「オルタナティブ・ワールド」

葦元狐雪

「オルタナティブ・ワールド」

 宿直室の空気は洗濯バサミの味がした。

 チュチュを着た豆電球に照らし出された、薬指の不自由な陰法師は版画を擦り続けている。

 色鉛筆を持ったハムスターがベーコンの床を駆け回り、時折、上の階にいるサーカス団の地鳴りによって、天井からアルコール中毒の猿が落ちてくる。

 しようがないので、空中で布団をかぶって寝ている嵐の中から初老のバーテンダーを取り出し、

 按摩マッサージ店を開く準備をさせる。


 絶えず悲しみ続ける机上では、パンツストッキングを履いた艶かしい脚を生やしたトマト、春を先取りしたピーマン、筋力トレーニングに勤しむ芽キャベツ、

 倦怠期を迎えた玉ねぎ、三段腹のナス、文学的な雰囲気を醸し出す蓮根、爪切りを忘れた人参、

 勝訴したごぼう、エリク・H・エリクソンに影響されたじゃがいも、家出中のオクラ、


 職務を放棄したニラ、情緒纏綿な空豆、立ちくらみをしている大根、階層性問題を解決した青ネギ、啓蒙的なブロッコリー、自己嫌悪に陥るクレソン、

 肩を壊した水菜、一夫多妻制を主張するほうれん草、ハットトリックを決めたモロヘイヤ、

 財布の紐が緩いゴーヤ、袋叩きにされたかぼちゃ、とうとう右手が生えてきたレタスが、大運動会を開催していた。審判台には注射器の刺さったラディッシュが、誠公平なるジャッジを行うことを声高々に宣言している。


 突然部屋に流れ込んでくるヴィオラ・ダ・ブラッチョの風。

 異類婚姻譚を唱え続ける神父が、文庫本で出来た扉を勢い良く開け放ち、そのまま立ち去っていく。

 後続には血塗れのラブホテル、雨衣を着たウヰスキー、

 スマートフォンを弄る宇宙飛行士がゆったりとした足取りで、

 セメントを撒きながら暗澹たるアブラゼミ色の玄関の先へ消えていった。


 海蛇の縁を付けた窓を上に持ち上げてやり、身を乗り出して下を覗き込んでみる。

 騒がしい街路にはスロットに興じる神様、道行く人に薀蓄を垂れる少年、タイムスリップに失敗した未来人、

 募金をする詐欺師、糖尿病の歯科衛生士、わかばを吸う土佐犬などの様々な人たちを空虚な街灯が照らしていた。


 と、上空から巨大な胎盤が轟音を立てながらやってきた。それによって撒き起こされた風に、

 被っていた娼婦から貰ったソフトハットが飛ばされてしまう。帽子は不規則な動きを見せながら、歯磨き粉色の空へ舞い上がると、そのまま見えなくなった。

 胎盤は、その下に取り付けられた大きな地引網で、街路にいた人々を軒並みさらっていく。


 逃げ回る五寸釘を持った聖職者が目に止まる。

 しかし逃げ切ることは叶わず、無情にも地引網の餌食となってしまった。

 前触れなく、頭上から睡眠導入剤を飲んだロバが降ってくる。

 驚き、ロバはそのまま地面に激突して死んでしまったので、また驚いた。

 上の階を見やると、化粧の下手糞な道化が、憐憫の情を浮かべながら潰れたロバを眺めていた。


 窓を畳み、憎まれ口を叩くポールハンガーに掛けてある、灯油色のコートとトランキライザーを貼り付けたマフラーを身に纏う。

 仕上げに欺瞞のボーラーを頭に被ると、アブラゼミ色の玄関に向かって歩をすすめる。


 卵の殻で出来た靴箱から小人の集る革靴を取り出すと、アヒルの嘴の靴ベラで丁度よくする。

 前髪を気にかける鉄扉を開くと、そこから飛び降り、36色のパラシュートを開き、クラゲのように博識な地面に降り立つ。

 すると丁度よくキウイの馬車が来たので、とっさに乗り込み、目的地を告げる。


 生茹での鞭の叩く音が鳴り、ディレッタントの車輪は滑らかに回りだす。

 ジャイアントスイングをかけられた子供の視点のように、ぼやけた風景は次々と切り替わっていく。

 焼肉を楽しむ家族団欒のゴリラ、自由を謳うプロバガンダ、腸でマフラーを編む政治家、カラスの羽を貰った少女、ドブに落ちた双子のパイプ椅子。

 ふと淫靡な大木に見つめられた気がして、そっと目を伏せる。


 やがて目的地に辿り着くと、デコレーションの施された札を誣告する馭者に手渡す。

 幾つかの小人がしがみ付いた靴で力尽きた宝貝の砂浜を一歩一歩踏んで歩いていくと、

 そのまま、紅潮した底知れぬサイダーの海に、ドクドクと潜り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「オルタナティブ・ワールド」 葦元狐雪 @ashimotokoyuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