第2話

 照明の消してある自室に、携帯の光だけが不健康に灯っている。

 まさかこれほどまで上手くいくとは、さすがに予想外だった。

 録音してあった先ほどの通話を再生する。大好きな親友が初めて恋心というものを抱いた、まさに記念すべき音声だ。

 再生する。

 再生する。再生する。

 再生する。再生する。再生する。

 再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生再生……プルルル。

「ちっ」

 折角のところで邪魔が入る。

 重たい体を起こして番号を確認する。知らないものだったなら怒鳴り散らしてやろうかとも思ったが、果たしてその番号は私のよく知るものだった。

 口角が持ち上がる。

「もしもーし! いえーい。新聞作成委員会所属、希代にして期待のウルトラ記者、みんなのアイドル六本木千歳ちゃんだぜっ!」

 私、六本木千歳は陽気に応える。電話の向こうで、彼は一体どんな表情をしているのだろうか。

『何でこんな事をしたのか、説明をして欲しいな、六本木さん』

 電話の向こうで彼、岡田友也はあくまで冷静に話す。だが、その声音は中々に険悪なものだった。

「ん、何のこと? あ、それより華蓮から聞いたよ。今回は岡田君が事件を解決したんだって? すごいじゃん!」

『真面目に応えて欲しい。僕は、素の君と話がしたいんだ』

 何だ、バレていたらしい。お言葉に甘えて演技を止める。

「……はぁ、話したい事って何? 私が関口を騙して爆発事故を起こさせたこと? それとも、對比地桜を唆して探偵部を離反させたこと? 岩井の不安を煽って花壇の世話を始めさせたこと? それともそれとも、岩井がえらく読み込んでいたという本を、それとなく司書さんの頭に残るようにして、君の推理の補助をしてあげたことかな?」

『全部さ。君の仕込んできたこと、全て』

 電話の向こうからは、動揺した様子は見られない。冷静で冷酷で、硬い声だ。

『君が今日のために何やら長いこと、色々と計画を実行してきたことは知っている。関口や對比地、岩井を操っていたことについては、もちろんそこに本人の責任があるわけだし、何より僕とは関係のない所でのことだから、それを今まで咎めはしてこなかった。だが華蓮は別だ。華蓮は僕と同じ探偵部の、大切な人間だ。もし君が華蓮にまで何か危害を加えようというのなら、僕は君を赦さない』

 語尾に怒りを感じる。私は思わず吹き出してしまった。こいつは一体、どの口でそれを言っているつもりなのだろうか。

「別に華蓮に危害を加えようなんて思っちゃあいないよ。ただ見たかった、それだけ」

『見たかった?』

「華蓮の恥じらう顔、陶酔する顔、不安に顔を歪める所を。私が何で新聞作成委員会なんてかったるい所に入ったのか、分かる?」

 携帯の放つ弱い光に照らされて、机の上に置いてあるカメラが鈍く光ったような気がした。もう何枚撮ったのかさえ分からない、大切な相棒だ。

『……そのためだけに、君は関口を退学に追い込んだっていうのか』

 岡田が激昂する。

「そのためだけ? 冗談。私は華蓮を愛しているの、もちろん一人の女性としてね。少なくとも、君よりはずっと華蓮のことを想っている」

『……』

 私は、華蓮のことが好きだ。恋愛対象として、心から彼女を愛していると言っていい。そのために、私は今まで、彼女の色々な姿を写真に収めてきた。

 嬉しい顔、哀しい顔、怒った顔、笑った顔……ただ、その中でどうしても撮ることの出来ない表情が一つだけあった。

 親愛や慈愛、その原点にある、愛するという表情。

 本当のところは、私に対してその表情を向けて欲しかった。

 でも私は知っている。この恋はきっと叶うことはないのだろうと。この想いはきっと、届くことはないのだろうということを。もう十年以上の仲なのだ。華蓮はきっと、私の事なんてただの腐れ縁の友人というぐらいにしか認識していないのだろう。

 だったら、私の想いが届かないのだというのなら……擬似的にその相手を作ってしまえば良い。

「對比地桜の性格を変えてあげるのは簡単だったわ。あの地味子、驚くほど単純で笑っちゃうくらい。ちょっと化粧を教えてあげて、服を着飾らせて、可愛いーって褒めてあげれば、あっさり。あの不細工な面を、なんとか装飾で誤魔化してあげたってだけなのにね。それで探偵部の男どもを誑かして離反させれば、華蓮と君、二人だけの部活動が完成する」

