ALTER FACT
桜人
第1話
―生徒の呼び出しをする。
今日、花壇のバラに水をやった生徒は、職員室の小林の所まで来なさい。
以上―
*
放送を聞いた私、瀬田華蓮は不意に違和感にとらわれて、向かいに座って本を読んでいる岡田友也に話しかけた。
「ねぇ、さっきの放送、何だか変だと思わない?」
「んあ? いや、別に。普通に生徒を呼び出したってだけじゃないの?」
眠たそうに目を細めながら、岡田はこちらが少し苛々するほどのゆったりとしたスピードで返す。ここ一年の付き合いで、私には彼の性格が大体把握出来ている。おそらく岡田は本当にそう思っているのだろう。
「そんなわけないでしょ。小林先生は、花壇の水やりを一人の生徒に一任していたじゃない。確か……そう、岩井君だっけ、岩井亮祐君。だからこの場合、わざわざ小林先生は『花壇のバラに水をやった生徒』なんかじゃなく、素直に『二年三組の岩井亮祐』と言って彼を呼び出せば良かったのよ。その方が呼び出される側も分かりやすくて楽だというのに」
「そうだっけ、岩井君って物理部でしょ? 最近はあんまりいい噂聞かないけど……そもそもうちの学校の花壇って生物部が管理しているんだし、岩井君は関係ないんじゃないの?」
「あれ、そうなの? でも私、いつも彼が花壇の手入れをしているところを、よく見かけるわよ」
「じゃあ……趣味とか?」
「だったら、彼はとうに物理部と生物部を兼部している立場にあると思わない? 現にそういう人たちだって大勢いるわ」
私の頭の中に幾人かの顔が浮かぶ。山岳部と地学部を兼部する野本とか、野球部とサッカー部の兼部という、極めて何をしたいのかが良く分からない黒嶋とか。まあこの高校では、物理部と化学部を兼部する、関口という奴が最も有名な存在であろう。
「でも、そういう話は聞かないな。やっぱり岩井君は物理部のみの所属だと思う」
「……成程」
私はゆったりと体重を椅子の背もたれに預け、腕を組んだ。これは新入部員獲得に向け、我が部活の評判を上げるに有効な、いい事件になりそうだ。
思わず口角が上がる。さぞかし嫌らしい顔をしているだろうが、顔面の筋肉は今の私に笑顔以外を許さない。
「いやいやいや、確かにおかしな点は幾つかあった。華蓮の指摘も正しい。だけど、それらは全て勘違いやその場のノリといった、論理の外にある言葉で片付けられてしまう事柄だ。証拠だって何も無い。岩井君はどうせ課題の未提出か何かで叱られるために職員室に呼ばれただけだ。あの万年赤点男なら仕方ない。そこに華蓮の望んでいるようなことは何も無いんだ」
私を見て何かを察したのか、急に岡田の言葉数が多くなる。おそらく私に自制を促しているのだろうが、無駄だ。何故なら私はもう、既にやる気になってしまったから。
「よし、新年度一発目の活動が決まったわ。『小林先生の不自然な呼び出しの謎』ね。岩井君、もしくは花壇に水をやった生物部の誰か、の呼び出された理由が、ただのくだらない、それこそ水やりの怠慢を叱るためだとかでは決してないということを、証明しましょう。上手くいけば、この活躍で校内新聞の一面を飾れるかもしれないわ」
未だ反対の言葉を並べる部員を、私は軽やかに無視して続ける。
「ここは、そのための探偵部なんだから」
美術部・真野萌奈美の証言
ああ、うん。岩井君ね。へぇ、彼、そういう名前だったんだ。
うん、いつも放課後に水をやっているからね。私もデッサンで良くここを使うから、ちょっとした顔見知り。一回くらい話したこともあったっけ?
今日の彼? いつも通り、普通だったよ。変わった所なんてなかったな。
え、花壇が荒れてるかだって? 見れば分かるでしょ、これもまたいつも通り、キレイなもんだよ。
ああ。ただ、あそこの奥にあるビニルハウスから、今日は彼、中々出てこなかったっけ?
