畜生な世界であなたの声が聞こえたら
結城あずる
第1話 働く理由
キーボードだけを叩く無機質な音が、殺伐とした空気を尚一層膨張させる。
タイピングをするためだけの体となっちゃったような感覚は、16連勤による副作用かもしれない。
打ち込んでも打ち込んでも終わらない大量のデータ。
これが俗に言うデスマーチなんてものなのかな?
この会社に契約社員として来てから半年。
これは日常茶飯事だ。
前に働き方改革なんてワードをテレビで聞いた気がするけど、聞えの良いものほど実現しないと思う。
そう言えば、しばらくテレビなんて見てないな。というか、テレビどころかスマホだってアラームを止める以外まともに触ってない。
ここ最近のニュースを何一つ知らないって、社会人3年目の21歳なのにすでに浮世離れしかけてるかもしれない。
時間もなければ余裕もない。それが今の日常。
そんなこんなで、もう時計の針が日付の変更を告げようとしている。
この時間でも私以外に作業をしている人はちらほらいる。
かける言葉はお互いにない。時間も余裕もないから。
「……」
……目が霞む。首も痛い。いや、一通り体が痛い。
さすがに動かな過ぎかもしれない。
栄養ドリンクを買うがてら外の空気に触れてこよう。
会社から近くのコンビニまでは徒歩5分程度。
たったそれだけの距離なんだけど、今日はやけに遠く感じる。
歩いても歩いてもなぜだが景色が流れない。
あれ?違う。これ、遠いんじゃなくて遅いんだ。
足が思ったように前に出ない。体がぎこちない気がする。
自分の体の異常に気付くと、拍車をかけるように視界が歪む。
そこから、私の意識は途絶えた……。
「んっ……」
なんだろう。体が温いな……。
なんか久しく感じて無かったそんな温さ。
でも、心なしか違和感?を感じる。主に胸の辺りに。
自然と瞼に力を入れて視界を開く。
「あ」
間の抜けた声を出した男の人と目が合う。なんだか妙に距離が近い。
頭の中が覚束なくて状況が何なのか分からないけど、さっき感じた違和感の方に自然と目が向く。
誰かの手、いや、男の人の手が私の右乳に触れている。
その感覚が一気に意識へ流れ込む。
「いや、これは――――」
「ちかぁぁぁぁぁぁぁんーーーーーー!!!」
「ぶほっ!?」
咄嗟に手が出ちゃった。しかも掌低で。
小さい頃からずっと空手やってきたから、反射でその反応が出てしまう。
当然日常で使うものじゃないんだけど、今のはしょうがないよね。
だって痴漢だし。寝込みを襲うなんて弁明の余地が……って、寝込み?
そう言えばここはどこ?
会社……じゃない。家でもない。
見たことない和室。凄い畳の匂いがする。
私、ホントにどうしたんだっけ……?
「ん。目が覚めたか」
「え?」
すぐ横を振り向くと、そこに一人の女の子が凄く姿勢正しく座布団にちょこんと座っていた。
こんなに近くにいたのに気付かなかった……。
「まだ寝ていた方が良いぞ」
女の子がジッと私を見ながら布団を指さす。
え?なんで私布団にいるの?服も
「状況が飲み込めてないようだが、あなたはウチの前で倒れてたんだ」
「え!?た、倒れてた!?」
素っ頓狂に声を上げてしまう。
全然記憶がないんだけど、おぼろげに体が変だった感覚は残ってる。
休憩がてらコンビニに行こうとして……。
「!!!。い、今何時!?」
「1時だな」
「ひひひひひ昼の!?」
「夜の」
「そ、そっか。ってことは1時間……。じゃあ仕事に戻らないと……」
急いで布団から出ようとする。
けど、体に上手く力が入らずよろけてへたり込んでしまう。
なんでか物凄い脱力感が全身を埋め尽くしているそんな感覚。
「だから。まだ寝ていろと言っているのに」
女の子に溜め息をつかれてしまった。
お人形さんみたいにかわいいのに、なんか子どもらしからぬやれやれ感が滲み出ている。
見た目は小学校低学年生くらいなのに。
「何をそんなに焦っているのか知らないが、そんな体で気張ればまた倒れると思うが?」
「でも……今の案件を片付けないと休むなんて出来ない……」
「わたしには分からないが、それはあなたがそこまで尽くす仕事なのか?」
「……え?」
「まるで、喉元にナイフでも突き付けられてるような切迫している感じに見える」
「……」
最近の子はこんな語彙力を持ってるの?
いやそれよりも、この子はなんでそんなこと聞いて来るんだろう……?
私が尽くさなきゃいけない仕事かどうかなんて……分からない。
でもやらなきゃいけない。
私のせいで会社に損失を出してしまえば、損失分を給料から天引くだけじゃなくて足りない分は連帯保証になった親にまでいっちゃう。
そういう契約。
その契約書がある以上、私は私のせいで人に迷惑をかける事はしたくない。
だから、やらなきゃ。
契約が終わればそれで済むんだから。
「ごめんね。行かなきゃ」
「そうか」
「なんか迷惑をかけちゃったみたいでごめんね。お布団ありがとう」
「別にいいよ。修平。いつまでそうしてる。お客さんを玄関まで送ってやれ」
そう言えば私が一発入れてしまったあの男の人がそこで伸びてたんだ。
のっそりと男の人は立ち上がると、頬をさすりながらこっちを見る。
ヒョロッとしてるけど大きい。多分だけど190くらいはありそう?
まぁそれはいいとして。この人も私を介抱してくれたのかなって思うと、なんか悪い事しちゃったかな。
「まーた安請け合いして」
「縁があればお客だろ」
「それが安請け合いって言うんだよ」
「あの、お客さんって?」
「ウチは"万屋"を営んでいる。何かあれば頼ってくれていいぞ。これも縁だ」
「そ、そうなんだ。ありがとう」
「あーはいはい。ほら玄関はこっちだよ」
男の人は、少しふらつきが残っている私の片腕を掴んでそのまま玄関まで来てくれた。
気遣ってくれてる。やっぱり悪い事しちゃったかな。
帰り際に女の子からお守りのようなものまで貰って私は店を出た。
看板には達筆で『万屋』とホントに書いてあった。少し薄れた文字で八百って字も見えたから元は八百屋さんだったのかな?
こんな所会社の近くにあったんだと思いつつ、私は急いで持ち場に戻った。
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