せかいのはてのお星さま

一初ゆずこ

せかいのはてのお星さま

「ママ、あのお話をまたきかせて!」

 あたたかいベッドから顔をだして、エリーズは言いました。

 窓の外は、もうまっくら。こどもはおやすみの時間です。エリーズもあついホットミルクをふうふう冷まして飲みきったら、パパとママにおやすみのキスをして眠ります。

 でもその前にどうしても、いつものお話をききたいのです。

「エリーズは、あのお話が気にいったのね」

 ママはいたずらっぽく笑うと、エリーズのはちみつ色の髪をふわりとなでて、歌うように言いました。

「ある冬の日のできごとです。その日はとても寒い日で、氷の国に降る雪は、なかなかやみませんでした。つもった雪は花を埋めて、木の葉は時が止まったように固まり、まちの屋敷のとびらには、氷の鍵がかかりました。そうしてせかいはすこしずつ、凍りついていったのです。そこで、みんなは言いました。お星さまに、お願いをしましょう。せかいのはてで夜空を見上げて、流れるお星さまにお願いをすれば、きっとこの国をおおう氷を、全部とかしてくれるでしょう」

 エリーズは、どきどきしながらママの話をきいていました。

 せかいのはては、海をみわたせる崖と、その崖を守るような緑の森につつまれた、ここからうんと遠い岬です。星がとびきりきれいに見える、きれいな場所だときいています。エリーズは行ったことがないけれど、こどもの足ではたどりつくのに、一日かかることでしょう。

「せかいのはてのお星さまは、しんけんな願いごとなら、きっと叶えてくれるはずです。氷の国のひとたちはあぶない雪道をけんめい進み、ついにたどりついたせかいのはてで、お星さまにお願いしました。こうして世界をおおう氷はみるみるとけて、氷の国にあたたかい春がやってきました。めでたし、めでたし」

 エリーズはぱちぱちと拍手をして、それから首をかしげました。

「お星さまって、ふしぎね。わたしたちの心がわかるみたい」

「そうよ」

 ママは窓のそとをちらっと見てから、エリーズに言いました。

「せかいのはてのお星さまは、エリーズが笑ったり、泣いたり、喜んだり、悲しんだりしているのを見守っていてくださるのよ。さあ、おやすみなさい。エリーズ。風邪をひかないように、あたたかくして眠るのよ」

 ママの言葉に、エリーズはうつむきました。さいきん外は吹雪いてばかりで、おうちからあまり出られません。風邪を引いた人のなかには、眠ったままの人もいるそうです。エリーズはすっかり心細くなってしまい、ママのあたたかい手をにぎりました。

「ママ。お星さまは、生きているの?」

「どうして、エリーズはそう思うの?」

「だってお星さまは、お願いをきいてくれるのでしょう? わたしたちと同じ、にんげんみたいだわ」

 きえいりそうな声で、エリーズは言いました。

 もしお星さまがエリーズと同じにんげんで、夜空を見上げておしゃべりができたら、どれだけ素敵なことでしょう。エリーズはとっても恥ずかしがり屋なので、おしゃべりが大の苦手です。お星さまならエリーズとも、なかよく話してくれるでしょうか。

「そうね。エリーズ。そうかもしれないわ」

 ママは、なんだかさびしそうに言いました。

「せかいのはてのお星さまは、この国からいなくなった人たちの、生まれ変わりかもしれないもの」



 次の日、目を覚ましたエリーズは、窓から外の景色を見て、きゃあとはしゃぎ声をあげました。

「パパ、ママ! みて! とってもきれい!」

 庭は、いちめんの銀世界! 白い雪がふわんとたくさんつもっていて、小道のはてまでずうっと長くつづいています。あのふかふかの雪の中にえいっと飛びこめば、どれだけ気持ちがいいでしょう。トーストをかじって、あついスープをのむ間、エリーズの頭は雪のことでいっぱいです。そしてがまんできなくなったエリーズは、パパやママが止めるのも聞かないで、おうちを飛び出してしまいました。

「少しだけ。少しだけだもの。おひさまが空のてっぺんにくるまでには、きっとおうちにもどってくるわ!」

 お気に入りのブーツをはいて、もこもこの帽子をかぶり、首には赤いマフラーをぐるぐると巻いて飛びこんだせかいは、今まで見たことがないほどかがやいていました。こな砂糖をはたいたような雪の景色に夢中になったエリーズは、パパとママとした約束を、きれいに忘れてしまいました。

