一、神の忌み子

 いつの間にか雪が降り始めていたことに、リュートは全く気づかなかった。広い雪原の中、幼い弟の手をしっかり握ってひたすら走り続ける。

「に、兄さまぁっ…!」

 嗚咽混じりの泣き声に振り返ると、ルシィはすでに限界のようだった。かろうじて足は動いているものの、リュートに引きずられているのも同然で、今にも倒れそうになっている。

「ほらっ、おいでっ!」

 リュートは切れた息を整えながらしゃがみ込み、ルシィを背中におぶってやった。またすぐに走り出すと、ぐったりと身体を預けたルシィがすんすんと鼻を啜る。兄からはぐれないようにと、必死に走り続けてきた。できることなら少しだけでも休ませてやりたいが、今はそういうわけにもいかない。山を越えて遠征へ出た父へ、村の窮地を知らせなければならなかった。

(森まで……シスラまで行けばっ…!!)

 雪原の向こうに、鬱蒼と木々が生い茂るシスラの森が見える。あそこまで行けば、白狼の一族たちがきっと手を貸してくれるはずだ。ようやく視界に捕えた森の入口に、思わずほっとしたその時だった。


「そこまでだ」


「兄さまっ!」

「るしっ…がっ!!」

 突然耳元で聞こえた男の声。そのまま背中の弟を奪われて、慌てて振り返った瞬間に首を打たれる。

(なにも、の……だ…)

 森の奥から響く狼たちの遠吠え。警戒を促すその声は、もうリュートの耳に届かなかった。



****



「遠征、ですか…」

 父のガイルから突然聞かされた遠征話に、リュートは驚いて食事の手を止めた。家族揃っての夕食時、ルシィも不満そうに声を上げる。

「また行っちゃうの?父さま。ぼくに剣を教えてくれるって言ったのに…」

 フォークを握ったまま脹れっ面になるルシィに、ガイルは申し訳なさそうに頬を掻く。

「すまん、ルシィ。今度帰ってきたら絶対教えてやるから」

「ほんと?」

「あぁ、男と男の約束だ」

 ガイルが小指を差し出すと、ルシィも笑って小指を絡める。その隣に座っていた母のリリナは、すでに話を聞いていたのかもしれない。和やかに指きりする父と弟の姿を微笑みながら見つめていた。

「…それにしても、今頃どうして。食料の調達なら終わらせたばかりではないですか」

 首を傾げて尋ねるリュートに、ガイルは頷きながらグラスを取る。

「あぁ。…エクシンに呼ばれてな」

「エクシンに?」

 父の言葉にリュートはますます不可解になって眉根を寄せた。

 ワマリ海の北に位置するこのゼルス大陸は、年中雪と氷に覆われた極寒の大地である。年中晴れることは無く、時期によっては太陽が沈まない夜もある。そんな厳しい環境下に置いて、海に面したエクシン国はゼルス大陸唯一の大国でもあった。北の交易国として、海氷をバリバリと砕いて進んできた船が多く集い、港はいつも防寒着に身を包んだ人々で溢れかえっているという。

「何か裏があるのでは?」

「そうだな」

 心配そうなリュートの表情に、ガイルは苦笑しつつも頷いた。村の物資や食糧調達のために、ガイルが留守にするのは今に始まったことではない。まだ年若い息子にその手段について教えてやったことはないが、エクシン国にもそれなりにルートがある。それはガイルの配下で右腕でもあるセルヴィに、リュートの教育係を任せてから、時期を見て教えてやるよう指示している。

 確かに、一度補充すればどんなに早くても一月は間を開けるのがいつもの慣例だった。だが、リュートが気にかけるのはそれだけではないのだろう。自分たちとこの村の立場をよく理解した上での懸念であることを、ガイルはよく分かっていた。

(子供が成長するのは早いもんだな…)

 息子の成長が頼もしくもあり、どこか寂しさすらも感じる。かつての自分には想像すらつかないであろうこの心境に、ガイルは内心苦笑を零した。自分と同じ赤髪を持って生まれたリュートは今年で十八歳。これまでは長であるガイルの跡取りとして、心得と学問、剣術ばかりを学ばせてきた。六歳になった弟のルシィはまだまだ可愛い盛りだが、リュートにはそろそろ外の世界に触れさせてもいいかもしれない。…いや、させるべきなのだろう。

「確かに、今回は異例の呼び出しだ。詳細は向こうに着いてから追って話すと言われている。裏があるのかどうかは行ってみなければ分からないが……まぁ、今までもこういう事がなかったわけじゃない」

