フィールド飯
農作物などの調査を終えて魔王城へと帰る途中、真一達は通りがかった村の空気がおかしい事に気づいた。
「もう日が昇っているのに誰も畑に出ていないし、妙に静かだな……何かあったか?」
「あれではないでしょうか」
セレスが指さした方を見ると、畑を掘り起こしてジャガイモか何かを食い荒らしている獣の姿があった。
「あれは鹿か――えっ、鹿っ!?」
真一は驚愕のあまり、思わず二度見してしまった。
獣は茶色い毛皮に四足の足、頭から生えた立派な角と、特徴は鹿のそれである。
だがその大きさが尋常ではない。距離があるため正確には分からないが、体高三m、体長五mはあるだろうか。
そして、角がドリルのように禍々しく捻れている。
「オオヘラジカだってあんなにデカくねえぞ……」
真一は唖然としつつも理解する。あれは鹿が魔物化――大量の魔力を浴びて変質した化物だと。
「ケエェェェ―――ッ!」
魔鹿は急に甲高い雄叫びを上げたかと思うと、ギロリと赤く血走った眼で真一達の方を睨み、地響きを立てて走ってきた。
「うおっ、好戦的すぎるだろ!」
一般人に毛が生えた程度の真一では、抗いようもなく挽肉にされる巨体の突進。だが――
「闇の腕に身を捧げよ、『
セレスの魔法によって生み出された黒い球体が、魔鹿の頭を包み一瞬で押し潰す。
頭を失った巨体はそのまま数歩走った後、轟音を立てて地面に倒れ込んだ。
「またえげつない真似を……」
「長く苦しまない優しい魔法だと思いますが?」
平然と言い返してくるセレスに、真一は苦笑しか浮かばない。
そんな彼らの元に、家の中に隠れていた村人達が恐る恐る近づいてくる。
「あんたら、あの魔物を倒したのか……?」
「見ての通り、こちらのメイドさんは凄腕の魔法使いなんでね」
真一がそう告げると、村人達は僅かに戸惑った後、揃って歓喜の声を上げた。
「いやー、助かっただ。いきなりあんな化物が現れて、このままオラ達まで食われるのかと気が気でなかったべ」
「これも女神エレゾニア様のお導きだ!」
村人達に揃って拝まれて、セレスはむしろ嫌そうに眉をひそめる。
「私をあんな性悪共と――」
「ところで、この辺ではあんな魔物がよく出るのかい?」
セレスの発言を遮るように真一が告げると、村人達は揃って首を横に振った。
「いんや、あんなの生まれて初めて見ただ」
「この前、魔族が出たっていうドーグ渓谷の方で凄い光と音がして、それで驚いて山から出てきたんでねえかな」
「…………」
元凶の顔が脳裏を過ぎり、真一とセレスは思わず顔を見合わせる。
(いったい何があったんだ?)
(こちらに『念話』で連絡が来ていないという事は、そこまで大事ではないと思うのですが……)
まさかリノに屁をこいたイタチを殲滅していたとは、流石の真一も想像がつかなかった。
「と、とにかく皆さんが無事でよかったよ」
真一はそう言いながら、頭を失った魔鹿の死体に歩み寄る。
「しかし、魔物といっても大きいだけで鹿だよな……よし、食ってみるか」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
唐突な提案に、村人達が揃って驚愕の声を上げた。
「こんな化物を食うとか、正気だべかっ!?」
「お兄ちゃん、魔物になっちゃうよっ!?」
「そうなの?」
「私に聞かれても困ります」
魔界では普通に魔物を食べていたセレスだが、人間が魔物を食べたらどうなるかなど知るはずもない。
「魔物だろうが何だろうが、死ねばただのタンパク質だから、大丈夫だと思うけどな」
真一はそう気楽に呟くとセレスに頼み、魔鹿の死体に『
「さて、血抜きの必要はなさそうだな。セレスさん、鹿の解体法とか知ってる?」
「輪切りにして焼けばよいのでは?」
「すみません、鹿の解体をした事がある人はいますか?」
料理後進国の魔族メイドには見切りをつけ、真一は村人に呼びかけた。
命の恩人の願いは断れないと、前に出てきた男性に教えられつつ、真一は頭を失った魔鹿の首にナイフを当てて、腹から肛門の方へと切ろうとするが――
「むっ、固いな」
鉄の刃を拒むほど、魔鹿の筋肉は恐ろしく固かった。
「これだけ固いと食えるか心配だな……」
「ではやめますか?」
「いや、試すだけ試してみよう」
「それでは、『
セレスのかけた魔法によって、ナイフが眩く輝いて切れ味を増す。
その刃を魔鹿に当てると、今度は驚くほど簡単に肉が切り裂けた。
「ありがとう、セレスさん。お礼に一番美味しい所をあげよう」
「期待せずお待ちしております」
魔界ではなく人界とはいえ、所詮は固くて不味い魔物の肉である。
