第2話 佐賀町

 場所は川向こうだった。大川こと隅田川を永代橋で渡って、直ぐ左手に在る佐賀町だ。

「こちらです」

 辰吉に導かれるまま付いて行くと、とある長屋の路地木戸の近くで、手下を連れた安五郎と落ち合った。

「どうも」

 と、安五郎は挨拶し掛けたが……左平次と伝蔵が居るのが目に入り、声を荒立てた。

「何でい、二人とも!」

「なに、丁度居合わせたもんでな。見物がてら、来させてもらったよ」

「嗚呼~。もしかして今日、口書だったのかい?」

「ああ」

「なら、悪い事しちまったな」

「染七は中に居るのか?」

 と、重太郎は話を遮った。

「あっ、はい!」

 と、安五郎は一度緩めた顔を元に戻した。

「帰ったきり、一度も外には出ていません」

「見張りは?」

「塀の向こうに一人置いています」

 染七の生業なりわいは絵師だが、近所の男どもや上さん連中を相手に潜りで貸本もしていた。扱っているのは主に艶本で、この程度の事なら普段は目をつむって放って置くのだが……最近、染七は金に困っているのか、嫁入り前の若い娘から、果ては十二、三歳ぐらいの年端のゆかない子供のような娘にまで本を貸し与えるようになって、さすがに安五郎としても見逃して置く事は出来なくなった。

 一昨日の夕方、安五郎が自分の所に話を持って来たので、その日の内にお縄にするはずだったが、外出した染七を事もあろうに安五郎の手下が見失うというへまを仕出かした。結果無理に探し出したりはせず、本人が帰って来るのを待つ事にした次第で……

 まぁ、大した捕り物ではないのだが、安五郎本人にとってはかなり美味しい話であった。染七が貸本した人数を考えれば、引合は付け放題。かなりの実入りが期待出来るからだ。

「塀の見張りに、今から踏み込むと、知らせに行かせろ」

「おい!」

「へい」

 と、安五郎の下っ引きは一度行こうとしたが、足を止めた。

「あっ、親分。自分はその後はどうしたら?」

「馬鹿野郎、戻って来い!」

 と、安五郎が声を殺して怒鳴り散らした。

 若い下っ引きが走り去るのを横目に、重太郎は続けた。

「奴の家はどれだ?」

「右側の棟の、手前から三つ目です」

「うむ。次郎はそっちから裏に回れ」

「へい」

「伝蔵。済まないが、今行った若いのが帰って来たら、一緒に奥から反対側に回ってくれ」

「へい。承知しました」

「後は俺と一緒だ」

 少し待っていると、下っ引きが戻って来た。

「よし、行くぞ」

 と、重太郎は断を下した。

 人気の無い路地を、伝蔵と下っ引きが一足先に行く。

 その後を安五郎の先導で進んで行く。

 普段なら奥の方の井戸端に長屋の女房連中が群れていようものだが、人っ子一人誰の姿も見当たらない。皆異変に気付いて、自分の部屋に引っ込んでいるに違いなかった。

 染七の家の前を取り囲み、中の様子を窺うが……眠っているのか、物音一つしない。

 重太郎があごで促すと、安五郎が油障子を叩いた。

 ドンドン。

「染七さん、居るかい? 染七さん」

「……」

 もう一度、ドンドン。

「染七さん」

「……」

 皆で雁首を揃えて声を押し殺す中を、風が流れた。

(磯の香りがするな……)

 重太郎は鼻をクンと鳴らして、今一度匂いを確かめてから、障子を開けるよう促した。

 安五郎が戸に手をやると、心張り棒などはしておらず、すっと開いた。

 居留守を決め込んでいたのか、布団に寝転がっていた染七が、びくんと身を起こした。矢場いと感じて、裏から逃げるつもりか、腰を上げたが、

「動くんじゃねえっ!」

 と叫んだ安五郎の凄みと、後から男達が雪崩なだれ込んで来たのに観念したのか、染七は布団の上にへなへなと座り込んだ。

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