宇宙に響く声

@OEDIPA_luna

第1話 

「なぁショータ。地球の外にどれくらいの知的生命体がいるか、分かるか?」

 二〇九九年、月面。どこまでも続いて見える砂地の中、じいちゃんは確かにそう言った。

 月面駆車(ルナ・ローバー)が小石に乗り上げてか小さくホップする。六分の一G――1.622m/毎秒の加速度を下向きに受け続ける環境では、地球と違って小さな段差ですら軽く車体が浮いてしまう。

 だからぼくは、気密処理された車内でロールバーを掴みながら答えたのだ。

「前に言ってた〝ドレイクの方程式〟だろ?」

 ドレイクの方程式――ぼくらの銀河系で、人類と接触(コンタクト)する可能性がある知的文明の数を推定する計算式だ。

 それくらい覚えていた。なにせぼくはクラスの中でも一等に本を読んでいる。まだ習ってない漢字でも、調べたらなんとか読めるのだ。

「おぅ、そんとおりよ! で、だ……これから向かう場所は、特別に見せてやる場所だ。秘密だし、人に喋っちゃなんねぇ。お前ェの胸にしまっとけ、できるか?」

 にぃっ、と口の端を釣り上げてじいちゃんが笑う。ぼくを試すような、少し小馬鹿にするような笑い方だった。

 けど、ぼくはこの笑い方が嫌いではない。何故って、

「今更だろ? じいちゃん」

 こんなのが、初めてじゃないからに決まってる。

「よぉし、そんなら話は早い。これから向かう場所はな、〝豊かの海〟のその先で――言っちまえば月のウサギの耳の先。月面の裏半球で要するにまだ、開発の手が及んでない未踏の地だ」

 つっても今使ってる、月面の位置情報くらいは衛星で取ってるけどな、と続けて、

「だからな、都合がいいんだよ。実にな」

「都合がいいって……何が?」

 その当時のぼくには、本当にわからなかったのだ。

 まだ調べてなかったし、日頃はあまり月面に出ないから緊張していた、というのもある。

 だからこそ、

「なぁショータ、宇宙へ向けた声ってのは、どう響くのか知ってるか?」

 その時は質問に答えられなかったし、

「あぁ。そいつが今日の宿題だ。……忘れんなよ?」


 ――じいちゃんが死んだ今になっても、ぼくは、未だ答えを出せずにいる。


 *


 式が終わってから、もう十日以上経つ。

 死因は聞いていなかった。と言うよりも、詳しく教えてもらえなかったという方が正しい。

 父さんと母さんはいつもそうだ。ぼくが知りたいと伝えても、「まだ早い」とかなんとか言ってはぐらかすばっかりで。そのくせ調べようとすると喜んだり、何を考えているのかわからない。

 ――わからないのは、いやだった。

「ショータ様」

 かたかたと目の前の端末で調べ物を終えたぼくに、ホリィが話しかけてきた。

 ゆったりとした黒のロングスカート、肩まで伸ばされたつやつやと光る髪。そのどちらもが、地球の六分の一の速さでゆっくりと翻(ひるがえ)る。

「もう十時間になります。そろそろ一度、お休みをとってはいかがですか?」

 こいつがさっきから同じことを、十回も聞いてくれるお陰で時間がわかって助かる。ちょうど十時間――つまり、父さんたちが地球(ホーム)からぼくを連れ戻しに来るまで、残り時間が半日を切った、ということだ。

「わたくしは、ショータ様の健康を守るよう仰せつかっております。何か、必要なものはございますか?」

 これも十回目。さっきから一時間刻みで、同じやり取りを繰り返す。当然かもしれない。

 なにせ、こいつはhIEなんだから。

 hIE(ヒューマノイド・インターフェース・エレメンツ)――「ひとのかたちをした、ひとのふるまいをまねるもの」のことだ。だからこいつらにこころはないし、さっきからこうして質問をしてくるのも、「ぼくを健康に保つよう、設定されているから」にすぎない。

