第5話 歴代稀に見る素晴らしい皇后
サデローロはダミア城を中心とした城下町だ。ダミア城は街の中心にありその後方には王族が住まう王宮がある。そこは自然に囲まれ、街の喧騒とは無縁な場所だ。何か考えるにはうってつけの場所であった。
しかし、自室で3週間後の大会議について追い込みをしていたルークは、全然考えがまとまらずイライラしていた。
くそっ。考えれば考えるほど深みにはまっていく気がする。これでは、エイリスクを始め、他の貴族を説得できない!
コツコツと机の上で指をならす。
しばらく考えを巡らせていたが、たまらず椅子から立ち上がった。そのまま部屋を出て歩き出す。
エイリスク達を納得させるには、物流が混乱しない仕組みと国に入る利益、この2点を提示できれば、押し通せるはずだ。ほとんど材料はそろっている。あと一押しなんだが…。
トグサに聞けば何かわかるだろうか。
ハッと立ち止まるルーク。
今日あいつは出発か…
今日を逃せばもう当分会えない。
そう分かっているがどうしても、トグサのもとへ向かう気が起きなかった。
何気なく歩いていたつもりだが、ルークの足はいつの間にかいつも通りの場所に向いていた。
悩んだ時につい訪れてしまう、母、エアトリーゼの部屋だ。
来てしまったものは仕方がない。
コンコンとドアをノックする。
「母様。ルークです」
ドアが内側から開かれる。
「どうぞ。ルーク様」
エアトリーゼの侍女、ジルだった。折り目正しい動きで、ルークを促す。
「ああ、ありがとう」
ルークが軽く礼を言う。
「まあ、ルーク。いらっしゃい」
エアトリーゼがほほ笑んだ。真っ白い絹のドレスをまとい、腰まである髪の毛は絡まることなくさらさらと波打つ。きらびやかな装飾品は一切身に着けていないにもかかわらず、エアトリーゼからは王族の品格とでもいえるものがにじみ出ていた。
「こんにちは。母様。お加減はいかがですか」
「ええ、とてもいいわ」
エアトリーゼはバルクート王在位中、その美しさと朗らかさで国民の憧れの的であった。バルクート王と共に街の視察に訪れ、平民に気さくに声をかけた。
さらに、時には国の政策にも意見し、特に女性の地位を飛躍的に躍進させた。バルクート王の後継者争いに、ルークが参戦できたのも、そのおかげといえるだろう。
エアトリーゼは、后としても為政者としても、多くの支持を集めていた。
バルクート王退位後も、娘のルークが即位。その才能が遺憾なく発揮されるように思われた。
しかし、そうはならなかった。
エアトリーゼは花瓶に花を活けながら、歌を口ずさむ。
「最近、バルクート王とはお話ししていますか。この時期は忙しいですからね。よければ元気づけてやって下さいな」
「…はい、そうですね。時間ができたら必ず」
ルークがにこやかに答える。
もちろん、バルクート王はもういない。3年前に死んでいる。
エアトリーゼは心を壊していた。
最愛の夫と息子をなくしたショックに耐えられなかったのだ。
エアトリーゼの記憶は書き換えられ、今でも夫が王とし国を統治、子供たちが幸せに暮らしていると思い込んでいるのだ。
「見て下さいな、この花。セイクマドが持ってきてくれたの。ほんとにいい子に育ったわぁ。きっとモテるわよ、あの子」
エアトリーゼが、昨日ルークが持ってきた花を見せながらご機嫌に笑う。
最初はエアトリーゼのそのような行いにいちいちうろたえていたが、今ではもう息をするようにかわせる。
「はい。自慢の兄様ですから」
「あら、そんなこと言って。実際そんなことになったら、兄様をとらないでって泣きわめくんじゃないかしら」
「母様!私はもうそんな子供じゃありません」
「まあまあ、生意気なことを言うようになって。幾つになったってあなた達は、私から見ればお子様ですよ」
「…母様にはかなわないな」
ふふっとエアトリーゼが笑う。
と、急にルークをじっと見つめだした。
「母様…?」
「ルーク、なにかあったわね?」
「!」
エアトリーゼがいたずらっぽくほほえむ。心を壊しても、こういう鋭いところは変わらない。
大会議について話すのは母様を混乱させてしまう。母様の中では今でも父様が統治しているのだから。
でも、トグサの事なら…。
「トグサが…この街を出るらしい」
「ええ!トグサ君が!?どこに行くの?」
「スコバリアです。なんでも細工師の養成所があるとか」
