暮れ銭

絆アップル

二千十五年末

 そこのお兄ィさん、そこのお兄ィさんてば、そうそう、今夜は冷えるね。誰かをお探しかい?探し疲れたかい?なァ突っ立ったままでいないで俺とお喋りでもしようや、さあこっちへお座りなさい、…おい、早くしな。いつまでぼんやり立っとんだよ、なァ、ほら。そうそう…おうい、俺と同じモンをお兄ィさんに出しとくれ、遠慮すんなって、ここは俺が奢るからよ、さあさあそいじゃ乾杯は…まあいいや後にしようや。それにしても今夜は冷えるね、え?あと一時間かそこらで今年も終わりだッテのにこんなに寒いことがあるか?少しは暖かく年を迎えさせてくれてもいいと思うがね、歳末助け合いってね、ホラ…あれは違うか。まあ俺とお兄ィさんも助け合いだよ、ほらお兄ィさんの分が来たよ、のびちまう前に食いな。一味はいるかい?いらねえのか、そいじゃ俺が俺の酒にかけるがね。あァ…辛いなあ…。

 お兄ィさんはあれを読んだことはあるかね、ホラ雪かきみてぇな文章だよ、どっかのえらい作家さんが言ってたがね、いい例えだと俺は思ったよ、新聞のコラムや雑誌のグルメだかなんだかの特集、ネットに流れるどうでもいいニュース、全く面白くない見出しに中身なんてまるでない文章…でもあれで食ってるやつがいるし読むやつがいる、必要とされてるんだ、だから雪かきさ、誰かがやらなくちゃならない。お兄ィさんはこう言いたいんだろ?あれだって地道な取材を重ねて何度も書き直したりして手間がかかってるって、書いている本人も面白くもない文章を次から次へ片付けるようにやらないとならないって、そうだ、それが雪かきさ。どうした?食う手が止まってるね、のびちまう前に冷めちまうよ、今日は寒いからね。

 そうだお兄ィさんにも聞かせてやらないとね、今日はこの話を三回もしているがね、四回はしないと気が済まないんだ、自慢話でね、なあにそんな長い話じゃない「ドグラ・マグラ」よりはずーっと短い、あれを読んだことがあるかい?そうか、俺は一頁目でやめちまったな。とにかくね、あれよりはずーっと短いよ。そうだね、単刀直入に言って龍一郎は俺に惚れてた。あいつが誰かに惚れるだなんて本当にね、珍しいことなんだよ。龍一郎は大抵の人間には愛想さえよくしても、心底つまらないって目をして応対するからね。その点俺を見る時の龍一郎の目ときたら、眉をひそめて怪訝そうな顔をしてね、お前の言うことになんか一切耳を貸さない、という強い意志が見られたね。嫌われてたんじゃないかって?とんでもないね、龍一郎は本当に誰にも興味を示さないんだ。少しでも感情が動いたならばそれはね…。それにな、俺は龍一郎を一度も縛らなかったし、脅しもしなかったし玄関の鍵はいつもちゃあんと開いてた。俺もそんなに裕福じゃなかったがね、日々食いつないでいくだけの金はあって、それをみんな龍一郎に預けていたが、あいつは出ていかなかった。それで俺がね「龍一郎さん」と呼びかけるとこっちを睨みつけてね、黙っているんだ。じぃーと俺から目を離さなくてね。俺の目からその目を逸らさないんだね。だから俺も逸らせないままでね、にらめっこしてたんだ。そんなのが何日も続いたよ。俺はちゃんと普通の飯を食わせてやってたし買い物も自由にさせてたし、こんな味気のない蕎麦よりずっといいモンを食わせてたのさ。あァ大将すまなかったね、そんなつもりじゃないのさ。

 まああんたにも言いたいことはあるだろうね、龍一郎は俺の家に上がり込んできたわけじゃなかった。正真正銘俺が、捉えて、連れてきた。捕まえて、引っ張ってきたんだ。でもねその後は自由さ。何を賭けたっていい、俺は龍一郎を自由にさせてた。

