【1月刊試し読み】武神×刀神

角川ルビー文庫

第1話

 青い光を放つような、白銀の刀身は美しい。

 見ているだけで胸の奥が苦しくなって、愛しいような懐かしいような……上手く言葉にできない想いが込み上げる。

 山裾に位置する自宅敷地の外れにある、鍛冶場を兼ね備えた工房には、国内外からたくさんの人が訪ねてくる。

 高名な刀匠だという父親が、刃を鍛えたり研磨したりする姿は、どこか神々しく……近寄りがたくて。

 幼い頃の弥刀は、いつも鍛冶場の外から大きな背中と飛び散る火花を眺めていた。

 父親が仕事をしている鍛冶場は、自分が立ち入ってはいけない空間だ。

 火や刃物を扱うから危険だと、毎日のように言い含められていたことだけが理由ではない。 父親と、後継者である兄の聖域なのだと、幼いながら感じ取っていたのかもしれない。

 そこに立ち入る資格が、弥刀にはないと……誰に言われるでもなく、足を踏み入れないようにしていた。

「こら」

「っ!」

 鍛冶場の建物の脇で膝を抱えて座り込んでいた弥刀は、ポンと頭の上に手を置かれてビクッと身体を震わせる。

 見つかった。怒られる!

 そう覚悟して、これまで以上に身を縮めたけれど……、

「こんなところにいたのか、弥刀。捜したぞ」

「あ……兄ちゃん」

 頭上から落ちてきたのが兄の声だとわかると、ホッと肩の力を抜いてゆっくり顔を上げた。

 兄の刀磨は、弥刀の五つ上だ。目が合い、無言で手を伸ばしてきて……グッと弥刀の頬を拭った。

 涙の跡を、見られてしまったのだろうか。隠れて泣いていたのに……。

 顔をうつむけて兄の視線から逃れると、クシャクシャと髪を撫で回された。

「ご、ごめんなさい。伯母さんも……お父さんも、怒ってる……よね」

 目に焼きついているのは、自分を見下ろす伯母の目。

 ものすごく怖いモノを見るような目つきで睨みながら、「バケモノ」と吐き捨てるようにつぶやいた。

 すぐに逃げ出した弥刀は、あの後どうなったのかわからない。でも伯母は、間違いなく父親に話したはずだ。

 弥刀に睨みつけられたら、指先が切れた……と。

 自分が『普通じゃない』と気がついたのは、ほんの少し前だ。

 道の端で狸の赤ちゃんをいじめているカラスに怒り、「やめてよ!」と睨みつけながら叫んだら、カラスの羽が切れて血が流れた。

 舞い上がる黒い羽を見詰めて呆然とする弥刀の手を、一緒にいた兄が強く握り……引きずられるようにして、家に帰った。

 六歳になったばかりの弥刀でも、自分のせいでカラスが傷ついたことはわかった。

 呆然としていた頭が現実に立ち戻り、「ごめんなさい」と泣きじゃくるばかりの弥刀に代わって、四歳上の兄が父に『目の前で起きたこと』を語り……弥刀は、途中で泣き疲れて眠ってしまった。

 目が覚めた弥刀に、両親と兄は静かに言い聞かせたのだ。

 弥刀には、刀に神様が宿るお手伝いをしていたご先祖の力が、少しだけ変わった形で現れているのかもしれない……と。

 難しい話はよくわからないけれど、薄々悟ることはできた。

 つまり、カラスが血を流したのは、自分が怒って睨みつけたせいなのだ。

 それは、キレイな刀を作る父親の……おじいさんのおじいさんの、そのずっと前のおじいさんから続いてきたという『お家のお仕事』に関係があるらしい、と。

「伯母さんに、またなにか言われたか?」

 正面にしゃがみ込みながらそう尋ねられて、唇を噛んだ。

 弥刀がこうして隠れている理由を、伯母か父親か母親か……誰かから聞いたのだろう。

 ただ怒るのではなく、理由を尋ねようとしてくれる兄にホッとして、噛み締めていた唇を開いた。

「あの……」

 弥刀が、伯母……父の姉を苦手としていることも、その理由も、兄は知っているのだ。だから、無闇に弥刀が反発したわけではないとわかってくれる。

「……おばさんに、また、変よねって言われた。草薙家のチョッケイには、男は一人しか生まれないはずなのに……って。兄ちゃんがいるんだから、本当は、ぼくは女の子でなければおかしいって」

