《禁》:縁
《禁》:縁
言うならそれは、羨望、と言うものだったのやもしれないと思い返すのである。
例えばそれはその殻である。例えばそれはその力である。例えばそれはその運命である。例えばそれはその歴史である。
彼が歩んできたもの全て、彼が今ここにいるために使われているもの総て、零した言葉の一欠片さえ、私にとっては嫉妬にも似た感情を抱くに事欠かない対象となり得たのだ。
彼を崇高な存在として見ているのではなく、ただ単に、《それがそうである》ことに対しての不満。《それがそうでなければならない》ことに対する不満。
私はまるで幼い仔が駄々をこねるように、罪深な嫉妬、羨望、悪意、敵意を抱いたのだった。彼が《強い》こと、彼が《人と関われる》こと、彼が《人の殻を持っている》こと、彼が《己の境遇を悲しむことができる》こと、彼が《彼なりに愚かなこと》、彼が《彼ではない彼を尊く慈悲深い目で愛し続けている》こと、何より彼が《彼である》ことを、彼の全てを羨み、妬み、嫉み、憎んだ。彼と私はそれほど違わないというのに何がこの溝を生んだのかと、私は私を呪った。
私は何かに対して、何らかの対象に向けて狂おしいほどの何か、《感情》と呼べるものを抱いている、それが嬉しかった。
私はそうして、漸く私を見つけたのである。
それに対してこれは何なのだろう。
首。
だ。
ごとん、と。
頭の側面が固い何かにぶつかった。
「––––––」
靄が、黒い靄が辺りを覆っている。私の顔に熱い液体が降りかかる。私の体。私の体。私の体。私の体はどこに。
「縁の出来損ないの塊だと、言ったろう」
息ができない。頭が、何も
「あんたの体がくっついてる縁くらい、簡単に断てるんだ」
目の前が暗くなっていく。視界が狭くなる。頭がぼやけて霞む。まるで何がなんなのかわからなくなって––––––
なんたって、と。
それは笑うように言った。
「俺は、わからないからな」
「ああこれはこれは、非道い有様だ」
からんころん。下駄を鳴らして真っ暗闇を迷うことなく歩き、首だけで寝転がる断鋏の側にしゃがみこむ人影がひとつ。長い黒髪と顔を覆う、目玉が不均等に描かれた白い紙。長着を着こなした彼は、喋る生首をむんずと持ち上げた。
「このお莫迦。折角こちらが用意してやったというのに、なんで生首になってるんだ。四条河原に晒すよ」
「それは怖えな」
「軽口がきけるならまだ生きてるな。生首め」
「血液が存在しないから特に何もない。ただ体は頭がなけりゃ動かせねえからな、不便極まりねえ。それとも
はっ。貸本屋が嘲笑うように首をすくめた。こふ、とくぐもった含み笑いがわざとらしい。
「
「気付くか。死ぬかもしれなかったんだぞ」
「は? 何言ってるんだお前。そんな簡単に死ねるわけないだろお莫迦」
「一々莫迦って云うな」
「莫迦だから莫迦って言ってるんだ莫迦」
「なんだと」
下駄の主は断鋏の頭を、倒れている彼の胴体の側へ持っていく。そして綺麗に両断された首なし死体のその付け根にべちょりと頭をくっつけた。袂から手拭いを取り出し、ぐるぐると巻きつけ頭と体を固定する。
「それで? どうにかなったのか?」
「さあ、どうだろう。少なくとも死んではいない」
「お前が? それともそこに転がってる狸が?」
「さあな」
下駄の彼は断鋏の体を担ぎ、背負い込んだ。よたつきながらも頭を落とさないようにと注意して。断鋏はといえば、普段の彼とは打って変わって特に異議を唱えることなく––––––かといって気分が良さそうにも見えないが––––––その者の背中に収まる。自然と下駄の彼の髪に鼻先を埋める形になる。白檀の香が微かに鼻腔を掠めた。
「貸本屋、そこに転がってる奴なんだが」
「応」
「書き換えをして貰えないか」
「書き換え? 断る理由もないが、お前にしては珍しい」
「どうせなら偽汽車とかはどうだろう。案外様になるかもしれない」
「成る程、其れは愉しいな。その前に人の話を聞け」
「お前は人だったのか。吃驚仰天至極」
ふと下に目をやる。茶色の毛玉が丸まっている。ぴくりとも動かないが、こんなことでは死なないのが化け狸のしたたかな所だ。それほど膾炙している。集合の一つでありながらも、いやだからこそ強いのだ。
集合には、もう戻れないだろうが。
空は暗かった。
向こうの方で、踏切の音がした。
但し、これらの禁忌は《断鋏》と《×××》で×××××××××××××××××。
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