04 最後の音楽


 試験期間中はキャンパスにいる生徒の数が倍増するのが、総合大学の定めらしい。

 購買で昼食を買うこともままならないが、こういう日に限ってコンビニエンスストアに寄る時間がなかった。私は仕方なく、長い列に並びおにぎりとペットボトルのお茶を購入した。

 その足で、練習室へと向かう。団体登録をしておけば誰でも借りることのできる練習室であり、吹奏楽部に限らず軽音楽部やジャズ研究会、その他個人で活動している人たちが使用している。私は、この練習室のB203号室を予約していた。

 受付でB203号室の鍵を借りて、近くのベンチでお昼をとった。

 カバンから、二人に手渡した譜面と便箋を取り出す。


 便箋に書いた内容は、これしかない、と私が考えた内容だ。


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<練習と本番のお知らせ>

最後に一曲吹きましょう! 

ほんとうにそれだけのイベントです。


練習日 1月29日(金)13時~

場所  7号棟3階 B203

参加者 大里、磯山、大堀 計3名

内容  13時~ 音だし

    14時~ 合わせ

    ※曲が仕上がり次第、

     体育館横の丘の上で演奏 

    (これを本番とします)

その他 ちゃんと譜読みをしてきてください

     譜面を忘れないでください

     楽器はこちらで用意します

                     以上

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 必要最低限の情報のみを書いた。

 他は何もない。それ以上でも以下でもない。

 文章上そうなっているわけではなくて、ほんとうにそうするつもりなのだ。

 二人には、一週間の考える時間があった。

 私のことを信じてくれるのか、その答えがはっきりするんだと思う。

 


