この暗号文の解き方
ペンギン吾朗
この暗号文の解き方
夏の風物詩であるあの儚い生物が、今年も元気に生を謳歌している。
その歌をBGMに、私はひとり、縁側に溶けていた。
冷たい床は気持ちがいいが、肌を撫でる生温い風は不快指数を上げるのみだ。
大学の課題を片づけてしまおうと、ノートパソコンを側に置いてはみたものの、人差し指一本すら動かすのが億劫だ。
私は夏が嫌いだ。
名は体を現すのか、暑さには滅法弱い。かといって、寒さに強い訳ではないのだが、雪は好き。
だって、私の名前はーー
「雪子!」
そう、雪子。
なんて良い名前だろう。名付けてくれた祖母には感謝しきりだ。なにせ、呼ばれただけでなんだか涼しい気分になる。
そう、こんな風に、
「雪子! 雪子雪子雪子雪子ー!!」
「うるさい!!」
前言撤回、暑苦しいだけだった。
「何度も呼ばなくたって聞こえてるわよ、秋人」
体中のエネルギーをフル稼働して頭を上げ、庭先に不法侵入してきた腐れ縁を睨みつける。
「反応がないから、死んでしまったのかと思って」
「死人に話しかけるテンションじゃなかったんですけど」
「ならば、この蘇生アイテムはいらないな」
秋人は右手を突き出して、持っていたコンビニ袋を私の額に乗せた。
接触している面から、気持ち良い涼感が全身に広がる。
「アイス!!」
人参をぶら下げられた馬のように、私はそのコンビニ袋に飛びついた。
しかし、それは寸でのところで引っ込められる。
「アイスが欲しくば、ひとつ協力してもらおう」
私には、目の前の男が悪の大魔王にしか見えなかった。
◇◆◇
秋人と出会ったのは中学一年の春。
入学と同時にこの田舎町に越して来た一家は、我が家の向かいに居を構えた。
周りに他の同級生がいなかった私達は、中学高校の六年間、通学路を共に歩き、大学生になった今でも同じ大学に通い、時間が合えば同じバスに並んで座ることも少なくはなかった。
私の秋人に対するイメージは、出会った頃から変わらず『変なヤツ』
地頭は良いのに発想が突飛で、おまけに無駄な行動力付き。
なぜか周囲には秋人とセット扱いされている私は、いたずらに振り回されることが日常茶飯事だった。
「で、私は一体なにに協力すればいいの?」
お馴染みの坊主頭がトレードマークのアイスをシャクシャクと口腔内に溶かしながら問う。
「ああ、これなんだが」
秋人はコーヒー味のアイスのチューブをチュウチュウ吸いながら、背負ってきた青いリュックから一冊のノートを取り出した。
学生御用達のB5サイズの大学ノート。
表紙にはなぜか筆ペンで「「Diary No.15 H23.7.26~H23.8.21」」と書かれている。
「日記?」
「ああ。小五の頃から毎日欠かさず日記をつけていて、今使っているノートで、通算五十冊目になる」
「へえ、すごいじゃん」
私は素直に感心した。
飽き性の私はもちろん、大抵の人間にとって、十年近くに渡って日記を書き続けることは至難の業だ。
「五十冊を記念して、すべての日記を読み返していたんだ。一冊目から順にな。そうしたら、この十五冊目で躓いてしまった」
「なんで?」
平成二十三年の七月から八月ということは、中学二年生の夏休みあたりだろう。
その時期特有のある病気が頭を過ぎった。
「内容が中二病すぎて読むに耐えなかった?」
「……、ニアピン賞だ。読むことすら叶わなかったんだ。なぜなら、」
秋人はそのノートのぺージを適当に開き、私の眼前に掲げた。
「暗号文で書かれていたからだ」
そこには、とても綺麗とはいえない小さな筆致で、『木3木3木3金1木3金3・・・・・・』と、漢字と数字が交互にびっしりと並んでいた。
「バカじゃないの」
思わず本音が飛び出していた。
「なんで、日記を暗号で書いたの? 何の秘密が記されているっていうの?」
「内容は、正直覚えていない。俺は日記帳が新しくなる度に、必ず条件を設けているんだ」
「条件?」
「五・七・五しばりとか、絵日記で書くだとか、観察日記風だとか、まあ、色々。毎回趣向を変えているんだ」
「で、この時の条件が暗号で書くってことだったわけ?」
「ああ、そうだ」
まさに、中学二年生が考えそうなことである。
「だが、肝心の暗号文の解き方を忘れてしまったんだ」
「解き方を書いておかなかったの?」
「いや、書いてあるんだ、一ページ目に。書いてあるんだが・・・・・・」
言葉を濁す秋人の代わりに、ノートの一ページ目を開いてみる。
この暗号文の解き方
火3木3火4水4水3木1、火3金2水3金2火4木3・・・・・・
「なんで暗号文の解き方まで暗号文にしたのよ!」
「さっぱりわからん!」
やっぱり、秋人は変なヤツだ。
「で、これを私に解けっていうわけ?」
「ああ。こういうの、得意だろう」