「そうなんですか?」

「あぁ。だからお前もそう心配するな。いざという時はどうとでもなる」

「…ならいいのですが…」

「それより、留守を頼んだぞ。それほど大人数では行かないが、そろそろ山も荒れる。強行軍になるのは間違いないからな。何が起こるか分からない」

「はい」

 気を引き締めて頷くリュートに、ガイルは満足そうに笑ってその頭を撫でた。

「わっ!ち、父上っ…!」

「頼んだぞっ、我が息子っ!!」

 恥ずかしがって嫌がるリュートに、ガイルはますます調子に乗る。そんな二人の様子を見て、リリナとルシィも笑い声を上げた。


 翌日、いつものようにセルヴィと主だった村の男たちを連れて、ガイルはエクシンへと旅立っていった。その後ろ姿を見送りながら、リュートは一行の経路に頭を巡らせる。

 村はゼルス大陸の奥地にあり、ワマリ海に面するエクシン国へ向かうにはまず、広大な雪原を通ってシスラの森を通る。その後に待ちうけるのは、標高が高く、まともな山道の無い最難関のウルカナ山越えだ。父の一行がいつもどのように山越えをしているのか分からないが、一度出かければ一月近くは戻らないことを考えると、やはり並大抵の行程ではないのだろう。


(今どの辺りだろう…)

 ガイルたちの出発から三日後、リュートは村から丘を越えた先にある湖を訪れていた。革袋を片手に空を見上げると、どんよりとした灰色の雲が視界に広がる。この湖の岸辺には厳しい寒さの中、キジムという青い実をつける低木が群生していた。その実を乾燥させて煎じれば、解熱の作用がある。資源の乏しい村に取って、貴重な薬でもある。急いで収穫し、早く村に戻ろうと思ったその時。


- リュート -


「!!………父上…?」

 ふいに、父が自分を呼ぶ声がした。驚いて辺りを見回すが、どこまでも続く雪原が広がるばかりで姿は見当たらない。

「なんだ…?」

 なぜか妙な胸騒ぎがする。リュートが乗ってきた馬もしきりに耳を動かしては周囲を気にして落ち着きがない。異常を察知する動物の感知能力は確かだ。侮ることはできない。

「…おいで、戻ろう」

 リュートは嫌な予感に追い立てられ、馬の背に飛び乗った。手綱を握って帰路を急がせると、一つ目の丘を登ったところでその予感が当たっていたことに気付く。

「煙!?」

 灰色の空へ向かって太い黒煙がいくつも昇っている。

「村の方角だっ!急げっ!!」

(火事かっ!?)

 考えられる緊急事態に、冷や汗が流れる。村に残っているのはその多くが女子供、老人たちだった。母とルシィも家におり、リュートの帰りを待っている。状況によってはすぐに村人たちを避難させなければならない。

 ようやく裏門に辿りつき、村の周囲を高く囲った石壁を通り抜けた時、リュートは目の前の光景に言葉を失った。

「なっ…これは…」

 一体何が起きたのか。一つの村、一つの集落としてそれなりの規模であった家々は壊され、逃げ遅れた村人たちが血を流して倒れている。火の手が上がっている家屋もあり、辺りは煙と血臭に満ちていた。

「そんな、どうして……」

 煙に紛れて漂う血臭が鼻腔の奥をつく。

「くっ…」

 喉が引き攣るような感覚にリュートは咄嗟に口を押さえた。それを意識しないよう、軽く頭を振って馬から降りる。すぐ傍に倒れていた老人を抱き起こし、必死に声をかけた。

「おいっ、しっかりしろ!何があったんだっ!!」

「わ…若様…」

 全身を鱗に覆われ、口から血を流していた老人が弱々しく目を開けると、爬虫類の瞳でリュートを見上げた。村の正門がある方向を指さして、途切れ途切れに訴える。

「どうしたんだっ!一体何があった!!」

「分かりません……地響きがして、いきなり正門から火の手が…」

「正門からっ!?」

「見たこともない奴らでした……奴ら…逃げるわしらを……次々、みんなを…」

「なっ…!」

「お逃げください、若様…奥様とルシィぼっちゃんを……早、く……」

「…おいっ!だ、だめだっ!しっかりしろっ!!おいっ!!」

 蛇頭族の血を引いていたのだろう。がくりと力尽きた老人は見る見る変化が進み、あっという間に蛇の顔になっていく。

「どうしてっ……誰がこんなことをっ!!」

 その身体を静かに横たえ、リュートは急いで辺りを見回した。しかし、どんどん体温を失っていく老人と同じく、倒れた者たちからは呻き声一つ聞こえない。

(母上っ、ルシィ!!)

