第3話
後日。僕、岡田友也は、華蓮と共に件のビニルハウスへとやって来ていた。
「今考えると、この継ぎ接ぎだらけのビニルハウスは、外側から中を見えづらくするための工作だったのかもね」
華蓮が冷静に分析する。あの日以来、華蓮は明確に事件とも分からないものには、無闇に首を突っ込んだりしないようになった。あれから華蓮なりに何か学べたということだろうか? だとしたら、こんなに喜ばしいことはない。
……と、僕は思考の中でそう結論づける。実際にはそんな感慨、一切覚えることがないというのに。
つくづくこんな自分に嫌気が差した。僕は幼少の頃から、こうやって思考の中で感情らしきものを作り出し、あたかも本当にそうであるかのように振る舞ってきた。決して他人にバレないよう、小説などの文学作品や、心理学の本を読み漁った。そうして、どうにか僕はまだ、人間のまがい物でいることができるのだ。『人間失格』のピエロのように。
だがそれがとうとう、六本木千歳にバレてしまった。つい先日のことだ。
元から彼女には言い知れぬ危険を感じていた。彼女は性根こそ腐ってはいるものの、人の奥底を覗き、操ることができるほどに、人の心理というものに精通していた。だから僕も、彼女に対してできる限りの距離を取ってきたというのに……
でも、それ以上に衝撃だったのは、そんな彼女に対してでさえ、憎しみや怒りといったものを、何ら感じることのなかった……僕自身だった。
「ちょっと友也、どうしたの?」
華蓮に声をかけられる。その顔は心配そうにこちらを見つめていた。僕はよほど思い詰めた顔をしていたに違いない。
「うん? あ、ああゴメン。ちょっと考え事をしてて」
「中、入ってみようよ、ビニルハウス」
「ああ、そうだね」
華蓮を先頭に、僕たちはビニルハウスの中へと再び入っていった。
「わあ……!」
あの後、見事に咲いたチューリップは、外側が赤色で内側が青色という、統一こそされていないがカラフルで美しいものとなった。華蓮がそれを眺めて、うっとりと陶酔している。
花の根本を見ると、針で穴が開けられていた箇所の近くにもう一度、穴が開けられていた。開花を遅らせるのと同じようにチューリップにはもう一つ特性があって、無事チューリップが咲いた後、再び花弁の根本部分に場所に針を通し穴を開けると、今度は逆にチューリップの開花時間が延びるのだという。植物の不思議だ。
「……ねぇ、華蓮」
堪えきれなくなって、つい言葉が出てしまう。
「あくまで仮定での話なんだけど、一生、誰かを好きになることも誰かを憎むこともなく、ただ生きていく人がいるのだとしたら、果たしてその人は幸せだと思う?」
声が震えていた。この前の出来事は、どうやら僕の想像していた以上に、大きな衝撃を僕にもたらしたらしい。
華蓮は一瞬きょとんとした表情になり、固まる。僕は意味が伝わらなかったのかと不安になって、再度口を開きかけた。だが、それを華蓮の爆笑が遮った。
「ぷっ……ふふっ、あははは!」
「なっ……」
突然のことに僕は言葉を失う。それはそうだ、誰だって真剣な悩みを笑われたらこうなるだろう。
僕は、そうやって冷静に一般人がするであろう反応をして、華蓮に驚きと不満の感情を抱いていることを示す。
一通り笑い終えたのか、華蓮がゴメンゴメンと謝りながらこちらに向く。
「そりゃ、その人は幸せなんかじゃ絶対にないでしょ。不幸も不幸、幸福の対極に位置しているわ」
きっぱりとした、明確な断言だった。僕は俯き、落胆の意を示す。
「それでも」
逆接。
「その人が一生そのままだとは、限らないんじゃないの?」
顔を上げる。華蓮が僕の目の前で、何かを踊らせていた。
「え、何で今ここに……」
困惑顔を浮かべる。だって今、華蓮が持っているのは、
「……青い、チューリップ?」
この世に一本とないはずの花だった。
「まあ、造花なんだけどね」
苦笑しながら、華蓮が手の中のそれを弄ぶ。唐突な青いチューリップの登場に、僕はいまだに困惑の表情を止めることが出来ないでいた。
「青色のチューリップの花言葉、分かる?」
「ううん、全く」
質問の意図は分からなかったが、正直に答える。花は見ていて楽しいが、花言葉には詳しくなかった。
「正解はね……まだ存在していないの」
華蓮がニヤリと口角を持ち上げて、自慢するように話す。
「青色のチューリップはまだ開発されていないから、花言葉もまだ決めないでいようって、そういう風に約束されているの。そうやって何十年も、空席の花言葉は青色のチューリップの開発を、誕生を諦めずに待ち続けている。たとえ、青色チューリップの開発が不可能だと、永遠に無理だって言われ続けても」
華蓮は続ける。
「だから、そうやって諦めて、悲観することもないんじゃない? 私たち、まだ生まれてきて二十年も経ってないんだよ。そんなんで諦めてたら、何十年も開発方法を模索している研究者にも、ずっと誕生を待っている、まだ存在しない青いチューリップにも失礼。明日にでも青いチューリップが誕生するかもしれないように、もし、その誰かさんが誰に対しても特別な感情を抱けないのだとしても……明日もそうだと言い切れる理由は、どこにもないんじゃないの?」
華蓮は笑顔で話す。その笑顔を見て僕は悟った。
きっと華蓮は、その誰かさんが僕のことだって、初めから分かってたんだな。
「これ、あげる」
華蓮が持っていたチューリップを僕に握らせる。
手に持っていたそれは造花とは思えないほど温かく、希望という名の生命力を湛えていた。
……。
ああ。
六本木千歳が、何故あれほど華蓮に入れ込んでいたのかが、少し分かったような気がする。
華蓮はどこまでも真っ直ぐで、そして誰よりも美しく、人間的なんだ。
どこかで漫画のキャラクターが言っていたっけ。
『もし完全な人間がいたとしても、不完全さが欠けてしまう以上、それはもう人間ではなくなってしまう』
きっと不完全さこそが人間で、だからこそ、今こうして華蓮は輝いている。
華蓮は今まで、たくさん間違えてきた。この前の推理だってそうだ。でも、彼女はそれで屈せずに、確かさをもって成長してきた。多分、華蓮はもう思い込みの推理で失敗することはない。
六本木千歳は、華蓮のそんな所に惹かれたのかもしれない。
「だから、希望を持っていこうよ、友也」
「……うん」
僕はチューリップを、それから華蓮を見つめて力強く頷いた。
顔が熱いのは、きっとビニルハウスの中が暑いせいだ。
ALTER FACT 桜人 @sakurairakusa
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