第5話

 行ってみると案の定、彼女と僕の移った写真が貼られたコルクボードの前にくまは置いてあった。一回り、作った時の記憶よりも小さくなったように見えるそのくまは、草臥れたように見えた。それでも未だ、やはりくまとしての威厳があるのか、僕を噛みつくような目で見てくる。その目が「私を作った人はどこにいる?」と僕を攻めるように感じられてどうにも後ろめたさを感じた。


「別れを告げたのは、彼女の方からなんだよ。」


 少しやけくそになりながら、僕はくまに言う。紙のくまだと分かっていてもひるんでしまって小さな本棚の前に正座した。くまは僕の問いに答えずに依然として僕をにらみつける。どうして僕が攻められるんだろう、振られた方なのに。くまを視界から外す様にコルクボードの写真を見ると並んで写る僕らが見えて目を背けた。「どうして別れた」と下から声が聞こえた気がした。もう一度くまを見ると問いかけるように僕を見ていた。


「どうしてって、それは…」


 僕はくまの目を真っすぐに見れずに目線をさらに落として小さくぼやいた。自分の口から出た言葉なのに耳に届いた声があまりにもか細くて情けなくなった。どうしてって言われても困った。別れた理由を持っているのは別れを告げた方だけだと思っていた。だけど、よくよく考えればそうじゃない。付き合うことも別れることも二人いなければできない事だった。僕と彼女で選んだことだった。


 どうして僕は彼女と別れたんだろう。折り紙が得意な彼女が、綺麗な細い指で、爪をいつも短く整えた僕の大好きな指で、繊細な紙を折っていく姿が好きだった。僕はいつもコーヒーを飲みながらそれを夢中に眺めていた。くまだけじゃなく、たくさんの紙の動物に命を吹き込んできた彼女が僕に、「きれいに折れなくなった」と言った。それは、つまり、僕との関係が。それは僕にとって絶対的な否定だったし、相当なショックを伴った。けれど、それが彼女と別れる理由なのか、と言われれば僕は首を縦に振ることは出来ない。


 彼女と別れるだけの理由を僕はもたなかった。彼女は、僕と別れる理由を持っていたけれど、それは僕が分かった、と受け入れて初めて成立した。その分かった、という言葉一つに僕の意思は何もなかった。


 きれいに折れなくなった、と言った彼女に僕は全く、誠実ではなかった。


 すっと、くまに手を伸ばす。僕はくまを掌の上にそっと乗せるとじっと目を合わせる。けれどもう、くまは僕をにらみつけてはいなかったし、それどころか目線を合わせることもなかった。勿論、噛みつくこともなかった。既にただの折り紙になってしまったくまを僕はもう一度、本棚の上に置いて、ありがとう、と呟いた。


 振り返って、木の机を見る。机の上のコーヒーからはもう湯気は立っていない。きっと冷めきってしまったから、もう一度淹れなおそう。今度はあのお揃いのマグカップで。僕はスマホをポケットから取り出して彼女へメールを打った。



『もう一度、今度は僕と一緒に折りませんか。』



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折り紙 浅治 ユウ @____um_04

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