 リュートは叫び出したい気持ちをぐっと堪え、歯を食いしばって走り出した。母と弟の身を案じながらも、道中目にする惨状に思わず立ち止りそうになる。

「リュート!!」

「!?」

 悲痛な声で呼び止められたのは、広場に抜ける通りを渡った時だった。振り向けば倒壊した家屋同士の間に、ルシィを抱いたリリナの姿がある。

「母上っ!ルシィっ!良かったっ、無事だったんですね!!」

「兄さまぁっ!」

 ほっとして走り寄ると、震えていたルシィが腕を伸ばす。その身体を抱き締めて背中を撫でてやると、傍らのリリナも安心したように頷いた。

「無事でよかった、リュート」

「母上っ、これは一体!?何があったんですっ!」

「…私にも分かりません。突然見慣れない軍隊が襲ってきて……あっという間に村を…」

「軍隊?こんな侵略するような真似……まさか、エクシン!?」

 声を荒げるリュートにリリナはすぐに否定する。

「いえ、あの軍旗はエクシンのものではありませんでした」

「でも、これだけの被害が…そんな兵器を持っている可能性があるのは、エクシンしか!」

 詰め寄るリュートに、リリナは周囲を確認した。動く人影が無いことを確かめると、家屋の裏へとリュートを押す。

「は、母上…?」

 突然の母の行動に、リュートは戸惑いながらリリナを見た。

「よく聞きなさい、リュート」

「はい…」

「私にも彼らの正体は分からない。でも、何かが起こっているのは事実です」

「…」

 無言で頷くリュートに、リリナは努めて冷静に指差した。

「貴方たちは石壁沿いに裏道を通って逃げなさい。雪原を出てシスラに行くのです」

 立ち並ぶ家屋と石壁沿いの細道へ促されると、リュートは驚いて振り返った。

「それなら母上もっ!一緒に行きましょうっ!!」

「いいえ、私は行きません」

「何故です!?」

「母さまぁ…」

 リュートの腕に抱かれ、大人しく状況を見守っていたルシィも涙を零す。リリナは優しく微笑み、それを指で拭うとはっきり告げた。

「私はガイルの、この村の長の妻です。長がいない今、他の者を見捨てるわけにはいかない」

「母上…」

 決意の固いリリナの表情にリュートは言葉を失う。この村を率いる長、その跡取りとして。立場を忘れず、常に意識して過ごしなさいと、常日頃から口煩く教えてきたのは他の誰でもない。父でもセルヴィでもなく、目の前にいるこの母だった。

「貴方はルシィと一緒にシスラへ行きなさい。急いでガイルに知らせなければ。森まで行けば、白狼たちが動いてくれるでしょう」

「母上はどうするのです!?」

「まだ生きている者、隠れている者がいるかもしれません。私はその者たちと一緒に後から追いかけます。貴方たちは先に行って、少しでも早くガイルに伝えてちょうだい」

「…でもっ!」

 それが最善だと分かっていても、母の身も心配だ。上手く言葉にできなくて視線を彷徨わせるリュートに、リリナは困った子ねと苦笑した。

「リュート。落ち着いてよく聞きなさい。いま貴方がすべきことは何?みんなを助けるためにも、これは貴方にしかできないのよ」

「……」

「ね?リュート」

「……分かりました。必ず…必ず父上に伝えます!」

「頼みましたよ」

「っ…」

 満足気に頷く母を見て、思わず胸が詰まる。本当は一緒に連れていきたい。今ここで離れてしまったら、もう一生母に会えないような気がした。

「必ずっ!必ず、父上を連れてきますからっ!!母上のことを助けに参りますからっ!!」

 年甲斐もなく、ルシィと一緒に泣いてしまいそうになる。そんなリュートに気づかない振りをして、リリナは二人の息子を抱き締めると、胸のブローチを外してリュートに渡した。ガラス細工でできた赤い薔薇のブローチは、昔ガイルからもらった物だという。

「頼みましたよ、可愛い息子たち。……さっ、早く行きなさい!見つからないようにね!」

「母上もっ!お気をつけてっ!」

「待っててねぇっ!母さまぁっ!!」

 促す母へ見送られ、ルシィを抱き直したリュートは細い裏道を走り出す。

「ガイル……どうか、あの子たちを守って…」

 遠く離れた夫へ息子たちの無事を祈り、覚悟を決めたリリナは再び表通りへ戻っていった。これが最期の願いになる。そんな予感を自分自身も感じながら。



****



「結果はどうだ」

 薬品棚が立ち並ぶ研究室。足を踏み入れたジルナルドは入室早々、奥へ向かって声をかけた。彼に気づいて目礼する部下には目もくれず、この部屋を任せた責任者へ歩み寄る。

「ジルナルド様」

 学士を意味する深い苔色のマントを脱ぐこともなく、書類を見ていた男はジルナルドを大きな画面前へと促した。

「やはり思った通りです。まだ目覚めてはいないようですが、あの兄弟はかなり濃い」

「ふん。…元々、母親も混血らしいな」

「えぇ」

 学士の男、ロギが卓上の機器を操作すると画面が切り替わって数値の示されたグラフが現れる。

「こちらが遺伝子、こちらが血液の情報です。遺伝子に関してはやはり我々人間とは違う配列になっています。父親のサンプルもあれば比較することもできたのですが…」

「灰になってしまったからな。それは難しかろう」

「…純血種ではしょうがありません。母親は?」

「息子の足手まといにはならないと、生き残り共々、自決した。籠城した倉庫に火薬があったらしい。火の勢いが強くて、何も残らなかったようだ」

 金髪の美しい女だった。逃げた息子たちを呼び戻せば命までは取らないと告げたのだが。

「そうでしたか」

 小さく頷いたロギはそれ以上何も云わず、画面のスイッチを無言で切った。ジルナルドと向かい合うと今後の予定を淡々と告げる。

「年齢、体格的にも兄のほうなら耐えられるでしょう。問題なければ明日にでも決行は可能です」

「分かった。その時は俺も同席する。準備を進めておけ」

「かしこまりました」

 深々と頭を下げるロギに背を向け、ジルナルドはその部屋を後にした。

(今のところ順調だな)

