかったはずの真城だが、ファミレスの外から僕の事を見かけてやってきたらしい。入店後に、ケイから説明を聞いて参戦を即決したそう。僕にとってはストーカーという最も信頼できない人間だが、今回は主に戦闘面で助けられたので目をつぶることにした。ケイによると、このような戦いが後六回残っているらしい。僕は松原先輩と仲良くなれたのだからもういいと思ったのだが、世の中にはいろんな人がいるからそういう人たちと仲良くなれたら僕は無敵になれるらしい。真城はこれに対して、僕に友達が増えることには反対ではないらしかった。こういう問題にはすぐ嫉妬しそうなものだが、やはり何を考えているのか分からないやつだった。最後に、敵の光線と共に受け取ったあの声。絶対とは言い切れないが、あれは松原先輩の声だったと思う。先輩の心からの叫び。僕には到底解決できないような物ばかりで、正直醜い部分も多かった。だから僕はそれを受け止めることにしたのだ。何もできないけど、聞いて頷いてあげることはできる。結果的にそれが功を奏して今回の結果に至ったわけだが、本当に良かったのかと僕は少し考えてしまった。帰り道、僕はケースを開いた。中には赤い光の球が一つ、四角い仕切りの中に入っていた。動かしてみても、何も起こらない。他には一体誰がいるのか気にはなったが、また今度にしよう。先輩が呼んでいる。真城を全力で無視して、僕は隣に並んで歩いた。これだけでも大きな進歩である。

 天気は未だに曇天模様。雨はまだ降らない。




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アルカンシエルホワイト 小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】 @takanashi_saima

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