第2話 "あなた"という人
なんでこんなことになっちゃったんだろう……。
分からない。何も、分からない……。
気持ちが泥水のように濁って、頭の中に流れてくる情報もまるで圏外のように途絶え途絶えになる。
会社から『横領』の通告を受けた時の私はそんな状態だった。
身に覚えがない。根も葉もない。
何かの間違いのはずなのに、言い逃れの出来ない私の知らない証拠がそれを事実だと突き付ける。
今回見つかった不正データは、確かに私が打ち込んだデータだった。
でも、特別な業務はしていない。いつも通りの作業しかしていない。
絶対に間違いだ。そう訴えたけど、不正データで改変された帳簿と同額のお金が私の口座に振り込まれていた。
身に覚えがない。本当にない。
でも、動かぬ証拠。
私は何が何だか分からなくて、自分の感情の行方すら分からなくなった。
残ったのは侮蔑と違約金だけ。
その違約金は、一社会人しかも契約社員なんかが支払える額のものじゃない。
気付けば、見晴らしのいい会社の屋上に立っていた。
正直、ここまでの記憶はほとんど無い。
自分が今から何をしようとしているのかさえ、自分の事なのに分からない。
家族にも、周りにも、迷惑はかけられない。
だから多分、仕方の無いことなんだろうな。
「ごめんなさい……」
「それは誰に謝っているんだ?」
思わず体が跳ねた。
だって、誰もいないはずの屋上。ううん。今日に限っては誰もいないはずの会社で聞こえる誰かの声。
驚かない訳がない。でも、私はさらに驚く。
振り向くとそこには、少し前に会った事のある女の子が私をジッと見て立っていた。
「え?な、なんで?どうしてこんな所にいるの……?」
「呼んでいたから」
「え……?」
困惑する私を真っ直ぐに見つめる瞳。
それはなんだか引き込まれそうで怖かった。
「こんな所で何をしているんだ?」
「何を……。分かんない……」
「諦めるつもりなのか?」
「諦める……?何を……?」
「人生」
瞳に射ぬかれる。
なんでかそこから、感情が押し止めなく溢れてきた。
「だって、だってしょうがないじゃない……!私は私に出来ることを精一杯やって来た……!ううんそれしか出来なかった……!それが社会に出ることで、働くことで、生きることだと思ってたから……!特別なんて無くてみんな同じだから言い訳なんて出来ない……!泣き言言って何かが変わるわけでもない……!諦めなかったらどうにかなるの!?分かったようなこと言わないで……!!」
本当に止めどなく感情と言葉が出た。
それもこんな小さい女の子に。
何をしてるんだろう。本当に何をしてるんだろう私は……。
嫌になる。大人ぶって社会人ぶってる自分がとことん嫌になっちゃう。
もうダメだね……。
「ごめんなさい……」
「何を謝る?それはあなたの"本心"だろう?なら謝る必要もないし恥ずべきことでもない」
「え……?」
「あなたの心で感じて、あなたの想いとして言葉になったのなら、それは無視するべきものじゃない。それを非難する権利なんか誰にも持ち合わせていないよ」
「でもこんなの私の独りよがり……」
「優しいな。あなたは優しい。でも。その優しさで自分の首を絞めるようなことをしてはいけない。理不尽に耐えなきゃいけないのを誰が決めたのだ?泣き言を吐くのを害としたのは誰だ?そこまで苦しんでいるあなたのどこが悪いんだ?自分を殺すことを正義にしてはいけない。あなたは社会人という生き物ではなく、淘汰されるべきではない一人の人だよ」
曇りのない眼差し。
彼女はどうしてそんなに真っ直ぐに私を見てくるんだろう……?
たった一度、ほんの少し触れ合っただけの間柄のはずなのに。
そんな彼女の言葉が、どうしてこんなにも私を締め付けるんだろう。
励ましでも綺麗事もない。ましてや同情でもない。
ただただ真っ直ぐに私を認めてくれている。
温かい。でも痛い……。温か過ぎて痛い。
でも、その痛みのおかげで、さっきまで希薄だった自分の存在を実感できてる。
「なんで私なんかの為に……?」
「呼んでいたからだ」
「何を……?」
「"助け"を。小さくてか細い声で」
そう言うと女の子は小さく微笑んだ。
なんでか、その表情に少しドキッとしてしまった自分がいる。
「ウチは"万屋"。助けを求める人がいれば仕事を請け負う。どうするかは、あなた次第だ」
小さくて、細くて、白い綺麗な手が差し伸べられる。
私は、頭よりも心で動いてその手を握った。
月明かりがスポットライトのような、そんな夢みたいな夜だった。
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