『……』

「その後はまあ、適当に華蓮が解決したくなるような謎を用意して、華蓮より先に君が真相に辿り着いてくれれば、万事、計画の完成だ。そうやって君が格好良い所を見せてくれれば、華蓮もきっと君に対して、何らかの感情を抱いてくれるだろう。そういうことで色々と奔走したんだけど、私の推測は見事、これ以上ないほど的確に当たったというわけだ。はっきり言って華蓮に推理の才能は無い。だから、彼女がとっとと事件を解決してしまうといった心配はしていなかったし、だからこそ私も自由に事件を起こすことが出来た。このくらいかな、君が聞きたかった事って。それにしても良く、この一連の出来事全てが私の考えたことだって分かったね。君は私の想像していた以上に、頭がキレるようだ。いや、この場合は頭が壊れていると言った方が良いのかな?」

 若干話しすぎてしまっただろうか。計画通り過ぎる出来に、私は知らない所で浮かれてしまっているのかもしれない。

『君はそれでいいのか。人の心を、あまつさえ親友の恋心までをも弄んで……』

 なんと、この男は正義面をして私に説教をたれてきた。

加虐心が刺激される。

「は? 『愛』っていうのは作るものでしょ? 君は、今いるカップルたちが本当に、互いに互いを心から愛し合って成り立っているとでも思ってるの? 馬鹿を言わないで。現に、對比地は作られた魅力で馬鹿な男たちからの愛を受けているわけだ。今存在する愛は、ほとんどがそうやって偽物の魅力から出来ているの。一人の童貞と一人の処女が互いに一目惚れをし合って、ついでに相性も最高で、二人はそのまま一生を添い遂げましたなんてのは、全部夢物語。世の中は、君が思っている以上に希望なんてないものさ。……それすらも理解してないっていうのは、まさか君、何で私が君を華蓮の疑似的な想い人に選んだか、分からないの?」

『っ……』

 岡田が黙り込んだ。動揺している。なんだ、案外自分のことは理解しているのか。

 このまま私が今思っていることを口に出したら、彼は一体どんな反応をするのだろう。

「……君、人を好きになったことないでしょ」

『黙れっ!』

「それどころか、人間がおおよそ他人に抱くであろうほとんどの感情を、君は周囲の人間に関して抱いたことがない。違う?」

 つい嗜虐欲が出る。偽りとはいえ、華蓮から恋心を向けられる存在に対しての羨望故か、それともただの嫉妬か。まあ、今はそんなこと別にどうでもいい。

「君が何で今日の事件を解決できたか、分かる? 君が何者に対しても、何か特別な感情を抱いてはいなかったからだ。華蓮は小林先生の校内放送の声音などから、小林先生と岩井の間には、何か険悪なものがあるはずだといった偏ったイメージを持ったはず。別に彼女を責めるつもりはない。むしろそれはとても直情的で、そして何よりこれ以上無いほどに人間的だ。君はそんな華蓮に対して、人の心を見落としていると言ったそうじゃないか。とんでもない、それは君自身のことだ」

『違う、それは』

「何が違う? 君は誰に対しても、そういったイメージや固定観念を持っていない。むしろ持てないんだ。だから物事を客観視できるし、俯瞰することが出来る。そしてそのおかげで、君は對比地に籠絡されて探偵部を離反するなんてことはしなかったし、今回の事件を無事解決することだって出来た。何とも素晴らしい能力じゃないか。まあそんな能力、私は絶対にいらないけどね。……そしてその特異さには、私が計画を遂行する上でもう一つ大きな利点があった」

『……そういうことか。六本木千歳、君はどうやら本物の愚図らしい』

「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」

 別にこの性格は今に始まったことじゃない。何と言われようと、私は今の私が大好きだ。だから、仕方が無い。

「君を華蓮の想い人に選んだ最大の利点、それは――」

 岡田の声が無機質な電子音に変わった。通話を切られたのだ。

 私は顔から携帯を離し、ゆっくりとベッドに仰向けになった。窓から満月が臨める。

 その球体は、その丸は、私の計画の成功を、心から祝福しているかのようだった。

 自然と口が開く。

「私が君を選んだ理由、それは――」

 月の裏面が決してこちらを振り向くことのないように、

「絶対に、君が華蓮に振り向くことがないからだよ」

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