第50話 生の誇りと人としての死と
神々の怒り<ディオスレイジング>が王宮を貫いた。
眩い光と共に轟く雷鳴が大地を揺さぶる。その中央には漆黒の闇を身に纏った残虐のシルフィリアが青い瞳に残酷な光を宿していた。
王宮内に声にならないうめきが漏れる。それは左腕を消し飛ばされたフランが発したものだった。
彼女の左腕は轟雷により跡形もなく消え去り、肩口は焼け焦げ黒く変色している。フランは苦悶の表情を浮かべ傷口を手で押さえながらゆっくりと立ち上がった。
幸いというべきか傷口が焼けている故に出血はない。体に稲妻の如く走るであろう激痛に耐えるかのように彼女は歯を食いしばり、素早く周辺を見渡した。
死の超越者は雷の直撃を喰らったのか体はバラバラになり、黒いローブだけが地面に落ちている。辺りには骨が散らばり、黒い布の隙間から物言わぬ頭蓋骨が佇んでいた。
稲妻が生み出した白煙で視界が遮られる中、フランはゆっくりと歩み出る。その時、足元で何かが音を立てて転がった。
それを見たフランは表情をこわばらせる。足元に転がっていたもの……それは長い黒髪を地面に擦り付けたシオンの首だった。
白煙が空気中に消え去ると同時に王宮内に甲高い嘲笑が響き渡る。
「ギャハハハッ! いい姿だ。調整者。……忌々しい骨も消えた。あとは貴様らだけ」
「……うるせぇよクソ女」
首だけになったシオンがその赤い瞳でシルフィリアを睨みつけた。
「お前なんざ首だけあれば十分だ」
「首だけで言われても説得力ないですよ? それとも神の遺産とやらは口が達者ならなれるものなんですかぁ?」
「少なからずお前にはなれねぇよ」
シオンのその言葉が響いた瞬間、シルフィリアは口元に貼りつけていた笑みを消し去った。
殺気に塗り固められたかのように青い瞳を光らせ、地面に転がる首を見据える。
「神の遺産っていうのはな。その名の通り『女神が遺したもの』だ。それは女神より寵愛を受けた者のみその名を語る権利がある」
「お前みたいな失敗作には到底、無理だ」
「そして寵愛を受けし神の遺産より、さらに深く愛を注がれた者もいる」
「女神が自らの名を与えた……『彼女』だ」
シオンの言葉に呼応したかのように王宮を巨大な影が覆った。
残虐のシルフィリアは、ゆっくりと背後へ振り向く。彼女の青い目と重なるサファイアの瞳がそこにはあった。
純白のローブを揺らし、銀髪の少女は竜より舞い降りる。竜はあたかも後ろに控えるかのようにその巨躯を下げた。
宝石のように青く輝くサファイアの瞳は、目の前の自らと瓜二つの存在を見据えたまま彼女は言葉を紡ぐ。
「監視者。地上をお願いします。ミゼリコルド魔法騎士だけでは持ちこたえられない」
「……承知した。ご武運を。神の子よ」
監視者は巨大な翼を羽ばたかせ、その白い体を宙へと舞い上がらせる。一瞬、彼女の金色の瞳が少女を捉えた。
それは全てを託した者の瞳である。女神の名を持つ者の最後の戦い。自らの手で未来を切り開くであろうその姿を一瞥し、監視者は地上へと降下していった。
女神リリーナ・シルフィリアは、静かにそれでいて燃え上がるかのように激しく全身から青白い魔力を放出しながら歩み寄る。
「お前が例え人間を死者としても彼らは生きて死ぬことを選ぶ。人として生き、人として死ぬことを選ぶ」
「それは人間そのものだ。お前は人を変えられなかった。いくら魂を吸い取ろうが人は人のままだ。人間の尊厳までは変えることはできない」
