第35話 彼女と同居
「今日は本当に疲れた」
和人は、心の底からそうつぶやいた。
出勤するときに着ていたスーツの上着は、女生徒の体液に塗れたので、クリーニングに出してきた。
学院からは一応寮としてあてがわれているマンションは、教師ファミリーの住まいを想定してか、結構広い。
そのため、和人一人では持て余すくらいだった
リビングにノートパソコンを持ちこんでソファに座ると、とりあえずため息を吐く。
ため息とともに、疲労が身体中から滲み出てくる。
もちろん、今日が大変な勝負の日であることは朝から分かっていた。
朝の段階では、いまだ会ったこともない学院のボスである璃々院沙也、そしてそのバックである璃々院専務理事と戦う予定だったのだ。
だが、専務理事は知り合いで、彼に好意的だった。
更にそのボスである璃々院沙也は、彼を女性不信にした張本人だった。
八年ぶりに見た沙也は、和人が思っていた以上に美しく成長を遂げていた。
だが、和人が世界を相手に流体の真理追究を競っている間に、こんな学院でボスを気取る程度の小物に成り下がっていた。
今の彼女なら、専務理事の助けがなくても、いや、専務理事が敵のままでも征することが出来ただろう。
そう思うことで、和人の中にあった女性不信の大半は解消されたと言ってもいい。
その時には気づいていなかったが、あの沙也を見てから、こんな可愛くて視野の狭い女の子は自分が保護してやらないと、などと思うようになった。
そんな視点になったら、視界も一気に変わった。
今なら理深にした告白も、噛むどころか更に惚れさせる一言も言えるだろう。
葉奈の必死のしがみつき勧誘も、可愛いから引き受けようか、と、本当の『
いや、本気で口説かれたら、葉奈の方が落ちていただろう。
とにかく、和人の態度は今日一日で変わった。
これなら、和人がこの学院に来た本来の目的である、生徒たちの意識向上がもっと有機的に可能かも知れない。
そうなればもう少し収入も上がるかもしれない。
「あー、今日は十万か……この株、いきなり下がってんな。何があった?」
帰って来て最初にするのは、今朝自動取引に仕込んでおいたオンライン株取引の結果の確認だ。
給料が少ない以上、こうして自分で稼ぐしかない。
「そろそろ
和人は更にパソコンを操作し、いくつものウィンドウを立ちあげ、情報を収集する。
いつもこれを一時間程度してから夕食にするのだ。
ピンポーン
インターホンが鳴る。
「? 誰だ?」
学校の事務室とは違い、この自宅はこれまで誰かが来たことはない。
一応は自宅であり、プライベートルームだから、生徒はもちろん葉奈にしても彼のプライベートには立ち入って来ないからだ。
ああ見えてお嬢様だから、殿方の一人住まいの部屋に訪れることはないのだ。
「はい、今開けます」
どうせ届け物だろう。
和人は誰かを確かめることもせず、ドアを開ける。
「? 理深と……沙也ちゃん?」
そこには、夜恋理深と璃々院沙也が、大きな荷物とともに立って笑っていた。
私服がそれぞれの性格を表していて可愛い、などと思った。
だが、この時間に大きな荷物を持って自宅に来る。
そこには嫌な予感しかなかった。
「先生こんばんは。あのね、沙也ちゃんが、璃々院家を勘当されてしまったんです。だから、今日は先生のところにお世話になろうかなって、ね?」
「はい、よろしくお願いいたしますわ」
満面の笑みを見せる沙也。
理深はともかく、沙也は断られることなど一切考えてもいない様子だった。
「いや、じゃあ理深はどうしているんだ?」
「それは、私の親友が一人では不安とか言うから一緒に来たんですけど?」
「いや、そんな、当たり前ですけど? みたいなこと言われても。お前には帰る家も養ってくれる親もいるだろ?」
「うん、でも『友達と家賃無料の寮に入る』って言ったらいいよって」
平然と、嘘を吐いたことを告白する理深。
「あのな、ここは俺の部屋であって寮じゃないからな?」
「あら、ですがここは茶海女学院が購入した寮だとお聞きしておりますが」
「……いや、そういう意味なら寮だけども!」
和人の嫌な予感は的確に当たってしまった。
「ちょっと待ってくれ。ここ、俺の一人暮らしなんだが?」
「知ってますよ?」
「存じておりますわ」
「だったらさ、分かるよな? 男の一人暮らしだぞ?」
「ええ、もちろん存じておりますわ。わたくし、お料理をほとんどしたことはございませんが、これから理深さんと頑張って精進し、誠心誠意お仕えいたしますわ」
「私も料理はあまりしたことないけど……一生懸命作るから、最初は変なの作ってもごめんなさい。すぐに上達しますから!」
「いや、別に料理の心配はしてないよね?」
どうすればいい?