 じいちゃんの身の回りの世話をしていたこいつに、ぼくはこの休暇のあいだ、ずいぶんと助けられてきた。月面での慣れない生活、勝手が違うことも多すぎたのだ。けれど、

「なぁホリィ。……ほんとうに、あの日、じいちゃんが何処に向かってたかだけは、教えてくれないのか?」

「はい。お答えできません」

「ぼくは今、暫定でお前の所有者(オーナー)だと思うけど……それでも?」

「はい。その旨はおじい様から厳しく命じられております」

 この質問にだけは、決して答えてくれなかったし、

「教えてくれたら、徹夜することもなかったんだけど」

「申し訳ありません。……血圧が上昇していますね。お歌でも唄いましょうか?」

 たまにこいつ、行動がちぐはぐになる時がある。クラウドに在る行動パターンから、ぼくの年齢――初等部に通っていることを踏まえて選んだのだろうけど。

「いいよ、hIEの歌なんて」

 古い映画の歌や歌謡曲ばかりのじいちゃんのライブラリだと、ぼくには少し古すぎる。それこそジイちゃんの鼻歌でなんとなく聞き覚えのある程度の曲ばかりだ。それにhIEの歌なんて、人口声帯を通じて音声データを再生しているだけでもあるし。

「それより……準備はできた。ホリィ、お前に聞きたいことがある」

 くるりと椅子を回して、ホリィと向かい合って言う。

「じいちゃんは、『答えを教えるな』と命じたんだよな?」

「はい。その通りです」

「『あの場所に連れて行くな』と言ったのか?」

「いえ。そうは命じられておりません」

 思ったとおり。じいちゃんは昔からこういうことをする。

 出不精気味なぼくを外に連れ出す、ずるいやり口だった。肝心なことは直接言わず、ぼくが自分から動くよう、呼び水となる情報を少しずつ置いていく手口。ほんと、ずるい。

「しかし、今向かうのは推奨できません。まだ余裕はありますが、太陽表面の運動が活発になってきている……との情報が上がっています」

 それに――と続けるホリィの首についた通信素子がちかちかと点滅しているのが見えた。活発に情報をやりとりしているとこうなるし、今は恐らく、月面を移動するとどうなるかを検討しているのだろう。

 それを遮って、ぼくは言う。

「――でも、僕は行きたいんだ。じいちゃんが最期、何を見せてくれようとしたのか……知らないままで地球には、帰れないよ」

 言い切った。そのまま真っすぐにホリィを見つめる。

 こいつに心なんてない。言ったところで、何が変わろうこともない。

 けれど今、ぼくが言わなきゃと思ったのだ。

 少し、間を置いてからホリィが、ゆっくりと口を開いた。

「承りました」


 *


 二度目の月面もやっぱり、どこかお腹の底がふわふわした。

 ほぼ真空なお陰で先がはっきり見えるけど、そのせいか逆に距離感が狂って頭がくらくらする。ホリィに運転を頼んでいなかったら、きっと途中で倒れていただろう。

 いつからか寝てしまっていて、ホリィに声をかけられたのは、何度目かにまどろんだ後のことだった。

「ショータさん、目的地に到着しました」

 目を開けると、ぼくの前にはただ星空が広がっていた。

 大気なんかに減衰されることなく星の光が届く、月面の空――というだけじゃない。

 上も下も、全方位ただ満天の光を湛(たた)えた、360°の星空だ。

「――未だ建設中ではありますが、月面初の電波望遠鏡。ここが、おじい様から申し付けられた場所となります」

「電波、望遠鏡……」

「はい。おじい様は、ここの建設に携わるため月面で過ごしておられたのです」

 思考が追いつかなかった。目の前へ広がる光景に、ただ打ちのめされていた。

「加えて、ショータ様。宇宙服の気密を保つようお願いします」

「……え?」

 聞き返す間もなくてきぱきと、ホリィはぼくの簡易宇宙服の気密処理を終えていく。

「先ほども述べましたとおり、太陽フレアが月面へ近づいておりますので、退避しなければなりません――が、問題が発生しました」

 とん、とホリィは座面を軽く叩いて、

「現在、当月面駆動車(ローバー)の車輪がスタックしております。ですからわたしが社外へ出て作業をせねばなりません。その際、車内は真空状態となります」

 ですから、宇宙服の着用を――と言って、チャックをじっと勢いよく上げる。

「つきまして、ショータ様には真空・低重力環境における車外作業の許可をお願いします」

 許可を、と言われてもそうするしかなかった。今、彼女の責任をぼくが取らないと、お互いが危ないのだ。

「わかった。許可する」

「承りました」

 言い終えるなりホリィは車内後部、外部への扉(ハッチ)を開いた。

 周囲の空気が車外へ吸い出される。一瞬にして気圧が下がったせいで、きらきらと大気中の水分が凍りついて漂った。音が伝わらなくなったから、妙に自分の心音だけが気になってしまう。