早速、部室を出た私と岡田は、例の花壇の近くでデッサンの練習をしていた真野萌奈美に話を聞いた。
運の良いことに、彼女はここで岩井を何度も見かけたことがあるという。
「へぇ~、綺麗だなぁ。何て名前の花だか、知ってる?」
「さぁ、描くのは好きだけど、あまり詳しくなくてね。分かるのは……あそこのパンジーくらいかな」
岡田は謎の解明なんてどうでもいいという風に、真野と花壇の花について話をしている。二人とも楽しそうで、私は何故だか腹が立った。
「友也、行こう」
真野に礼を言い、彼女から離れる。岡田は少し困惑した様子だったが、彼女に別れを言い、小走りで私についてきた。
私は歩きながら岡田に訊く。
「どう思う?」
「どうって?」
「花壇は荒れていなかったし、その他にも見た限りではどこにも不備はなかった。つまり彼、岩井君は水やりの手抜かりで呼び出されたわけではなかったということよ。花壇に水をやった生徒として呼び出されたにも関わらず」
岡田はう~んと唸って返す。
「岩井君を匿名的に呼び出したかった?」
「それなら他にいくらでも方法があったはず。第一、彼と同じクラスの私たちにはあっさりとバレているわけだから、正解とは言えないわね」
だとすると、小林先生は岩井個人を呼び出したわけではなく、あくまでも花壇の花に水をやった生徒を呼んだということになる。やはり花壇には、私たちが見落とした何かがあるのだろうか。
「ねぇ、花壇の土は見た? 何かを埋めた跡や掘り返した跡とか、そういうものは?」
「土? いいや、なかったな」
一瞬期待をしてしまったが、望んだ答えは返ってこなかった。そういうものだと気持ちを切り替えるが、残った未練が頭の片隅で暴れている。
と、ここで、何やら見知った顔が前方からやって来た。彼女は私たちに気がつくと、大きく手を振りながらこちらに駆けてくる。
「いえーい、新聞作成委員会所属、希代にして期待のウルトラ記者、みんなのアイドル六本木千歳ちゃんだぜっ!」
何とも溌剌とした笑顔が輝いている。横ピース姿でお決まりの長ったらしい挨拶をかます親友に、岡田は関わるまいといつの間にか距離を取っていた。私は構わずに口を開く。
「いいタイミングね、千歳。今ちょうど我が探偵部で、貴女の求めているような良い感じのネタが出来上がりつつあるんだけど……」
「何それホントっ。私スゴイ気になるっ」
あっさり食い付いた。やっぱりチョロいなぁ、千歳。
「ええ。まだ調べている最中だから詳しくは語ることが出来ないんだけど、私自身、中々のスクープになるんじゃないかと期待しているの」
「いやっほぅ。また私の才能の一端が詳らかにされてしまったのね、何もしていなくてもスクープが勝手にやって来てくれる……罪な女……っ」
言ってろ。
「あと、情報提供料の代わりに、探偵部の名前と功績を前面に押し出した記事にして頂戴ね。部員募集の旨も忘れずに」
「了解了解。じゃあ今日の夜に電話するねっ。グッバイ!」
そう言い残して、六本木千歳は去っていった。どこかに隠れていた岡田が戻ってくる。
「あんな約束をしておいていいの? 別にまだスクープと決まったわけじゃないんでしょ」
「いいじゃない。探偵部部長としては悔しいけど、千歳の情報収集能力は群を抜いている。私たちの活動がネタにならなかったとしても、その時はその時で、どうせ彼女は別のスクープを手に入れているはずよ」
そういう女だ。何年も付き合ってきて、彼女のそういう所は嫌というほど分かっている。
「ところで友也。貴方、図書室に用はない?」
「ん? さっき借りていた本を読み終えたから、それを返しに行きたいかな」
そういえば、あの放送があるまで、岡田は本を読んでいたのだった。
「じゃあ、それを返すついでに、最近岩井君が図書室で何か調べ物をしていたり、本を借りたりしていたかを調べてもらえる? その間に私は、他の人からも話を聞いてくるから」
まぁそれくらいならと、岡田は大して気乗りしていないといった様子も見せずに、私に背を向けて図書室へと向かっていった。
いい証拠を見つけてくれたまえ、ワトソン君。
生物部部長・本間義則の証言
うん、小林先生はうちの部活の顧問だけど。
花壇? あぁ、実はあれも生物部のものなんだ。といっても、ほとんど彼が管理しているんだけどね。えっと誰だっけ……そうそう、岩井君。
