第3話 自身番

 自身番の中は人でごった返していた。

 山積みにされた何十冊という艶本を挟んで、染七を安五郎の横に座らせた。

 壁際の机に家主が陣取り、火鉢の横には自番人の親仁が控えていた。

 次郎や卯助、安五郎の手下どもは建物の外で、上り框に腰掛けるか、玉砂利の上に突っ立っていた。更に柵の向こうには、近所の野次馬が大勢集まっていた。

 左平次と伝蔵は奥の板間の方に座って、それぞれ勝手次第に艶本を手に取って眺めていた。悪戯坊主の如く、おい、これ、と見せ合いっこをする始末。家主が居る手前、重太郎が咳払いをすると、いけねい、と二人は首を引っ込めた。

 後はもう安五郎に任せて、早々に八丁堀の調べ番屋に引き上げたい所だが、時には御上の御意向も示さねばならない。見せしめの意味合いも兼ねて、重太郎は自ら取調べを行った。わざとらしく、表の障子は半開きにして……先ずは順に、一昨日家を出てから、何所で誰と会って何をしていたのかを問い質していると、

「ちょっと通して下さいよ」

 と、表の方で声がした。

「これは四郎右衛門さん」

 と、家主が腰を上げた。

 佐賀町一帯の名主を務める四郎右衛門の所にも、先程人を遣って事の次第を知らせて置いた。

「嗚呼、これは池田様。御役目御苦労様です」

「こちらこそ、お騒がせしております」

「いえいえ、そんな」

 と、四郎右衛門は謙遜していたが、急に伏せ目がちになった。

「所であのう。お取り込み中、大変申し訳御座いませんが、少しお話を宜しいでしょうか?」

「構いませんが、此処で? それともお宅が宜しいでしょうか?」

「嗚呼、中でも構わないのですが」

 足の踏み場も無い状況に、安五郎と染助が板間に移った。

「どうぞ、中へ」

「はい。では、お邪魔させて頂きます」

「おい!」

 と、重太郎は外に居る次郎に声を掛けて、開け放しの障子を閉めさせた。中の様子が見えなくなって、野次馬が一斉に、あ~と不満を発した。

 親仁がさっとお茶を出す。

「おお、済まないね」

 四郎右衛門は礼を言うと、目の前の艶本の山を一瞥した。

「実は町内に住む娘が、そこに居る男から本を借りたそうなんです」

(おや、まあ。そういう訳か)

 重太郎は心の隅でほくそ笑んだ。

「これがその本なのですが」

 と、四郎右衛門は包みから本を取り出すと、こちら向きにして畳の上に置いた。

 表紙絵の無い青表紙の本で、左上に『見聞男女録』と書かれた題簽だいせんが貼られていた。

「けんぶん、だんじょろく?」

 と、安五郎が横から、首を亀のように伸ばして呟いた。

「ふっ」

 と、染七が鼻で笑った。

「何が可笑しい?」

 安五郎が声を抑えて凄んだ。

「けんもんか?」

 と、重太郎はただした。染七の表情が幾分かやわらいだ。

「けんもん……をとめろく?」

流石さすが、八丁堀の旦那。学がお有りだ」

「無駄口叩くな!」

「痛っ」

 助五郎が染七の腰の辺りを小突いた。

 四郎右衛門は眉を顰めながら、続けた。

「えー、男が引っ張られたもんですから、娘も怖くなりまして。父親に打ち明けたんです。それで、父親もどうしたものかと困って、私の所に相談に来たという訳でして……まぁ、たわいもないただの読本だと思うのですが」

(ん、艶本じゃないのか?)

 重太郎は本を手に取ってぱらぱらとめくってみたが、男女が肌をあらわにするような絵は皆無であった。公家物の御伽草子といった感じで、文にしても口絵にしても至極真面目で、父娘が心配しなければいけないような代物ではなかった。

「どうでしょう? 問題ありませんよね?」

 と、四郎右衛門が身をかがめながら問うた。

 すると、

「おおっ、通せ通せ!」

 また誰か来たようで、すっと障子が開いた。

「おおぅ、居た居た!」

 と、吉井が衝立越しに顔を覗かせた。

「何だ、本当に来たのか?」

「違う、違う。下女の件だ、下女の件。ちょうど良いのが見付かったんで、話を持って来たんだ」

「お前は何時から慶庵けいあんになったんだ?」

「ははっ。口入料は要らんぞ」

「口書はどうした? 放ったらかして来たのか?」

「ああ。急を要するでな。それに話をじ込むんだから、俺が自ら来て話をするのが筋だろう。どうだ? 此処では何だから、ちょっと他所よそで詳しい話をしないか? 直ぐ済む」

 仕方がない奴だと、重太郎が呆れていると、

「おっ! 手に持っているのは、例のあれか?」

 と、吉井は顔をにやりとさせた。

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水薦刈る(みこもかる) 訳/HUECO @Hueco_k

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