短編
青段
失われた者
男が鐘を鳴らして生きることはずっと前から定められていた。
時計と言えばたった一つの日時計を指すようなこの集落で、住民たちは鐘の音で時を知り暮らしていた。男もその例に漏れず、父親が鳴らす鐘の音を聞きながら大人になった。
目覚め、祈り、農作業、食事、睡眠、時間を区切るのは鐘の音だった。大昔の誰かによって石塔の上に吊るされた大きな鐘と、それを管理する几帳面な一族のおかげで、人々は区切りの中で目の前の生活だけを見て生きることができた。
男の背が鐘よりも少し高くなった頃、集落を治める老人が男に声をかけた。畝をいじる手を止めて怪訝がる男に、老人は今日からはお前が鐘を鳴らすのだと告げた。突然のことだったが、父親の心臓が生まれつき調子の悪いことは聞いていたので、驚きは少なかった。
男が父親の葬儀を見届けることはなかった。葬儀の始まりと終わりの鐘を鳴らすために塔にいなければならなかったのである。集落の誰もがこの音を悲しみ、男もまた涙ながらに撞木を揺らした。そのあとは内側から湧き出すものがみぞおちで固まっていくような時間を日が暮れるまでやり過ごして、眠りの時を力なく打ち告げたあと、塔の小部屋でもう帰ることのない母の住処を想い、毛布にくるまって最後の涙を流した。
翌日から、男はかつて父親がやったように集落の南に建つ石造りの塔の上に立ち、円形に広がる瓦屋根が描く茶色い濃淡の中心にある大きな日時計を眺め、時間を住民に分け与えた。親指の先に満たない大きさの人々は、時間に対する物分りのよさで男を満足させた。男はその勤勉さをもって、毎日誰よりも早く目覚め、誰よりも遅く眠った。太陽が日時計を照らさないときは、濡らした布切れから水滴が垂れる数で時間を読み、また水も十分にないときには胸に手をあてて心臓の鼓動を用いた。時折、塔の手摺に鳥が止まるとその特徴から好きに名付け、やがて全ての種類の鳥を知った。次に、男は見渡す限りの山々や、遠くに流れる川の名前まで、あらゆる物の名前を己の内から見つけ出した。
ちょうどその頃から、心臓が脈絡のない痛みを発することが多くなった。父親も、その父親も心臓の痛みと共に死んだと聞いていた。もしかすると、鐘を打つ仕事は真面目だが心臓の悪い一人の男に与えられた仕事で、男は彼の末裔なのかもしれなかった。
男はついに子をなさなかった。誰もが男を必要としたが、男は誰と暮らそうとも思わなかった。もうとっくに、何かを与えてもらう理由もなくなっていたし、男が与えられるものは時間と名前だけであったが、それも全て使い果たしてしまっていたからであった。
ある日、男が昼食の鐘を鳴らそうとすると、普段よりも一際強い胸の痛みに襲われた。途端に視界が明滅し、もはやボロ布のようになった服の上から肋骨を掻きむしったが、痛みは一向に収まらなかった。ついには立つのもやっとになった男は、最期の力を振り絞って、何度も鐘を打ち鳴らして助けを呼んだ。
人々は農作業の手を止めて石塔の頂を眺めたが、しばらく鐘が鳴り続いたあとに元の静寂が戻ると、納屋に農具を仕舞い込んで、家内が作った暖かなスープを食べるためにそれぞれの帰路についた。
短編 青段 @aoiro3per
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