秋んなってちょっと寒くなった日にね、俺はなんとなく龍一郎の肩を両手で掴んで揺すってみた。乱暴をしたんじゃない。ほんのちょっと揺すってみたんだ。不思議なことにね、ちゃぷちゃぷと、鳴るような音が聞こえたよ。龍一郎は火鉢に火をつけようとしていて、でも俺が両肩を掴んで揺するもんだから、マッチ箱から手を離してね、また俺をじぃーと見つめた。あの目でね。それで俺は冷や汗をだらだらかきながら布団へ誘ってもいいか、と聞いたんだ。そうしたら龍一郎は初めて俺の前でその両目を閉じた。寝顔すらいつも布団を引っかぶって見せてはくれなかった龍一郎があの、睨みつけて、うっとうしそうな気持ちのこもった両目を閉じたんだ。俺は敷きっぱなしだった布団へ連れて行って龍一郎を犯した。

 吐きそうな顔だね、酒でも飲むかい、蕎麦が勿体ないからね、吐くんならもうちっと消化してからにしとくれよ。

 次の日の朝に龍一郎は今のお前さんと同じような顔をして便所に突っ伏していたがね、何も吐いた様子はなかったよ。俺は感心しちまって酒が欲しくなったが、切らしてたんで台所にあった味醂を飲んだ。煙草に火をつけようとしたが火が見つからなくてね、コンロで火つけてたら龍一郎が便所から這い出してきてね、朝飯の支度だと思ったんだろうね、いつもの癖で自分がやろうと思って台所まで這ってきたんだ。それで俺が「龍一郎さん違うよ、煙草に火ぃつけたんだ。腹が減ったなら今から外で食おうか」と言うとね、龍一郎はまたあの目に戻ってね、黙り込んだ。泣くかと思ったが泣かなかった。じっと何かを堪えているような顔をして、しばらくして、いいえ俺が作りますんでって言って、立って鍋に湯を沸かし始めた。俺は何度も何度も龍一郎をかわいいと思ってきたがあん時が一番かわいいと思ったね。はずみで口から煙草を落としちまって慌てて踏んづけて火を消したら靴下に穴が開いたもんな、ホラこれがそん時の穴だよ見るかい?…見ねぇか。

 そういや星を見に行ったときもあったな。俺もあんがいロマンチストなもんでな。別に星が流れる日じゃなかったがね、天気がいいなあって夜で冬に入り始めたときだったからね、誘ってみたんだ。龍一郎はフラフラとついてきて、一緒に丘の上へ上がって腰を下ろしてね。そんでしばらくじっと空を眺めてたんだ。街の光も届かないような場所でね、暗くてさ。俺はなんだかおかしくてたまらなくなっちまったんだが、笑いをこらえて黙ってた。それで龍一郎も黙ってた。どれくらい時間が経ったかね、なんとなく「綺麗だな」って言ってみたんだよ、そしたら龍一郎が小せえけどもしっかりした声でよ、「綺麗だ」って。だから最初に言ったじゃねえか、自慢話だって。