 弥刀には、難しい言葉はよくわからない。

 でも、自分が本当なら生まれなかったはずの子だということは、何度も言われるせいで薄っすら理解するようになった。

「それに、時々、刃物みたいに冷たい目をする……気持ち悪いって言われて、我慢してたけど睨んじゃった……ら」

 弥刀の目前に突きつけられていた伯母の指先が、ほんの少しだけれど切れて、赤い線が走ったのがわかった。

 悲鳴を上げた伯母の前から逃げ出して、自分が睨んだせいで血を滲ませてしまったこと……やはり生まれてきてはいけなかったのかと、膝を抱えて泣いていたのだ。

 ポツポツ口にした言葉を聞いた兄は、険しい顔で「伯母さんのバカ」と、弥刀が言えなかった言葉を吐き捨てる。

「気にしなくていい。伯母さんの指は、ほんのちょっぴり切れただけだ。もう血も出ていない。父さんにいろいろ言ってたけど、弥刀だけが悪いなんて父さんも母さんも思ってないよ。それに……草薙に男が一人しか生まれなかったのは、これまでが、たまたまそうだっただけだ。直系に生まれる男は一人だけなんて、偶然だ。弥刀は、おかしくなんかない」

 幼い弥刀は、ただ父親は刀を作る偉い人らしいという認識で、そのアトトリは兄なのだと漠然と捉えていた。草薙家は千年余り続く刀匠……鍛冶師の家系なのだと、詳しいことは知らなかった。

「本当? ぼくは、生まれなかったらよかった子じゃない?」

 草薙の刀匠としての技術や特別な力が、長男のみに引き継がれるものであり、本来直系の男は一人しか出生しないということは、父親の姉……伯母の口から聞かされて知ったのだ。

 大昔から、草薙の直系長男は、刀に魂……神様を宿らせることができるなどと、まるで夢物語だ。

 神々の恩恵を授かり、刀を通して人の心髄を覗くことができる『特別な目』を持つと聞かされても、『本来生まれなかったはずの草薙の次男』として異端な存在である弥刀には、理解できない。

「当たり前だろ。弥刀が生まれたことにも、絶対になにか意味がある。どこかに誰か、弥刀を必要としてくれる人がいて、逢えるのを待ってるんだ」

「……うん」

 意味がある。

 自分を必要としてくれる人がいる。

 それは、『生まれなかったはずの子』と何度も聞かされてきた弥刀にとって、救いにも似た言葉だった。

 逢えるのを待っている?