 あたりがすっかり暗くなって、空がむらさき色になったころ。

 戻ってきたエリーズが見たのは、氷にびっしりとつつまれたおうちでした。

 みずいろの氷は鏡のようにぴかぴか光り、そこにはピンクのコートをきたエリーズの小さなからだが映っています。エリーズはまっさおになりました。

 これではおうちに入れません。それにパパとママも、おうちに閉じ込められてしまったのです。

「パパ! ママ!」

 エリーズはおうちの扉をたたきましたが、かちんこちんに凍った扉は、びくとも動きませんでした。エリーズの心は後悔とかなしみでいっぱいです。雪あそびの楽しさは、すっかりしぼんでしまいました。

「パパ、ママ、ごめんなさい。ごめんなさい」

 エリーズが、しくしくと泣きはじめた時でした。

「君も、ひとりぼっちになったの?」

 男の子の声が、とつぜんエリーズをよびました。

 びっくりしてふりかえると、おうちの前に、金色の髪の男の子がいました。

 緑色のコートをきて、黒いマフラーをまいています。ひとみの色は冬の夜空のように青く、エリーズはすこしどきどきしました。男の子はエリーズよりも、ちょっぴりお兄さんのようでした。

 男の子はちょっと困ったみたいな顔をして、ふわっとホットミルクのようなあたたかさで、エリーズに笑いかけてくれました。

「僕はエトワール。人探しをしているんだ。君の名前は?」

 エリーズは一気に緊張がぬけてしまって、わっと大声で泣きだしました。そしていままでのできごとをぜんぶ、エトワールに打ち明けました。

「君も、パパとママに会いたいんだね」

「エトワール、あなたもパパとママに会いたいの?」

「うん。僕も、パパとママを探しているから」

 エトワールが考え込むように言った時、あっとエリーズはさけびました。

「エトワール。わたし、せかいのはてに行く! ママが言っていたのよ。せかいのはてで流れ星にお願いをすれば、きっと氷はとけるわ!」

 エリーズは思い出していたのです。せかいのはての夜空に流れる、お星さまのお話を。そこでけんめいにお祈りすれば、しんけんな願いはかなうことを。エリーズが興奮しながらママのお話を教えると、エトワールのやさしい目が、しんけんなものに変わりました。

「僕もいくよ。エリーズ。せかいのはてへ、いっしょに行こう」

 エトワールは、エリーズに手を差しだしました。

 その手をにぎって、エリーズはうなづきました。

 ちいさな二人だけの旅が、こうしてしずかに始まりました。



 せかいのはてへの道のりは、とてもけわしいものでした。

 一歩あるくたびに、雪の冷たさが針のように足のうらをさしました。エリーズは、歯を食いしばって耐えました。早くパパとママに会いたいからです。

 やがてまちをでて、森に入り、空がうす暗くなったころ。

 くたくたになったエリーズは、ついに転んでしまいました。

「エリーズ、もう少し歩けば休める小屋があるはずだ。がんばろう」

 エトワールは、エリーズを助けおこしてくれました。

 その手は雪とおんなじくらいに白かったけれど、火のようにあたたかでした。

「エトワールの手は、とてもあたたかいのね」

「エリーズの手も、とてもあたたかいよ」

「わたしたちはこんなにあたたかいのに、どうしてせかいは冷たいの?」

「さあね。どうしてだろう」

 エトワールは首をかしげて、困ったふうに笑いました。

「でも僕たちがあたたかいのは、僕たちが生きているからだよ」

「じゃあ、つめたいこの世界は、生きていないことになるの?」

エリーズはたずねました。さびしい気持ちになったからです。

「わたし、ママにもきいてみたの。お星さまは生きているのって? お星さまって、なんだかわたしたちとおなじ、にんげんみたい。エトワールは、どう思う?」

 エトワールは、やっぱり困ったふうに笑うだけでした。



 太い丸太でできた小屋は、他のおうちとちがって凍りついていませんでした。

「きっと、せかいのはてが近いからだ」

 エトワールは暖炉に薪をくべながら、ふしぎがるエリーズに言いました。

「せかいのはてが近いと、おうちは凍りつかないの?」

「たぶん、お星さまが守ってくれているんだ。それにもしかしたら、せかいのはてのお星さまも、僕たちがくるのを待っているのかもしれないよ」

 言われてみれば、エリーズもそんな気がするのでした。

 ここを出発すれば、せかいのはてはもう目の前。

 期待と不安で、エリーズは落ちつきません。小屋のなかをうろうろしていると、パンと干し肉を見つけました。そういえば、朝にごはんを食べてから、なんにも口にしていません。急にお腹がすいてきました。