得意かどうかと言われれば、別に得意というわけではないけれど、嫌いではなかった。
昔から推理小説や謎解きゲームなんかが大好物で、最近ではリアル脱出ゲームに現を抜かして昨年の単位を一つ落としたほどだ。
実は、この文字列を目にした瞬間から、私の中の読解欲(と勝手に名付けている)が疼いていた。
しかし、
「この暗号、そんなに難しいようには見えないけど」
漢字と数字が交互に並べられた、長々と続く文章。
途中で句読点が挟まれていることから、恐らくは日本語の文章なのだろう。
ざっと流し見て、出てくる漢字は七種類。火、木、水、金、日、土、月。
出てくる数字は1から5まで。
「多分、これはカレンダーに当てはめていけばいいんじゃない?」
つまり、火3ならば火曜日の三段目の数字。それに対応するアルファベットを導き出せば良いのだ。1ならA,2ならBというように。
「うん、俺もそう思ったんだが、解けなかった」
「なんで?」
そもそも、私よりも秋人の方がよっぽどこういうのは得意な筈なのだ。
「一体、いつのカレンダーに当てはめればいいんだ?」
「・・・・・・、この年の七月か八月なんじゃないの?」
「そう思ってやってみたんだが、全く文章にならなかった」
といことは、他の月のカレンダーなのだろう。
「なんか、思い入れのある月とかないの?」
「思い入れのある月ってなんだ?」
「それはこっちが聞きたいわよ」
「八方塞がりか・・・・・・」
二人揃って唸る。
じっと文字列を眺めていると、天恵が舞い降りた。
「同じ組合わせが何度か出てきてるわよね」
「ああ。木1や金2が多いな」
「しかも、火3金2火3金2みたいに、一組おきに出てきてる」
「確かに」
「これって、多分、読解したらローマ字で書かれた日本語の文章になると思って、間違いないと思うの」
「……そうだな。中二の俺が英語や他の言語で記述しているとは思えないからな」
秋人は大学受験で行き詰まって克服するまで、咄嗟に振られると「あいあむあぺん!」と答えていた男だ。
「そう仮定すると、漢字一文字と数字一文字でワンセット、ひとつのアルファベットになるだろうから、大体は一組置きに母音が出てくるはず」
もちろん例外はあるが、母音に当てはまるであろうセットを炙り出すことはできるはずだ。
早速、冒頭の一文から試してみる。
火3木3火4金2火4水4水3木1、火3金2水3金2火4木3金2火3金2火3金2火3木1水3木1水3木1火3金2金2火3金2火3金2火4木3水3金2日3金2火4金2日3木1水3木1火3金2日4木1水3木3火4金2月4水4金2火3金2火3金2月4金2火4金2木2木3火4月2日4木1水3水3日4木1水3木1水3金2。
・・・・・・やたら長い。
母音『A、I、U、E、O』はアルファベット順で数字に置き換えると『1、9、21、5、15』になる。
この文章で母音に当てはまる漢字と数字のペアは恐らく、『木3、水4、木1、金2、月2』だろう。
「Aつまり1はカレンダーでは一番上の段にくるから、この中だと木1になる! そして、第一週目の木曜日が1日になるカレンダーを探せばいいのよ」
これを導き出すだけでかなりの労力を使ってしまった。
だが不思議と暑さによる不快感は消えていた。
「うーん、だが、日曜日が左にくるカレンダーと右にくるカレンダーによって、段数は変わってこないか?」
「この中で一番上なのは木1なのに変わりはないし。大体、私は覚えてるんだからね? 高一の時、行事表は月曜日が一番左になっていることに気が付かないで、入学式の日を間違えたこと」
つまり、中学二年の秋人の中ではカレンダー=一番左は日曜日なのだ。
「さすが雪子。俺のことは何でも覚えているんだな」
「う、うるさい!」
なんだか気温が上昇した気がする。
秋人のスマホのカレンダーアプリを開いて、適当な第一週目の木曜日が1日であるカレンダーを探す。
アルファベットは二十六個しかないのだから、何年の何月だろうが関係はないのだ。
そうして、そのカレンダーを使って文章すべてを数字に置き換えると、こうなる。
13 15 20 9 20 21 14 1、13 9 14 9 20 15 9 13 9 13 9 13 1 14 1 14 1 13 9 9 13 9 13 9 20 15 14 9 11 9 20 9 11 1 14 1 13 9 18 1 14 15 20 9 19 21 9 13 9 13 9 19 9 20 9 8 15 20 5 18 1 14 14 18 1 14 1 14 9。
これを更に、アルファベットに置き換え、ひらがなに直すと、
もちつな、みにといみみまななみいみみとにきちかなみらのちすいみみしちほてらんらなに。
