10話「冬川会長②」

「わたしが死ぬ未来が見えたら、その場ですぐに言ってね」

 そんな風なお願いを口にした我らがお茶研の会長――冬川さんは、何の躊躇いもなく旧校舎に足を踏み入れました。一応ですけれど、私が視られる未来は五分後までなんですぅ、的な嘘なのか本当なのかわからない話は信じてもらえたのだけれども、未来視の類ではないんですぅという事実は結局口にはできませんでした。だって、言ったら最後、殺される気がしましたし。


「会長、私ここにトラウマがあるんですけど」

 ガツン、とね。ガツン、と頭を叩かれたのです。それを言うのなら目の前の彼女にも同じレベルの打撃を叩き込まれたのだけども。トラウマとトラウマが合わさっていい感じに中和をしてくれるはず……はなくて、私の精神状態は非常に不安定でした。

 それに何より、ここに来る前に会長に聞かされた旧校舎ここにまつわる噂話のせいで、尿意が途轍もない感じになっています。すぐにでも漏らしそうです。


「わたしはね、ここの秘密を解明をしたいの」

 相も変わらず人の話を聞いていません。究極の自己中人間なのでしょう。


「秘密ですか」

 ――曰く、旧校舎にはが眠っている。


「ここにね、足を踏み入れた人間は、まともな状態では戻ってこられない」

 行方がわからなくなるか、精神的に壊れてしまうか、死んでしまうか、の三つなのだそうです。でも、私と石沢さんは生きて戻れましたし、まあ噂は結局のところ噂でしかないのでしょう。ほら、乙女ってそういう話が好きな生き物ですし。できるのならば異性の色恋沙汰で盛り上がりたいのですけども。まあ、贅沢は言いません。


「誰の仕業かはわからないけどね」

「きっと匿名希望の彼女ですよ」

 藁人形を胸元に忍ばせた金髪碧眼の彼女が諸悪の根源でしょう。私の頭を殴った恨みは一生涯忘れません。いつかきっと、ぎゃふんと言わせてやりましょう。

 あるいは、在野さんの仕業でしょうか。ゾンビと化して増殖をしていた在野さん。私の元ルームメイトにして、食い意地の張った彼女が悪さをしているのかもしれません。


「ところで。あなた、随分と芹沢と仲がいいのね」

「ルームメイトですからね」

 どういう訳か私を殺そうとしてきますけれど、ここではまあそれが日常なので、あまり気に留めないようにしています。石沢さんとか会長とか匿名希望の彼女とかと違って、物理攻撃を仕掛けてこないので、全然いいのです。私、物理耐性はないですけど、状態異常に対してはそこそこ強いですからね。


「知ってるの?」

「知ってるのって?」

「芹沢が殺人犯だって」

 そんな過去よりも、眼鏡会長とナチュラルに会話が続いている事実に私は驚きました。宇宙人でも外国人でもなかったんですね。


「外にいたときの話だけど。当時の同級生を複数人殺して、ここに入れられたらしいよ」

「ほえ~」

 大して驚かなかったのは、それは別に珍しい話ではなかったからでしょう。以前のルームメイトだった在野さんも「わたし殺した事があるんですよ~」と微笑んでいましたし。少年院もとい島流し的な意味合いがある事は、聖峰女学院ここの生徒なら誰しも知っていますから。

 何よりも、あの佳麗な芹沢先輩がここに捨てられた理由として殺人くらいなら、それは至極真っ当だと思いますし。あの見た目で実は石沢さんみたいに素行が悪いとかだったら、驚いちゃいますけど。いや、まあ人を殺している時点で素行が悪いなんてもんではないのだけども。それでも。人が人を殺す理由なんて、そこら辺に散らばっていますしね。


「ここの連中はあまり信用しない方がいいよ」

「はい」

 表情と行動が噛み合わない人ばかりですからね、聖峰女学院ここは。要はみんながみんな頭がおかしいのです。人の姿をした怪物なのです。だから、こんなところにいるのです。


「冬川会長は、どうしてここに?」

「わたし?」

 凄い。話が通じている。さっきまでの異様な自己完結っぷりが懐かしくなるほどに、会長がまともになっています。どこかに頭でも打ったのでしょうか? 