「人間はお前の操り人形になどなりはしない。生きることは過酷だ。だがそれでも生きようと足掻き、そして最後に動く死体となってではなく『生きていた誇りと共に人として死ぬ』だろう」
「……お前の負けだ」
彼女のその言葉に呼応して青白い光が迸った。
それは足元に
同時に青い瞳に魔法構成が刻み込まれる。それは高速で流れていき
迸るは灼熱の炎。肌を刺すであろう熱気と共に具現化するのは業火の龍。膨大な熱量により空間を歪ませ炎龍はその牙を剥けた。
「最上位精霊魔法・燃え盛る炎龍<ハイエンドエレメンタルマジック・ブレンネンフラムドラグーン>!」
赤き光が王宮を照らす。
リリーナと残虐のシルフィリアの中心で炎龍は炎をまき散らしながら渦を巻き、お互いの体に牙を突き立てた。
眩い灼熱の光と目を細めるような熱波の中、シルフィリアの左腕が掲げられる。それはあの監視者を葬った双炎龍の兆しだった。
残虐のシルフィリアの表情が残酷に歪む。
「私は間違ってはいない! あの方は私を愛してくれる! 私の行いを正しいとおっしゃってくれる!」
「私だけが! 私だけがぁ! あの方の愛を一身に受けるべき存在なのだ!」
「……死ね。人など全て死滅しろ。私とあの方だけいれば……それでいい」
シルフィリアの掲げる左手に魔法陣が浮かび上がり、その中心に魔力と膨大な熱量が蓄積されていく。
その刹那。リリーナもまた左手をゆっくりと自らの顔の横まで持ち上げる。青白い魔力が収束していくと同時に彼女のサファイアの瞳に魔法構成が浮かび上がった。
(……早く! さらに早く!)
リリーナの瞳に浮かぶ魔法構成が、今までの詠唱を遥かに超えた速度で駆け巡っていく。彼女の脳内では魔法の行使に必要な魔法構成が凄まじい速度で詠唱されているのだろう。
彼女のその白い頬をうっすらと朱色に上気させ、まるで全身が逆立つかのように魔力が迸った。対峙するシルフィリアが詠唱を終えようとしていたその時、リリーナの瞳に異変が起きる。
青白い魔力が放出される中、血のような赤い液体が流れていく。リリーナの左目から血が噴き出したのだ。出血はまるで涙のようにサファイアの瞳から流れ出ていく。
その光景を見てシオンは叫んだ。
「リリーナぁ!」
彼女の声とほぼ同時に残虐のシルフィリアの口が魔法を奏でる。すでに彼女は魔法構成を構築していた。
全てを飲み込む双炎龍が再びその牙を剥こうとしている。
「最上位精霊魔法・燃え盛る……」
だが彼女の唇はそこで止まった。
何故ならシルフィリアの魔法名より早く、リリーナの唇が魔法名を奏でていた。
それは悲しくも美しくそれでいて冷酷に響く彼女の最後の魔法だった。
「最上位神聖魔法・創造神の抱擁<ハイエンドホーリーマジック・シルフィリアエンブレイス>!」
魔法名と同時に光が舞い降りた。
それは神々しく輝き、全てを慈しむかのように王宮を……いや残虐のシルフィリアを照らし出す。
見上げる彼女の青い瞳には、一人の女性が映りこんでいたことだろう。天空より舞い降りたその女性は、銀色の髪に青いサファイアの瞳を輝かせていた。
残虐のシルフィリアはそれを目にし、今まで見せたこともない無邪気な笑顔を見せる。
「……あぁ。寵愛を与えし方。私の唯一の……母」
舞い降りた女神は、そっとシルフィリアを抱き寄せた。
その瞬間、眩い光が周辺に満ちる。目もくらむような煌めきと巨大な光の柱が天を衝く中、残虐のシルフィリアの四肢が徐々に消滅していった。
フランは光に目を細めながら足に力を込め、残った片方の双剣の柄を握りしめる。
まだ終わってはいない。彼女はそう確信していたのだろう。膨大な光量が消え去ったその刹那。傷ついた足が大地を蹴っていた。
