第8話 監督生

 翌日、メルレが荷物を抱えてトランテスタにやってきたのはそろそろお昼になるかという時間だった。そんな時間だから当然学生たちがトランテスタにいるはずもなく、トランテスタは昨日ここへ来た時と同じように静寂に満ちていた。


 あの騒々しさはなんだったのかと昨夜のことを思い返しながら、メルレは階段裏にある鉄の扉に鍵を差し込んだ。

 捻るとガチャリという硬質な音が聞こえたので、そのまま押し入ろうかと思ったが何故かビクともしない。メルレが鍵を閉めてしまったのだ。


(…アルヴィンが中にいるのかしら)


 荷物を抱えそろそろと階段を降りて行くと、天井の明かり取りから差し込む光に照らされたホコリがキラキラと光ってメルレを出迎えた。


「こんにちは……アルヴィン?」


 返ってくる声はない。

 メルレはその場に荷物を置いて、アルヴィンがいないかと、彼の机を目指し踏み出した時だった。


「こんにちは」


 背後から声が掛けられる。アルヴィンとは違う、若いよく通る声だった。


「…こんにちは。あなた、ここの学生?授業はどうしたの」


 隅に置かれた木製の椅子に腰掛け、揃いの机の上に置かれた木のパズルを片手間にいじっているのは大都大の制服を着た青年であった。


「授業なんて受けてる場合じゃないね。アルヴィンのところに人が来てるんだから」

「人?もしかして来客中なの?」


 さらりとした黒い髪をゆらして青年は小さく笑った。


「違うよ、君のことだ。君はアルヴィンに会いにきたんだろ?」


 メルレは面食らった。さっきの言いようじゃだれだって勘違いするというものだ。出会って数分もしないが、彼もトランテスタの住人らしく厄介な予感がする。


「それで、アルヴィンはどこ?」


 早々に会話を切り上げたかったメルレは、可笑しそうに目を輝かせる青年を薄目で見てアルヴィンの居場所を訪ねた。


「奥にいるよ。けど、入るのはダメだ。そこから先はアルヴィンのプライベートスペースだから」


 青年はアルヴィンの作業机の奥の暗がりを指差した。確かにそこには奥につながる通路が口を開けていた。


「でも私、挨拶したいのよ。ここで待ってればきてくれるのかしら。それとも呼び鈴でもあるの?」


 メルレのその言葉に青年は今度こそ吹き出した。


「くっ…アルヴィンをっ、呼び鈴で呼ぶだって?あはは」

「…そんなに笑うことかしら。パン屋にだって店員を呼ぶためのベルがあるわよ」


 むっとしてメルレが言い返す。


「ははは…いや、ごめん。確かにそうだ!俺もこれからは呼び鈴を使おうかな」


 けらけらと笑った青年は口元を面白そうに緩めてそう言った。


「あなたもアルヴィンを待ってるの?」

「そうだよ。アルヴィンとは古い友人でね、ご機嫌伺いに来たってわけ」


 茶目っ気たっぷりに言う彼はとても”古い“友人には見えないが、なんにせよアルヴィンとは知り合いのようだ。


「なら依頼主じゃないのね。てっきり修理して欲しいものがあるのかと思ってたわ」


 ここは修理室なのだ。訪れる人の理由は1つだと思っていた。


「依頼なんてするやつはいないさ。たいていが取引の穴に放り込むからね」


 取引の穴、とは昨夜も聞いた言葉だ。


「そう、それ。なんなの。ここは本当はゴミ箱かなんかなの?」

「まさか!でも、そうだな。今じゃほとんどの穴はゴミ箱として使われてるかな。……その様子じゃなにかあったんだね?」


 メルレの顔を覗き込むようにして青年は尋ねた。


「上からびしゃーっとジュースをふっかけられたわ」


 ただでさえ新入りであるのに、ジュースでベトベトになったお陰で、昨夜の職員寮では悪目立ちだった。


「それは災難。実は俺も何度か食堂の穴にはエライ目にあわされたことがあってさ。それで使用禁止の札をかけたこともあったんだけどダメだったか」

「塞いでしまわないと危険だわ」

「それは無理だな。最初は良くてもそのうち誰かがまた開ける」


 幾分沈んだ声でそう言った青年は仄暗い目をしていた。


「そしたらまた塞ぐわ」

「君が?」

「そう、だってそれが仕事だもの」


 修理師の作業範囲がどこまでかは知らないが、これだけボロい学生会館なのだ、穴の一つや二つ塞ぐことに誰が文句を言うというのか。メルレは仕事へのやる気を見せるかのように胸を張った。


「…なるほど、君は確かに修理師と言うわけだ!」


 パッと椅子から立ち上がった青年の顔は晴れている。


「頼むよ、君には治してもらいたいものがいっぱいあるからさ」


 そう言ってにっこり笑う青年が見つめる先は高く積まれたゴミ山だ。メルレは急に現実を突きつけられたようでちょっとたじろいだが、すぐに強気で言い返した。


「い、いいわよ。こうなったら全部直してやるわ!」

「……随分威勢がいいな」

「アルヴィン!」


 いつの間にそこにいたのか。私たちに声をかけたアルヴィンは机に修理道具を広げて作業の準備を始めていた。


「こっちにこい、仕事をやる」


 そっけない口調にメルレは少し戸惑った。昨日、僅かに会話をしただけだから勘違いかもしれないが、アルヴィンはもっと優しい態度ではなかったか。

 強い口調に眉を寄せたのは、メルレの隣に立つ青年も同様だった。


「おい、言い方ってものがあるだろ?」

「黙れ。ここで働くなら今日からは私の弟子だ。お前にとやかく言われる謂れはない」


 アルヴィンは鋭い視線をやる青年を見もせずに道具の準備を続けた。その強硬な態度にため息をついて青年はアルヴィンに背を向けた。


「あっそ。ごめんね、メルレ。俺授業に戻るよ」

「え、ちょ…」

「今まで1人だったからね、慣れてないだけだと思うんだけど。大丈夫、メルレが悪いわけじゃない」


 メルレの肩をぽんと叩いて青年はトランテスタへと続く階段へと向かったが、はっと思い出したようにこちらを向き直り人差し指を立てた。


「忘れてた。アルヴィンは12時ならないと起きてこない。夜も9時には寝てしまう。そういうわけだから、明日からは12時の鐘がなってから来るといい」

「…それをあなたが説明するの?」


 普通は室長のアルヴィンがするものではないか。メルレはアルヴィンを見たが彼はこちらのことなど気にも止めず、ゴミ山から今日修理する獲物を探している。


「まあ、俺のことはアドバイザーだと思ってくれよ。こう見えてトランテスタの監督生だ」


 監督生。そう言われてもトランテスタのことをよく知らないメルレにとってはピンとこない。要領を得ないメルレの様子にさらに説明を追加しようとした彼の言葉をアルヴィンが遮った。


「クラウス、邪魔だ」

「わかったよ。もうやることは済んだから消えるさ……ただ、アルヴィン。間違えてくれるなよ。俺は確かに聞いたんだ」


 クラウスと呼ばれた青年は、そう言ってアルヴィンをじっと見つめた。咎めるようなその視線にアルヴィンはゆっくり瞬きをした。

僅かなやり取りはそれで十分だったようで、クラウスはトランテスタへと続く階段に姿を消した。



「来い、仕事を教えてやる」



 そう言ってアルヴィンがその場に残されたメルレを呼んだその時、12時を告げる鐘の音が響き渡った。


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修理師メルレとトランテスタの魔物 渡良瀬 遊 @watarase

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