第7話 食堂のごみ箱

メルレがセオドアを見つけるのはそう難しいことではなかった。修理室の鉄の扉を出てすぐに例の甘い歌声が聞こえてきたからだ。


「トランテスタの魔物の眠りを解いた彼女は今どこに?」


階段の反対側にあるそのトランテスタの食堂では学生が集まり歌の主を囲って大騒ぎを繰り広げていた。


「気になるのなら教えよう。わがクラブに伝わる話。魔物の眠りを覚ます歌」


先ほど言っていたヴァイオリンを片手に持ち、もう一方の手で沸き立つ学生を歌の世界へ引き込んでいく。


「トランテスタに隠された無数の穴を探し出せ。その穴供物を捧げれば、魔物は願いを叶えてくれる」


ひそひそと秘密の話をするように、しかし冒険心をくすぐるように力強く。なるほどたしかにその語り口調はエンターテインメイント性に富んでいて音楽クラブの長というだけあった。


「だが気を付けろ。この穴は、我らが開けたものではない。取引の穴は魔物の口。手をこまねいて待っている」


アコーディオン奏者が不安を呼び起こすアルペジオを弾くと騒がしかった周囲の学生は少し口を閉ざして見せた。彼らは見事にその場の雰囲気を操っていた。


「トランテスタの住人よ知を身につけよ、判断を誤るな!その過信が自らの首を絞めるともなりかねん」


そこまで歌いきると今度はアコーディオン奏者が転調して別な曲を奏でだした。その音楽をバックミュージックにセオドアは笑みをもって伝えた。


「とは、言ってもね。こうしてなにかを落としてみてもなかなか魔物は飛び出してきてはくれないんだけど……おっと」


セオドアが言葉につまる。そうだろう。なんてたって彼の目の前には今しがた彼が投げ込んだジュースを頭からかぶったメルレが彼の言葉通りに現れたのだから。


「私、捧げられるならもっと別なものがいいのだけれど」

「…え、液体はよくないようだね」


冷ややかなメルレの声にわずかに上ずった声で返答したセオドアをみて周囲の学生は何かを察知したらしい。そろそろと食堂から退散し始めた生徒もいる。ジョゼフの言う通り面倒ごとをさけるのはトランテスタの住人の性質なのかもしれない。


「私ね、田舎から出てきたの。この上京に期待で胸を膨らませてってほどじゃないけど、それでもこれからここで始まる新しい生活はそれなりに楽しみだったのよ」

「聞いたよ、ここで働くことになったんだってね。僕は大歓迎だよ!…ところでメルレその恰好は、どうして」


セオドアがいまだわけがわからないといった表情でメルレに問いかける。それがなんとも気に入らない。


「どうして?どうしてかしら。私が教えてほしいわよ!新しい職場に入った途端上から得体のしれない液体ぶっかけられてるんだから!」


そうなのだ。聞きたいのはメルレの方なのだ。一体なんの謂れがあってこんな目にあわなきゃならないのか。メルレはトランテスタに来てから一番の流暢さでセオドアを弾劾した。


(…まったく。これでほんとに天下の大都大の学生だっていうの?これじゃあ近所の子供たちとやってることは同じじゃないの)


いたずらレベルならメルレの実家の近所に住んで子供たちと同等だ。それにもしメルレが歌の通り魔物であったなら、あんなわけのわからない理由で呼ばれたらただじゃおかないと思った。だがしかし、被った被害について文句が言えたのでここでひとまずメルレは溜飲を下げた。


「職場って…メルレ、君は一体どこで働いているんだい。僕は取引の穴に流し込んだんだ。行きつく先は魔物のもとか…下水道だろう」


あれだけたいそうな歌を歌っていてもやはり流石に本気で魔物の存在を信じているわけではないらしく、声を潜めながらもセオドアはそう言った。だが残念ながら穴の終着点は下水道ではない。


「修理室よ。その穴ってやつが繋がっている地下にある、ね」

「地下だって!?」


真実をつげたメルレにセオドアは驚いた声をあげる。周囲でどうなることかと見守っていた学生の何人かも目を丸くしている。


(なにかしら…私変なこと言った?)


彼らの驚きようが理解できず今度はメルレがひるむ番だった。


「どうやって行けるんだい?隠し通路か何か?」

「どうやっても何も…すぐそこにあるじゃない、鉄の扉が」


急に眼を輝かせ興奮して尋ねるセオドアは今日で十分に見知ったセオドアだった。その勢いに若干引きながらメルレは食堂を出た先の階段を指さす。その裏に鉄の扉は隠れることもなく存在している。


「メルレ、君が言ってるのは階段裏の開かずの扉のことかい?」

「開かずの扉」

「…開けたんだね、メルレやっぱりきみはっーーーー」


ぐっと間合いをつめてきたセオドアと避けるようにしてのけぞったメルレの上にさっきも聞いた音が降り注ぐ。鐘の音だ。


「さあ、トランテスタの奇人変人諸君。お帰りの時間だ」


鐘の音につられるようにしてうっすらと疲労をにじませて食堂に現れたのはジョゼフだった。


「メルレ。明日の講義が終わったらすぐに会いに行くからね。まっててね」


セオドアはまだ確かに興奮の色を残した目でメルレを名残惜しそうに見てからそういうと他の学生たちに混じって食堂から出ていった。


「メルレ、君もここにはいられないからね。職員寮があるから夜はそっちへ行ってくれ。トランテスタは10時閉館なんだ」


随分あっさりとトランテスタからでていく学生たちをみてメルレはあっけにとられていた。そこまで鐘の音の威力はすごいのか。


「守らなかった場合は?」

「トランテスタからの追放」

「…それって重い罪なんですか?」

「すくなくともここを気に入っている奴らにとっては」

「なるほど」


『トランテスタに出入りできることはステータス』という父の声がよみがえる。一体ここの何がそんなに良いのかメルレは汚れた自らの恰好を見直す。なんにせよ、とてつもなく不思議で大変な一日であったことは確かだ。メルレの悲惨な状態にようやく気が付いたジョゼフのなぜという問いに洗礼ですと適当に返し、メルレも学生たちの後に続いて食堂を出た。

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