 そんでな、俺が思うに龍一郎を殺したのは俺じゃないと思うね、亮一郎、あんただよ。あァ…その目、本当にそっくりだなあ、でも龍一郎のはもっとやわらかくてもっと鋭いがね。ある時ね俺が仕事に出かけようと財布とか上着とかを確かめていた時にさ、龍一郎が俺に頼まれてくれって言うんだ。買ってきて欲しいもんがあるっていうからね、そんなら自分で買いに行くといい、と俺は言ったんだが、今日はなんだか体の調子がよくないから買ってきてくれって言うんだ。その上目遣いにやられちまった俺はかわいい龍一郎の頼みだなんでも聞いてやるって思って、仕事終わりにちゃんと買ってきたんだよ、閉まりかけの本屋でな。それで帰ると飯が出来てて、俺はそれを食って龍一郎は俺から受け取ったそれを熱心に眺めていたな、一頁一頁確かめるように。でもどこか慌てていたね、それで目当ての記事を見つけて開くとしばらく黙ってそれを読んでいたね。記事を読んでいたのか、でかでかと載っている写真を見つめていたのか俺には分からなかったがね。醤油が切れていたんで、「龍一郎さん、買い置きはどこかな」と聞いたんだがね、龍一郎は返事をしなかった。俺の声が耳に入ってねえみたいで、じっとその記事を見つめていたね。そんでしばらくしてぼうっと立ち上がったかと思ったら、すみません俺ちょっと出てきますって言うんで俺は「ああ」と返事をしてから、しまったと思った。なんとなく嫌な予感がしたんだね。それで慌てて止めようとしたけれど龍一郎はもう玄関を出ちまったあとで、追いかけたけどどこにも見つからなかった。あんなに普段ふらふらと歩いているやつがあそこまで足が速いとは思わなかったね。息を切らして街の外れまで行ってみたが見つからなくてね、仕方ないんで俺だけ家へ戻ると開きっぱなしになっていた雑誌をつまんで見てみた。それは今年一番につまらないと思える芸能ゴシップでスキャンダルで誰かと誰かが不倫していただかという全く面白くない記事だったね。それでな記事の最後に「写真:志崎亮一郎」って書いてあってね、お前さんの名前だね。詰まらない記事だったけどしっかり読んでみたらこのスクープ写真を撮る為に何か月も寝ずに張り込んでやっと撮った一枚だって書いてあった。

 それにしても流石お前さんだね、俺の家よりも俺が贔屓にしている馴染みの蕎麦屋台に俺を訪ねてくるだなんてね。今何時だって?もう年が明けちまったよ。正直に言って俺はね、一応お前さんを捉えて、捕まえて引っ張って俺の家に連れて来る準備をして来たんだよ。でもねお前さんを一目みてそんな気は失せちまった。龍一郎とお前さんは全然違う。えらく似ているがね。

 お前さんは龍一郎を探すことはなく、そん代わしにあんなつまらない写真一枚を追っかけて北へ南へ奔走していた。龍一郎としてはね、あんたに探しに来て欲しかったんだと思うよ。あんたがどっかで探してくれてるって信じて待ってたのさ。信じるだけの根拠はあったんだろうね。お前さんはいいお兄ィさんだったそうじゃないか、多分ね。ところがあんたは龍一郎を探していなかったもんだから、龍一郎は気が動転しちまって、文字通り絶望して、望みが絶たれていなくなっちまった。俺がまた家を飛び出してどれだけ長いこと探していたか知りたいかい、まあどうでもいいやね。龍一郎は木に引っかかっていたよ。手遅れだった。お前さんの知っている通りにね。さあてお勘定だ、先に言ったが俺の奢りだよ、気にしてくれなくていいよ。代わりにちいっと散歩に付き合ってくれないかい。

 …いやにやけに強い力で俺を掴むね。いいさ好きにしな。ここは人目に付かないし俺には身内が一人もいない。元日に消えたって気にするやつが出て来るのは十日以上も先だからね。教えてやろうか、人の一番ひどい殺し方を。一枚ずつ剥がすもいいし、一寸ずつ水責めにしたっていい。好きにするといいね。もっとえげつないやり方もあるし、お前さんも準備をしてきただろう。最後に食えたのがあの店の蕎麦でよかったね。気に入っていたからね。誰も祈ってはくれないから俺が独りで俺の為に祈るがね、死んだら龍一郎の所へ行きたいなあ…。あァ、こうして見るとあんたたちやっぱり顔がよく似ているね。そういや龍一郎はやけに男の相手に慣れていたがね、俺ァてっきり売り慣れているとでも思っていたけれど案外違うのかも知れないね。かわいそうに、かわいいかわいい龍一郎…。おいよしとくれ、泣きたいのはこっちだよ…やれやれ、よりにもよって俺の胸ん中で泣く馬鹿がいるかね。…馬鹿だねえ。

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暮れ銭 絆アップル @yajo_gekihan

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