 今後の計画を確認しつつ、指令室に戻ると上着を脱いで椅子にかける。ガラス張りの室内から階下を見下ろすと、要塞のシステムをフル稼働して監視を行う部下たちが見えた。ジルナルドを含め、その全員が褐色の肌をしている。身につけている軍服は、南大陸マディールに位置するアグラス国のものだった。

(失敗するわけにはいかない)

 国を欺き、極秘裏に北の大地へ乗り込んだこの日から、全ては動き出したのだから。


****


 街外れに、風変わりな学士が滞在している。息子のシュリからそんな話を聞いたのは、一月前の夜だった。

「おかえり、親父。晩餐はどうだった?」

「相変わらずだ。くだらん」

 辟易とした様子のジルナルドに、息子のシュリは苦笑しながら酒の準備をした。マディール近海に現れた海賊を討伐し、城で労いの晩餐会が開かれた夜。そういった場を好まない父のこと、せいぜい飲む振りをするだけで何も口にしてこないだろうと、つまみ代わりの軽食も用意する。母が亡くなってから五年。二人の世話をする配下の者はそれぞれ別にいたが、今ではごく細々とした父の身の回りの世話は、シュリが行うのが常だった。

「でも、陛下から称賛のお言葉をいただいたんだろ?」

「仕事だからやった。ただそれだけのことだ」

 淡々と事実だけを述べる父に、シュリは肩を竦める。三十八歳になるジルナルドは、息子のシュリから見ても随分と若く見える。皺のない彫りの深い顔、日頃の鍛錬で鍛えられた長身に無駄な筋肉はなく、これで愛想笑いの一つでもできれば後妻の一人や二人、すぐに見つかりそうなものなのだが。

「…なにはともかく、お疲れ様さん」

 幼馴染で父の扱いを熟知していたという母だったからこそ、所帯を持つことができたのだろう。父の性格ではおべっか一つ言うこともなく、ただむっつりと頭を下げただけに違いない。そんなジルナルドが目に浮かぶようだと、シュリは呆れ半分にグラスを渡した。

「陛下も上手く治めようと努力しているのは認める。だが、先帝にはまだ及ばん。キルファスが調子に乗るのも無理はなかろう」

 なかなか辛辣な言葉を吐きながら酒を飲み干すジルナルドに、シュリは苦笑しながら向かいに座る。

「まぁまぁ。仮にも上役なんだからさ。俺もあのおっさんは好きじゃないけど、そう言うなよ」

「ふん。おまえが入隊する頃にはさすがにくたばっているだろう。よかったな」

 でっぷりと肥えたこの国の大臣、キルファスはいつも無駄に話が長い。ジルナルドの王族嫌いは今に始まったことではないが、今日はよほど腹に据えかねたのか、いつも以上に機嫌が悪かった。

「入隊ねぇ…」

 今でこそ『アグラスの冷酷な闘将』と名高いジルナルドだが、生粋のアグラス人ではない。亡き母と同じく、元々このマディール大陸に暮らしていた先住民族、海の民シーカだった。

 シーカの歴史は迫害による隷属が大部分を占める。古来より漁に出て自給自足の生活をしていた彼らは、突如海を渡ってきた一団から居住地を追われた。神都ミラコニエからサーディアム教を布教するためにやってきた移民だったという。もちろん、勇猛果敢な海の民であるシーカ人が黙って従うわけもなく、労働を強要する移民たちに武力をもって抵抗した。しかし、当時からシェルーダ一の科学技術力を持っていたというミラコニエの兵器に敵うわけもなく、圧倒的な武力に屈するしかなかったその時から、シーカの一族にとって長く辛い歴史が始まったのである。

『忘れるな。今のアグラスは、我らシーカの血と涙の上にある』

 シュリは幼い頃から何度もそう言い聞かせられて育ってきた。ジルナルド自身もそう教わってきたのだろう。捕えたシーカに労働を強いてアグラス国を建国した移民たちは、その後も彼らを解放することはなく、侍従や使い捨ての兵力として使役した。

 主な居住地もアグラス国の外壁の向こう、沿岸部の端へと追いやられたシーカだったが、その立場を覆してみせたのがジルナルドだった。シーカの長の家に生まれたジルナルドは若年ながらも統率力に優れ、海賊討伐や未開拓地視察の際には率先して動き、武勲を上げた。その功績と能力の高さが時の先帝に評価され、異例の将軍職と隊を任せられることになったのである。

 正式なアグラス軍の一人として、自らの存在を知らしめることに成功した後も、ジルナルドはシーカ人である誇りを失わなかった。隊の配下は全て一族の者で固め、領土内に建築することが許された屋敷も移さない。そんなジルナルドを慕う者は多く、その息子であるシュリにも跡継ぎとしての期待がかかっている。