 私は昼食を食べ終えたあと、B203号室に向かった。

 階段を登りきり、B203号室に向かうと、入口のところに見慣れた姿があった。私は、ほっと胸をなでおろした。

「来てくれてありがとう。早いね」

「早くねえよ。美紗都が遅刻じゃんか」

 私が時計を見ると、13時を5分ほど回っていた。

 私は笑みを浮かべたあと、

「時間通りにくるメンバーじゃないと思ったから、まだ楽器も取ってきてないや」

 私はそう大里くんに言い、鍵と荷物を渡して、部室に行ってくるねと伝えた。

「……ちょっと、待ってくれ」

 私は振り返った。

「その、このあいだは、言いすぎた」

 私は笑みを浮かべた。

「今日は、その話はいいんだよ。ほんとうに、演奏するだけだから」

 私はそう言い、練習室をあとにした。


 ふう、大きく息を吐きながら、部室へと向かう。

 平常心を保つというのは、こんなにも難しいものなのだ。

 この行為に意味はあるのか。

 またこの考えが浮かんでは消えていく。

 私は急ぎ足で、トランペットとバスクラリネット、そして譜面台を部室から持ちだした。幸いにも、他の部員に会うことはなかった。


 B203号室に戻ると、あやねがいた。

 もう二度と会えないことを覚悟していたからこそ、こみ上げてくる想いを抑えることができずに、息がつまった。

――ありがとう。

 そう心の中でつぶやいたあと、つまったその息を、ゆっくりとばれないように吐き出した。ゆっくりと、とても慎重に。

 そして、笑みをつくり「おはよう」と声をかけた。

 あやねも同じように、おはようございますと返してくれた。


 私は楽器を二人に渡して、今日の流れを説明した。

「一時間も音だしするわけ?」

「当たり前でしょう。二人は最近吹いていないんだから。短いくらいだよ」

「あの、この曲ってなんて曲なんですか?」

「それはまた、あとで説明するよ」

「美紗都のオリジナルなのか?」

「まあ、だいたいそんなところだよ。他に質問は?」

「この、曲が仕上がり次第本番ってところが気になるんだけど」

「その、言葉のとおりだよ」

「まさか、ちゃんと合うまで帰れないわけ?」

「当たり前でしょう。はい、まずは音だしをしてください」


 私はそう告げると、二人は諦めたように部屋の隅に移動して、椅子を用意し楽器を組立てはじめた。

 言葉はない。しんと静かだ。

 私がその均衡を破るように音を鳴らす。

「ねえ、譜面台ってどこ?」

「私が部室から持ってきたよ」

 あそこ、と私のカバンの横を指した。大里くんは二つの譜面台を手に取り、一つをあやねに渡した。二人のあいだには、最小限の会話しかない。

 三人しかいない空間というのは、やはりなんとも言えないものであり、ずっしりと重たい空気が何層にも積み重なっているようだ。

 きっと、そう感じているのは三人とも一緒なのだろう。

 以前、あやねがくれた手紙にもそんなことが書いてあったな。一人だけが苦しいのではなくて、この苦しみをみんなで共有していると考えると、少しだけ救われるって。


 一時間が経過し、いよいよ合わせの時間がやってくる。

 椅子を三つセットして、その前に譜面台を置く。真ん中にバスクラリネットのあやねが座り、左側には私、右側に大里くんがくるようにセッティングをした。


「じゃあ、一回通してみよう」

「うそ?」

「ほんとうだよ」

「テンポはいくつですか?」

「インテンポでいいんじゃないかな。69くらいね」

 メトロノームのネジを回しながら私はそう答えた。

 カチ、カチ、カチ、とメトロノームはいつもと同じように拍を伝える。


「最初の7小節間は、私とあやねによる前奏ね」

 この曲は、私が作詞をして、高梨さんが曲をつけてくれた、『私だけの君』だ。私が一番辛かった頃の想いを乗せた歌詞は、私のあやねに対する想いを歌っているから、公表することはない。


「1、2、3」

 曲が流れはじめる。私は4小節目で吹くのをやめた。

「あやねさ、メゾピアノだよ。音が大きすぎ。もっと小さくしないと。このあとで大里くんが入ってくるでしょ。それがAメロだよ。メロディだってメゾフォルテで入ってくるんだからね」


「もう一回ね、1、2、3」

 曲が流れはじめる。またすぐに止める。


「うーん。なんか元気過ぎない? たしかに音量は小さくなったけど、違うんだよなあ。これマイナーコードの曲だよ。とにかく元気いっぱいで吹くんじゃないの。あと、ぶつぶつきらないでさ。こう、フレーズが続いている感じにしないと、らぁんたぁんとぉんたぁんって感じでね。でも、テヌートではないからね」


 はい。と申し訳なさそうにあやねは答えた。


「次こそ、最後までいくよ、1、2、3」

 曲が流れ始める。Aメロに入って大里くんのメロディが入っていく。止めようかと思ったけど、我慢して最後まで吹くことにする。最後まで吹き終わったあと、すぐに大里くんがいい訳をはじめた。


「ちょっと待って。これ、けっこう難しいからね」

「わかってるよ。でもフルートとトランペットでよかったよね。大里くんがすぱーんて吹かないで柔らかく吹いてくれれば、ちゃんと私と音が合いそう。ていうか、トランペットじゃなくてコルネットにすればよかった」

