天邪鬼と自殺模様
「なぁ、御子柴。死に方は決めてあるのか?」
いつの日か彼女が買っていた純白のワンピース。靡くその裾に目を奪われる。
昨日二人で花火を見た公園に俺は立っていた。そして御子柴も同様に。
「うん、前々から死に方自体は決めてあったんだよ、幸せな気分のまま一番つらい思いをしなくて死ぬことのできる方法。これだよ、青酸カリ。知ってるでしょ?
そう言いながら彼女は白い粒状の何かが入った手のひらサイズの瓶を回し、カランコロンと嬉しそうな音を立てた。
「ったく、そんなものどっから手に入れてきたんだ……」
「え、意外だなぁ、てっきり高崎の事だから自殺系には詳しいと思ってた。なんだ知らないの? 覚醒剤、マリファナ、王水だったり青酸カリも。最近のネットは何でも買えるよ」
誰だよそんな物騒な物売った奴は、と内心毒づく。それでも彼女の恍惚とした表情が、夕日で俺の網膜に焼き付いてくる。
「……そうか。じゃぁ最後に」
息を吸う、落ち着こう、コレが最後の会話だ。
「なぁ、御子柴」
本音をみっともなく晒してしまえば、
俺は彼女を止めたかった。
「死なないでくれ」と、止まらないのは解っているけれど、言ってしまいたかった。身勝手にも俺は心内をさらけ出したかった。
でも、目の前の笑顔を見ると、喉まで出掛かった言葉に罪悪を覚える。彼女の完璧な『死』を邪魔立てしてしまう、それだけはしたく無かった。彼女の願いが叶うなら、その瞬間を俺は盛大に祝福したいと願うようになっていた。
相反する結末を願う面倒臭い意思なんて、無駄な葛藤を生むだけだから、また逃げて、事柄からそして現実から目を逸す。
さぁ、いつも通りにいこう。俺は変わらないし、変われない。
「今日は死ねそうか?」
俺は掠れないようにゆっくりと、今までで一番丁寧に発してみた。
「うん、最高の死に日和だと思う。幸せに満たされて暖かい、大好きな夕暮れがこんなに綺麗に見えてる。海に映った夕焼け、今までで一番綺麗だよ。生まれてきて十六年、この十六年間で一番気分がいい。心臓の横を風が通り過ぎたように清々しい。これも君とひと夏を過ごせたおかげかな、ありがとう、高崎」
「あぁ」
彼女は笑顔で、満を持して最後の隠し玉でもひけらかすように、ネタバレをした。
「でもね、君に死ぬのを止めてもらえなかった事はちょっとだけ心残りかな」
その一言は、俺の思考を飛ばすには余りにも充分過ぎた。
「私は誰かに必要とされる人間に成りたかった。他人を介して自分の存在意義を感じてみたかったんだ。でも、それを他人に頼むのは間違ってる。だから私なりに君に伝わる様に頑張ったつもりだったんだけどね、最後までダメだった。私は君に必要とされる人間には成れなかった」
彼女の希望と俺の希望を同時に叶える方法があったにも拘らず、それを避けて通って来た。頓珍漢な俺が選んできた選択の間違いが一斉に露呈する。
なんだよ、それ……
彼女は「私みたいなのが必要とされるわけないか、慣れないことはするもんじゃないね」と、無理に笑ってくれた。
声に出さない言葉の方が、声に出すものより大切。孤独者であるなら、共有する人間を持たないため本音は心の奥底にしまい、その燐片すら簡単には披露しない。同じ孤独者として解るはずだった、解って当然だった、解らなきゃいけなかった。
解ってさえいれば……彼女は……
彼女は俺に期待してくれていた、なのに俺は気づいてやれなかった、期待に応える事が出来なかった。
その確かな事実は、どうやったって、否定出来ない。
祝福したい、彼女が死ぬのが怖くてそんな言葉に逃げていただけだった。
なんだかもう自分に
「でも、そのままにして死ぬ気は無いんだ。だから」
彼女は大きく息を吸って「最後に一つだけ、お願いしてもいい?」と彼女は訊く。勿論二つ返事で返すと「よかった」と彼女が微笑みと安堵を漏らす。
「私の死を、無駄にしないで欲しい。私が生きて君とひと夏を過ごしたこと、この経験を君の中に生かしてほしい。君が私の手に入れれなかった『普通』の幸せを手に入れる事、これが私の最後のお願い」
傲慢、と思う反面、誰かの役に立ちたいとか、忘れて欲しくないとか、悲しい言葉の裏が見える台詞だった。
「どう? 最高じゃない?」
「頑張ってみるよ」
空っぽの返事だ。
「じゃぁ、さようなら」そして満面の笑みで彼女は「君の事、××だったよ」と。
そのか細い声は時津風に攫われて、一部、俺に届くことはなかった。でも……口元を見れば誰だって解るような、それはそんな言葉。
その次の瞬間彼女は瓶から数粒の白いものを取り出し口に含んだ。