(分かっちゃいるんだけどさー…)

 シュリはいま十五歳。あと三年もすれば軍に入隊し、父の下で剣を振るうこととなる。今の自分に求められているもの。父を始め、一族の思いはよく分かっているだけに、シュリは自分の中に感じる違和感と戸惑いを言葉にすることができなかった。

「…あ、そういえば…」

 突然話を変えたシュリに、ジルナルドは無言で先を促す。

「なんか、いま変な学士が来てるんだよ。外門近くの宿屋にいるらしいんだけど、随分変わっててさ」

「変わってる?何が」

「月神の末裔を調べてるんだって」

「……何?」

 憮然とした表情で酒を注いでいたジルナルドは、シュリの言葉に眉根を寄せて酒瓶を置いた。

「月神だよ、月神ユーディアト」

「それは知っている。月神の末裔だと?そんな者がいるのか?」

「いるらしいよ。俺も詳しくは知らないけど」

 シュリの話によると、漁に使う小舟の修理をしていた午後、一人の見慣れない男に声をかけられた。シュリの従僕であるミナギは警戒したが、聞けば流浪の学士だという。この国の伝承を教えてもらいたいという男に不審な様子はなかったため、シュリはアグラスとシーカの関係から一族に伝わる言い伝えなどを教えてやった。一通り聞き終え、礼を告げて立ち去ろうとする男にシュリは聞いた。

『あんた、こんなの調べてどうするんだ?国に帰って本でも出すつもりかい?』

『いえ…。私は手掛かりを探しているだけなのです』

『手掛かり?何の?』

『月神の末裔です。彼らに会う前に、少しでも情報を集めておきたい』

『……は?月神?』

 あまりに突拍子もない男の返答に、シュリはぽかんと口を開けた。呆然とするシュリに構わず、男は一礼すると再び街の方へと去っていく。

「末裔に……会う…?」

「あぁ、そう言ってた。普通に会話も成り立ってたし、特におかしい雰囲気もなかったんだけど、やっぱりどっかイカれてるんじゃないかってミナギと…」

「……確かに会うと言っていたんだな。その男は。月神の末裔に会うと」

 突然立ち上がって確かめるジルナルドに、シュリは驚きながらも頷いた。流れを逸らすために持ちだした小話に、まさか父がこんなに食いついてくるとは。

「面白い。明日の夜、その男を連れてこい」


 翌日、シュリに案内されてジルナルドの前に現れたのは、年齢不詳の男だった。白くも黒くもない肌にうっすらと不精ひげを生やし、伸ばしっぱなしで白髪交じりの髪は麻ひもで結わえている。浅い皺の浮かぶ顔に表情はなく、茶色い瞳だけが無機質な光を宿していた。ロギと名乗った学士がジルナルドに聞かせた話は、やはりそう簡単には鵜呑みできないものだった。

「月神…ユーディアトの末裔に会うつもりらしいな。そんな者が本当にいるのか?」

「はい。……といっても、まだ噂でしかありませんが。私はまず間違いなく存在していると信じております」

「その根拠は?それ以前に、月神だのなんだの…あくまでも宗教上の概念に過ぎないだろう」

 くだらなさそうに鼻で笑うジルナルドに、ロギは表情を変えることなく淡々と聞いた。

「ジルナルド様は無神論者でいらっしゃる?」

「あぁ、そうかもしれんな。サーディアム教を否定するつもりはないが、俺は神に頼ったことなど一度も無い。全て自分の力でここまでやってきた。……それに、もしこの世界に本当に慈悲深い太陽神とやらがいるなら、我ら一族が長きに渡って辛酸を嘗めることを諌めたはずだろう。違うか?」

「確かに」

 多少皮肉ってみせたのだが、ロギの様子に変化はない。冷静沈着な学士の様子に、ジルナルドも大人しく矛を収めた。

「話が逸れたな。月神の末裔がいるという、その根拠と正体を、お前は知っているのか?」

「えぇ。確証を得たわけではなく、まだあくまでも予測の段階に過ぎませんが」

「聞かせてもらおう」

 ロギは鞄からいくつかの書物を取り出すと、ジルナルドの前に差し出した。

「ご子息から窺いました。シーカは海の民と呼ばれ、アグラス人よりもその歴史は古いのだとか」

「あぁ」

「では、海の生態系にもお詳しいでしょう」

「アグラス人より知っていることは確かだろう」

 ジルナルドの返答にロギは頷き、手にした書物を迷いなく捲った。そのうちの一ページを指し示すと、ジルナルドに手渡す。

「これはギエガーという怪魚です。私は西のイサゴ諸島にある小さな村の出身ですが、その近海に出現しました」

「…知っている。実物を見たことはないが、祖父の代にはここら一帯にも現れたようだ」

 ジルナルドは掲載されている写真をじっくりと眺めた。太く長い杭に吊り下げられた巨大な魚。確かに魚体ではあるのだが、頭部には明らかに虎のような顔がついており、捕獲者だろうか。横に並んだ成人男性と比べても二メートル以上大きい。