苦手意識はなくなったとはいえ、同居はまた別の話だ。
何だかんだで、可愛い年上の女の子には普通の男子として緊張する。
しかも二人もいれば、部屋の中に一人でゆっくりしていられる空間がなくなってしまう。
「とりあえず、専務理事に一緒に謝りに行こうか」
和人は原因の解消から事態の打開を図る。
「お婆さまに和ちゃんのところに行くと言ったら、『彼は信頼できる殿方に成長しているから、彼に仕えて学んで、あなたの成長が見えるようなら許してあげます』と言われましたわ」
「…………体のいい丸投げじゃないか」
和人はため息を吐く。
沙也は確かに改心した。
和人に誠心誠意仕える、というのは言い過ぎだが、慕ってくれているのも事実だろう。
だが、人はそう簡単に変わるものではない。
あの監禁から八年、結局自分はまたこの女の子に振り回されることだろう。
それはもう仕方がないのかも知れない。
だが、理深も一緒なら、沙也の暴走もないかも知れない。
二人は目の前で見る限り、今日の放課後まで主人と奴隷の関係だったとは思えないほど、昔からの親友であったかのように仲がいい。
それだけは和人にも素直に嬉しかった。
「分かった、入れ」
「入れてくれるの?」
「まあ、来てしまった以上しょうがないだろう」
和人の部屋は広い。
二人くらい住人が増えたところで問題はない。
プライベート空間は諦めるしかないが、それは贅沢な悩みだ。
「ありがとう、先生」
理深の微笑みは、自分の彼女ながらとても可愛いと思った。
「みんなー、いいってー!」
そして理深は後ろを振り返り、大きな声でそう言った。
この声に呼応して、背後からわらわらと女の子たちが現れる。
これは、白百合を愛でる会の部員たちだ。
全員ではない、陽佳はいないし綺夏もいない。
全員が大きな荷物を持っている当たり、和人は何かやばい匂いを感じた。
「え? なんだこれ?」
「私たちだけじゃ不公平だし、先生が襲ってきたら怖いから、沙也ちゃんと相談してみんなで押しかけようってことになったんです。希望者だけだけど、半分以上の子が来てくれました」
荷物を持ったその数、十一人。
「ちょっと待て、みんなは、いきなり親元離れて暮らすとか、親が許可しないんじゃないか?」
しかも彼氏の家に行くのだ。
それを許す親はいないだろう。
「家賃ただの寮に入るって言ってきました~」
「またそれかよ! それ、誰の入れ知恵だよ?」
「沙也ちゃんから先生の家のことを聞いて、私が親を説得するのに使って、うまく行ったからみんなに広めましたけど?」
「おまえかよ!?」
どんなことがあっても助けてやる、と言った女の子にまんまとはめられている和人。
「というわけだから、先生、よろしくお願いします」
理深が明るく頭を下げる。
「よろしくお願いしまーす!」
それに続いて、みんなも頭を下げる。
「いや、一人二人ならともかく、こんなには無理だって!」
和人の部屋は、ファミリー向けの部屋なので、一人では持て余すくらい広い。
だから、沙也や理深が同居するくらいなら何とでもなる。
だが、流石に十一人住むとなると、狭い。
更に言えば、生活費もかなりになるだろうし、しかも家の中どこにいても女の子がいるというのは、いくら苦手を克服したと言えど、十五歳の和人には心の休まる場所もなくなる。
なにしろ、沙也が厳選した彼女たちは本当にみんな美少女で、女の子慣れている者でも多少緊張しそうなクラスの女の子ばかりだ。
「麻流山さんにも声をかけたのですが、お怪我をなされたとのことで、今日はいらっしゃっておりませんが、彼女も回復後に来ていただけるとのことです」
「え? あいつも来るのか……いや、それよりあいつ、怪我したのか?」
「どうもそのようです。わたくしも詳しくは存じませんが、今日腕を打撲したようです。重症ではありませんし、入院するほどでもありませんが、お父上がしばらくじっとしていろとのことでした。ですが、治ったら来るそうです」
「そうか。大事なくて良かったな……って、増えてるじゃないか! 無理だって!」
「綺夏さんですが、『ちくちくする間はそっとしておいてください』という謎のメッセージが入っておりました」
「……うん、まあ、そっとしておいてやれ」
何がちくちくするのか、沙也は多分分かっていないだろうが、周囲のみんながそれを理解してうつむく。
「そんなわけで、よろしくお願いいたしますわ」
にっこりとほほ笑む沙也。
「いや、だからさ、話聞いてたか?」
「聞いておりましたわ? ですが和ちゃんは、女性の十一人も養えないくらい甲斐性のない殿方ですの?」
少し挑発的に言われる和人。
「普通はそんなもんないだろ」
「普通の話なんてどうでもいいんです。井尾先生、あなたは養えないのですか?」
煽ってくる理深。
「……くっ……」
本当に仲のいい二人だな、などと、追いつめられながらも和人は思っていた。
養える、養えないで言えば、ちょっと副業を頑張れば養えてしまう。
部屋も女の子たちが雑魚寝になるがそれでいいなら何とかなる人数だ。
出来てしまえる以上、出来ないとは言えない。
「……何とか、なる……」
「そうですか、よかったですわ。それではよろしくお願いしますわ」
「よろしくお願いしまーす!」
彼女たちは和人をすり抜けて奥へと入って行く。
まずは部屋を見渡して、部屋の数や設備を確認し、これからどうやって寝るか、などをみんなで話し合うことになるだろう。
昼夜問わず美少女に囲まれる生活。
それは、一流企業や世界的研究施設に就職していては実現できなかったことだろう。
「先生」
「和ちゃん」
そして、にっこりほほ笑む仲のいい彼女たち。
これ以上何を望むことがあるだろう。
「大好き!」
「大好き、ですわ」
二人は、映魅のように、抱きついてきた。
恋愛自由の少年教師 祀木あかね @artmaki
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