第59話


日が昇り始めた頃に、三人は紫雲山へと戻った。二人とも、あまりよく眠れなかったような顔をしている。特に柳は少し塞いでいた。報告のある紅と別れて柳と青嵐が戻ろうとすると、黎と楓、そして地竜が出迎えた。

「久しぶりの都の美女はどうだった?」

ニヤけた顔で地竜は聞いてくる。神のはずなのにどうしてここまで俗っぽいのか。

「何言ってんだ、この色ボケミミズ」

任務の度に女性事情を聞いてくる地竜に、青嵐は顔をしかめた。紫雲山は基本男しかいない。彼にとっては苦行なのだろう。

「そうだ黎、天舞の梅って知ってるか?」

「梅ちゃん! 可愛い名前じゃねえかよ、スミに置けねえなあ! 俺も今度から連れてけよ」

「お前は祠の中で寝てろ」

連れて行った先でこの調子では、大変そうだ。黎は記憶をたぐる。

「ええとね、何でも婚約者のことが忘れられなくて、縁談が決まらないって話は聞いたことがあるけど……」

青嵐は柳の方を見る。二人もつられて視線を移すと、そこには顔を真っ赤に染めた柳がいた。二人は察する。

「秘密の恋ほど燃えるっていうもんなあ」

「俺はそんなつもりはありません。ただ、自分のせいで話が進まないなら、申し訳ないなと」

声が尻すぼみになっていく。耳まで真っ赤になった柳は、普段の落ち着いた雰囲気は何処へやら、完全にうろたえている。

「いいんだぜ、隠さなくても」

「そ、それなら青嵐は黎の姉君に気に入られていたようですし、未来があっていいんじゃないですかね。別れるところしか見られませんでしたが、かなりいい雰囲気でしたよ」

柳は青嵐を人身御供に捧げだ。青嵐は軽く睨む。そんな青嵐に、黎は今度は驚いたような顔を向けた。

「青、御龍氏は結婚できないんだよ?」

「は? 俺は別に」

そんなんじゃ、と続ける声は楓にかき消される。

「いや青嵐、任務に行った先で、かなわぬ恋に落ちた先達が数多いる。気にするなよ。紅老師なんて、歩くロマンスとか言われてるぞ」

周りはここぞとばかりに畳み掛ける。娯楽の少ない紫雲山で、ましてや男所帯では、色恋の噂は格好の餌食になるようだ。青嵐は大きく腕を振った。

「そうじゃない! この話は終わりだ! 留守中何もなかったか?」

「何も。そうそう、昼過ぎから碧様のところで勉強会だって。二人とも行けるかな?」

 二人とも疲れた顔をしていたからだろう、黎は顔を覗き込んでくる。しかし、まだ一日は始まったばかりだ。寝てもいられない。二人は頷いた。

また後でと一度別れると、いつも通りの相棒同士で昼食を済ませた。春に昇山して数ヶ月だけだが、だんだんと人にも場所にも里心はついてきたようで、いつもの場所、相手が落ち着く。が、どっぷり休む間も無く、碧のいる館へ向かった。館が変われば匂いも変わる。隅々まで掃除の行き届いた館からは、染み付いたような薬の匂いはしなかった。

講堂には二十人ほどが既に席に着いていた。四人が入っていくと、見ない顔だな、と好奇の目に晒されるのがわかった。あれが夔氏の、という声に、そうだろう、整った顔立ちだと黎を見て言うのが聞こえる。後ろのは? と今度は青嵐に話題が移る。在野からの推挙らしいという情報に、一斉に珍しいものを見るかのような視線が集まる。青嵐は一気に居心地が悪くなった。思わず眉間に皺が寄る。振り返った黎が、指で皺を伸ばすようになぞった。それにまた皺が深くなる。黎はふふと笑った。 

「結構見習いって、たくさんいるんだな」

 集まった者たちは、青嵐より、ひとまわりもふたまわりも年上の者も多い。

「御龍氏一人にだいたい五、六人弟子がいるからな。たいていは見習いのまま一生を過ごすけど」

 最後の方は声を落として、楓は言う。狭き門だ。黎の表情が曇った。柳が肩を叩く。

「そう気を落とすなよ。俺なんかもう十年近くいる。でも、いつか御龍氏にって思ってる」

黎は小さく頷いた。

空いているところに座ると、まったく忙しいもので、耳にまた新たな噂話が滑り込んでくる。

「次に御龍氏になるのは誰だろうか」

「桑様の席だろう、弟子の誰かが昇格するんじゃないか」

柳と楓の顔が心なしか緊張する。が、別の声が評じた。

「実力からいけば碧じゃないか」

「いや、あいつは芳様の補佐に徹するつもりなんだろ。そうでなければ、こんな会開いてる場合じゃない」

芳とは御龍氏の一人だ。会ったことはないがその名は時折耳にする。楓が顔を寄せて、芳様と碧は同じくらいに昇山した同門なんだと教えてくれた。情報通な楓は、時折噂話なんかも交えて教えてくれる。