「これはほんの一例に過ぎませんが、海にも地上にも我々の常識を越えた生物……つまり、『魔族』と呼んでも遜色のない魔物が一定数以上いる。ジルナルド様はこういった魔物たちがいつ、どこから来たのか。考えてみられたことはございますか」

「……」

 ジルナルドはロギの顔を見つめながら腕を組み、背もたれに寄り掛かった。

 このシェルーダに生きる民族は人間だけではない。一見すると二足歩行する獣のように見える獣人族から、小柄ながらもそれぞれの特性を活かして生きる小人族など、実に多種多様な民族が共存している。

 『国』を構えるほどの大所帯で生活しているのは人間だけだが、その他の多くは少数の集落でひっそりと暮らしていた。基本的には独自の文化と言語を用いて生活しているが、どの民族も人間とほぼ変わらぬ知能を持っている。そのため、言語を巧みに操れる者は、アグラスの市場や港にも交易に訪れることがあった。人間から見れば、彼らは確かに異形には違いないかもしれない。だが、決して『魔族』ではない。他民族との共存は遥か昔からどこの国でも見かける光景であり、今さら驚く者など一人もいなかった。

 では、この男の言う『魔族』とは、一体何を意味するのか。

「…考えたこともないな。この怪魚にしてもそうだが、話の通じる相手でもなし。我々の生活を脅かすなら捕えて駆除する。これまでも、今までも、ただそれだけだ」

「確かに。その通りですな」

 ジルナルドの答えに、ロギは表情を変えることなく頷いた。知能も言葉も持たず、ただ本能のみで生きている異形。今では滅多に人里へ現れることもないが、時折人間や他民族を襲っては害をなすその生物は、みな一様に『魔物』と呼ばれ、今も恐れられている。

 その種類は実に様々で、討伐隊に参加し、実際に見たことのあるジルナルドが知っているだけでも数十種類に及ぶ。空を飛ぶもの、砂漠に潜むもの、獣のように野山を走るもの。人間のように成りすますものもいれば、無害な植物のように見えるものなど、それぞれに特性を持っている。だが、詳しい生態や全体の生息数はまだまだ未知数であり、不明なことが多いという。

「…ですが、この時代になってもなお、我らには駆除するだけの力がなかった」

「何?」

 胡乱な眼差しを向けるジルナルドに気づくことなく、ロギはギエガーの写真を見つめながら呟くように言葉を続ける。

「私の故郷であるイサゴ諸島は本当に小さな島の集まりなのです。一つの島に村とも呼べない集落が三つもあれば多いくらいの規模でしてね」

「…」

「マディールのように大きな大陸であれば、文明の進歩もさぞ早かったでしょう。ですが、イサゴ諸島はそんな時代の流れからも取り残されたような島でした。今も島民の多くが昔ながらの手法で魚を取り、自給自足の生活を送っている。シーカの民であるジルナルド様なら、海での漁仕事もいかに危険が多いかよくご存じかと思いますが」

「あぁ」

「潮の流れのせいか、イサゴ諸島の近海ではこのギエガーが多く出ました。何人もの男たちが海で命を落とした。私の父も、弟たちも。悲しみに暮れながらも、母はこう言うのです。これが海に生きる者の常なのだと」

 同じ海に生きる一族として、ジルナルドにはその言葉の重みがよく理解できた。漁を生業とするシーカの民も、海の魔物たちには随分と悩まされてきた。科学が発展し文明の機器が栄えた今でこそ、各地に出没する魔物を撃退する武器も対策も為されている。今でこそシーカもその恩恵にあやかり、魔物による被害もぐっと少なくなった。だが、ジルナルドが幼い頃、寝物語に聞かされた祖父の代や先祖の代では、犠牲になる者も多かったという。

海の持つ顔は決して一つだけではない。魔物の存在を抜きにしたとしても、多くの恵みを齎すと同時に、多くの危険も伴うのだ。

「私にはそれがどうしても我慢できなかった。村は貧しく、ギエガーを追い払うだけの武器を買う金もない。少しでもギエガーの被害を減らすために、まずはその生態から知ろうと私は独学で研究を始めました。今から二十年前のことです」

「…それで?そのギエガーの生態と月神の末裔、一体どこに繋がりがある」

 ジルナルドが先を促すと、ロギは別の書物を一冊取り、新たにページを開いて見せた。

「これは、神都ミラコニエにある歴史博物館で保管されている絵画の一枚です。古代の人々が描いた、地上に降り立つ月神ユーディアトの姿と言われています」

 受け取って覗きこんだその絵には、満月の夜に海上に浮かぶ一人の人物が描かれていた。赤黒いコートのようなものを身につけ、フードを深く被っているため、表情は見えない。ただ、唯一見える口元は固く引き結ばれており、その横に長い銀髪が伸びている。

 それだけでは月神とは思わなかったが、一際異彩を放っていたのは、宗教画ではよく見かける後光ともいうべき、そのオーラだった。大抵、神や精霊といった聖なるものを描いた宗教画では、眩い輝きを示す白い後光が描かれている。だが、彼の周りを包むのは、どす黒い影のような暗闇。それだけだった。その中心にコートを羽織った月神がいなければ、まるでぽっかりとその一部分だけ穴が開いているようにも見える。