カランッと彼女の持っていたビンが地に落ちた甲高い音が、静寂が支配していた公園に鋭く切り付けるように響く。そして彼女の体は地面に吸い寄せられるように極々当たり前に倒れる。
もう、何も歯止めは亡くなった。間髪入れず、俺は彼女の元に走り出していた、後悔やこの想いを薪にし、一気に燃やして足を動かす。遅すぎるけど今更自分の気持ちに素直になれた。
俺は彼女が愛しかった。
水着の彼女は背伸びした子供の様で可愛らしかった。
浴衣を着た彼女は大人びていて、気品があって美しかった。
彼女の一挙一動はいつも生きていて、死んだ灰色の俺から見ればまるで光だった。心の底から色のある彼女が羨ましかった。
そしてどんな彼女も俺は
倒れた彼女を抱きかかえ泣き声交じりの声で、俺はやっと溢れた思いを言葉にする。
「君が好きだった
誰よりも、君を愛していた」
最初は意識なんて全くしてなかった。でも、後になって段々と君の大切さに気付いた、そしたら君がいない日を想像するのが恐ろしくなっていた。
「君がいてくれるなら成長なんてしなくて良い、進歩なんてしなくてもいい。友達が今まで道りいなくったってぜんぜん構わない。だから……君にいて欲しかった」
今更。と、自分を貶す
「なぁ、御子柴。これから俺はどうすればいいんだよ……」
ポタッポタッと御子柴の頬に涙が落ちていく。
彼女は不快な表情を見せてこない、いくら俺の涙が彼女の頬を撫でても表情が変わることはなかった。
あぁ、俺は馬鹿だ。いつまで経っても後悔しかしない。
力なく首を折る。目を固く閉ざし、心を閉ざし、こんな陰惨な現実から、優しくない世界から逃れてしまいたいと願った。この胸の苦しさから、叶わなかった悲哀から、掴むことができなかった惨めさから、出来ることなら全て無かった事にしてしまいたかった。
それでも、どれだけ目を背けたって、胸の痛みは現実で。この目の前に倒れた彼女は本物だった。
〚ねぇ、×かさき。×をあ×て……〛
遂に幻聴まで聞こえ出したらしい。それだけ彼女は俺にとって掛け替えのない人間だった。失ってはいけないパーツだった。失ってから気付く、なんて愚か者の最たる例だろうか。この結末に彼女を導いたのは紛れもなく、俺以外の誰でも無いのに。
「もう、目を開けてってば!」
その声と同時に、今度は両頬に押さえつけられた感覚を覚える。疑問を感じる事より先に開いた目が真っ先に捉えたのは、間近まで迫った朱色の得意満面だった。
唇が触れ合う、
彼女が生きていた事に驚いた後、今俺と彼女がしていることに対して更に驚き、カッコ悪く完全に頭が固まってしまった。頭が動こうとしなくなってしまう。
初めての口付けは甘い味がした。
「……これって、ラムネ?」
場を縛っていた緊張の糸が一気に緩み、間の抜けた声で力なく俺は問う。
「正解、本気で泣いてくれてたんだね、私のために。高崎、騙しててごめんなさい」
彼女は俺の様子に吹き出すのを必死に堪えて、にやにやとこちらをを見てくる。
「全く、女にここまでさせないと告白できないなんて、やっぱり高崎はニブチンだね」
「解りづらすぎ。どれだけ回り
動揺に言葉の尾が霞む、視界は勝手に潤み輝き優しく歪んでいった。目をこすって滴を振り落とす、すると淡かった景色が開き、彼女の赤み掛かったいたずらっぽい笑みが、夕陽に重なり眩しく映えた。
「誰が私にそうさせたのか分ってるの? この愚鈍」
訊きなれた口の悪い台詞。どん底から引き上げられた感覚さえ感じる。可笑しいよな、俺と彼女は最初っからどん底で変わってはいないのに。今はそれすらもが彼女と俺を繋いでくれたと思えば愛おしい。
顔に張り付いた悲哀の表情が夕陽の熱に当てられゆっくりと溶けていく。今まで通りの彼女の笑顔が、どこか懐かしかった。
全く……、まんまと引っかかった。完璧に騙され、そしてそんな噓つきでどうしようもない彼女に、いつの間にか俺は、心から惚れてしまっていた。
だったら。
「これだけ嘘をつかれたんだ、やり返してやらないと割に合わないよな」
俺はニヤリと不適を装いながら笑みを浮かべ、御子柴の方を見る。彼女は俺に向って微笑んでくれた。大好きな彼女。もう二度と失いたくない、なんて甘い気持ちを再確認する。彼女が俺にとって唯一無二の宝物であることを確かめる。
さあ、勇気を持とう。こんなちっぽけな俺には似合わないかもしれないけれど、でもきっと彼女は喜んでくれると思うから。
俺はこの言葉を口にした。
「なぁ、御子柴。今度こそ俺が死にたくなるほど幸せにしてやるから、覚悟しろよ?」
《了》
あまのじゃく 凩 さくね @sakune
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます