11話「山田麻耶」

「今日もテストで赤点を取っちゃいましたけど、ここって留年的なシステムはあるんですかね?」

 空席ばかりが目立つ教室で、今日も今日とて補習を終えた私は、自室のドアを開けた勢いのまま、なぜだか既にひと様の部屋でくつろいでいた石沢さんにそんな疑問を口にしたのでした。

 お外での成績もなかなかにしんどかった私ですが、聖峰女学院ここでのお勉強はできるとかできないとかそういう次元の話ですらなくなっていました。

 もはや問題文すら理解不可能。勘だけを頼りに適当に答えを書いているのですが、それで赤点を回避できるのなら人生はもっとチョロくて、きっと舐め腐っていたでしょうから、現実というのは実によくできています。お陰で私は今日も謙虚に生きているのですから。


「オレは赤点とか取ったことねぇからわかんねぇ」

 まさかの裏切りでした。思えば中学時代から、この手の裏切り行為は頻発していたように思います。私は昔から変わらずに地味で、今風に言うのなら陰キャというやつで、だからこそヤンキーに恐れ戦きながらも心のどこかでは見下していたのですが。だって、彼らの全盛期は明らかに学生時代なのです。大人になっても学生時代の武勇伝を肴にして安いお酒を飲むような人たちなのです。地味な私は今でこそ日陰者ですけども、きっといつかはこの努力が報われて、日の目を見る時がくるのです。

 なんて思考は当然ながら甘ちゃんで、現実はヤンキーの方がテストの点も、先生からの評価も高いのでした。


「ちょっと理不尽過ぎませんか!」

 よくよく考えたら努力なんてしたことないのですけども。


「ぶっ殺すぞ」

「……えー」

 どういう流れで私は殺されるのでしょうか。石沢さんは拳に息をかけながら迫ってきます。


「いや、え、ちょっと何でですか⁉」

「オレを馬鹿にしたような目で見てた」

「それだけで⁉」

 石沢さんと私の友情は、たったその程度でヒビが入るような代物だったのでしょうか。確かに私は心のどこかで石沢さんを見下していますけども。それでもこの友情は本物だと信じていたのに。


「あ、もしかしてまだ根に持ってますか?」

「あん?」

「私が旧校舎で、その、あの、逃げたこと」

 人差し指同士をつんつんさせながら、私は石沢さんを上目遣いで見ました。

 でもあれは死亡フラグを連発していた石沢さんにも原因があるし、そもそもあんな場所に連れ出したのは石沢さんのほうだし、それになにより石沢さん自身の口から「オレを置いて逃げろ」的なことを言ったのです。だから私は悪くなくないですか? しどろもどろになりながらそんな釈明をした私に、石沢さんは首を傾げます。


「オメェ、頭でもおかしくなったのか?」

「失礼ですね。私は聖峰女学院ここで一番の常識人ですよ」

 石沢さんみたいに誰彼構わず喧嘩を売ったりはしませんし、芹沢先輩みたいに毒物を持ち歩いていたりもしません。


「旧校舎みたいな危ねぇところに行くわけねぇだろ。気でも狂ってんのかよ」

「え、もしかしてボケました?」

「ボケてんのはてめぇのほうだろ」

 髪の毛を染めると脳みそが委縮する的なデータをイギリス辺りの大学が出していたりしませんかね。

 そういえば石沢さんはいったいどういうルートでカラーリング剤を手に入れているのでしょうか。あまり容易に入手できないからかいわゆるプリン頭みたいになっていますけども、冷静に考えれば菓子類よりもよっぽど入手難易度が高い気がします。


