114歳の美女

田村 月

第1話 絶世の美女


 

 民生委員の奥野清二は、市の依頼で高齢者生存調査を行っていた。

 清二の担当350世帯には、100歳以上の生存者が二人もいた。

 「ついてないな。100歳以上が二人もやて。そのうち、若者は絶滅するで。こんな世には、住みたくないな」

 「わしも時間の問題でそのうち仲間入りか。年は取りたくないな」

 68歳の清二は、独り言を呟きながら調査表を確認した。


 吉野武三

 生年月日

 明治××年4月8日 109歳

 住所

 京都市上京区○○通△上る□町345‐2


 目的の家は、ここからすぐ近くにある。

 清二は、重い気持ちを押し殺し歩を進めた。

 

 「ごめん下さい。民生委員の奥野です」

 「・・・」

 「ごめん下さい」

 「なんどすか」

  格子戸を開けて、中から80代の老婆が出て来た。

  女は眉間に皺を寄せ、表情はすこぶる暗かった。


 「民生委員の奥野です。今日は調査でお伺いしました」

 「調査。何の調査どすか」

 「吉野武三さんに関してお伺いしたい事がありまして」

 「父は臥せっていますので。あたしが代わりにお伺いします」

 「本人に確認がいりますもんで。少しだけでもお会いできませんやろか」

 「重病でお会い出来ませんと言うてますやろ」

 「困りましたな。本人にお会いしてお伺いするように、市からきつく言われてましてな。すんまへんな」

 「危篤の重病人に会わせろなんて。無茶苦茶やわ」

 「仕方がおません。そんなら近い内にまた出直しますわ」

 (警察ではないので、強制的に家宅捜査をする事は出来ない)

 清二はひとまず引き下がる事にした。

 (吉野さんは生存しているのだろうか。もしかして・・・)

 清二は厭な予感がしていた。

 それで、隣近所で吉野武三について、少し聞き込みをしてみた。

 近所の声は、清二の予感を裏付けるものばかりだった。


 「もう何年も前から、吉野はんのお爺はんは見掛けておりません」

 「確か20年ほど前に、お見受けしましたわ。それ以来、見ておりません」

 「吉野さん、100歳はとうに過ぎてますやろ。もう亡くなっとるのと違いますか」

 聞き込みをしていると、清二の思いを確信させる声が数多く入って来た。


 清二は自分の勘を確信した。そして、近くの交番に急ぎ足で向った。

 交番には、一人の警察官が駐在していた。

 清二は手短に経緯を警察官に話した。そして、警察官と共に先程の家へ。

 

 ドンドンドン。

 「吉野さん」

 ドンドンドン。

 「吉野さーん」

 「そないに叩かんでも今出ますよって」

 ガラガラガラ。

 あっ!