 誰にも言ったことはないけれど、自分を待つ人に、心当たりがないわけではなかった。

 時々、夢に出てくる人かもしれない。

 夢の中では、弥刀は何故か『刀』で……折れた弥刀に向かって、『すまない』と悲しそうな顔で謝る……格好いい男の人。

 顔にも、手にも血がついているのに、弥刀はその人を怖いと思わない。触れてくる手から、優しい感情が伝わってくるから。

 その手が傷つくのにも構わず『刀』の弥刀を握り締めて、こう続けるのだ。

『必ず、おまえを捜し出す。だから、なんとしてでも人と成れ。来世でも、その来世でも……輪廻を司る神の気まぐれを待とう。いつか人として生まれたおまえを、迎えに行く』

 刀身を伝う彼の血は、熱く……誓いを刻みつけるかのように、握る指に力を込める。

 所々難しい言葉の意味は、全部きちんとわからない。それでも、『待っている』と『迎えに行く』というところは、弥刀にも理解できた。

 両親にも、兄にも話したことのない不思議な夢だ。

 何度も見るものだから、朝になって目が覚めた時に自分が『刀』ではなく人間であることを確認して、変な気分になることがある。

 草薙家に生まれなかったはずの、二番目の男子である弥刀を必要としてくれているのが、あの人ならいい。

 どこにいるのか、いつ逢えるのかもわからない必要としてくれる人のために、生まれてきたのなら。

 巡り逢うことができたら、あの人のために生きよう。

「おやつを食べようって、呼びに来たんだった。伯母さんの持ってきたシュークリームは、嫌か?」

「えっと、おばさんは好きじゃないけど……シュークリームは好き」

 ポツポツと答えた弥刀に、兄は、

「じゃあ伯母さんの分まで、全部食べちゃおう」

 と笑って右手を握り、立ち上がるよう強く引っ張る。

 引き上げられた弥刀は、兄に続いてその場を離れようとして……鍛冶場の床、コンクリートに置かれている、刃物になる前の鉄の塊を振り向いた。

 父親のアトトリは、兄だ。

 では、自分はどうしよう……?

 心の中で問いかけても、答えなどあるわけがなくて……鍛冶場から目を逸らすと、兄の背中を小走りで追いかけた。




《一》



「あっ、草薙! ちょうどいい所で逢った」

 学生食堂を一歩出たところで、すれ違いざまに呼び止められて立ち止まった。

 知らない顔ではない。

 確か……一般教養の教室で週に二、三回顔を合わせる、同じ学科の男だ。何度か話したこともある。

 ただし、名前は……親しげに話しかけてくる彼には申し訳ないけれど、思い出せない。

「金曜の夜、飲み会があるんだけど参加しないか? 男は会費四千円」

「あー……悪い、金曜は無理だ」

 考えるそぶりも見せずに「無理」と即答したのだが、彼は気分を害した様子もなく、「なーんだ」と眉を下げる。

「残念。ウチのサークルの先輩がさ、草薙を連れて来いって言ってたから……今度は参加しろよ。おまえと並んでも見劣りしない、すげー美人だぞ」

「……女の子に見劣りとか言うなよ。聞かれたら袋叩きだ。酷い目に遭う」

 口は災いの元だぞ、と渋い顔をして見せる。

 弥刀が、極端なフェミニストだから……というわけではない。

 女という生き物を敵に回したら、とてつもなく厄介だと身を以って知っているので、これは彼に対する注意喚起だ。

 ストレートに助言したつもりなのだが、弥刀の気遣いは微塵も伝わっていないらしい。

「だってさぁ、実際にそこらの女子と比較したらおまえのほうが美人だし。クールな目元が、眼鏡で隠し切れていない……とかって、女は目敏いよなぁ。男の顔なんてマジマジと見ない俺にはよくわかんなかったけど……言われてみれば、確かにおまえキレーな顔してるわ」

 笑ってそう言いながら背中を屈めて、顔を覗き込まれる。

 弥刀は、眉を顰めて目元の眼鏡を指先で押し上げるふりをしながら、半歩後ろに足を引いて距離を取った。

「キレーとか言うなよ。不気味だ」

「えー、マジでキレーな顔だって。この前、鈴川さんと二人で木津先生に雑用言いつけられただろ。草薙と並んで構内を歩くの、罰ゲームみたいだって話してたのを聞いたぞ。みーんな草薙をガン見して、オマケって感じで憐れむ目で自分を見るってさ。だから草薙と並ぶの嫌なのよね、ってオマエがブスなだけじゃんなー」

 あはは、と笑いながらの言葉は、弥刀本人に聞かせる必要のないやり取りだ。しかも、最後に辛辣な付録つき。

 彼は面白がっているようだが、弥刀にしてみればそんなふうに恨み言を言われても理不尽なことこの上ない。

「なんだよ、罰ゲームって。だいたい、この見てくれのせいで変に引かれてなかなか彼女ができないし、できても長続きしないんだ」

「はは……女って怖いよなぁ。少し離れたところからだと、キレーな顔とかキャッキャッ言ってても、自分が比較対象にされた途端『敵』だもんな。俺がおまえだったら、そのツラを活かして遊びまくるか……逆に、女嫌いになりそう」

 女という生物は、幼少時から容赦がない。

 幼稚園では、劇の王子様役に決まった園で一番人気の男の子が、「一番かわいいから」と、お姫様役は弥刀がいいと名指ししてきた。そのせいで女の子たちからの反感を買った弥刀は、露骨に睨まれ、卒園まで肩身の狭い思いをしたのだ。