「エトワール。食事にしましょう。わたし、じゅんびをするわ。ママに教えてもらったもの、ちゃんとできるわ」

「エリーズのママは、どんな人?」

 エトワールがたずねました。

 すこし、さびしい声でした。

「ママは、とってもやさしいのよ。夜にはあつくて甘いホットミルクをつくってくれて、いろんなお話をしてくれるの。パパもよ。せかいのはてだけじゃなくて、わたしがまだ見たことがない景色を、すごくたくさん知っているのよ。パパとママといっしょにいると、わたし、とてもあたたかくなれるの。あたたかくて、しあわせなきもちになるのよ」

 エリーズはあかるく話しましたが、なんだかエトワールにつられてさびしいきもちになってきました。お外はもうまっくらで、いつもの夜ならパパにおやすみのキスをして、ママのホットミルクを飲んでいる時間です。こんなにも長く二人とはなればなれになったのは、生まれて初めてのことでした。

 でも、エトワールといっしょだから、こわくはありませんでした。

「エリーズは、パパとママがだいすきなんだね」

 エトワールがほほえんで、エリーズに言いました。

「そうよ。エトワール、あなたは?」

「もちろん、僕もだよ。パパとママが、だいすきだ」

 エトワールは、笑いました。

 やっぱり、さびしい声でした。

「パパとママのいるところに、僕はいつか、行きたいんだ」



 夜があける前に、エリーズとエトワールは小屋を出ました。

 朝日がのぼる前に、お星さまに会いに行こう。手を取り合って歩く二人には、同じ思いがありました。白い雪道に二人分の足あとを残して、二人は歩きつづけました。

 エリーズの胸が、ちくりといたみました。

 この旅が終わったら、エトワールはどこに行ってしまうのでしょう。

 エトワールのパパとママは、今、どこにいるのでしょう。

 旅がもっと、つづけばいいのに。いつしかエリーズの心に、そんな思いがめばえていました。エリーズはエトワールの手を、ぎゅっとつよくにぎりました。

「ああ、流れ星だ」

 エトワールが、空をあおぎました。

 澄みわたった夜空には、無数の星がまたたいていました。宝石箱をひっくりかえしたような星のむれは、吐く息が凍るほどの寒さのなかで、赤く、青く、白く、いろんな色に光っています。

「ねえ、エトワール。あなたのパパとママのおはなしを聞かせて」

 エリーズは、勇気をだしてたずねました。

 どうしても、きいてみたくなったのです。

「僕のパパとママは、エリーズのパパとママと同じだよ。とてもやさしくて、あたたかかった。きのうだって、僕がひとりぼっちになることを、とても心配してくれたんだ。エリーズ。僕はとてもしあわせだったんだと思う。愛しているパパとママとずっといっしょにいられて、僕はとっても、しあわせだったんだと思う」

「それなら、これから願いごとをして、せかいの氷がぜんぶとけたら、エトワールはパパとママと、ずっといっしょにいられるね」

 エトワールはすこしだまって、それからきれいに笑いました。

「ついたよ。エリーズ」

 ふわっと、目の前の景色がひらけて、ぱっとせかいがかがやきました。森をぬけたのです。目のまえには夜色の空と、とうめいに凍った広い海。そのはざまには雪のつもった白い崖。ああ、とエリーズは声をふるわせました。

 ついにたどりついた、せかいのはての岬です。

「エトワール、流れ星よ!」

 エリーズはさけびました。見上げた空の中に一つ、きらりと光りが流れたのです。一つ流れて、また一つ。目でおいかけられないほどの星たちが、さあっと雨のようにふってきます。まるでここまでやってきたエリーズとエトワールを、祝福しているかのようでした。

「お星さま、お願いです。せかいの氷を、とかしてください!」

 目をぎゅっと閉じて、エリーズはしんけんに祈りました。

 となりでエトワールも同じように祈っていると信じて、けんめいに祈りました。

 けれど、エトワールの祈りは、エリーズのものとはちがいました。

「お星さま。僕の願いを、かなえてください」

 エトワールは、こう言ったのです。

「僕のからだを、流れ星にかえてください」

 エリーズは、おどろいて目をあけました。

「お願いです。お星さま。僕のからだを、星にかえてください」

 エトワールはしんけんな顔で、お星さまへさけびました。

「氷の国のひとたちは、このせかいとさよならをする時、流れ星になるとききました。せかいのはてのお星さま、どうか僕の願いをきいてください。僕はパパとママに会いたいんだ! 流れ星になってしまった、パパとママに会いたいんだ!」