「ああ、確かにあるわねぇ!とても有名な所よ。へぇ~あの鼻たれ小僧が。立派になったわねぇ!」
エアトリーゼがケラケラと笑う。
「はぁ~ん。なるほど。それで落ち込んでいたわけか。まあ、それは落ち込むわねぇ」
「落ち込んでいるわけではありません!ただ、急な話だったから…」
「じゃあ、一か月前に聞かされていたら平気だった?」
「それは…」
「あなたがショックを受けたのは急に聞かされたからじゃない。そうでしょう?」
エアトリーゼが髪をかき上げながら言う。
「…」
大きな二重の瞳が、ルークを見透かす。。
「いつか、こんな日が来ると分かってはいました」
ルークが視線を落とす。
「私と、トグサは違う。トグサは行こうと思えばどこにでも行ける。それに引き換え、私はこの街どころか、この王宮さえ自由に行き来することはできない。でも、だからこそ、私はトグサを縛り付けちゃいけない。
トグサがどこかにいくなら、私はそれを、笑って見送らなければいけないんです」
部屋が沈黙に包まれる。
エアトリーゼは何も言わない。
沈黙に耐えられなくなったルークが視線を上げると、つまらなそうに爪をいじっているエアトリーゼがいた。
「母様…。聞いていますか」
「はい、聞いてます聞いてます」
「聞いてないですよね!?母様!!」
「もー聞いてるって言ってるでしょう。だけど、思ったよりつまらない話だったからぁ。もっとこう『私は気付いてしまったの。トグサを思う心を』とか『ああ、私はトグサが居ないと生きていけないんだわ』とか言い出したら面白いのになぁって思ってただけ」
エアトリーゼが機敏に動きながらルークのまねをする。全く似ていないが。
ルークがはあーとため息をついた。
そうだ。母様はこういう人だった。世間からは、歴代稀にみる素晴らしい皇后だとか言われてるけど、実際はただのゴシップ好きのおばさんだよ…。
「あ、今なんかよからぬこと考えてたでしょ!?」
勘が鋭いおばさんだった…。
ルークがちっと舌打ちをする。
「あー母親に向かって舌打ちしたね?よくないぞーそういうの」
なんだかもうめんどくさくなってきて、席を立つルーク。
「それでは、もうそろそろお
そう言い放ち、部屋を出ようとしたルークに、エアトリーゼが声を投げかけた。
「いいんじゃない。別に」
ルークが振り返る。
「えっ?」
「いいんじゃないかしら。別に笑って見送らなくても」
「でも、それじゃ…」
「私ならこう言うわ。『私はここであなたを待っている。だから必ず無事に戻ってきて』って」
今度は、ジェスチャーもなく、良く通る声ではっきりという。
「どこに行こうと、なにに憧れようと、人はやはり生まれた土地に戻るものよ。たとえこの街を出ようと、この国を出ようと、いつか帰ってきてくれればいいじゃない。あなたが、彼の帰るべき場所になればいい。それってすごく素敵な事じゃない?」
エアトリーゼが艶やかにほほえむ。
「私は…」
ルークの視線が迷うようにさまよう。
「何が不安?」
「私なんかが…、彼の帰るべき場所になれるでしょうか?こんな、ただ縛られているだけで何もない私に」
「それは、分からないわ」
エアトリーゼがきっぱりと言った。
「だって、私はトグサ君じゃないもの。彼の気持ちを知りたいなら彼に聞かなきゃ。そうでしょう?」
「はい…」
「自分が動けないなら、彼の帰る場所になればいい。それは彼を縛るとかじゃなくて、むしろ彼のよりどころとなると、私は思うわ」
エアトリーゼはしばらくルークの出ていった扉を見つめていたが、しばらくするとジルにお茶を淹れなおすように頼んだ。
「ねぇ、ジル。あの子は気付いているのかしら」
「なにがですか?」
「あの子のトグサ君への気持ちが何かっていうこと」
「…どうでしょうか。私には、大切な友人…とでも思っているように感じられますが」
「そうよね。あの子、バルクートと同じで鈍そうだもの」
エアトリーゼが頬を膨らませる。昔のことを思い出しているようだ。
ジルが淹れなおしたお茶をコトンと置く。
ダージリンの香りがふわりと立ち上がる。
「後で、後悔するようなことがないといいんだけど…」
エアトリーゼはお茶を飲みながら、ぽつりとつぶやいた。
Flower Garden ~そして、彼女は名ばかりの王となった~ @Toti
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