 群青の夜空に冴える満月や凪いだ海上が美しく描かれているだけに、その絵はかなり異様な雰囲気を醸し出していた。怒れる月神の姿というのは、こうも禍々しいものなのか。

「ここをご覧ください」

 思わず言葉を失って見入るジルナルドに、ロギは絵の片隅を指し示す。

「これは……」

「えぇ、ギエガーです」

 ユーディアトが浮かぶ海の中、魚の身体に虎の顔をした怪魚が泳いでいた。一匹だけではない。よくよく見れば、魚影も含めてかなりの数が描かれている。

「ギエガーの生態からその被害数まで、私は知りえる限りの全てを知りたいと、過去に遡って調べてみることにしました。その資料の数は膨大な量となりましたが、それも当然のこと。…なぜならば、このギエガーは、この月神ユーディアトに創られた古代生物だったのですから」

 ロギの言葉に耳を疑い、ジルナルドは思わず目の前に座る学士の顔を見た。

「……なん、だと…?ユーディアトに創られた…?」

「はい、ギエガーだけではありません。各地で確認されている魔族の全ては、この月神ユーディアトによって生み出された生物なのです」

「………」

 冷静沈着で剛胆と言われたジルナルドも、さすがに呆然とする他なかった。普段から決して信心深いわけではないが、この地で生きる者として、サーディアム教とその創世記について主な概要は知っている。 サーディアム教は、ユーディアトの異母姉、太陽神サーディアムを信仰するシェルーダ最大の宗教だった。生命を司る女神であり、弟神子の暴動により深く傷ついた地上の大地と生き物を癒した、唯一無二の母とされている。

 そのため、人間以外の他民族でも信仰している者は多く、また、聖地とされている神都ミラコニエには巨大なサーディアム神殿が建設され、多くの神官たちによって管理されているという。その支配力は絶大で、各国の王族たちもミラコニエからの触書には逆らえなかった。神殿の内部ではどういった体制になっているのか、ジルナルドも詳しくは知らない。だが、この世界を統治しているのはまさしく神都ミラコニエの神官たちといっても過言ではなかった。

(関わったのは失敗だったか…)

 先ほどから、ロギの話す内容は、その神官たちを敵に回しかねない発言ばかりだった。迫害を受け、その怒りから多くの災いをもたらしたとはいえ、仮にもユーディアトは創世神イルヴァの血を分けた神子なのだ。イルヴァはサーディアムの父であり、ユーディアトはサーディアムの異母弟にあたる。信仰神の血縁でもある聖なる神子が、魔族を創ったなどという前代未聞の発言をミラコニエの神官たちにでも知られたら、間違いなく処罰を受けるだろう。

 アグラス国ではシーカの出身であるジルナルドを快く思っていない者も多い。その筆頭が大臣のキルファスだったが、自分の失脚を狙う彼らに足元を掬われないためにも、慎重に行動する必要があった。最初は単なる好奇心からだったが、厄介な人物を招き入れてしまったかもしれないと、一瞬の後悔が頭をよぎる。

「…なぜ、そう思う。それがはっきりと記された資料でも残っているとでもいうのか?」

「いいえ、残念ながら。仮に残っていたとしても、神都の神官たちが、そう簡単に人目に晒すわけがない。一介の学士でしかない私がおいそれと閲覧できるものではないでしょう。なので、これはあくまでも仮説の話です」

「なら…」

「ですが、そうでなければ説明の仕様がない資料、伝承、遺跡は今も各地に数多く残されています。ギエガーだけではない。現在も生息を確認されている魔物の多くが、ユーディアトの暴動期を境に、この世界に出現しているのは間違いありません」

「だが、ユーディアトは神だ。人間の血も混じっているとはいえ、神の血を引いた神聖なる神子が、魔族をどうやって生み出すというのだ」

 眉間に皺を寄せて反論するジルナルドに、ロギは大きく頷いた。

「そう、そこなのです。ユーディアトは混血児なのです。ジルナルド様もご存じでしょう。混血がサーディアム教で固く禁じられていることを」

「あぁ、トラヴだろう」

 端から信心の無いジルナルドから見れば、全くもって馬鹿馬鹿しいとしか言いようがないが、サーディアム教は、信者たちに他民族と交わり、混血児を産むことを固く禁じている。太陽神信仰が一大宗教となった今、それが世の理となっていた。

 戒律を破って生まれた子供は『トラヴ(忌み子)』と呼ばれ、その多くが存在を確認された時点で一族の者から処分される運命だ。

(確かに短絡的といえば短絡的だが…)

 サーディアム教が混血児を禁じた理由。それは暴動を起こしたというユーディアト自身が、混血だったからに他ならぬだろう。迫害の原因となる混血児が生まれなければ安全だとでも思ったのだろうが、全てのトラヴが殺されるわけではない。他民族や他国の視察に訪れることの多いジルナルドは、殺処分を逃れ、上手く生き延びたトラヴがいることも知っている。