 息もできないでいるエリーズを、エトワールがふりむきました。

 そして青色の目をかなしそうにふせてから、顔をあげると、笑いました。

「エリーズ。僕のパパとママは、もういないんだ。寒さのきびしいおうちの中で、おもい病気にかかってしまった。最初はとてもあたたかかったんだ。でも今ではもう、すっかりつめたくなってしまった。僕はこれから、パパもママもいないせかいで、たったひとりで生きていく。そのはず、だったんだ。

 でも、エリーズ。君が、教えてくれたんだ。僕たちにんげんはせかいとさよならをする時に、お星さまになれるって。それなら僕は、星になりたい。ここで、流れ星になりたいんだ!」

「だめよ! エトワール!」

 エリーズは泣きながら言いましたが、エトワールは首をよこにふるだけです。エリーズがエトワールのコートをむちゃくちゃにつかんでも、困ったふうに笑っています。こんなにかなしいことを言っているのに、どうして笑っているのでしょう。エリーズにはわかりません。ただ、かなしくて、はらが立って、くやしくて、いろんな気持ちがあふれだして止まらなくて、エリーズはわあわあと泣きました。

「エトワール、わたしもいっしょにつれていって!」

「いけないよ、エリーズ」

 エトワールは、やさしい声で言いました。

「君は、きてはいけないんだ」

 その言葉が、お別れの合図でした。

 白い光が、あふれだしたのです。

 光りはまぶしく、やさしく、あたたかく、エトワールを中心に広がり、せかいのはてをつつみました。天上のかがやきはあっという間にエトワールをのみこんで、すがたが見えなくなっていきます。エリーズはなみだを散らしながら手をのばしましたが、エトワールはかなしそうに笑うと、ささやくようにごめんねと言いました。

 ふわりと、おだやかな風が吹きぬけたとき。

 せかいのはては、もとのしずけさを取りもどしていました。満天の星空では流れ星が、魚のように泳いでいます。さっきまでと同じ、せかいのはての景色です。

 ただ、さっきまでと違うのは、エリーズのとなりに、もうエトワールがいないことです。エリーズの目からは、涙がしずかにあふれました。

 あつい涙は大地にこぼれて、足元の氷をとかしていきます。やがてエリーズはせかいのはての岬の雪が、ぜんぶなくなっているのに気づきました。

 せかいの氷が、とけたのです。

 しばらくの間エリーズは、ひさしぶりに見た地面を見下ろしていました。

 それから、きっ、と顔を天にむけると、今までで一番おおきな声で、お星さまへさけびました。

「エトワール! わたしの願いごとをきいて! わたし、あなたにお願いしたいの! お星さまになったあなたに、わたしの願いをきいてほしいの!」

 エリーズの声が、ひえた空気をふるわせました。すると、星の雨の中でひとつ、ひときわまぶしく光りながら、青白い星が流れました。お星さま。エトワール。ひとりぼっちで生きていくと、さびしく笑った男の子。ふれた手のひらがたしかにあたたかかったことを、エリーズは一生忘れません。しんけんな気持ちでエリーズは、夜空に祈りをささげました。

「エトワール。わたし、怒っているわ。あなたは自分のことをひとりぼっちだと言ったけれど、わたしがずっといっしょにいたのよ。それなのにあなたは、ひとりでかってに、お星さまになってしまった!

 だから、エトワール。わたしたち、きっとまた会いましょう。わたしはまだ、お星さまにはならないけれど、いつか私がつめたいお星さまになって、それからまた、あたたかいにんげんになれたら。そのときは、エトワール。約束よ。わたしがあなたに、おしえてあげるわ! あなたは、ひとりじゃないってことを!」

