《禁》:雖
《禁》:縁
「初めまして」
すとん、隣に腰掛ける。長着に羽織の人物は、顔の上半分を目の描かれた紙で覆っていた。長い髪を後頭部で一つに束ね、下に垂らしている。手には二冊の本。一冊は深緑の古びた和本で、もう一冊は藍色の冊子だった。
「裏通りにお越しになるのは初めてですか」
優しい口調ではあるが、音程はだんだんと低くなる、独特な話し方だ。女とも男ともつかない声色、容姿。着ているものが男物でなければどちらなのか判別付かなかっただろう。
「そうですね。初めてです」
いくら文明開化といえど、それで彼岸の者共がいなくなるわけでもない。むしろ見えない者が増えると、性質の悪いのが生まれてくる。古参は街灯の灯りに溶け、姿を消す。定めというなら定めだろう。
「《断鋏》とはよく言ったものですね。縁を断つことでしか存在できない、ということですか?」
「いや、そういうわけではありません。しかし大方、そういうものです」
やけに静かだ。誰もいない。それは彼岸も此岸も合わせて。これからはこういう時代が来るのだろう。誰もが我等を忘れる時代。縁の消える時代。我等と彼等の縁が喪われる時代。
それも、定めか。
「じゃあいっそ、決めてしまいませんか」
「何を」
「禁忌を」
禁忌。
「聞けばあなた、断鋏さん、行く先方々で顔を売っていらっしゃる。しかもなんです、貴方なんだか悪者みたいではないですか」
「悪者には違いありませんが」
「馬鹿おっしゃい、貴方は自分が消えないように生きてるだけでしょう」
「言い得て妙ですね」
「言い得て妙? いいえ違います、我等はそういう風にしか在れぬが道理」
否、愉快愉快。隣の不躾な人形の者は ふ 笑う。
「この土地は面白いでしょう。ここであってここでない。神の土地だ、神の住まいだ。どうせなら、お仲間を増やそうかとね」
「仲間? 物好きなお方だ。私に縁など繋げるはずがありませんでしょう」
「おや、それはおかしいな。それなら貴方は、」
いきて、いる。
千切れた首は繋がっている。手は動く。足も動く。身体中が、この思い通りに動くのだ。しかしなんだ、この違和感は。今までとはまったくもって何かが違っている。何かがおかしい。どこかずれている。何か欠けている。
何かが、足りている。
──昔々、人々が生まれた頃の話ですが
右も左も分からない。ここはどこなのだろう。くらいようで、あかるいようで。目に見えるものがぼんやりとしているのではなく、頭の中に靄がかかっているかのよう。
目の中に靄があるかのよう。
──人々の紡ぐ繋がりの中、それのかけらは寄り集まり、一つの形となりました
体があるのはわかっているのに、自分の体はあやふやだ。一方ではしっかりと感じている。だのに、そこに確実に自分がいるかといえば、私は何一つとしてしっかりとしたことはわからない。
立ち上がる。
──それは《縁》。その真の名を、
立ち上がるといっても、そう感じただけに過ぎないのだが、果たして私は立ち上がった。そして生温いやさしさを突っ切って、どこかへ向かおうと思った。
ここはどこなのだろう。
──いつしかそれは意思を持ち、断鋏という名を手に入れ、伝承へと変化しました。人と人との縁を断ち、断鋏に縁を断たれた者は孤立し、人との繋がりを失う
どこか。その答えが永遠に見つからないことを私は知っている。ここは場所ではない。ここには何も無い。ここはどこでもない。
ここは、無だ。
──年月をかけて、断鋏は伝承から都市伝説になりました。二回名前を呟くと、代償とともに縁を断ってくれると。或いは、願いを叶えてくれる代わりに、何かとの縁が断たれてしまうとも。そしてどちらにも共通して、断鋏との縁は完全に断たれると
無。ここには何もない。右も左も上も下も、私すらも存在しないも同然なのだ。
当然の結果だといえよう。私は彼を殺し、そして彼に殺された。私は彼だと偽り、あまたの人を迷わせた。私は偽る者。詐る者。謀る者。
変幻するもの。
──誰も彼のことを覚えることはできない。断鋏は永遠に孤独であらなければならない。いつしか成り立ってしまったその
私は、何者でもなかった。初めから、最期まで。それは知っているのだ。そういう運命だったのだ。我らはそういうものなのだ。誰にもなれない、人に恋い焦がれ、人に憧れ、人を憎み、人になりきれず、そして人に忌まわしく思われる。