「・・・・・・、いや、全然意味分からないんだけど」
「むしろ謎が深まった感があるな」
ここから更になにか手を加えなければならないのだろうか。
「ねえ、そろそろ解読法思い出してきたんじゃない?」
一縷の希望を持って問いかけてみたが、
「いや、思い出したのは、毎晩一時間以上かけて日記を書いていたことだけだ」
「バカじゃないの」
どんだけ複雑な暗号だ。
しかし、しょせんは中二の考えることだ、この先もさほど複雑な発想は出てこないだろう。
「あとは、アナグラムとか、シーザー暗号とか?」
「雪子は詳しいな」
「秋人もちゃんと考えてよ」
色々試してみるが、どうにもまともな文章が出現しない。
なにか法則性は見つけられないかと、他の文章もランダムに同じ手順で解読してみる。
すると、ひとつの頻出ワードが浮かび上がってきた。
「この、「「んなのにのらきちとなのにしち」」って文はほぼ毎日出てきてるわね」
「ああ。特に前半の「「んなのにのら」」はもう、出てこない日がないな」
「こんなに出てくるワードなんだから、なんか思い出せないの?」
「いや、俺にそんなに毎日話題にするほど熱中していることなんかあっただろうか……。雪子のことなら、毎日書けるかもしれないが」
「バッカじゃないの」
と言いつつ、多分私も秋人のことなら毎日日記に書けそうな気がする。
今日も秋人がバカだった、みたいな。
「んなのにのらー」
「んなのにのらー」
「んなのにのらきちとなのにしちー」
「んなのにのらきちとなのにしちー」
二人で呪文のように唱えてみる。
しかしなぜだろう、どこか聞き馴染みのあるような、指馴染みのあるような――。
「あ、わかった。これ、私だよ」
「なにっ?」
縁側の隅に追いやっていたノートパソコンを手繰り寄せ、開きっぱなしだったワード文章の最下段に文字を打ち込む。
「ローマ字入力の状態で、キーボードのひらがなを辿って入力するの」
つまり、ローマ字入力だが、かな入力の方法で入力するのだ。
すると、『んなのにのら』は『ゆきこ』になった。
私達が小学生の頃にはすでに、パソコンを扱う授業が組み込まれていたが、ローマ字の表記法は習っていなかった。
中学に上がり、新たな『情報』という科目の授業の中で、私達がまず収得させられたのは、ローマ字入力の方法だった。
そうしている内に、クラス内で名前をローマ字入力した際の押すキーに書いてあるひらがなで呼合うのが流行ったのだ。
そう、『あきと』なら『ちのにから』、『ゆきこ』なら『んなのにのら』という様に。
すぐに廃れたのだが。
それはともかく、この暗号を解くための鍵は恐らくこれだ。
日記冒頭の文字列を先程と同様に打ち込んでいく。
そして、現れた文章がこれだ。
まず、にせんじゅうねんしがつのかれんだーをようい。
「やった!」
「大正解だ!」
思わず手を取り合い、二人で飛び上がる。
感動の瞬間であった。
「それにしても、秋人は日記に私のこと書きすぎ。なんか恥ずかしい」
「ああ、そうだな・・・・・・、あっ」
秋人は口を開いたまま、何かを思い出したかのように固まった。
「どうかした?」
「あー、いや、その、なんでこんなことを・・・・・・、そうか、だから暗号にしたのか」
一人でなにかに納得する秋人。
そして突然ノートを閉じて立ち上がった。
「謎の解明の協力、感謝するよ。この恩はアイスで返そう」
「アイスはさっきもらったし」
もらってしまったから協力することになってしまったのではなかっただろうか。
「ま、まあ、遠慮せずに。また明日来るよ」
「あっそう……?」
ノートをリュックにしまい込み、足早に去っていく秋人の背中を見送った。
急にどうしたのだろうか。
もしかして、私の悪口を書いていたとか!
だから急いでノートを回収したのでは?
『んなのにのらきちとなのにしち』
数多くのひらがなの羅列の中で、多く登場した並びを私はしっかりと覚えていた。
そのひらがなを辿って、キーボードを押していく。
そしてできた文章は――。
「バッカじゃないの!!」
ああ、もう本当に、なんてことをさせるんだ。
今すぐ追いかければ、文句を言うこともできる。
だけれども、なんだか暑くて暑くて、追いかけたらもっと暑くなる予感しかしない。
どうにかこうにか、パソコンからメッセージアプリを開いて、随分使っていなかったのでログインから秋人との会話の画面まで移動した。
文句は明日言ってやろう。
今日はとりあえず、一時間なんてかけてられないから簡単に。
「「てちかちとにもらとなのに」」とだけ打ち込んで送信。
明日も暑くなりそうだ。
この暗号文の解き方 ペンギン吾朗 @penguin56
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