光が収まったその場所に取り残されたように闇が漂っている。それは四肢を消滅させ頭と上半身だけを残した残虐のシルフィリアの姿だった。
フランは大地が縮んだかのような速度で彼女の首元目がけて刃を走らせる。だが青い瞳がフランを捉えたその瞬間、魔力が迸った。
赤黒い血が王宮に散る。
シルフィリアの放った魔力は刃となり、迫るフランの胴体を切り裂いた。しかし彼女のエメラルドの瞳は輝きを失わずその腕を伸ばす。
フランの咆哮が響き渡った。
「胴体ちぎれようがどうでもいい! こちとらもう死んでるんだよ!」
上半身だけになったフランの体が残虐のシルフィリアへ迫る。その右手に握られた
炎と共にフランの刃がシルフィリアの首へ潜り込む。彼女の死を賭した斬撃は、残虐のシルフィリアの首を胴体から切り離した。
血をまき散らしフランの体が王宮の床に転がる。血だまりが広がると同時に彼女の体は動かなくなった。
「……ギャハハハッ! 道連れだ。貴様ら全員、ここで死ね!」
呪詛のような声が響く。
首を切断されてもなお残虐のシルフィリアは不気味な笑みを浮かべていた。その頭だけが宙に浮き、光を失った瞳に魔法構成が浮かび上がる。
刹那。響いたのは魔法名である。それはリリーナの声ではなかった。
「最上位死霊武器・神殺しの征服者召喚<ハイエンドファントムウェポン・クロノスアダマントサモニング>!」
残虐のシルフィリアの笑みが消える。
宙に浮く彼女の視界に映るもの……それは、金剛石の輝きを持つ巨大な刀身だった。
鎖を引きずる音と共に血の涙を流すリリーナが、シルフィリアの眼前に迫る。その両手には征服者を口にくわえたシオンの首が掴まれていた。
リリーナの唇が最後の言葉を紡ぐ。
「シオンは言ったはずだ。『首だけあれば十分だ』と!」
征服者の刃が残虐のシルフィリアの顔にめり込む瞬間、彼女の口元が歪んだ。
「……魔法使用者が肉弾戦とか。馬鹿かお前は」
全身全霊を込めたその斬撃は、光を生み出しシルフィリアの顔を切り裂く。勢いをそのままにリリーナはシオンの首を掴んだまま地面に転がった。
その瞬間、切り裂かれた残虐のシルフィリアの首から膨大な光が放出され、彼女の顔が消し飛ぶ。それと同時に大量の霊体が飛び散った。
霊体は空気中に漂い、時間と共に光の塊となってゆっくりと天へ昇っていく。
それは吸収された人間の魂だった。光の塊が天へ上ると同時に死者である生者達は、すべて糸の切れた人形のように次々と崩れ去っていく。
アフトクラトラスだけでなく、クレアシオン大陸全てからその光の塊と化した魂が昇天していた。
リリーナは血で濡れた瞳で魂が天に昇っていく様子を見つめていた。
その時、一つの魂が彼女の目の前でまるで別れを惜しむかのように漂っている。
リリーナはシオンの首を懐に抱きかかえたまま、ゆっくりと魂へ手を伸ばした。
おそらく彼女には、その魂が誰のものなのか理解しているのだろう。血の涙を流しながらリリーナは満面の笑みを浮かべる。
彼女の笑顔に満足したかのように、そのただ一つ残った魂はリリーナの手を離れ、ゆっくりと天へ昇って行った。
リリーナはそれを消えてなくなるまで見つめ続け、そして涙を流しうなだれる子供のように、両腕に頭を埋めその身を縮こまらせた。
アフトクラトラス王国が誕生してから五百年後。
人類は全て滅亡した。
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