それが私は厭だった。
彼を、羨ましく、思った。
──これは私のエゴでした。エゴイズムでした。断鋏という、あまりに優しく、あまりに哀しい存在を、妖にすらなりきれぬ、外のなにかを、私は救いたいと思いました。叶わぬこととは知っていました。まさに私は死出の旅の終りで、彼と出会ったのです
彼が羨ましかった。人ではないのに、人に手を差し伸べることできる彼が。人ではないのに、人のことを見つめていられる彼が。人ではないのに、人のことを救える彼が。私は彼になりたかったのだ。
なんという浅ましい願いだろう。私は彼の悲しみも苦しみも孤独も、全て知っていたというのに。
──ねえ、貴方。彼が伝承から都市伝説へと変化したのは、私の所為です。私が私の体を差し出す代わりに、彼に人々を、衆生を救うようにお願いをしてしまったから
私は、私になりたかった。
私は私が欲しかった。
何者でもなく、私が私であるという証拠が。
──莫迦でしょう。彼はもうとうの昔に死んだ私の体を使い続けている。彼はもうとうの昔に時効になった私の願いを叶え続けている
私が無だというのなら。
──ひとつ。断鋏に願いをかけ、叶った者はその身を速やかに差し出す。できない者は、奪われる。ひとつ。断鋏を追えばどこにも行き着くことなく孤独になる。ひとつ。断鋏の姿などを他の人に語れば、なにかしらの縁を失う。ひとつ。断鋏》を傷つけた者は、いずれ縁で身動きが取れず、縊る。ひとつ。断鋏の名を騙り、なんらかの行動をすれば存在がなくなる。以上の五つに例外は無く、故に、何人たりとも断鋏に近付き理解することかなわない。断鋏に対して縁をかける事は不可能であり、断鋏は縁を断つ存在であらなければならない……但し
私は、此処で。
有となろう。
──これらの禁忌は断鋏と《オモイ》で繋がる者には一切の効力を持たない
「故に私は、彼と共にあり。彼と共に生き。彼と共に消え。彼と一つであり。そして彼とは別個として。彼と彼以外の誰かとのオモイを、創り続けるのです」
その瞬間────
あれほど憧れた断鋏と瓜二つの顔をした、全く別の誰かの影が、瞼の裏に浮かんだ。
「はい書き換え完了しました、お疲れ様でした」
「は?」
声が、出る。
声を、私の声を、私の耳が。
目の前のこれは、誰だ。…………貸本屋。貸本屋か。これが、貸本屋。
「いや申し訳ないがね、時間がありませんでしたので人間の形になれてないんです。驚くのも無理はない。この姿が私の本性。とまあそれは置いておくとして、君には君自身の第二の物語を紡いでもらうことになる。名前は、偽汽車。ふふんどうだ、なかなかぴったりくるだろう。洒落が効いていると自負している」
自分の手元を見る。白い手袋。耳が重い。耳朶に触れると、金属の輪が当たる。しゃらりと澄んだ音色。
「その耳の飾りは君の錫杖みたいなものだ。君がもし暴れることがあれば、それが自ら君の耳を引きちぎって正気に戻すことになってるからそのつもりで」
がたんごとん。がたんごとん。音。背後から近付いてくる。私の背中すれすれを過ぎて、止まる。
「それは君の本体。汽車、蒸気機関車だ。君はそれの動力を、乗せている人間の寿命で動かすことになる。そのかわりその人間の行きたいところに連れて行ける。火車の真似事も朧車の真似事もなんでもできるぞ。しかも低燃費!」
目の前に並べられていくさまざまな、私。
これが私、なのか。
「それじゃあよろしく頼むよ。君は裏通りと表通りを繋ぐ架け橋の一部になってもらう。役目さえ果たしてくれれば何をしても構わない。但し、人を攫うときは長めのスパンで頼むよ。裏通りの神のことが露見したら大変だからね」
汽車に触れる。黒い車体。煙を吹くそれ。車輪は大きい。豪華寝台列車もかくやといったところだろう。
「早速最初の仕事だ。…………少年を一人と、元件の土塊を裏通りから表通りへ返してやってくれないか?」
────断鋏と雖も、そのオモイは、なんら人と変わらず。
了
モノノカタリベ貸本屋裏事情《笑壺の会》 宮間 @yotutuzi
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