a.02 宴会の外で

「お疲れ様」


閻魔大王様の私室の前で待機していた私に声をかけてきたのは、雑務担当のアラディアさんだ。

カタカタと音を鳴らしながら押しているカートには、五十本以上の酒瓶が所狭しと並んでいる。まだ宴会が始まって少ししか経っていない。ノワエ様といい、閻魔大王様といい、本当にお酒が好きだ。

そういえばお酒を最後に飲んだのはいつだろう。ふとそんなことを思う。


「中、入らせてもらうわね」


「どうぞ」


律儀に許可を取ってから、アラディアさんが部屋に入っていく。

いけないことと思いつつも、部屋の中をちらりと覗くと、ゲラゲラと笑う、真っ赤な顔のノワエ様が見える。その周りには、大量の酒瓶が転がっていた。

扉が閉まってから私はため息を吐く。

いつも窮屈な生活しているノワエ様にとって、閻魔大王様の私室はハメを外せる数少ない場所だ。だからとやかく言うつもりはないのだが、酒瓶を周囲に転がしておくのはみっともないからやめていただきたい。

この分厚い扉の向こうに入れるのは、客人と閻魔大王代理、あとはアラディアさんと秘書のセリオンさんだけだ。

私は客人であるノワエ様の付き人だが、この部屋に入ることは許されない。閻魔大王様は一見すると、軽薄な性格をしているように見えるが、誰よりも思慮深く、規律を重んじるお方だ。仮にノワエ様が私を入れようとしても、断固として拒否するだろう。

しかしノワエ様の身に何かあった時は、閻魔大王様を敵に回してもノワエ様を助けに行く。もっともノワエ様に助けが必要な何かあった場合、私では全く役に立たないだろうが。

しばらくするとアラディアさんが部屋から出てくる。カートには先ほどと同じだけの、空になった酒瓶が積まれていた。


「いつも申し訳ありません」


「いいのよ。ヴァルハルトも楽しんでいるから」


ニコリと笑うアラディアさん。笑顔がとても似合う。


「お手伝い致します」


「いいえ、気持ちだけ受け取っておくわ。ディースはここを見張っていて」


「かしこまりました」


「ふふっ。本当に真面目よね、ディースって」


そう言い残し、アラディアさんは来た道を戻っていく。その姿が廊下の陰に消えたところで、私は頭上に浮かぶ月を眺める。思ったよりも眩しい光りに、手をかざして陰を作る。それでも自然と目が細くなる。

忘れもしない。天界を追われた時も綺麗な月の夜だった。


(レシェナ……)


私を陥れ、追放される原因を作った天使。そして、唯一の友達だった天使。

彼女が最後に放った言葉は、今でも脳裏に焼き付いている。彼女は今、私が座るはずだった席に座っているだろう。

裏切られた恨みもあるけれども、今でも「なぜ」という気持ちの方が強い。もし、その「なぜ」が解決するのなら、もう一度、昔のように仲良くしたい。

でも彼女はそう思っていない。彼女に取って私は、証拠を握っている厄介者に過ぎない。今の彼女の地位なら、私を捕まえて処刑することだって可能だろう。だからまともな話し合いなんて出来るはずがない。