 尾を引いて流れた星が、海のかなたの水平線に、すいこまれるように消えたとき。

 星と同じ青白さで、空がぱあっと光りました。海がゼリーのように波うち、ほのおのようなオレンジにそまっていきます。

 夜が、あけたのです。



 ひとりでまちに戻ったエリーズは、雪のとけた草原をいちもくさんに走りました。

 おうちの赤い屋根がみえてくると、そこにはエリーズのパパとママが、心配そうに肩をよせあって立っています。そして、帰ってきたエリーズに気づきました。

「エリーズ!」

 パパとママとかたく抱きあいながら、エリーズはうれしくて、でもやっぱりかなしくて、すこしだけ泣きました。

「パパ、ママ。わたし、せかいのはてに行ってきたのよ。星のきれいなところだったわ。パパとママの言った通りよ。でもね、わたし、あそこがあんなにさびしいところだなんて知らなかった。パパ。ママ。わたしはもう泣かないわ。ともだちとも、もっと大きな声でおしゃべりするわ。だって、そうでないと、今度エトワールと会ったときに、またかなしい顔で、笑われてしまうんだもの!」



     *



 髪を櫛で梳きながら、私は鏡をにらみつけて、頬をすこしふくらませた。

 かれこれ十分ほどこうして格闘しているけれど、うまくまとまる気配もない。友達には羨ましがられる癖毛だけれど、私としては真っ直ぐな髪の方が羨ましい。はあ、とため息をはいて櫛を置くと、私は姿見の前でくるんと一回りして、最後の身だしなみチェックを開始した。タイは曲がっていないし、真新しいプリーツスカートにも乱れはなし。ふわんとした髪の癖がやっぱりまだ気になるけれど、そろそろ妥協しないと遅刻になる。私は今日最初の笑顔をつくると、うんと頷いて玄関に向かった。

「ママ、行ってきます」

「絵里。ちょっと待ちなさい。お願いがあるのよ」

 ローファーを履いていると、ママが台所から顔を出して私を呼び止めた。

「お隣のリュウセイ君ね、今日から小学生なのよ。絵里、学校までつれて行ってくれる?」

「小学校? 方向いっしょだから、いいけど……あの子、リュウセイくんって名前なのね」

 お隣の男の子の顔を思い浮かべて、私はうーんとうなった。

 実は、あんまり顔を見たことがない。すごく引っ込み思案な子らしいのだ。私も人のことは言えないから親近感はあるけれど、いっしょに登校するとなると、少しばかり不安だった。相手は小学一年生で、こちらは中学一年生。ちゃんと会話ははずむだろうか。

「流れ星で、流星って書くのよ。かっこいいわね。それに肌も白くて、天使みたいにかわいいのよ」

「ママったら。私、もう行くからね」

 悩んでいても仕方ない。不安は残っているけれど、相手はもっと不安なはずだ。ここは年上の私が、できるだけ声をかけてみよう。

 ふわっ、と桜の花びらが、風に乗って飛んできた。少し前まで身震いするほど寒かったのに、今はうそみたいにぽかぽかだ。桃色の雨が降る中を、とん、とん、と私は弾むように歩いて――門の影に隠れて立つ、小さな男の子のすがたを、見つけた。

 とくん、と、私のからだの、どこかが震えた。この日をむかえる為に、今まで呼吸をつづけてきた。そんな予感で全身が、しずかな喜びでさざめいた。でもどうしてそんな風に思うのか、私にはさっぱり分からない。どきどきする胸をおさえながら、私はその子に近づいた。

「あら絵里ちゃん、おはよう。制服とっても似合っているわ。お願いを聞いてくれてありがとう。さ、流星。絵里お姉ちゃんに挨拶して」

 お隣のおばさんに肩を押されて、流星くんが私の前に出てきた。

 でも、すぐにおばさんの足の後ろに回って隠れてしまった。

「もう、流星ったら!」

 おばさんは呆れ顔で、流星くんを私の前に押し出そうとする。

「いいんです。おばさん」

 私は、あわてて止めた。流星くんの気持ちが分かったからだ。

 流星くんは、緊張している。これから行く学校は、流星くんにとって知らない人ばかりの場所だ。そこへたったひとりで向かうことがどれだけ怖いことなのか、痛いくらいによく分かる。私はスカートを押さえてしゃがみ込むと、ほっぺたを真っ赤にしている流星くんの手をにぎった。

 あたたかい、手の平だった。

 冬の夜空のように澄んだ瞳を、流星くんが真ん丸に見開く。そして、こわごわとかたい動きで私を見た。早速怖がらせてしまったみたいだ。

 どう優しくすればいいのか分からなくて、私は、困ったみたいな顔で笑った。


「はじめまして。流星くん。私、絵里。よろしくね。……だいじょうぶだよ。こわくないよ。二人なら、どこにだって行けるよ。だから、いっしょに行こう。だって流星くんは、一人じゃないもの」

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