「わたしは――」

 それはほんの刹那の出来事でした。冬川会長がの扉に手をかけてほんの少し引いたその一瞬。会長の頭が夏の浜辺に置かれたスイカの末路が如く弾けたのです。それはもうものの見事に。血飛沫が私の顔に襲い掛かり、口の中にも入り込んで。色々な感情と思考が脳みその中を縦横無尽に入り乱れます。


「きゅうきゅうしゃ」

 は、もう明らかに手遅れで。そもそも電話もないので呼びようもなくて。だったら、どうすれば? アレ、どうして? どうして先輩の頭は爆裂したのでしょう。もしかしてそういう能力だった? あ、とりあえず飛び散った脳みそとかを拾うべき? 

 いやいや、違いますよ、私。落ち着くのです。目の前で人が死ぬのは、何もこれが初めてってわけでもないのですから。

 巻き戻して、なかった事にしましょう。というかそもそも、そういう風にお願いされていたのでした。いや、うん。正確には死ぬ前に教えてね、的な事を言われたのですけども、そんなのは私には無理なので。というか私じゃなくてよかったぁ! 私だったらやばかったぁ! 怖っ! 旧校舎怖っ! あ、違う違う。急いで巻き戻さないと取り返しがつかなくなってしまいます。



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「わたし?」

「あ、死にます」

 弾け飛んだはずの会長の頭が元通りになって、口の中に広がっていた海産物が如く味も消え去って、私は挙手をしながらそう言ったのでした。首を傾げた会長にもう一度、


「そこ、開けようとしたら死にます」

 と、断言する。


「頭が吹き飛びます。そんで会長の血とか脳症とか脳みそとかが私の口に飛び込んできます」

 実のところここに来るまでの間に、先輩は六回死んでいる。その都度私はトラウマを負いながら、どうにかこうにか立ち直り、巻き戻してきたのです。私のメンタルに少しは感謝して欲しいものです。並の乙女なら一回目の時点で発狂してますからね。何せ首ちょんぱですもん。あんなモノを目の当たりにして平静を保っていられるのは、私か角の生えた幼馴染くらいなモノでしょう。


「へぇ~」

 軽やかに踵を返して、会長は私に歩み寄ってきました。


「半信半疑だったけど、山田は本物みたいだね」

「いや、全然」

 全然、紛い物ですけど。未来なんて視えないですし。大して役にも立ちません。


「この扉の向こうには、が眠っているの」

「あれ?」

 私は首を傾げます。というそのワードを私はいったいどこで、誰から聞いたのでしたっけ。そもそもってなんでしたっけ。まるで昨晩の夢を思い起こそうとするかのようなその作業に、私は眉根をひそめます。覚えているはずなのに、思い出せません。指の隙間から砂が零れ落ちるようにサラサラ、と。


「糸紡ぎの魔女も、パンくずの魔女も、あのでさえも到底敵わない特級の危険人物――いや、人と定義していいのかさえもわからない。そういう次元の存在」

「ほえ~」

 何を言っているのかまるで理解が出来なかったので『今日の晩御飯はなんだろな♪ゲーム』を脳内で始めた私でしたが、眼前に会長の顔面が迫っていたので頭の中からかつ丼を追い出しました。

 会長の瞳はギラギラとまるで水銀のような妖しい煌めきを放っています。


聖峰女学院ここは、原初の魔女かのじょを封じ込める為に作られたの。そしてわたしたちは、万が一原初の魔女かのじょが目覚めたその時に、少しでも抗えるようにと集められた、いわば緩衝材のようなモノ」