 中学や高校では、本人の耳に届くことを考えないのか、「草薙はキレーだけど、観賞用よね。男って感じじゃないし」「あー、ねぇ。女友達感覚」と、仲良しグループの仲間内で女子たちが笑い合っていたのを知っている。

 つき合ってほしいと請われるまま何人かと交際したこともあるけれど、最後は必ずと言っていいほど「草食過ぎてつまんない」とか「不釣り合いって目で見られるの、もう無理」と別れを告げられ……このままでは、冗談抜きで女性不信になりそうだ。

「適度な距離を保って、敵に回さなければ平和だからどうってことないけどね。ってわけで、おれと個人的に友好関係を結びたがっている女がいる飲み会は、今後もパス」

「あー……了解。テキトーに言っておく」

 仕方なさそうなため息をついた彼に「よろしく」と手を振り、午後の講義が行われる教室を目指した。

 少しだけ下がった眼鏡を、指先で押し上げる。本当は視力矯正の必要がないので、これは伊達眼鏡というやつだ。

 悪あがきかと思いながら、少しでも目元を隠したくて装着しているのだが、女には見透かされてしまう。

 傲慢だと思われるかもしれないけれど、本当に苦手なのだ。女という生物も、自分の……この顔も。

「……ジイサン似だって言っても、信じてくれないし」

 細身の長身で、歌舞伎で言う女形の役者のようだという賛美を集めていたという祖父は、弥刀が生まれる前に亡くなっているので写真でしか知らない。が、確かに祖父の若い頃の容姿は自分によく似ていた。

「親父がバアサン似で、兄貴が母さん似……って、顔の系統がバラバラだもんな。親子関係を疑われても仕方ないレベルか」

 子供の頃、兄と一緒に父親に連れられて出かけると、見知らぬ人にまで「えっ、お父さん……兄弟?」などと無遠慮に驚かれたものだ。

 伯母には、

「草薙家の直系男子は、一人きりのはずだけど……どうして第二子も男児なのかしらね」

 と、嫌味っぽく遠回しに、母親の不義の子ではないかという下世話な疑念をぶつけられたこともある。

 幸いにも、成長した弥刀の外見が父方の祖父と瓜二つなことで、今では疑う要素がなくなったようだが……。

 よくよく考えれば、自分を取り巻く災難は『女』絡みが多い。このままでは、下手したら一生彼女などできそうにない。

 特別に彼女が欲しいと思うこともないので、構わないと言えば構わないのだが……親切ぶった周りから、宛がおうとされるのは迷惑だ。

「小さな親切、大きなお世話って言葉をカードに書いて、首から下げて歩きたいな。おれが、あの人みたいだったら……いろいろ違ったんだろうなぁ」

 ふっとため息をつき、子供の頃から繰り返し夢に出てくる、強靭な肉体の雄々しい人を思い浮かべる。

 大仰な兜や鎧は不要とばかりに、胸元や腹などの急所のみを覆う簡素な防具を身に纏い、勇ましく何本もの太刀を振るう。

 知識などないはずの子供の頃から、繰り返し夢に出てきて……無意識下のものなのか、成長につれて映画や本で得た知識を元に夢に投影しているのか、空想と現実が混ざり合ってわからなくなってきた。

 気になって調べてみたこともあるが、戦国時代の衣装などではなさそうで、どこからあのような男をイメージしたのか自分でも謎だ。

「顔は、よくわかんないんだけどなぁ」

 夢の中では確かに目にしているはずなのに、覚醒と同時にぼやけてしまうのだ。

 首から下は、しっかり記憶に焼き付いているのに……。

 長身と、実戦で鍛え上げられたであろう見事なまでに頑健な肢体は、雄々しく、勇ましく……美しい。

 戦うためだけに存在する、猛々しい武神のような男だと思う。

 弥刀がどんなにトレーニングを積んだとしても、ああはなれないだろう。無意識下の理想を描いた、願望なのかもしれない。

「自分が、刀で……持ち主の男とラブラブ? しかも、人間に転生して巡り逢うよう約束する……なんて、頭がアブねー人みたいだもんな」

 誰にも言ったことのない夢の人物を、ため息で記憶の奥に仕舞い込み……小走りで駅に向かった。

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