 格子戸を開けた女の顔が、驚きで引きつっている。

 先程来た民生委員の隣に、警察官が並んで立っていたからだ。

 女はわなわなと崩れ落ちた。


 「すんまへん」

 「すんまへん」

 老婆は両手で顔を押さえ、わんわんと泣き始めた。

 警察官は老婆の態度に、物事の重大さを感じ取った。

 「奥の部屋やな」

 そう言うと、警察官は奥の部屋に突進した。

 清二も急いで後に従った。

 警察官が勢い良く襖を開けた。

 「あっ!」

 警察官は毛布にくるまれている吉野武三を見て絶句した。

 清二も顔を覗かせて驚嘆した。

 布団には、一部ミイラ化した吉野武三が、無残な姿で寝かされていた。

 「勘が当たったわ。それにしても、こんな姿になってるとは。ああ恐ろしや。恐ろしや」

 清二は死体に向って思わず両手を合わせた。

 「いつからこんな状態になっているのや」

 警察官が老婆に問いただした。

 「それが・・・」

 「もう大分経っているやろ」

 「へえ・・・」

 老婆は口を開こうとはしない。

 清二が座敷机の上に載っている、古い新聞に目を遣った。

 「その新聞、日付はいつになってますやろ」 

 清二が警察官の注意を新聞に向けた。

 警察官が新聞を取って日付を見た。

 「日付は199×年になっとるな」

 「今から18年前ですな」

 清二が警察官に続いて呟いた。

 「18年も前に吉野武三さんは亡くなったのか」

 警察官が老婆に尋ねた。

 「すんまへん。父はその年に老衰で亡くなってました」

 「何で死亡届を出さなかったんや」

 「すんまへん。すんまへん・・・」

 それ以後、老婆は両手で顔を押さえ、泣くばかりであった。

 警察官は老婆に尋問するのを中断し、携帯電話で京都府警に応援を求めた。

 間も無く表が慌しくなり、警察官、続いて報道陣が大挙押し寄せて来た。

 清二は警察官の質問に答え終わると、素早くその場を立ち去った。


 その一角が見えなくなると、清二は調査表を取り出した。

 「2件目も死んでいるのと違うやろか」

 清二が調査表を見ながら小さく呟いた。

 「しかし、厭な調査やなあ」

 清二が調査表に目を通した。


 村島 とき

 生年月日

 明治××年2月29日 114歳

 住所

 京都市上京区○○通△西入□町123‐1


 「村島とき、114才か。今度は白骨になっとるかもわからんな」

 清二はぶつぶつ言いながら、重い足取りで目的の家に向った。


 高齢福祉課の星田智也は、民生委員の報告書に目を通していた。そして、奥野清二の報告書にひときわ興味を持った。

 清二の報告書は、2件の高齢者生存調査を扱ったものである。

 1件目は吉野武三に関するもの。

 これは、死体が一部ミイラ化し、マスコミでも大きく取り上げられた。

 智也が興味を持ったのは、話題になったこの件では無く、2件目だった。

 そこには、次のような事が記されていた。


 高齢者生存調査に関する報告者


 氏名

 村島とき

 生年月日

 明治××年2月29日 114歳

 住所

 京都市上京区○○通△西入□町123‐1


 調査日 平成2×年○月○日

 調査員 奥野清二


 生存確認

 存命中


 備考

 村島ときと実際にお会いし、生存を確認する事が出来ました。

 ただ、私が想像したよりも数倍もお若く、元気なので驚いた次第です。

 114歳というお年ですが、私にはどう見ても20代にしか見えませんでした。

 家族(主 村島寛道49歳 ときは、寛道の祖父の妹)にもお伺いしましたが、本人に間違いないとの事。

 念の為、一度確認をお願い致します。


 「そんなあほな」

 「114歳が20代にしか見えない。奥野さん、目まで耄碌したんと違うか」

 智也は思わず人にも聞こえそうな大声を発してしまった。

 「自分の目で確かめるしかないか」

 智也が急いで机の上を整理し始めた。

 「ちょっと外出して来ます」

 「星田、どこへ行くのや」

 課長の古田修が智也を呼び止めた。

 「あっ課長、ちょっと高齢者の生存確認に行って来ます」

 「村島ときか」

 笑みを浮かべながら古田が。

 「よくわかりましたね」

 「あの報告書に目を通したら、誰でも村島ときに興味を持つやろ」

 「そらそうですね」

 「めん玉を全開してしっかり見て来るのやで」

 「そうします」

 「詳しい報告を待っとるからな」

 「わかりました」

 智也は駆け足でその場を離れた。

 (早くこの目で確認したい)

 智也は、逸る思いを抑え市役所を後にした。


 大通りを西に入った所に村島ときの家はあった。

 古い町屋が、現代の今も軒を連ねている京都らしい家並み。

 この辺りは、その昔から着物関係の職人たちが多く暮らす町として知られている。

 智也は大きく深呼吸をすると、格子戸を叩いた。

 「今日は。市役所の者ですが」

 「今日は」

 「はい、どなたですか」

 格子戸の向こうから声がした。

 ガラガラガラ・・・。

 格子戸が開いて、中から女が出て来た。

 「市役所の星田と申します。村島ときさんはご在宅ですか」

 「ときさんは、ただ今出ておりますが」

 寛道の妻しのぶが答えた。

 (ときさん)

 智也は、その呼び方に少しわだかまりを覚えた。

 女は40代後半に見えたからである。

 (夫の祖父の妹に、ときさんと呼んでいるのか)

 ときさんと言う呼び方に引っ掛かりを感じながら、智也は言葉を続けた。

 「どこへ外出されたかご存知ないですか」

 「近くの喫茶店だと思いますが」

 「名前はわかりますか」

 「『café昔昔』です」

 「場所を教えてもらっても構いませんか」

 「そこの大通りを北に上がり、一つ目の辻を西に入ったらすぐに見つかると思います。」

 「ありがとうございます」

 智也は深々と頭を下げた。


 大通りを西に入ると、『café昔昔』はすぐに見つかった。

 「ここか」

 智也が昔ながらのたたずまいに、暫し見とれていた。

 明治時代の町屋を改装したおしゃれな喫茶店。それが、『café昔昔』だった。

 入口横から奥へ、通り庭を改装した石庭が続いている。

 智也が『café昔昔』の中に足を踏み入れた。

 鰻の寝床のような細長いスペース。そこに、4人用の木のテーブルと椅子が、所狭しと並べられている。

 店内は女性客で賑わっていた。

 智也がウエイトレスに尋ねた。

 「村島ときさんは」

 「あそこにいらっしゃいます」

 ウエイトレスは和服姿の女性の方を指差した。

 「ありがとう」

 智也がウエイトレスに礼を述べた。

 ときは奥の席に、窓を眺めながら腰を掛けていた。

 ドキンドキン・・・。

 心臓が激しくドラムを叩く。

 智也はがちがちに緊張をしていた。

 「あの、村島ときさんですか」

 窓から石庭を見ていたときが、こちらに顔を向けた。


 「あっ!」


 (若い。その上、絶世の美人。これが明治××年生まれか。

 嘘を付きやがれ。俺が必ず化けの皮を引ん剥いてやるからな)


 奥野清二の目は、決して耄碌していなかった。

 ときは、智也にはどう見ても20代後半しか見えなかった。

 ショートカットの黒髪。

 藍地に薄青の線が入った着物。その襟元から1、5センチ程見える濃い桃色の半襟が妙な色気を漂わせていた。

 智也は、暫くの間、用件も忘れ見とれていた。

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114歳の美女 田村 月 @hidetyan

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