ぽつぽつと話をしていると、碧が静かに入ってきた。皆と同じ薄い青の衣を颯爽と翻す。四十代くらいだろうか。細身で小綺麗にしており、切れ長の目の眼光は鋭い。見渡すと室内は静まり返った。

「今回集まってもらったのは他でもない、御龍氏の、瓏の将来のためだ。皆も知っての通り、瓏で頻発する凶兆に対して、御龍氏八人で対処している。我々はこれまでその祭祀の補佐を行ってきた。しかし、その疲労は頂点に達し、また琥は日増しに戦力を整えて攻めてくる。そこで我々見習いは各々の能力を底上げし、祭祀以外の部分を担えるように情報交換、技術交流を行っていこうというのが今回の勉強会の主旨だ」

楓の言によれば、御龍氏同士はあまり交流がないという。自然と弟子たちも内々で閉じてしまう。兄弟子のいない二人には想像がつきにくいが、これだけ幅広い年代の見習いがいれば、そうなってきてしまうのだろう。しかしそれでは発展性がない。

「それじゃあ、これまでの琥に関する情報をまとめよう。行動は単独または二人組。単独の場合は高位の者が来ている可能性が高い。より一層の注意が必要だ。武術ははっきり言って、我々は足下にも及ばない。また、所持している武器も、精錬されたものが多い。虎神は金属へ加護を与えるからだ。もう一つ注意しなければならないのが幻術。今のところ、鉤月猫や貔貅の目を見ないという対処法しかわかっていない。やつらの狙いは第一に龍。龍の加護を得て、琥を富ませるためだ。第二が神獣。ただこちらは彼らを混乱させ、凶事を引き起こすためだ。さて」

碧は再び全員を見回す。皆の目が碧に向いているのを見て、口を開いた。

「祭祀の最中は、結界を突破されないこと。これが最重要だ。一点突破でこじ開けてくることが多い。二重、三重に結界を張って、絶やさないこと」

「防戦一方ではありませんか」

一人が声をあげる。

「龍が天へ帰れば、彼らの最大の目的は防げる。まずは結界符を使いこなせるようになるのが一番だろう。無論、有事の際には他の方法も必要だ。結界符が使えるものは、他の符術も磨いてほしい」

瓏では武術があまり盛んではない。今から始めても、ということだろう。剣舞という名目で修めている者もいるが、全員ではない。

「我々ができることには限りがある。だが、御龍氏が祭祀に集中するためには我々の力が不可欠だ。力が足りない分は連携で補う。必ず二人以上であたること」

碧はそこで話を切る。その後設けられた情報交換の時間では、目新しい報告はなかったものの、皆危機感を抱いているのはひしひしと伝わってきた。見習いという立場に甘んじず、瓏を守ろうという気概がある。

その後は外に場所を移して、符術の練習になった。各人が工夫を凝らした符を持ち寄り、見せ合う。部分的に強化できるもの、水を纏っているものと、一口に結界と言っても色々ある。こんなにあったんだね、と黎は感嘆の声を上げた。しかし、複雑な結界は使うのもまた難しい。それを察したのか、二人を見つけて碧が声をかけてきた。

「きみたちはまだ昇山したてだったな。結界符を使ったことは?」

「いえ」

首を振ると、碧は懐から一枚の小さな符を取り出した。

「ではまず使い方を教えよう」

 紙には薄墨色で複雑な模様が描かれている。それは命を得て、今にも動き出しそうだ。

「符の印は龍の祝福を得た水で書かれている。水に宿る龍の力を利用してあらかじめ術を編んでおき、弦月魚を通じて発動させる」

やってみよう、と碧は自らの弦月魚に目配せした。

「まずは弦月魚と同調する。そしてこの符の印をなぞるように意識して。全体に力が伝わったら、意識を離す」

弦月魚と符の模様は、説明を追うに従って輝き出す。滑らかに進んで行く光の筋を、黎は頰を紅潮させて見つめた。青嵐は静かに、けれど何か得ようと真剣な眼差しを向ける。碧は口元だけ緩めて笑んだ。

「初めは時間がかかるだろう。私も芳様と役割分担してやっていたよ。今だってそうだ。互いに得て不得手はあるからね」

二人は楓のくれた前情報を思い出す。どうやっているのか黎が問うと、そうだねと少し考えて口を開いた。

「交互に結界を張ったり、片方が撹乱している間に、片方が符を起動したりしてたね」

二人は顔を見合わせた。明らかに後者の戦法になりそうだ。

「習うより慣れろ、だ。やってみてできなかったら、また声をかけてくれ。私はその辺にいるから」

黎は目を輝かせる。早速、玄珠を引き寄せると符印に集中した。碧ほどのスムーズさはないものの、ちかりちかりと点が繋がって、線になるように光が点っていく。しかしそれも半分ほどのところで途絶えた。