確か、小林先生が趣味で花の品種改良をやってるみたいで、そういうのに彼も興味あるらしいから手伝っているんだって。なんでも、成功したら億万長者も夢じゃないってくらいのことに挑戦してるとか。
まぁ、うちの部は水棲生物を主に研究してるから、詳しくは分からないんだけどね。
……。
妄想の細部が、証言によって補強されていく。一本の無骨な丸太が、熟練の職人の手によって段々と如来の姿へと彫られていくかのように、私の妄想はいつしか、様々な方向から打ち込まれるノミによって削られ、あるいは同じ種類の木材に接がれ、そういったことを繰り返していきながら、ようやく推理と呼べるようなものにまで発展していった。
「遅い。この私を待たせるなんて良い度胸ね。何かしらの理由がなければ、怒るだけじゃ済まないわよ。まぁ、別に理由があっても怒るんだけど」
「安心してよ。岩井君に関して、結構有力と思える情報を手に入れてきたから、これで勘弁して」
岡田はそう言って、右手に持っていたかなり大きめの本を私に差し出した。
「昼休み、よく図書室に来ては岩井君が手に取っていた本だって。司書さんから聞き出すの、大変だったんだよ?」
本の題名は『園芸植物~品種改良とその歴史~』。
神様という奴はどうやら、どうしても私にこの謎を解かせたいらしい。何とも圧倒的な証拠に、私は心の中でガッツポーズをした。
「ビンゴ。案外簡単だったわね、この謎」
「いやいや、分かったのなら格好つけてないで早く解説してよ」
得意げにニヤリと口角を上げてみたのだが、あっさりと無視されてしまった。何だか悔しい。ほんの少しだけれども、感嘆を期待してしまった私が恥ずかしかった。
「もう一度花壇に向かいましょう。話は歩きながら」
返答を待たずに私は歩を進める。足音で岡田がついてきているのを確認してから、私は口を開く。
「私が予想した通りで、やはり岩井君は、水やりの不備を叱られに職員室に呼ばれた、というわけではなかったの。叱責という理由は変わらないけど、少なくとも、彼は水やりの不備を責められているというわけではない」
「じゃあ、その理由って……」
「過程を省いて話すと、彼、つまり岩井君が今までずっと隠していた秘密が小林先生にバレてしまった、というのが、彼の呼び出された理由でしょうね」
私は岡田から渡された本を適当に開く。よほど読み込まれていたのだろう、目的のページには何度も開かれた跡が残っており、それはすぐに見つけられた。
「花壇の奥まった所にビニルハウスがあったのは覚えている? そこで育てられていた植物はおそらく、これでしょうね」
私はその植物についての記述がある部分を指して、岡田に示す。
他のページにはそれぞれの植物の写真がカラーで掲載されているというのに対して、その植物には写真がなく、ただ想像としての絵が載せてあるだけだった。岡田もそれに違和感を覚えたらしい、眉根を寄せて難しい顔をしている。
それもそうだろう、こんな植物、天然であれ養殖であれ、この世には存在していなかったのだから。
チューリップ。
ユリ科チューリップ属で、形態は有皮鱗茎。球根を持ち、その独特な香りから、鬱金香という和名をもつ。原産地はトルコ。その人気や、比較的品種改良が容易な点などから、現在では数百種類もの品種がある。
が、バラと同様に、花弁全体が青色のチューリップは未だ開発中であり、成功の報は未だ聞かない。
「ほら、あった」
私と岡田は、真野萌奈美から話を聞いた花壇に戻ってきていた。真野はいない。用事を終えたか、他に何か用事でも出来たのか……どちらにしろ、秘密の保護という点を考えると好都合だった。
「やっぱり新年度の顔といったらこの花よね。桜なんて低俗で下品な花、大っ嫌い」
嫌な顔が浮かぶ。對比地桜。元は探偵部の部員だったはずが、あろう事か推理部なんてものを立ち上げて、多くの部員と共に離反していった。今年もあの作り上げられた愛嬌で、多くの新入生(主に男子)を片っ端から捕まえては入部を強要しているのだろう。何ともむかつく女である。ついでに名字が難しいのも気にくわない。『ついひじ』って何だよ。読めるか。
「まさか、ビニルハウスの中で本当にチューリップを育てているなんて……ごめん華蓮、正直疑ってた」
と岡田。
「あれ、でもこのチューリップ、青くないよ?」