「私は戦えませんけどねー」

 私の戦闘力は農夫以下ですから。反復横跳びの記録は小学校低学年以下ですしね。


「怖がらないんだ?」

「だって話のスケールが違いすぎるんですもん」

 目の前のゴキブリは怖いけども、図鑑の中の恐竜が怖くないのと同じでしょう。どれだけ凄い事が書かれていようとも、どんなにスペックが高くても、私には無関係なのですから。


「じゃあこれなら少しは怖がるかな?」

 会長は。冬川会長は、扉に手を当てます。


「あ、開けたら死にますよ」

「わたしをここまで運んでくれてありがとうね。お陰で計画通りに事が運んだ」

 ドン、という地響き。鼓膜も網膜も心臓も揺れるその地鳴りのような振動に、私の髪の毛は逆立ちます。

 教室の木製の扉はまるで紙飛行機が如く軽やかにその向こう側へと吹き飛んで、中から妙に甘ったるい匂いが漂ってきました。あ、もしかしてこれってやばいのでは? 脳みそがふつふつと煮え立つかのような気味の悪い感覚。きっと普段あまり使っていないからでしょう。思考を全開にしたその代償でしょう。視界がちかちかとします。鳥肌が立ちます。悪寒に身震いします。あ、なんでだろう? 石沢さんに会いたくなりました。


「あ、もう巻き戻すのは禁止ね」

 ガツン、という響きが側頭部を駆け抜けて口から飛び出しました。殴られたのでしょう。なにでかはわからないし、なんでかもわからないですし、どうして私の能力の正体を知っているのかもわかりませんけど、まあここは聖峰ですしね。そこに答えを見出すのは不可能です。でも、それでも私は「なんで?」と疑問口にします。


「なんで、開けちゃうんですか?」

 冬川会長は小さく微笑んで、その直後に雑巾と化しました。雑巾とはいっても、水を絞られている最中のソレです。捻じれて、潰れて、消え去ります。文字通り、跡形もなく。


「え、死んだ?」

 死んだのでしょうか。それとも、テレポートの類でしょうか。いや、あんな風にテレポートはしたくないんですけども。そもそも人体ってああも見事に捻じれるモノでしたっけ。どれだけの力が加わったらあんな事になるのでしょうか。

 意識が揺らぎ始めます。微睡むように、瞼が閉じていきます。そんな私の耳元で「だ××、××い。もう×××け×ち××って」と囁くような声が聞こえました。しかし、周囲に人の気配は感じられません。だからこれはきっと、幻聴なのでしょう。いや、これはデジャヴです。猛烈な既視感に襲われて、私は瞼をこじ開けます。


 教室の中から現れたのはひとりの少女です。白磁のような肌を長く漆黒な毛髪で覆ったその少女は、金属じみた冷たい瞳で私を見下ろしていました。



★★★★★★★★★★★


★★★★★★★★★


★★★★★★


★★★



 世界が燃えました。空もビルも人も、全部全部。それは抗いようのない絶望おわりで、救いのない結末バッドエンド。最後まで懸命に戦った石沢さんも、在野さんも、剣の魔女も殺されてしまいました。私は石沢さんの頭部を抱えて、ソレを見上げます。燃え盛る夜空に浮かぶ、純白の原初の魔女ソレを。







「なんだ夢か!」

 がばっと起き上がった私は、石沢さんの額に額をごちん。

「ぎゃー!! やっぱり死んでるー!!」

 石沢さんの頭だー! 


「うるせぇ!!」

「ガツン」

 あ、何度も経験したこの痛み。石沢さんの拳が、妙にリアリティのあった悪夢を上書きして消し去ります。後に残ったのは異様に早い鼓動と――、


「その程度で泣くなよ」

「あれ?」

 頬を拭った手の甲が僅かに湿りました。どうして私は泣いていたのでしょう。あれ? 私はどんな夢を見ていたんでしたっけ? そもそも、どこからが夢でどこまでが現実? 


 ――だから、お願い。もう一度だけ立ち上がって。


 不意にそんなセリフが脳裏をよぎりましたけど。いったい何の事でしょうね。

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