青嵐も符に力を注ぐように集中する。しかし、ところどころに光の粒が浮いて終わった。ムキになって何度もやってみる。黎ほどではないものの、回数を重ねると光の粒の数が増えてきた。穹もまた意識を共にするかのように、符をじっと見つめる。

身体に疲労がたまってきた頃、青嵐は軽く伸びをして辺りを見回した。ずっと同じ体勢では肩がこる。隣では黎がまだちかちかしていたが、ふっと息を吐いて青嵐を見た。額に汗が滲んでいる。よほど集中していたのだろう。水の入った筒を渡すと、気が抜けたように寝転がった。

「結構疲れるね」

寝転がった頭の先には、柳と楓がいた。二人の周りには、いくつもの水たまりができている。じっと見つめているとそれが伝わったのか、柳が手を振った。二人はもそもそと立ち上がり、柳たちの方へと近づいた。近づいてみると、水がところどころ霙のようになっているのが見えた。黎は早速符を見せてもらう。

「桑老師の部屋に残ってたんだ」

楓は哀しげな顔で言う。

「老師は一人で行って帰ってこなかった。俺はもう、そんな思いしたくないんだ。次は、自分も行きますって言えるようにさ」

 青嵐と黎は顔を見合わせる。彼らの師・桑は、御龍氏という龍の言葉を聞いて民を導く立場にありながら、龍の言葉を曲げて伝えた。その罪で龍に関する記憶を消され、紫雲山から追放されたのだ。そのことはごく一部の者しか知らない。その直属の見習いでさえも。琥人が侵入してきた時、先陣をきって立ち向かい、命を落としたということになっている。自分だったら、と思うと青嵐は胸が痛む。真実を知りたい。その為に紫雲山に来たのだから。同じように、彼らは望むだろうか。そこまで思った時、後ろから声がかかった。

「おっ、やってるねえ」

肩を叩かれ振り返ると、ざっくりと短く切られた髪をかきながら、濃い青の衣を着た男が現れた。

「紺様」

柳と楓は礼をする。青嵐は口の中でその名を反芻する。聞き覚えのある名だ。

「老師が、僕らを頼んでくって言ってた方じゃない?」

黎が耳打ちして身体を向けると、礼をする。青嵐も従った。

「きみらが菫のところの見習いだな? 悪いね、今まで放っておいて。納期が迫ってたんだ。みんなして結界符使うだろ?」

紺は青嵐の手にした符を指差す。

「御龍氏の中でも、符術の開発、製作に長けておられるんだ」

と楓が付け加えると、「菫の催涙弾も、俺が作ったんだぞ」と紺は胸をそらせた。催涙弾の効果は、身をもって体験している。一時的に足止めするには、十分だ。青嵐は手の中の結界符を思う。琥人が来た時、どう対処するか。菫と黎と三人で、おそらく前に出るのは自身だ。

「それ、俺にもくれませんか」

「は?」

突然の申し出に、紺は目を瞬かせる。

「専守防衛は性に合わないです」

紺は初めて会うこの少年をまじまじと見る。人から聞いてはいた。しかし、百聞は一見にしかず。目には、今にも前線に飛び込んで行きそうな鋭さがあった。この紫雲山にいる者には、ほとんどないものだ。頭をかいて息をつく。見習いは良家の出ばかりで、そう手がかからない。けれど、菫は初めての弟子がこれで、大丈夫だろうかと、心配になる。

「協調性ないなあ。まあ、合う合わないはあるからね」

「そうでしょう?」

青嵐はニヤリと笑う。

「符術の苦手な菫用だから、きみたちでも慣れれば使えると思うよ。本物使うと粉が散って大変だから、練習用のをやるよ。せいぜい頑張るんだな」

紺は懐から一つ、丸い玉を放り投げる。青嵐はそれをしっかり受け取る。黎が羨ましそうに手を覗き込みに来た。思い切り大きく、練習用と書かれているそれは、中身がないせいか少し軽かった。球の赤道の所に符印が書かれている。起動すれば二つに割れて中身が出る仕組みだ。握って力を集中させる。が、符印が少しきらりとしただけだった。

ムキになって無理に力を込めるが、結果は変わらない。横を見ると、静かに符印に力を通していく黎がいた。その横顔はとても穏やかで、微笑んですらいるようだ。青嵐は一度大きく深呼吸して仕切り直すと、もう一度挑戦し始めた。


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深空の泡 星名 @amane-mahara

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