「美紗都さん、あたしはどうだった?」

「もうちょっと、自信もって吹いてくれないと困るなあ」

「ええ! でもさっきは小さく吹けって言ってたのに!」

「小さく吹くイコール、自信なさげに吹くではないでしょ」

「今更うまく吹くことなんて無理だよ」

「とにかく! 二人とももうちょっと譜面通り吹いてよ。なんのために楽譜を一週間前に届けたと思っているの」

「……やっぱり、美紗都が学生指揮者をしたほうがよかったんじゃないの?」

「私は、フルートの演奏に集中したかったんだよ。そんな話はよくてさ。とにかくね、このまま合わせても意味ないから、もう一度個人練習ね。30分後に合わせます」

 私はそう言って、練習室から出た。


 トイレの個室で、私は大きく息を吐いた。

――最後まで、持ちこたえられるだろうか。思えば、三人で話すこと自体が初めてのことなのだ。

 それでも、作戦は成功しているようにも思えた。

 音楽に向き合う私だけを見せればいい。それが、私の日常でもあるわけだし、こうしていれば、うまく二人をリードすることができる。

 それに、最後の演奏なんだ。

 私は、ちゃんと音楽がしたい。



 二人の予想には反したであろう、結局は部屋の予約時間いっぱいの18時まで練習を行い、少しだけ休憩をしてから、本番の舞台である体育館横の丘の上へと向かった。

 丘の上は幸い、誰もいなかった。

 日はすでに沈んでおり、少し離れたところにある街の灯りがきらきらと輝いていた。

「こんなに練習したのに、誰も聴いてないっていうのはなんかちょっともったいないよね」

 あやねがそんなことを言った。

 私たちは外灯の光が届くあたりに譜面台を並べた。

「一発勝負だからね。一回しかやらないからね」

「わぁ、なんか緊張する!」

「ところでさ、そろそろ、この曲はなんなのか教えてくれてもいいんじゃないの」

 大里くんが私に尋ねてきた。

 私は、ひと呼吸置いたあと、用意してあった言葉を二人に伝えた。


「この曲はね、曲名も自由、歌詞も自由なの。それぞれが、自分たちの曲名と歌詞をつけてくれればいいんだって。これだけ練習したんだから、ちゃんとメロディが残るでしょう? それぞれが、想い出にできればいいんだよ」


 大里くんとあやねは、少し不本意な顔を浮かべていた。

「じゃあ、いくよ」と合図をする。二人とも、真剣な目になった。


「1、2、3、」


 音が鳴り響く。なかなかの出だしだ。

 練習の成果がはっきりと見えた。静かでもの悲しいけれど、決して停滞はせずに流れていく。Aメロからは、トランペットの音が響いた。やはり、大里くんは上手だ。もっと、ちゃんと練習すればいいのにと、そんな考えが浮かぶ。

 サビになり、フルートとトランペットがハーモニーを奏でる。曲の勢いをバスクラリネットがうまく支えていく。

 私の頭の中には、メロディにあわせて、歌詞が流れていった。


 …………


 遠回りすれば結ばれる道あったけど

 もうそんな日は来ないのかもしれないけど


 二人きりでいる世界 確かに私だけの君がいた

 その部分の君は 今何をしているの

 同じように切ない気持ちで泣いているの

 その存在を信じ続けていたいんだ


 今でも君を見ていたくて

 会えば切ない気持ちで押し潰される日々

 わたしだけの君を取っておいて

 またいつかあの日のように

 


 最後の曲が鳴り終わると、私たちはお互いを見合わせ、笑いながら小さく拍手をした。

「ねえ、いまの演奏は何点くらいなわけ?」

 大里くんが私の様子を伺いながら言った。

「うーん。65点くらいかな」

「えぇ、全然高くないじゃん!」

 あやねが残念そうに言う。

 風の吹く音が聴こえるだけで、すぐに沈黙が訪れた。でも、練習室とは違い、苦しさの滲む沈黙ではない。

 目の前には煌びやかな夜景が広がっている。星も見える。今日は、三日月であったことに気づく。

「……私、楽器続けたいな」

 あやねがぼそりと呟いた。

「いいじゃん、続ければ! 別にバスクラである必要もないんだよ。大里くんは自分の楽器を持っているんだから、続けなよね」

「……まあ、気が向いたらね」

 私は、二人の表情を見ることなく、遠くの方を見つめた。

 二人も、一面に広がる景色を見つめているようだった。


「こうやって、吹くのは最後なんだろうな」と、大里くんが言った。

 また、静かな沈黙がやってくる。

「でも、この景色は、ずうっとありそうですよね」

 あやねのその言葉に、私ははっとさせられた。

「たしかにそうだ。何十年経っても、ここからの景色は変わらなそうだよね」

「ここで同じようなことをした奴らも、そう感じたかもしれないな」

「いないでしょ、そんな人たち」と、笑いながらあやねが言う。

 

 誰ひとりとして、この場所から動こうとはしなかった。

 私たちの関係は、この景色のように、永遠ではないと知っているから。

――それでも、いいのではないか。

 こうやって、最後まで駆け抜けることができたなら。

 限りなき景色を眺めながら、私はそんなことを思った。


<了>

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五冊の手紙と限りなき景色 川和真之 @kawawamasayuki

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