最終話 命を継ぐ者

 リリーナはうずくまったまま身動き一つしなかった。

 その体は悲しみに震えるわけでもなく、激情に駆られ燃え上がる炎のように逆立つわけでもなく、静かに佇んでいる。まるでそれは彼女のみ時間が停止したかのようだった。

 周辺は静寂に包まれている。剣戟の音も馬の蹄の音も逃げ惑う国民の悲鳴も風の音すらしなかった。そこにあるのは物言わぬ死者の骸だけである。

 

 今、彼女の胸に去来するものはなんだろうか。

 全ての死者を死に還す。その目的は成された。世界の滅亡と引き換えに。

 彼女は人は生きていることを誇りとし、動く死体としてではなく人としての死を選ぶと言った。死者となった生者達は彼女のその思想を裏付けた。プラヴォートもフラン・エスペランスも勇猛に戦った騎士達も最後は人として生き、人として死んだ。

 たとえその身が死者と化しても彼らは人間だった。リリーナも死者ではない生者だと結論づけた。残虐のシルフィリアは命を奪っても人の尊厳までは奪えなかった。

 だが全てが終わったその時、リリーナの目に映るものは無だった。そこには何もない。

 彼女自身わかっていたことだろう。最後の結末を。全ての死者を死に還すその意味を。

 悲しみに暮れることは簡単だ。泣きわめくことも容易だろう。このまま自ら果てることもたやすいだろう。

 だが恐らく彼女の心に去来するものは以下の言葉だ。


 死は優しく、生は過酷だ。

 だからこそお前は生きなければならない。

 そして、『命』を継がなければならない。


 リリーナ・シルフィリアは、これから『生きる』ための力を蓄えるかのように、ただ静かにその身を縮こまらせた。



 

 リリーナの懐で何かが動く。

 それは赤い瞳を開き、優しく彼女に語り掛けた。


「……リリーナ。泣いているの?」


 リリーナは動かなかった。

 しばらく無言の時間が流れていく。だが突如、彼女の腕が動くと長い黒髪を掴み、懐に抱きかかえたシオンの首をポイッと投げ捨てた。

 大地に転がる首は驚愕したかのように口を閉ざす。しかし突如、真紅の瞳を見開くと首だけのその唇が声を張り上げた。


「何すんのよ!? あんた!? いきなり放り投げるとか神経疑うわ!」


「人が優しく語り掛けたらその態度!?」


「うるさい。首だけ女。首だけの奴に優しくされても気味が悪いだけだ」


 口だけは達者だとシオンは思ったのだろう。反論することなく一瞬、口元をほころばすとリリーナを見据える。

 彼女は変わらず視線を落としうずくまったままだ。そんなリリーナへシオンはおもむろに語り掛ける。


「……あなた。いつからなの?」


「いつから『世界を作り変える』つもりになったの?」


「死者を死に還すと決意した時から? フラン・エスペランスが死んだ時から? それとも『あなたが生まれたその瞬間』から?」


 リリーナはすぐには答えなかった。だが時と共にその青い瞳を前に向け、ゆっくりと唇が言葉を紡ぎ出す。


「お前は言ったはずだ。死者は所詮、死者に過ぎない。生者にはなれない」


「全ての死者を死に還す。それを決意した時からもし成された場合、この現実は確定していた。その時から私にはこの未来は見えていたんだ」


 リリーナは足に力を込め、大地に立つ。そこには悲しみに暮れる表情はなく、決意に満ちたかのようにサファイアの瞳が青く輝いていた。


「私の成すべきことは死に還すだけではない。『命を継ぐ』ことだ」


「失われた命は戻らない。だが『新たな命』を生み出すことはできる」


「それが今の私にできる『希望』だ」


 彼女のその言葉にシオンは微笑んで見せる。

 リリーナ・シルフィリアは決して歪まない。己の信念と理想を追い求め、たとえ骸の海を渡ろうとも前へ歩み出すのだ。

 この死の世界であっても彼女ならばやり遂げるだろう。命の芽吹きを。

 シオンは安堵感に満ちたように落ち着いた表情でリリーナを見つめた。その時、何処からともなく声が響く。


「……ヤレヤレ。こちらから進言するまでもないようデスネ」


「当然だ。神の子だぞ? 我々など彼女に仕えるだけの存在だ」


 カタカタと骨で構成された口から流暢な言葉を発し、黒いローブが揺れた。その横に大地に足をつけ巨躯を動かす監視者の姿がある。

 一人の骨と一人の竜は、リリーナへ近づくと頭を垂れた。


「女神リリーナ・シルフィリアよ。世界の創造を。人類の再生を。この世界の監視者と死の超越者もあなたに忠誠を尽くし、助力致します」


「女神……か。まるではじめから私はそうなるべく生まれてきたような物言いだな」


「案外、そうかもしれないわよ?」


 体を再生させ、大地に足をつけたシオンが黒髪を揺らしリリーナを見つめる。黒い小鳥が彼女の周りを旋回し何やら言葉を紡いでいた。どうやら再生能力を促進させたようだ。

 

「残虐のシルフィリアは滅ぼすための存在。そしてあなたは再生させるための存在。そう思わない?」


「全ては女神の掌の上で踊らされているだけか? 確かにそうかもしれないな」


 リリーナは頭を垂れる監視者と超越者を一瞥すると、純白のローブを翻し眼下に広がる荒廃した世界を見据えた。

 そして、鋭く光る青い瞳を前に向けゆっくりと歩み出す。


「これが女神が意図した未来だとしても私の考えは変わらない」


「命を継ぐ。それは女神の意思ではなく私の意思なのだから」


 その時、歩き出したリリーナへ寄り添うようにシオンもまた歩み出した。

 まるで彼女の「半身」であるかのように。

 リリーナは付き従うシオンに笑顔を見せる。


「それに見えもしない女神に惑わされるなんて、リリーナ・シルフィリアの名が泣くだろ?」


 彼女の言葉にシオンは笑顔で返すと二人同時に前を見つめる。

 その横を黒い小鳥が羽ばたいた。

 黒い羽毛は風を切り、まるで彼女達のこれから生み出す未来を祝うかのように美しく宙を舞うと、その翼はどこまでも高く青空を横切っていった。

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