「あんな魔女の巣窟に誰が好き好んで足を運ぶんだよ」

「石沢さんですよ!」

「だからオレじゃねぇって言ってんだろ! ぶっ殺すぞおめぇ」

「ひぃ⁉」

「あらあらあらあらあらあらあらあら」

 なんだか妙に懐かしい響き。それと同時になぜだか不安になるのはどうしてでしょうか。私はドアのほうを振り返り、そしてその不安の意味を理解しました。


を血で汚さないで下さいね」

 彼女が。腐乱死体だったはずの在野ありのさんが、何食わぬ顔でドアを開けて部屋に入ってきたからです。


「なにてめぇの部屋みたいな発言してんだよ」

「そうだそうだー」

 ここはもう私と芹沢先輩の部屋なのです。ゾンビちゃんが入り込む余地はありません。


「嫌だなぁ。ここはずっとわたしの部屋ですよー?」

「まぁそうだけどよ」

「いやいやいやいや! 違いますよね⁉」

「あん?」

 今日の石沢さんはいつにも増して機嫌が悪いようです。既に拳を鳴らしています。どうして殴ろうとしているのかはわかりませんが、私はとりあえず頭を両手で守るのでした。いざとなったら巻き戻して、痛みを消し去るつもりなのです。


「オマエ、なんか今日はおかしいぞ?」

「石沢さんに――」

 言われたくないんですけどぉって言おうとして、慌てて言葉を飲み込みました。そんなことを口にしようものなら問答無用で拳骨です。なんなら飛び蹴りを見舞ってきてもおかしくはありません。在野さんゾンビバージョンを相手にしていた石沢さんの身体能力を思えば、か弱い私にはそれだけで致命傷になり得ます。


「朝も突然、泣くしよ」

「山田さんはいつも寝ながら泣いてますよ?」

「違くて。こいつオレを見て泣いてやがんの。そんでオレが死んだとか、剣の魔女が殺されたとか言いやがんだよ」

「剣の魔女さんが殺されるわけないですよね? だって彼女には誰も敵わないですもん」

「それはまぁ夢なんですけどね。というか恥ずかしいから忘れて下さいよぉ」

 でも、なんだろう。何かがおかしい気がします。まるでボタンをひとつ掛け間違えたみたいな、そんな些細で、けれども明白な違和感。そもそも、どうして在野さんとナチュラルに会話をしているのでしょうか。


「――在野さんって失踪しましたよね?」

「わたしが失踪ですか? どうして?」

「失踪してゾンビになってましたよね」

「確かにわたしは死ねないというを持っていますけど、ゾンビにはなりませんよ? 綺麗に回復しますから」

「いや、でも石沢さんも見ましたよね⁉ 旧校舎で!」

「だから旧校舎には行ってねぇよ!」

「あれー?」

 夢だったのでしょうか。だとすればどこまでが? 在野さんが私のルームメイトのままだとするならば、随分と長い間夢を見ていたことになります。でもそれにしたって妙にリアルな夢です。こんなことあり得るのでしょうか。


「あ、わかった。どうりで石沢さんがボケてるわけだ」

 私は手を叩きました。我ながら名案だと思います。夢なのはあっちじゃなくて、こっちなのです。きっと。


「これがゆ――ガツン!」

 夢、じゃない。降ってきた拳の痛みを噛み締めながら、何なら涙を堪えながら、私は現実を受け入れます。しかしそれにしても、変な夢でした。

 だって夢って曖昧で非現実的なものですし、あんなに現実的で――……ん、でも聖峰女学院ここにいるせいか麻痺しているけれど、聖峰女学院ここは十分非現実的ですかね。普通の人間は死にますし、簡単に人を殴ってきたりはしませんもんね。だったら私は今もなお、夢の中なのでしょうか。そんな現実逃避はけれども、頭部が訴え続ける疼痛によって否定されます。


「なんにしてもよかったです」

 石沢さんは生きていて、世界も燃えてはいませんし。それに在野さんも戻ってきて、言うなればこれはハッピーエンドのようなものでしょう。


「私はちょっと芹沢先輩に会ってきますね」

 それなのに、胸の中に淀みのようなものが残ってます。それが何なのかは判然としません。それでもどういうわけか、これを解消する為には芹沢先輩に会う必要があるということを、私は知っていました。いったいどうしてですかね。

 そんなわけで、私は自室を後にしたのでした。

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カーニヴァル 久遠寺くおん @kuon1075

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