岡田がビニルハウスの中をのぞき込みながら話す。
そこに咲いているのは決して青くなんかない、普通のチューリップだった。
「当然でしょ。青いチューリップなんてあるはずがないじゃない」
「いや、でもさっき華蓮がそう言っていたじゃないか」
岡田が責めるような目でこちらを見る。
そうなのだ。この謎の肝は、青いチューリップが育てられているはずのこのビニルハウスの中で、赤い、普通のチューリップが育てられているというところにある。
「小林先生が青いチューリップの開発を目指していたのはおそらく本当でしょうね。本間生物部部長の話からしても、かなり研究は進んでいたんじゃないかしら」
「それじゃあチューリップは……」
「そこで、事件が起きた。新入生勧誘期間の時に、物理部が派手にやらかしたのを覚えている?」
「うん。ロケット打ち上げのあれでしょ。爆発させちゃったとか」
根暗な理系の集まりという汚名を払拭でもしたかったのか、それとも単に、空気と水の玩具ロケットに飽き飽きしていたのか。物理部と化学部との共同プロジェクトが引き起こした、何とも苦い悲劇だった。
首謀者はこの事件で退学処分となり、そしてこの学校で最も有名な元生徒になってしまった。そう、物理部と化学部とを兼部する、関口という男だ。
「さっきは今現在で花壇に不備があるかどうかを見ていたから、あえて無視したけど」
「……あ」
「そう。このビニルハウス、修理跡が不自然なほどに多いの」
修理といってもそんなに大したものではない。破れた箇所を接ぐために、同じように加工されたビニルを上から被せて接着しているだけだ。
その名の通りビニルで出来ているのだから、壊れるのは納得できる。修理跡がこんなにも多くなければ。
「いやいや、でも待ってよ。確かに関口は危険を軽視してしまったけども、決して無視はしなかった。ロケットの打ち上げはきちんとグラウンドの真ん中で行われたし、ギャラリーも充分な距離、遠ざけていた。ここはグラウンドの端の、そのまた奥まった場所だ。華蓮、君はあの事件の被害がここにまで及んだと言いたいのか? それは違う、華蓮が無理矢理にも事件を解決したいという思いが生んだ、こじつけだ」
「人の話を聞いて。私はまだそう言ったわけじゃない」
早計な岡田を制して、言う。
「このビニルハウスに被害が及んだのは、その前。さっき岡田も言ったように、ここは普段、私たちみたいにわざわざ覗きにでも来なければ、人目につかないの。関口はそれを利用して、この場所にロケットやら燃料やらを隠していたのよ。私たちが最初花壇に来た時、土に掘り返された跡があったかどうかを私が気にしていたのはそれが理由」
岡田の目が揺れる。
「まあ、確証の無いこじつけと言われても反論できないわ。事実は違うのかもしれない。けれど、そこは今重要じゃあないのよ。何であれ、自然現象では有り得ないほどの傷を受けたビニルハウスは、事実、ここに存在しているのだから」
岡田は黙ったままだ。
「ビニルハウスの傷は全面にある。ということはもちろん、その中だってかなりの被害だったはずよ。果たしてチューリップは無傷でいられたのかしら」
無事かどうか以前の問題だっただろう。無惨なチューリップの姿が容易に想像できる。
「つまり、小林先生が開発を進めていた青色のチューリップは、関口の手によって、全てがその命を奪われてしまったの。そしてそこでようやく彼が、岩井君が登場するというわけ。その現場を見ていたのか、はたまた関口から直接聞かされたのか、件の岩井君はチューリップの死を小林先生から誤魔化すために、花壇の世話役をせざるを得なかった」
周囲の空気が冷たくなったように思う。音が遠ざかっていき、不快な耳鳴りだけが残って私を苛む。
「まあ、岩井君も隠し通せるとは思っていなかったでしょうけれどね。呼び出された時には既に、彼も覚悟は決まっていたと思うわ」
小林先生も、岩井を名前で呼び出さないわけだ。先生にとっても生徒にとっても、それはあまりにも酷な話というものだ。
それにしても、こんなに後味の悪い推理は初めてだ。頭の中は水銀でも入り込んだかのように重いし、口の中はとてつもなく苦い。果たして新聞作成委員会のはっちゃけガールはこれを記事に出来るだろうか。いや、きっと千歳のことだ。蓋を開けてみれば、案外中々の記事にまとまるのかもしれない。
「……違うよ、華蓮」
