【短編】ハッピーメリークリスマス

ボンゴレ☆ビガンゴ

ハッピーメリークリスマス

 目に見えるのはイルミネーション。見えなくてもわかるのは高揚感。

 そう、今日はクリスマス。駅前には巨大なクリスマスツリーが設置され、色とりどりの電飾が括り付けられた鈴やリンゴやカラーボールを照らしている。

 その巨大なツリーの周りには人の海。人々はどこか嬉しそう。溢れる人の数だけ、それぞれのクリスマスがあるのだ。

 愛を語る若いカップル。子供へのプレゼントを抱え足早に駅へ向かうサラリーマン。 来年こそは彼女を作るぞと決起集会を行う、それでも楽しそうな独り身の男たち。

 誰もが未来や希望を語り幸せを噛み締める一日。


 僕も人々と同じ高揚感に包まれながら、駅前の巨大なツリーの前に立っていた。鞄の中には小さな宝石のついたリング。

 五年間の恋人生活に終止符を打つべく、給料の三ヶ月分を費やし買った指輪だ。

「最近痩せたね」なんて彼女は言っていたが、僕の食生活がここ数ヶ月もやし中心だった事を彼女は知らない。


 腕時計を確認する。約束の時間になっていた。

 ごった返す人の中にいるであろう彼女の姿を探す。

 それにしても、予想以上に駅前は混雑していた。東京のど真ん中の繁華街だという事を差し置いても、これだけの人がひしめき合うのは珍しい。

 クリスマスだからなのかなと思っていたが、そのわけを僕は電光掲示板とアナウンスで知った。


 また、人身事故だ。


 随分と前から電車は止まっているみたいだ。年間三万人を越えた自殺者数も歯止めがきかないらしい。 先行きの見えない未来。増える自殺者。

 僕の勤める会社だって、売上は年々減っている。 上司が口を酸っぱくして言うのは「経費削減」

 このままいけば来期は僕ら社員が削減されるかもしれないというのが専らの噂だ。


 この時代、誰だって疲れている。生きる希望も見いだせず、疲れた心を癒す場所もない。「こんな人生なんて」と悲観的になることだって僕にもある。

 だけど、今は。今だけは彼女が僕の未来を明るく照らしてくれているのだ。

 指輪の入った鞄を撫でる。幸せへの乗車券がここにあるみたいだ。

 プロポーズの言葉も考えている。あまり気取りすぎないほうがいいが、バシッと決めたい気持ちもある。何度も頭の中でシミュレーションしていた。

 涙もろい彼女のことだ。こんなサプライズをしたら泣き出すかもしれない。

 そんなことを考えると、少し頬が緩んでしまう。いかんいかん。こんなところで一人でニヤニヤしていたら変な奴だと思われてしまう。

 小さく息を吐いて頬を引き締めた。


 それにしても、まだ彼女は来ない。街を見渡し、少し背の小さい彼女の姿を探す。これだけの人だ。来ていても僕に気がつかないのかもしれない。

 携帯電話を取り出し、電話をかけようとすると、メールが入っていた。彼女か

らだ。


『電車が途中で止まっちゃってる。人身事故みたい。ごめんね』


 そうだ、さっき電光掲示板にもそんなことが書いてあった。顔を上げ、表示を見る。

 『人身事故の影響で運転を見合わせております』


 なんてことだ。ディナーの予約は七時なのに。

 時計を見る。間に合わないかもしれない。これじゃせっかく考えたプロポーズの作戦が台無しになってしまう。こんな時に限って人身事故だなんて。


「まったく……」


「——ちっ。迷惑だな。クリスマスに自殺すんじゃねえよ」


 声にドキッとして周りを見渡す。隣で電光掲示板を眺めていたサラリーマンが吐き捨てるように言ったのだった。


(クリスマスなんかに自殺するんじゃねえよ)


 なんて、冷たい言葉なんだろう。

 なんて、ひどい言葉なんだろう。

 僕は顔を背けた。


 でも、僕は彼を批判できない。だって、僕が心に抱いた言葉はこのサラリーマンと同じ言葉だったから。


 僕はなんて悲しい人間なのだろう。人が一人、死んだかもしれないというのに、抱く感想はたった一つなのだ。


(電車が動かなくて迷惑だ)


