今の狐の小さな話

姉妹の狐

 めそめそと、そんな泣き声がする。

 久しぶりに聞いたと懐古を胸に、なんだこいつ鬱陶しいなと思い、玉藻たまもは姉の頭に拳を落とした。

「みぎゃっ――」

「まあた泣いておるのか、姉上」

「……痛いですよう、玉藻」

「泣いておるのが悪い」

「いいじゃないですか、うれし泣きなんですから」

「ほう、そうじゃったか? まあどっちにせよ鬱陶しいのう」

「うっと……⁉ ちょっと玉藻、姉に向かってなんたる……!」

 二度目の拳を降ろしてから、酒瓶を片手にどっかりと玉藻は腰を下ろすと、姉の持つ九本の尾に上半身を乗せるようにして楽な姿勢をとった。

「おお、やはり姉上の尾は心地が良いのう。ふっさふさじゃのう……」

「もう……」

 酒瓶の蓋をあければ、豪快にそのまま口に持って行く。

「それ、どうしたんです?」

「祝い酒よ。百眼ひゃくがんからくすねてやったから、姉上、あとで謝っておくとよい」

「どうして私が……?」

「表に出るのは、しばらく姉上じゃろうからのう。まったく――妹に手間をかけさせよって、姉上は反省しておるか?」

「う……ごめんなさい、玉藻」

「ならば良し。わたしも躰を使って随分と暴れ回って、気分良かったがのう。わはははは!」

 殴られ損、謝り損な気がしてきた。こういう妹なのである。

「む、なんじゃ姉上、この酒はやらんぞ」

「共犯になりたくないのでいりません」

「飲まなくても謝らなくてはならんがのう。百眼の説教は長いから面倒じゃ……」

「……あれ?」

「わはは、まあ良いじゃろうて」

「良くありませんよ⁉」

「細かいことばかり言っておると、尾の毛が抜けるぞ、姉上。楽観的に、まあそんなもんかと思っておれば良い。でだ姉上、これからどうする」

「どうって……」

 考えてみるが、しかし。

「五木と共に在れば、それでいいです」

「まったく、本当に姉上は現状維持が多いのう。もっと贅沢に、そう、いかに五木の者に酒を献上させるか考えてもみよ。そうすると喜ぶぞ――酒を飲める妾が」

「玉藻はもうちょっと、控えめになった方が良いですよ」

「姉上が随分と後ろ向きじゃから、妾がこうなったのじゃろ」

「う……」

「――という言い訳は通用するかのう」

「言い訳⁉」

「良いか姉上、妾は酒が飲みたいのじゃ」

「聞いていればわかりますよ!」

「わはは、元気になったようで何よりじゃよ」

「まったくもう……」

 躰を僅かに揺らすよう、姿勢を変えた姉は、長い髪を持つ玉藻の頭を撫でる。

「……長い間、ありがとう玉藻」

「うむ、感謝は態度と物品で頼むぞ姉上。まあ尾を喰らった妾も一度死んだような感じじゃったからのう、寂しい思いをさせてすまん」

「いいのですよ、玉藻。今こうして、一緒にいられるのですから」

 考えてみれば、こうして姉に頭を撫でられるなど、幼少期の頃以来だ。彼女たち妖魔にとっての幼少期など、数万年単位ではあるが、それを心地よいと感じるのならば、かつてと同じはずで。

 自然と、周囲の景色が故郷の山に変化していく。

「姉上、犠牲が出たことを悔やむでないぞ」

「ええ」

「結果が全てとは言わん。言わんが、悔いても過去は変えられん。二度とせんことが、せいぜいじゃよ」

「……」

「ん、なんじゃ?」

「玉藻、人間みたいなことを言うんですね」

「仕方なかろう! 姉上よりも、妾の方が人と長い時間を過ごしておる。まあ大半は敵対しておったがのう」

「ふふふ……」

「敵わんのう、まったく……」

 まだ半分残った酒瓶を胸元に寄せ、ふうと吐息が一つ。

「玉藻?」

「心地よく眠れそうじゃ、姉上。起きるまで、どこにも行くでないぞ」

「ええ。おやすみなさい、玉藻」

「うむ……」

 心底から落ち着いて眠るのは、この姉の傍でしかない。それを知っているからこそ、彼女もまた、玉藻が帰ってくるのを心配しながら待つのだ。

 けれど、今回、心配をかけていたのは姉の方で。

 昔の生活に戻れるわけでもない。

 ただ今は。

 小さな望みを叶え、そして妹と一緒にいられる今だけは。

 こうして、幸せを噛みしめよう。

 優しく、ゆっくりと眠る玉藻の頭を撫でる。

 かつては、こんな時間がずっと続けばと思っていた九尾ここのおだが、今は。

 ただ、嬉しさに涙を浮かべている。

 続かなくても、今があれば良いのだ。可能性なんてものは先に行くへ従って多くなり、今が続くだなんてのは幻想でしかないと、知ることもできた。

 であればこそ。

 続かないから。

 今この時を、一瞬を、大事にするのだ。


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ハガクシの森のきつね 雨天紅雨 @utenkoh_601

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