とここで、さっきまで黙り込んでいた岡田がしばらくぶりに口を開けた。
「何度でも言うけど、やっぱり君は事件を都合の良いようにねじ曲げて推理している。華蓮の言ったことはきっと、真実じゃない」
神妙な顔つきで、岡田は私を否定しにかかってきた。不意打ちに、私は激昂を無視することが出来なかった。
「何? 私の推理が間違っているっていうの?」
苛立ちを含んだ声に、岡田が少し怯む。だが岡田は引き下がらなかった。
「いや、実際問題としては華蓮が正解なんだと思う。だけどやっぱり……華蓮は、大事なものを推理に組み込み忘れている」
私の目を見つめて、きっぱりと、岡田は言った。
「人の心だよ」
『へえ、何だいカッコいいじゃんその子! え~っと、その子の名前何だったっけ?』
「岡田友也。クラスメイトの名前くらい覚えなさいよ、新聞作成委員会のアイドルちゃん」
数時間後。家へ帰った私は、ベッドの上で約束の電話をかけていた。相手はもちろん、六本木千歳である。
『えっへっへ。で、彼だけど、それほどの大口を叩いたんだから、もちろん華蓮を納得させるだけの推理を披露してくれたんだよね?』
「……うん」
数時間前の出来事が否応なしに蘇る。それと同期して、自然と顔が羞恥に赤らんでしまう。
「この花は、岩井君が小林先生を誤魔化すために余所から持ってきたチューリップなんかじゃない」
岡田はビニルハウスを、正確にはビニルハウスの中で、今にも咲きそうな赤いチューリップを見つめながら話し始める。
「入ってみよう、華蓮」
言うやいなや、普段では考えられないような素早さで、岡田は私の手を引いてビニルハウスの中へと入っていく。そして何をするかと思えば、岡田は手前のチューリップの前にしゃがみ込み、そのつぼみを丁寧に開いていった。
私たちの前に、つぼみの中身が晒される。
「え……嘘」
口から驚愕と困惑の吐息が漏れる。信じられない。どういうこと? 私の推理が間違っていた?
つぼみの中の花弁は、圧倒的で絶対的で、どうしようもないほどに、青かった。
胸がギリギリと締め付けられていく。
「間違いなんかじゃない。これは紛れもなく、青色のチューリップだ」
確信を持って岡田は断言する。
「チューリップたちは、命を奪われてなんていない」
私を否定してまで岡田が主張した推理はこうだった。
確かに関口は、ビニルハウスにロケットと燃料を隠した。だが、私の想像したような事故は起こらなかったという。
そしてその管理をわけも分からずに任せられたのが岩井だった。岩井は関口の計画に協力していたことになるのだ。
ロケットの爆発事故を受け、岩井は罪の意識に苛まれたことだろう。そしてその罪滅ぼしに彼は、あのビニルハウスの中へと考えを向けた。
岩井は、小林先生が青色のチューリップを開発していたことを知っていたのだ。
そして彼はもう一度ビニルハウスへと戻ってくる。そこで、岩井はチューリップのつぼみが徐々に赤みを帯びてきていることに気付いてしまった。
改良された品種は一般に、三世代その形質を維持できないと、正式にそれを新たな品種とは認められないという決まりがある。
このままでは小林先生の研究が認められない。岩井はすぐさま図書室へと飛び込んだ。どうにかする術はないのかと。たとえその根源に、あの忌まわしい事件への罪滅ぼしという不純な動機があろうとも。
岡田から手渡された、岩井が読み込んでいたという本に面白い記述がある。
チューリップ特有の性質として、開花前、花の根本部分に針などを使って穴を開けると、そこにエチレンという物質が発生し、開花をある程度遅らせることが出来るのだという。チューリップにしか確認されていない、チューリップだからこその裏技だ。
つぼみの中を確認した岡田は、そのまま私にそんなことを説明してくれた。複雑そうな表情をしていたのは、一体何故だろう。
そのまま私たちは全てのチューリップを確認した。言うまでもなく、全てにその跡があった。
おそらく岩井は、時間稼ぎのつもりだったのだろう。その間に何とか対策を打とうと、必死だったに違いない。
そして今日ついに、小林先生に偽装がバレてしまった。美術部・真野萌奈美は、岩井のビニルハウスにいた時間が普段より長かったと証言していた。どうしようもないほど赤くなったチューリップに、愕然とでもしていたのだろうか?