 ただこれだけだった。


 自分のことしか考えていない。

 僕は自分の幸せしか考えていないのか。


 先ほど吐き捨てたサラリーマンの手にはオモチャ屋の手提げ袋。 綺麗にラッピングされたその箱を「メリークリスマス」なんて言って子どもに渡すのだろうか。

 それとも、サンタさんのフリをして寝静まった子の枕元にそっと置くのだろうか。

 どちらにしても、その瞬間の彼の表情はきっと幸福に満ちていて、良いお父さんそのものなのだろう。

 それなのに、彼は時にあんなに冷たい言葉を吐くことができるんだ。人間ってなんてひどい生き物なんだろう。


 そして、それは僕だって同じだ。

 鞄には婚約指輪を忍ばせて、彼女に愛を伝えようとしているにも関わらず、他人には酷く冷たい。

 なんでだろう。人は皆、優しい心を持っているのに、同時に酷く残酷な心も併せ持っている。


 突然の強烈な異臭に、僕は眉をひそめた。

 僕の脇をボロボロの服を纏った老人が歩いていった。

 白髪混じりの浅黒い毛むくじゃらの男だ。ヨロヨロと歩いていく男の瞳は暗く濁っている。駅前のベンチはホームレスが長時間座ったり寝たりできないような設計になっている。行き場のないその老人が足をひきずって歩くと、誰もが眉をひそめ身を逸らした。


 その中でも、醜く歪んだ顔で大袈裟に飛び退く白いコートの女がいた。あまりに大袈裟なので目に留まったのだ。

 とびっきりのおしゃれをした彼女は隣の彼氏に言った。


「あいつ超臭いんだけど」


 その声は大きかった。老人にも聞こえるくらい。

 老人は聞こえないのか、聞こえないふりをしたのか、黙って俯いて歩いていった。


 老人が去ると、彼女は何事もなかったように、天使のような可愛い笑顔で彼に笑いかけた。


「今日ホワイトクリスマスになるかもしれないってニュースでやってたよー」

「マジ? それちょーロマンティックじゃん」


 腕を組んだ彼らは繁華街の方へ歩いて行った。


 雪が降ったらあの老人は凍えた身体を暖めることができるのだろうか。

 年に一度のクリスマス。

 街に流れるメロディーは愛を歌っている。

 誰にでも幸せが訪れると、陽気な歌声は歌っていた。

 

 メリークリスマス。

 誰に対して?


 メリークリスマス。

 誰のために?


 今日も何人もの人が自殺している。

 今日も何人もの人が殺されている。


 幸せって見ない振りをすることなのだろうか。現実を、日本を、世界を、全て無視して自分の周りだけを見るのだ。そうすれば自分だけは幸せを感じる事ができるんだ。

 テレビの女子アナは言っていた。


「皆さん良いクリスマスを」


 メリークリスマス。

 募金箱を抱える子供の脇を幾人もの人が通り過ぎていく。


 メリークリスマス。

 帰る場所のない老人がいる。


 メリークリスマス。

 帰らない親を待つこどもたちがいる。


「でも……」もう一人の僕が言う。

「クリスマスくらい、楽しいことだけ考えようよ」


 そうだよ、今日は一年に一度のクリスマスなんだ。

 今日くらいは目をつぶろう。


 だってみんな笑ってる。

 僕だって、笑っていいんだ。


『運転再開したみたい。あと二駅で着くよ! ごめんね。寒かったらどこか喫茶店でも入っててよ』


 大好きな彼女からのメールが届く。


『大丈夫、駅前で待ってるよ』


 大好きな彼女へメールを送る。


 メリークリスマス。

 幸せな日本人に。

 メリークリスマス。

 きっと幸せに包まれているこの世界に。


 メリークリスマス。

 誰もが、幸せになれますように。


 メリークリスマス。


 空から、ふわりと白い何かが舞い降りた。

 僕は空を見上げる。


 早く彼女に会いたい。

 そう思った。


「完」

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