 ふと手元を見ると、さっきまで飲んでいたコーヒーが凍りついていくのが見えた。

「ホ、ホリィ……!」

 正直、ぼくはビビっていた。

 今まで体感することのなかった、生の月面、宇宙空間に。リアルな形で、目の前に死ぬかもしれない可能性が見えた。

 ただ、そこで聞こえたのだ。

 真空のただ中でも響く、馴染みのある歌声が。

「――」

 自分の鼓動だけが聞こえていた世界の中で、その低い歌声はゆっくりとぼくを落ち着かせてくれた。かつてじいちゃんが口ずさんでいた古い、古い映画の劇中歌。

 どくどくと聞こえていた心音が収まった頃、窓の外にふわり、と漂うホリィの姿が見えた。

『――血圧、心拍ともに正常。……落ち着かれましたね』

 そのまま窓の縁につかまって、ホリィはほんのり笑って言う。

『知っていましたか? hIEの歌声は、電波に乗って響くんですよ」

 にこっ、と唇の端を引き上げる笑いに、ぼくはじいちゃんのことを思い出していた。

 ぼくを少し試すような、それでいていやじゃなかった、あの笑いを。

「ねぇホリィ……じいちゃんはこの場所について、ほかになんて言ってた?」

 ホリィは少し黙ってから、ゆったりと答えてくれた。

『〝俺はここまでだ。あとはアイツに任せるさ〟――と、仰っておりました』

「そっか……」

 ホリィが作業を終える頃になると、少しずつ太陽フレアの影響が実感できるようになってきた。目の前に、光る雨がぽつぽつと降っているように見えたのだ。

 視覚系にぶつかる粒子が、光として感じられていた――なんてことを知ったのも後になってからだけど、その時、ぼくはぼんやりと考えていた。

 じいちゃんの言葉の意味、〝宿題〟の答えについて。

 ホリィが作業を終えて、車内に戻ってくる。ずっと聞こえていた歌声にノイズが混じり始めて、そろそろ戻らなければならないことがわかった。

『ショ――さ――。発車しま――』

 切れ切れのホリィの声が聞こえる。ゆっくりと月面駆動車が動き出す。

「――わかったよ、じいちゃん」

 

 *


 ぱたんと端末を閉じる。あの頃を振り返るのも、もういいだろう。

 月-地球往還艇の窓から見える電波望遠鏡は、やっぱりぴかぴかと光って見えていた。

 二一一〇年、月軌道上。ぼくは――いや、僕は、再び月面へとやってきていた。

 目的は、電波望遠鏡を通じたSETI――地球外知的生命体探査(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)に、大学院の卒論のため関わること。加えて、これはできれば、であるけれど。「hIEを用いた外宇宙探査」のため研究をすすめることだった。

 電波望遠鏡で、地球外からのメッセージをじいちゃんは受信しようとしていた。

 そのじいちゃんが、「あとはお前に任せる」と言ってくれたのだ。

 なら、僕がやろうとすることは決まっている。こちらからも、メッセージを返すのだ。

 宇宙に響く、電波という歌声で。

 更に言うと、これから僕が進める研究には、一つ、重要なものがある。

 hIE――「ひとのかたちをした、ひとのふるまいをまねるもの」だ。

 hIEは外宇宙に行く最中も、さびしさを感じることはない。そして、彼らがもし〝誰か〟と出会うことがあったなら、もはやそれは〝ひと〟と〝誰か〟が出会うことと変わらない。

 世界は、そう変っていく。なら、ぼくもその先に進むのだ。

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