 だが、そこで見聞きした彼らの人生は、どれも決して明るいものではなかった。民族の違う両親の血を引いたせいで、中途半端な容姿を持つ彼らは、人目につきやすい。そのため、人身売買を生業とするタチの悪い輩に捕まり、見世物小屋で商品となる者もいた。奴隷扱いを受け、その日暮らしに喘ぐ者もいる。生き延びたところで、決して陽の目を見ることはなく、彼らは日蔭者として一生迫害され続けていくのだ。まるで、地上からも天界からも受け入れられなかったという、かつてのユーディアトのように。

 皮肉な形で繰り返される歴史と現実。それをミラコニエの神官たちがどこまで把握しているのかは分からないが、同じ歴史を持つシーカの一族として、ジルナルドがサーディアム教を信仰できない理由の一つがそこにあった。

 だが、ジルナルドはそんな彼らに決して同情はしない。迫害を受け、飢えに苦しむのならば戦えばいいのだ。むしろ、同じように苦しむトラヴが一定数いるのなら、なぜ共に抗おうとしないのか。ジルナルドにはそれが不思議でしょうがなかった。環境や状況の違いはあるにせよ、ジルナルドは一族の者を率いて率先して戦い、シーカの長としてこれまでの立場を覆してみせた。自分自身の力で。

(だからこそ…)

 ジルナルドはここまで築き上げた今の地位を守らなければならない。自分を信じて従い、ついてきたシーカの一族を守るために。

 そのためには、現時点では毒にも薬にもなりかねないこの学士を、見極める必要があった。

「しかし、混血だからなんだというのだ?サーディアム教が混血を嫌う理由は分からなくもないが、魔族を生み出す混血児など、これまで一度も聞いたことがない」

「えぇ、その通りです。実際は不可能でしょう。ですが、そもそも、その認識自体が間違っている」

「間違い?」

 腕を組んで首を傾げるジルナルドに、ロギは書物を片づけながら頷いた。鞄に全て収めると、卓の上に置かれたカップを持ち、一口分だけ口に含む。中のお茶は、ジルナルドの自室に入った時、案内してきた息子のシュリが出してくれたものだった。今ではすっかり冷めてしまったが、乾いた喉を潤してくれるには充分だ。

「ジルナルド様の推察通り、サーディアム教が混血児を禁じているのは、ユーディアトが混血だったからだと、今では多くの人々がそう認識していることでしょう。おそらく、今の神都でも、若い神官たちの中ではそう思っている者も多いかもしれない。ですが、そうではないのです。本来、サーディアムが…ユーディアトの姉神子であるサーディアムが、本当に禁じたのは、神と交わることだった」

「神と…?」

「えぇ、この教えは、地上の他民族同士が交わることを禁じたものではなかったのです。この戒律はむしろ、父神イルヴァへの警告と戒めのようなものだったのでしょう」

「なぜ…」

「おそらく…神と人、だからこそでしょうな。人間は強くもあり、そして弱くもある生き物です。一人では決して生きられず、時に群れることで弱者を襲う。ジルナルド様、貴方のように何度傷つけられても立ち上がる強さのある者ならいいが、その痛みに耐えられぬ者はあっという間に闇へ堕ちるでしょう」

「……」

「光と影は表裏一体。天空には神々が住まう天界があり、地上の奥深くには魔族の巣食う魔界があるといわれています。人の弱さと神の血、その両方を兼ね備えていたが故に、傷つき絶望したユーディアトはあっけなく魔に堕ちた」

「……つまり、魔族になったユーディアトだから、魔物を産み出すことができた。そう言いたいのだな?」

「はい。…私の仮説も多く含みますが、少なくともサーディアムが本当に禁じた混血、その意味合いに関しては、記述に間違いございません。現在多く出回っているサーディアム教の教本は、過去に何度も改訂されております。誤った認識が広がっている原因でもございますが、神都の歴史博物館にある原本とされる石板には、そのように刻まれているのです。解釈は人それぞれ、と言ってしまえばそれまでですが…」

「なるほど」

 宗教に関しては全くの専門外であり、興味の欠片も無かった。だが、改めて深く考察してみれば辻褄の合わぬ話ではない。

「それで、お前はその月神の末裔に会いに行くと言っていたな。お前の説に間違いがなければ、ユーディアトの末裔とは魔族ということになる。魔物の類は珍しくないが、魔族そのものなど、本当にいるのか?」

 核心に迫ったジルナルドの問いに、ロギははっきりと頷いた。

「はい。ここから遠く、北に向かった先にゼルス大陸という雪と氷の大地があります」

「知っている。だが、ゼルス大陸にはエクシン国しか存在しないはずだ」

「えぇ。地図にも記載はありません。ですが、聞くところによると、そこにディスタというトラヴばかりの村があるとか」

「ディスタ…」


「定かではありませんが、その村を治めているのは人の生き血を啜る魔族、純血の吸血鬼だという噂です」

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