私は変わってしまった親友を見たくないから、今でも天界に行くことが出来ない。ノワエ様に仕えると誓ったはずなのに、過去を引きずり、責務を果たせていない。


「ディース」


「あ……はい」


夜風に乗って私を呼ぶ声が聞こえる。

いつの間にかアラディアさんが目の前にいた。手には大量の枝豆が入った一斗缶が握られている。


「これを二人に渡したら、少しお話しできるかしら?」


「はい」


「よかったわ。じゃあ渡してくるから、ちょっと待っててね」


そう言って分厚い扉の向こうに消えていくアラディアさん。今度は覗き見るようなことはしなかった。

あの一斗缶の枝豆はノワエ様が注文したのだろう。本当に遠慮というものを知らない。いや、知らないふりをしていると言った方が正しいか。

アラディアさんは中で何か話していたのか、少し経ってから出てきた。


「地べたでいいかしら?」


「もちろんです」


昔から椅子に座るよりも、地べたに座っている方が好きだった。

ノワエ様の従者としてあの館に勤め始めた時は、それでよくアスデモウス様に怒られた。「ノワエちゃんが真似したらどうするの」と。

それ以降、意識して椅子に座るようにしていたけれども、結局ノワエ様は私と同じく地べたが好きな女の子になってしまった。あの環境では必然だったかもしれない。


「私、あまり世間話が得意な方じゃないから、早速本題に入らせてもらうわ」


そう言って髪を掻き上げるアラディアさん。透き通る水色の瞳が私を捉える。


「次期大魔王の話よ」


やはりその話か。そう思う。


「あなたも気が付いているとは思うけれども、次期大魔王はサタン様では務まらないわ」


サタン様とは憤怒を司るアザゼル様の通称名だ。怒りっぽく、魔界の統一に最も執着している、大魔王様が溺愛している魔王だ。


「ヴァルハルトは五百年ほど前から天界に行くことが多くなっているわ。次期大魔王の話をしていると思うの。ディース、単刀直入に聞くけれども、次期大魔王は誰になるのかしら?」


「……私にもわかりません。今のままではサタン様かと」


「ヴァルハルトは今日、無理やり日を空けて宴会に臨んでいる。そういうことではないの?」


アラディアさんは、ノワエ様が魔国最強だということを知らない。強いことには感付いていると思うが、その絶対的な強さを見たことも聞いたこともないだろう。

アスデモウス様は、ノワエ様にありとあらゆることを叩き込んだ。そしてノワエ様は、それを全て受け止められるだけの才能があった。

力量は当然ながら、器量も、知識量も、大魔王として十分に足りるレベルだ。いや、有り余るレベルと言った方が良い。ノワエ様は大魔王になるべくして生まれてきた魔王族だ。


「それは、ないと思います」


ノワエ様以外に、魔界を統べられる魔族はいない。

それはわかっているけれども、私はノワエ様に大魔王になってほしくない。

だから自然と嘘を吐いた。


「それは力量が足りないってこと?」


「それもありますが、ノワエ様は自由気ままですし、他人のことを気遣えるような器量を持つ魔族ではありません」


「そうかしら。私には、真逆に見えるけれども」


そう言って私の心を覗こうとするアラディアさん。やはり食えない魔族だ。


「……閻魔大王様こそ、どうせ誰でも変わらないのなら、仲の良いノワエ様を推薦しようとしているのではありませんか?」


「もしそうだとしたら?」


「私は全力で止めます。ノワエ様が討たれてしまうと、私の存在意義がなくなりますから……」


この言葉に偽りはない。


「……ヴァルハルトも無理強いはしないと思うけど、もしノワエさんが、それを受けたらどうするの?」


「ノワエ様が納得して受けるというのなら、我が命に代えても、ノワエ様をお守りするだけです。ですが、もし強制するようなことがあれば……」


私はアラディアさんの睨む。

アラディアさんは龍人族だが、戦闘能力は中級魔族程度だ。本気で戦えば相手にならない。

でもアラディアさんは、私の顔を見て怖がるどころか、笑顔を返してくる。


「いい顔ね。それでこそ、ノワエさんの従者よ」


そう言っておもむろに立ち上がるアラディアさん。


「もう戻るわ。代理様がお呼びだから」


「今日は閻魔大王様専属ではないのですか?」


「そのつもりだったけど、先週、雑用係の子が一人辞めちゃったから。今日も商売繁盛よ」


やれやれと肩をすくめるアラディアさん。

雑務担当は給料も安く、汚い仕事も多いと聞く。

そんな仕事を、閻魔大王様のためにずっと続けているアラディアさん。同じ従者として、その気持ちは痛いほどわかる。


「ディース」


アラディアさんがこちらに顔を向ける。その顔はどこか不安そうだった。


「私たち、ずっと仲良く出来るわよね」


その言葉に、楽しかった頃の天界の記憶と、裏切られて絶望に叩き落とされた時の記憶、そして今の目に映る光景が入り乱れる。


「……そう、ありたいですね」


今は仲の良いノワエ様と閻魔大王様。しかし二人は立場が違う。ならば、衝突することがあるかもしれない。


「失礼な質問だったわね。ごめんなさい。じゃあ、後をよろしくね」


「はい」


そう言ってアラディアさんは、来た道を戻って行く。

みるみる小さくなっていく彼女の背中を私と重ねてみる。


(天界、か……)


私も来た道を戻ることが出来るのだろうか。

ノワエ様に忠誠を尽くすと誓ったはずの心は、まだ揺らいでいる。

ふと夜空を仰ぎ見ると、金色に輝く月は、雲で半分ほど隠れていた。

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魔王系少女 ぷりっつまん。 @pretzman

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