終章
あれから、幾度この世に生まれ堕ちただろう。
その後も俺は、この国が辿ってきた歴史を目の当たりにしてきた。
ある時代には、天下を奪い合って殺し合い、ある時代からは、人々の頭から
やがて世界を相手に戦ったこの国は、焼け野原となった。
しかし、そこから目覚ましい再起と進歩をはかり、今では世界有数の先進国と呼ばれるまでになったのだ。
今もこの地上のどこかでは、銃が火を噴き、罪の無い人々の血が流されていると聞く。
しかし、この国に限って言えば、比較的平和な時代が訪れていると感じている。
20年前、この時代に生まれ堕ちた俺は、しがない歌うたいとして暮らしている。
なんとか食いつなげているという生活のため、狭いワンルームで暮らしているが、隣人の顔は見たことがないし、ステージや練習の無い日は、誰とも言葉を交わさないこともままある。
テレビをつければ、世界中のニュースが瞬時に飛び込んでくるし、携帯電話を手にすれば、話し相手はすぐに見つかる。
なのに、人と人との繋がりに、希薄さを感じてしまうのはなぜだろう。
千年前、この地に初めて降り立ったあの頃、人々の暮らしは今よりも遥かに貧しく、ままならぬ運命と哀しみを背負っているように思えた。
しかし今思えば、それでも彼らは、ささやかなことに喜びを見いだし、日々を精一杯生きていたような気がする。
当初から俺は、父である神より、この世にいる間は人間として生きるよう命じられている。
神の子としての能力は封じられ、正体を明かす事も禁じられているのだ。
そのため、たとえ人がどんなに苦しんでいても、俺にはただ見守ることしかできない。
その無力感は、時に身を裂く程に胸を締め付けた。
だが唯一、そんな俺に残された能力がある。
それは、その人間の前世の姿を見る事ができることだ。
今、ステージの最前列で、俺の歌を聴きながら涙を流している彼女もそうだ。
今日、初めて目にする顔。
だが、俺はかつての彼女に会った事がある。
変わり果てた私の前で
君は涙を流してくれるだろうか
そう、この歌を聞いて込み上げる、身に覚えのない哀しみに君は驚いているけれど、その涙を流させているものは、魂が記憶している想いだ。
遠いあの日、君は戦場から還った愛しい人の
そしていつか思い出して欲しい
君を愛した男のことを
結局、名乗ることさえないまま逝った彼を、君は生涯想い続けていたね。
その時、後方の重い扉が開き、開演時間に遅れたとおぼしき人影が入って来た。
照明が落とされた薄闇の中、スーツ姿の彼は熱狂する人々の間を縫うように、前方へと近付いて来る。
やがて最前列へ到達し、ステージを一瞬見上げた男の顔を見て、俺は思わず息を呑んだ。
驚く俺を気にもとめず、彼はすぐに客席の方へ向き直り、やや屈んだ姿勢で自分の席を探し始めた。
やがて、目的の場所を見つけた彼は、隣の席の人物を見上げて軽く会釈した。
ほっと息をつき、ジャケットを脱ぎかけた彼の動きが一旦止まった。
そして、再びゆっくりと、その視線が隣の席に立つ彼女の方へと向けられたのだ。
そこには、両手で口元を覆い、涙を流す彼女の姿があった。
たとえ姿は異なれど
この世の鎖をひきちぎり
愛しき君といつの日か
ああ せめて夢一夜
愛しき君といつの世か
【詩小説】古詩〜いにしえうた〜 長緒 鬼無里 @nagaokinasa
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