諦め顔で待つセレスの前で、真一は村人に教わりながら解体を続けていった。
「これだけデカいと全部バラすのは面倒だな。一番美味しい所だけ教えて貰えますか?」
「なら柔らかいヒレ肉だべ。腰骨の内側をこう――」
魔鹿が大きすぎたおかげで、素人の真一でも美味しい部分を潰さずに、上手くヒレ肉を取り出す事に成功する。
しかし、最も柔らかいと言われたヒレ肉でさえ、指で突いても凹まないほど固く、ついでに獣特有の臭さが漂っていた。
「これは駄目でしょうかね?」
「……いや、まだ手は残っている」
諦めるセレスを制して、真一は村人達に呼びかけた。
「すみません、牛乳とタマネギがあったら譲って貰えませんか。ついでに台所も貸して貰えると助かるんだが」
「ウチでよかったらどうぞ」
農耕用に牛を飼っていた男性が手を上げ、真一達を家に招いた。
そして、小さな桶に溜めた牛乳とタマネギを二個持ってくる。
真一は律儀に銀貨を払ってそれを買い取ると、牛乳の中に魔鹿のヒレ肉を沈めた。
「このまま一時間ほど放置だ。その間に残りは埋めようか」
「不味そうですからね」
「突き詰めれば、不味い所を捨てて美味い所だけを食う、それが美食だからな」
実に罪深い――と無駄に格好つけつつ、真一は村人達と共に穴を掘って魔鹿を埋めた。
そうして一時間が経過し、村人達が荒らされた畑の確認をしに行くなか、真一は牛乳漬けにしていたヒレ肉を取り出した。
「うん、臭いは取れたし少し柔らかくなっている」
とはいえ、まだ簡単に噛みきれるほどではない。
そこで真一はタマネギを取り出してみじん切りにする。
「肉を筋切りしてタマネギを擦り込んで……」
漫画で読んだ調理法を『
「コショウは……あるわけないな。仕方がないから塩だけ振ってと」
味付けの終わったヒレ肉を熱したフライパンに乗せ、じっくりと焼き上げる。
「よし、『鹿ヒレ肉のシャリアピン・ステーキ』完成だ!」
できあがったステーキを皿に盛り、テーブルについて待ちわびていたセレスの前に差し出した。
「これがあの魔物肉ですか?」
臭みが抜けて焼けたタマネギの芳ばしい香りが鼻孔をくすぐり、ナイフを軽く当てただけで切れるほど柔らかくなった鹿肉に、セレスは驚きながらも口に運ぶ。
そしてゆっくりと噛みしめ――
「食べ物にはなっていますね」
決して良くはない感想を告げた。
「まぁ、こんなものか」
真一も自分の分を食べてみるが、調理のお陰で香りは良いし簡単に噛み切れて食べやすい。
だが、肉の旨味その物が足りないので、間違っても美味しいとは言えなかった。
「魔界の
これなら牛乳とタマネギをそのまま使って、野菜シチューでも作った方が美味しかったであろう。
「元は普通の動物なはずなのに、どうしてここまで不味くなるのか……筋肉質なせいか?」
基本的に肉が柔らかくて甘いのは脂肪の部分である。
高級肉の代名詞である霜降り肉が、赤い筋肉の間に白い脂肪の「サシ」が入った物
である事からも、脂身の大切さがよく分かる。
「解体してみて分かったが、魔物って脂肪のない赤身ばっかりだったからな」
元々、野生動物はエサが潤沢ではないため脂肪が少なめだが、それにしても魔物の肉は筋肉の比率が多すぎた。
「魔力を浴びて変質するというが、そこで筋肉の増加が起きているのか?」
もしかすると、真一が行った魔法による急速筋肉トレーニングのような現象が、魔物と化すさいに起こっているのかもしれない。
「それにしたって不味すぎるよな。魔力には味を低下させる効果でもあるのか? そもそも魔力とはどんな物質で、生物にどんな影響を与えるのか……う~む、分からん」
「独り言が終わったのでしたら、そろそろお暇致しませんか」
真一が考え込んでいる間に、食器や台所の片付けを終えたセレスが帰宅を促す。
見れば畑の確認を終えた家主の男性が、玄関から心配そうに様子を窺っていた。
「こいつは失礼。それじゃあ俺達は帰りますんで」
「いえいえ、魔物を退治してくれて本当に助かりました」
遠慮する男性に再び銀貨を握らせながら、真一達は村を後にした。
「とりあえず、魔物はやめて普通に豚でも飼育しようか」
「
セレスと他愛もない会話をしながら、真一は魔王城への帰路を進む。
帰り着いた先で大量のイタチ肉と、涙目のリノが待っているとは知らずに……。
女神の勇者を倒すゲスな方法 「おお勇者よ! 死なないとは鬱陶しい」 ファミ通文庫 @famitsu
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