人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける2

※本文は以前と変えていませんが、三十五首だけ解説をしていなかったので。今更ですが。


【解説】


※プロではないため、学校の知識、書籍、ネットでの情報をあわせたなんちゃって解説です。大雑把に裏設定として受け止めてください。


以下の知識を踏まえてオマージュした作品、というだけで、読まなくても本文に支障はありません。


(歌)


人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける(紀貫之)


(大体の現代語訳)


あなたの言うことは、さて、本心なのかどうか私にはわからないけれども、昔馴染みのこの里では、かつてと同じように梅の花の香りがただよっていますよ


(紀貫之の経歴)


・日本最初のかな日記文学『土佐日記』(土佐守の任を終えて都に帰るときの旅の様子を書かれた日記。なお、当時仮名は女性しか使用していないために女性として執筆)の著者として、おそらく日本全国の学生が一度はテストの解答用紙に名前を書いた経験を持っているはずです。

・『古今和歌集』の選者でもあり、三十六歌仙の1人。勅撰和歌集には445首の和歌が入集。


(言葉の意味)


・花

「花」といえば、和歌では桜を指します。しかし、三十五首では「香る花」のため、その場合は梅を指します。


(状況説明)


・もともとは古今和歌集に収められた歌。


詞書によると、


「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人、『かく定かになむ宿りは在る』と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」


とあります。


つまり、長谷寺へお参りするたびに泊まっていた宿に久しぶりに訪問すると、宿の主人に「昔どおりに宿はあるのに、あなたは心変わりしてしまったのですね」と言われたので、紀貫之は宿の梅の枝を折って「人はいさ…」と返したという場面です。

更に、宿の主人は紀貫之にこう返歌しています。


花だにも 同じ心に 咲くものを 植ゑけむ人の 心しらなむ


花でさえ、かつてと同じ心のままに咲きますのに、この梅の木を植えた私の気持ちをしって欲しいですね


というものでした。


・三十五首は「春の歌」、そして宿の主人が男性か女性かといった描写はありません。

今回は「もし恋の歌だったら…」という想像のため女主人としましたが、個人的に古今和歌集を読む限り、二人のやり取りは男女の皮肉めいたものというよりは、ちょっと毒をきかせた(ウィットに富んだ、とでもいうのでしょうか)気の許せる(友人のような)常連と店員のような描写に思えます。


男主人だった場合は、


「最近長谷寺参ってるのに全然泊まってくれないから、他のとこに泊まりにいってるのかと思いましたよ。紀貫之さん」

「君こそ、私のことをちゃんと覚えてくれていたのかい?梅の花の香が昔と変わらないようにさ」

「その梅を植えた私の心は変わっていないから梅も変わらずに咲いているんです。つまり、以前と変わらず当宿はいつでもあなたを歓迎していますよ」


といった風に旧交を温めた一場面だったのではないでしょうか。


【文中の和歌について】


・歌の後に現代語訳を書くだけだと教科書っぽいので、歌を詠んだ後更に同じことを繰り返し言っている形にしました。

現代で言うと、駄洒落を言った人が直後に何が駄洒落になっていて笑いどころはどこか解説してる感じ?ですかね。

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百人一首 第三十五首 春の歌 相田 渚 @orange0202

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