9話「冬川会長その①」

 昔から、冬は嫌いでした。

 雨も嫌いだし、ブロッコリーも嫌いだし、緑色のバッタは大嫌いです。

 私は昔から嫌いなモノだらけで、何が好きかより、何が嫌いかで物事を語るような卑屈な少女だったのです。


 冬は嫌いです。寒いから。布団から出るのが辛いから。そして何より聖峰女学院ここには炬燵こたつという名のオアシスがないのですから。


「暖房のつけっぱなしは電気代の無駄だから、一日一時間までね」

 などというお母さんみたいなセリフを吐いたのは当然ながら芹沢先輩で、その花のような微笑に対して私は「っふへへ、ふひ、はい」と受け入れざるを得ないのでした。


「ようこそ、お茶研へ」

 それから、部活も嫌いです。中学一年生の頃、意気揚々と、あたかも自分は天才少女であるかのように入ったバレー部で顔面レシーブを決めてから、私は生涯運動部に入らない事を誓いました。涙と鼻血に溺れそうになりながら。


 それなら文化部はどうなのかといえば、もちろん答えはノー。結局のところ私は自由気ままに行きたい自由人なので、先輩との上下関係とか、放課後の無駄な拘束時間とかが我慢ならないのでした――とは言ったものの、この現状はどういう事でしょうか。


「おちゃけん」

「イエス」

 眼鏡をかけた美少女が首肯して、私の思考は暫し停止フリーズ。どうにかこの窮状を理解しようと脳みその再起動を試みました。

 先日、匿名希望の彼女に殴られた後頭部が疼痛を訴えているのは、目の前の彼女に先刻追い打ちを食らったからで、意識が朦朧としているその間にこうして拉致られ、手と脚を縛られ、椅子に座らされているのでした。


「あなた入会希望者でしょ」

「え」

「でも入会できるかどうかはあなたの素質次第だけどね。ざーんねんでした!」

 高校生ってこんなにも純粋な笑顔を浮かべるものなんですね。知りませんでした。


「え」

「でもきっとあなたなら大丈夫!!」

 グッと手を握ってくる眼鏡。

「え」

 何を言っているのかわからないのは、度々頭に衝撃を受けたせいで私が馬鹿になっているから? いいえ、違います。眼鏡の彼女が狂っているだけです。だって、異様に目が据わってますもん。あ、これやべぇヤツの目だって一目でわかりますもん。

 ここは彼女の居室でしょうか。見知った間取りのワンルームはけれど、私の部屋とは別の物。若干フローラルな香りが漂っているのが、なんだか気に入りません。


「まずはテストをしましょうか」

「あの」

「大丈夫大丈夫、簡単だから」

「あの、質問いい――」

「ダメ」

「ですか? あ、そうですか」

 ようやく話が通じたかと思えばノータイムどころかフライングでダメとの事。でも、よかった。あまりに話が通じなさ過ぎたので、もしかしたら日本語に聞こえるだけの別の言語を喋っていて、あるいは彼女は異星人か何かなのでは? と不安になっている真っ最中だったので。


「あの、なんで私は拉致られたんですか」

「あなた山田さんだよね」

「あ、はい」

「それで、テストの話なんだけど」

 あ、ダメなヤツだこれ。聖峰女学院ここに入れられてから何度も経験してきたからこそわかる。これ、ダメなヤツ。何がダメなヤツなのかは上手く説明できないのだけども、ダメなヤツです、これ。

 石沢さんとは別のベクトルのダメなヤツ。芹沢さんとも一味違う怖ぇヤツ。そもそも廊下で邂逅一番躊躇なく殴打してくるような人間がヤバくないはずがない。外でなら間違いなく警察沙汰。下手したら夕方のニュースになるレベル。それでもここでは日常茶飯事だから、誰も気に留めない。故に誰も私を助けてくれないのです。

 そういえば石沢さんとの出会いも暴力から始まりましたっけ――と、遠い目で懐かしんでいる私の両の眼を覗き込んでくる眼鏡の美少女。


「ねぇ、あなたちゃんと話聞いている?」

「あ、はい」

「それでも入会する気あるの?」

「ないです」

「わーお、さすがの意気込み。さすがは大型ルーキー」

 いつの間にか大型ルーキーになっていました。自分が怖いです。結構な時間が経ったはずなのに、何ひとつとして理解が出来ぬまま、勝手に話が進行していく恐怖。せめてほんの僅かでもコミュニケーションが取れれば少しは違うんですけどね。匿名希望の彼女は、その点まだマシでした。


「山田は未来が見えるんでしょう?」

「え」

「最近、もっぱらの噂だけど」

「え」

「あなたちゃんと会話をしようとする意思がないの? さっきから「え」だの「あ、はい」ばかりだけど」

「ありますけど……」

「で、どうなの? 見れるの? 見れないの?」

 なぜか机の上にあったペーパーナイフを手に持った眼鏡の美少女に、私は複数回激しく首肯してみせる。あ、これ首を横に振ったら命が危ないヤツだってすぐにわかったので。私の危機察知能力は、この学院に入ってから留まる事を知らないレベルで成長しています。さすがは大型ルーキーです。


「よかった」

「よかったです」

 未来が見えてよかったです。いや、未来は見えないんですけど。苦し紛れに見えるといっても五分先だけなんですけど。これ、事実を言ったらダメな感じですよね。内緒にしておきましょう。


「ハイ、合格~。おめでとさん」

 あ、合格しました。お母さん、私、どうにか無傷で合格しましたよ! 嬉しくなさすぎて涙が溢れ出ます。人間、嬉しくなくても泣けるんですね。


「それでね、そんなあなたにお願いしたい事があるの」

 双眸が異様にくらい彼女は、微笑みながらそう切り出したのでした。

 

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