エピローグ

 柔らかな日差しが降り注いでいた。

 すがすがしい風が吹き、草原を揺らす。

 柔らかな草の絨毯に寝そべっているのは黒髪の女性である。彼女は心地よさを感じるのか落ち着いた表情で目を瞑っていた。

 

 小鳥がさえずる音に別の声が混じる。

 それは女性の声だった。

 桃色のセミロングに整えた髪を揺らし、褐色の肌を持つ女が黒髪の女性へと駆け寄ってくる。赤いローブに身を包んだ彼女は黒髪の女性の顔を覗き込むと声を張り上げた。


「やっと見つけました! シオンさん!」


「本当にもう目を離すとすぐどこかに行っちゃうんですから! 探すの大変です」


 黒髪の女性……シオンは、彼女の声に呼応するかのように赤い瞳を開くとゆっくりと起き上がる。


「ラトレアじゃない。血相変えてどうしたの?」


「大変です! あの人がいなくなったんです!」


「いつもは女神の遺産<エリタージュ>でゴロゴロしながら本読んでる彼女が、いきなり姿をくらましたんです!」


 彼女というキーワードですぐ誰のことを言っているのか理解したのか、シオンは呆れたかのように肩をすくめた。


「監視者に探してもらえばいいじゃない」


「……それが! 監視者の千里眼を無効化する魔法障壁を開発したらしく見つからないみたいです!」


「それでシオンさんならどこにいったかわかるんじゃないかって……」


 ラトレアの話を聞き、シオンは思案するかのように腕を組んだ。

 しばらく無言の時間が流れていく。だが突如、シオン自ら沈黙を破り言葉を紡いだ。


「ラトレア。あなた大陸横断用の『上位瞬間移動グレーターテレポート』使えるわよね?」


「勿論です!」


「……ちょっと行きたいところがあるわ」




 ラトレアの上位瞬間移動グレーターテレポートでシオンが足を踏み入れたのは、知識の都と謳われる「アンテレクテュエル」である。

 かつてのケントニスがあった場所に建設されたその街は、奇遇にも以前と同様に白い石材の建物と王立図書館を保有する都市となっていた。

 シオンはラトレアを街中へ置き一人、王立図書館へと歩み出る。

 黒いブーツを鳴らし、人気のない本棚に囲まれた通路を進むと、柔らかな日差しが注ぐ場所に一つのテーブルと椅子が佇んでいた。

 木製でできたその椅子に一人の女性が座っている。

 陽の光によりその銀色の髪は光り輝き、純白のローブを美しく彩る。彼女はサファイアのように青く輝く瞳を書物へ向けていた。

 その書物にはタイトルも何も書かれてはいない。白紙である。

 彼女は筆を取り、その書物に何かを書き記していた。どうやら読書に勤しんでいるのではなく、自ら執筆しているようである。

 シオンは優しい表情を浮かべると、彼女へそっと語り掛けた。


「やっぱりここにいたのね。あなたは本当に変わらないわ」


「……変わりようがない。私は今でも昔のままだ。それよりシオン。どうしてここに?」


「ラトレアが心配していたのよ。あなたがいきなり消えたってね。本当にあの子はあなたに依存しすぎるのが問題だわ」


「まったくだ。私より身長も伸びて胸まで! ……大きくなったのに彼女も変わらないな」


「女神の遺産<エリタージュ>にいるとこうしてゆっくり執筆できないからな。やっぱりここが一番落ち着くんだ」


 銀色の髪を揺らし彼女……リリーナ・シルフィリアは窓の外に広がる自らが生み出した世界に視線を移した。

 あれから何年経ったかなどわからないことだろう。それだけの年月がたった今、人々は生き、都市を建築し、国を作り、子を育てた。

 普段と変わらない日常がそこにはある。かつて自分が歩んでいた世界がそこにはあった。

 それが愛おしく感じるのであろう。外を歩く人や景色を眺める彼女の表情は、まるで子を見る母のように慈愛に満ちていた。

 シオンはそんな彼女を一瞥すると、書物へ目を通す。


「これ。何も書いていないじゃない」


「これから書く予定だ」


「何を書くの?」


 シオンの問いに彼女は白紙の書物へ視線を移すと、過去を振り返るかのように目を閉じる。

 再び青い瞳が開かれた時、そこには微笑みがあった。


「フラン・エスペランスの伝記を執筆しようかと思ってね。かつてあの残虐のシルフィリアの首を刎ねた伝説の双剣聖だ」


「……なるほどね」


 納得したのかシオンは頷く。

 人間などゴミとしか見ていなかった彼女だが、フラン・エスペランスだけは別だった。

 彼女は気高く勇猛で、美しくそして、人して強かった。もしかしたら以前、リリーナが言った「人の進化の果てに生まれる完成体」とはフラン・エスペランスを差すのかも知れない。

 シオンは何かを思案するかのように顎へ手を当てると、おもむろに唇が動く。


「……私も何か書くわ」


「お前に執筆能力があるとは思えないが?」


「気が向いただけよ。……何を書いてほしい?」


「自分で書くといいながら題材を私に押し付けるのか。……そうだな」


 しばらく無言の時が流れた後、リリーナ・シルフィリアは陽の光に満たされたその美しい笑顔をシオンへと向けた。


「一千年以上、処女を貫き通している女神の話とか、どうだ?」

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死世界のシルフィリア 魚竜の人 @mini_relena

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