これにて岡田は、探偵部としての初の推理を披露して、その話を終えた。
下校時刻三十分前。
夕日に染められた世界で、私と岡田はそれぞれの荷物を抱え、下校の準備をしていた。部室の鍵を閉め、職員室へとそれを返しに行く。
もちろん、そこに小林先生と岩井、二人の姿はなかった。
……。
二人並んで玄関へと向かう途中で、私は考える。
確かにチューリップを詳しく確認しなかったのは、痛恨の極みだ。事件を解決に導いたという過信が、格好悪く私を邪魔したのだろう。
だが、岡田の言っていた私が見落とした「心」とは、一体何のことであったのだろう。ひょっとして岩井への同情を言っているのだろうか? それはもちろん、ここ一ヶ月の忙しい間、わざわざ花壇の世話まで引き受けて何とかしようとしていた彼の姿を想像すると、何ともいたたまれない気持ちにはなるが……
「見て、華蓮」
不意に発せられた岡田の言葉に驚く。足を止めると、そこはもう校舎外であった。振り向くと、彼はある一点を見つめている。車にひかれて内臓をぶちまけた猫でもいたのだろうかと、私は彼の視線の先に目をやって、そして……
「……あ」
そこにあったのは、笑顔。何とも嬉しそうで、楽しそうで、幸せそうな二つの笑顔。一教師と一生徒との、親愛の笑顔。
花壇の奥で、小林先生と岩井が、笑い合っていた。
「これは、決して悲劇なんかじゃないんだ」
自信たっぷりに、隣で岡田が断言した。
『ん? どういうこと? 何か一人で分かった風な雰囲気出してないでさ、早く教えてよ』
私の話を聞いた千歳が、電話の向こうで困惑したように尋ねる。
「別に大したことじゃないわ。ただ、小林先生は岩井君を赦したんだってだけ」
『赦した?』
「ええ。私は、私がした推理に引っ張られて、つい二人の関係を険悪なものと勝手に決めつけてしまっていたのね。でも真実は岡田の言った通りで、あの二人の間には悪意なんて全くなかった。事実はただ、岩井君が小林先生のチューリップをどうにかしようと行動を起こして、だけどそれは小林先生にバレてしまい、しかし小林先生は岩井君を怒ることなく、彼を赦した。ただそれだけなの。今回探偵部が調べていた事件は、岩井の空回りした善意に、ただ私たちが踊らされただけのものだった、ってこと。分かる?」
『う~ん、まあ大体はね。……よしっ、これなら青いチューリップも絡めて、一面だけじゃなく二面までこの話題の記事で独占出来そうだよ! やったね華蓮、大手柄!』
「……ああ、いや、そのことなんだけど」
『うん?』
「今回のことは、なしで」
数秒の沈黙。果たして千歳は今、どんな間抜けな顔をしているのか。
『えーっ! 何で何で何で! どうしたの、いつもの華蓮らしくないよ!』
彼女生来の可愛らしく、そして高い声も相まって、とてつもなく耳に響く。沈黙の間があったからか、携帯を耳から遠ざけるタイミングを逸してしまった。キーンとする。
「いや、何かさ、何だろうね……ああいうのを見せつけられると、宣伝のために事件を探してた自分が恥ずかしくなってきちゃって……」
脳裏に二人の笑顔が浮かぶ。薄暗い私の心を責めるようで、何とも苦い。
「だから、千歳に謝ろうと思って。ゴメン、申し訳ないけど、今回のことは記事にしないで」
いっそ私の愚かさを戒めるために、記事にでもして貰った方が良いのかもと思いもした。が、彼らのことを考えると、やはりこのことは胸の内にしまっておいた方が良いのだろう。
『う~ん。……ま、いっか。実はこの他にもう一つ面白そうなネタがあってね、ホントはそっちと悩んでた最中なんだ』
まったく、この娘は抜け目がない。きっと千歳は記者の仕事が楽しくて楽しくて、仕方がないのだろう。私も彼女に負けないよう、頑張らなくては。
『じゃあ華蓮、またね! 今回はアレだったけど、また良いネタ期待してるから!』
「あ、ちょっと待って千歳。相談なんだけど……」
『うん? 何?』
「……岡田って、彼女とかいるのかなー、なんて」
数分後。大笑いの止まらない千歳を振り切って、何とか通話を終了させることが出来た。
いや。
まあ短絡的だと言われたら、返す言葉もないのだが。
ただ、あいつにも頼れる所があるのかと、純粋に見直したというか何というか……。
ベッドに座った状態から、そのまま突っ伏す。ちょっとした衝撃の所為か何なのか、いやに顔が熱い。
まったく。
明日から、どんな顔をして部室に行けというのだ。
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