Rose Guardian 〜薔薇の守護者〜

山本 皐月

プロローグ・闇に蠢く者

 その要塞は四方を海に囲まれた、小さな離島の上に立っていた。半円のドーム上で窓は無く、所々に設置されたライトが動きを止めることなく周囲の警戒に当たっている。

「う~ん……これはちょっと手強そうだなぁ…」

 離島から二百キロほど離れた対岸。断崖絶壁の木の上で、そう呟いたのは十六歳くらいの少女だった。パニエで膨らませた膝上のスカートも気にせず、太い枝に腰かけた少女は腕を組んで考え込む。主の命で情報収集に来たのはいいものの、思った以上に敵の装備は厄介だった。あの要塞で動いている警備体制は人間の手によるものだけではない。暗視スコープ付きの対妖魔用センサーも働いている。

「近頃の人間もなかなか侮れないね。…とりあえず、報告報告っと」

 紫色の瞳を持ち、自らも魔性に属する少女は白いレースの手袋を外した。左手の甲に浮かぶ黒い薔薇模様の痣に息を吹きかけると、すぐに小さな温もりを感じる。ギギッと小さな鳴き声をあげてクレアを見つめるのは、一匹の小さな蝙蝠だった。

「ユシリス様とフィルさんに援軍を頼んできて。よろしくね」

 目線を合わせてそう言い聞かせると、まるで言葉が通じたかのように小さく首を動かす。微笑んだ少女はその頭をそっと指で撫で、星が輝く夜空に向かって腕を放った。勢いをつけて飛び立った蝙蝠は、少女の頭上をパタパタと二、三度周り、やがてゆっくりと空の彼方へ飛び去っていく。

「さてっと、とりあえず一回現場に行ってみますかー」

 少女はそれを見届けると音も立てずに地面へ飛び降り、溶け込むように闇へと消えた。



****



 その一時間後。

『ユシリス様』

 照明を落とした自室で膝の上に乗った相棒を撫でていると、卓上の通信機が一筋の光を壁へ放った。鮮明な映写機のように写されたのは、眼鏡をかけた神経質そうな男。

『地上に探索へ出ていたクレアから報告が入りました』

「うん」

『かなりの厳戒態勢でいるらしく、潜入には少々手こずりそうだと。サポートを求めていますが…』

「分かってる。そう心配しなくていいよ、フィル」

 血の繋がりは無くとも、普段から妹分として可愛がっているクレアを案じているのだろう。眉を寄せて心配そうに指示を待つ参謀に、ユシリスは安心させるように微笑んだ。黙っていると一見クールに見られがちなフィルだが、実は一番性根の優しい男だと理解している。

「そういうわけだから。行ってきてくれるよね?地上まで」

 目を瞑っていても、話は聞いていたのだろう。ユシリスの膝でまどろんでいたのは、金色の毛並みを持つ一匹の猫だった。声をかけられ、億劫そうに顔を上げる。にゃあと鳴いて揺らした尾は、付け根から三つに分かれていた。

「ありがと、頼んだよ」

 ご機嫌を取るように喉元を撫でてやりながら、ユシリスは椅子を回転させると背後の窓を見上げた。凛と輝く白い満月が腕を伸ばせば届きそうな距離で室内を仄かに照らしている。

(必ず助けてみせる…)

 最期の瞬間に届いた友の願い。それを叶えるべく、ユシリスは今後の計画に思考を委ねた。



****



 神都ミラコニエにある歴史博物館。その展示物の中に、古の民によって刻まれた大きな一枚の石板がある。


『 ― 世界の創世神、父神イルヴァには二人の神子がいた。姉神子のサーディアムと弟神子のユーディアト。生きとし生けるもの全てを優しく見守るサーディアムは、後にイルヴァより太陽神の位を授けられるほど、慈愛に溢れた女神だった。

 一方、弟神子のユーディアトは、イルヴァに見初められた地上の女から生まれた。生まれつき全盲で、目が見えない代わりに心を読む力を備えていたユーディアトは、地上の人々から畏怖の対象となっていた。生みの親である母親からも拒絶され、ユーディアトは孤独と絶望の中で生きていた。

 そんな息子を哀れに思ったイルヴァは、彼を天界の住人として住まわせることにした。だが、他の神々は「卑しく愚かな人間の血を引く者」として、彼を決して受け入れようとはしなかった。

 地上にも、天界にも、自分の居場所はない。そう悟ったユーディアトは、激しい怒りと哀しみに捕らわれ、暴虐の限りを尽くし始めた。姉弟として、唯一慈しみの心で接してくれたサーディアムの言葉も届くことはなく、その影響は地上にも溢れ、多くの生命を奪うこととなった。

 天地を巻き込んだ惨状に、イルヴァは創造主として決断を下した。荒れ狂うユーディアトをどうにか捕えると、遠く離れた月の塔へ彼を閉じ込め、その鍵と入口へ続く道を海の底へ隠してしまった - 』


 その後、イルヴァはユーディアトに月神の地位を与えたという。地上の人々は、満月になると荒ぶる月神が孤独を癒しに地上へ降りてくると信じて、彼を象徴する夜の闇を恐れるようになった。


 それが、今もこの地に根強く信仰されているサーディアム教、その『シェルーダ創世記』始まりの一章である。

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