NO.07「君の言の葉」

NO.07「君の言の葉」


「………ぅ」


 微睡みの底からようやく戻ってきた時。

 少年の瞳に見えたのは小さな陶器の瓶に入れられた一輪の白い小さな野花。


「おはようございます」


 いつもの声。


「クェーサー……状況報告」


「昨日、コックピット内で倒れて21時間が経過。現在地はアルワクト跡地に仮設した施設内です」


「汚染は?」


「土壌及び大気の汚染は既に取り除きました。エネルギーは元素生成炉があった為、問題ありません。また、ラクリ様の話では大陸規模での災害は全てこの星の高位存在が対処したようです。その話を裏付ける情報も観測済みです」


「そうか……」


「報告する事は色々ありますが、まずは食事をしてからにしましょう。起きられますか?」


「ああ」


 ゆっくりと身を起こした少年の背をそっと支えて。

 少女はその白壁の部屋の中。

 天蓋から降る陽光の下。

 寝台から体を立たせる。


「……アザヤ達はどうなった?」


「現在、アルワクト、ヴァスファート、アンクトの民を割り振られた住居へと向かわせ、今後の対応を其々の民と協議させている最中です」


「どうやら進展があったようだな」


「はい。それも含めて後でお話ししましょう」


「分かった」


 クェーサーに連れ添われながら、少年が木製の扉を押し開き、通路を数十秒程歩く。

 無機質な通路の材質は少なからず元々アルワクトにあった石材とは似ても似つかない。

 通り抜けた先にあったのは大広間。

 複数の螺旋階段が各階を繋ぐ五階建て程の建造物の中央だった。


「食堂はあちらです。もうしばらくすれば、招集を掛けたので三人とも集まってくるでしょう。ラクリ様とヘイズ様は現在、都市周囲の警戒と村々から民を集めている最中です」


「何とかなった……それだけで十分だ」


 連れ立って歩く少年が指示されるままに新しい通路に入ると一分もせずして、小麦の焼ける香りに満ちた部屋へと辿り着く。


 そこでは多くの料理人達が次々に麺麭を焼いては何かしらの具材を挟んで次々に外に続く通路で待っている者達に直接手籠を手渡していた。


 まだ食事時ではないのか。

 長いテーブルが並ぶ食堂内部には誰も待っている者はいない。


「どうぞ」


 椅子を引かれて腰掛けた少年の対面にクェーサーが着席する。

 すると、厨房の方から何やら畏まった様子で緊張した給仕らしき男が一人。


 二人の前に二つの具材を挟んだ麺麭の乗った皿と水の入った陶器を置いて、頭を深々下げてから後ろに退いていく。


 その料理を取って一口齧り、水に口を付けて。

 ようやく本題とばかりに少年が顔を上げる。


「クェーサー……」


「聞きたいことは全て分かっています。まずは現状の確認から始めましょう」


 彼女が掌を軽く合わせると周囲が暗く明度を下げ、少年が意識を失ってからの映像が流れていく。


 大気圏に突入し、心配そうに自分へ寄り添うアザヤ。

 瓦礫の山と化したアルワクト。

 二体の黄金の巨人と多くの呆然とする人々。

 歓声を上げて喜びに沸くアルワクト。


 アイシャリアが王達に事情を説明し、アージャが自らの民に何事かを言って聞かせていた。


「まず“C”に付いてですが、アブホースが途中で自らの内に取り込んでいたショゴスを分離し、囮として一部が逃走。アンクト方面へと逃げて行ったそうです。これを追撃しようとしたお二方でしたが、彼らの前に転移方陣でアンクトの民間人が送られてきた事でこれを断念。アルワクト難民達に人々を合流させ、守ることに徹したという事です」


「逃したのか……後で対処が必要だな」


「はい。ですが、今は状況も安定しています。まずは守るべきモノを一か所に集めるべきだと私が提案し、アルワクト王の許可の下、都市全域の汚染処理と浄化、それから再建を行いました」


 映像の中、瓦礫のアルワクトの側へ落着した【世触】を中心にして大地が白く染まり、あらゆる建造物が一度消え去った後、建造物が複数再形成されていく。


 それは嘗てあった都市の面影を残しながらも数倍程まで広がる白亜の城塞と化した。


「一応、都市全域の構造物に対浸食用建材と塗装を使用。城塞の中心に難民窟から持ってきた元素生成炉を据え付けました」


「前よりは安全になったか」


「はい。三時間後にはアルワクト周辺の村々から後続の民が到着。“C”討伐まで後方を気にする必要が無くなるでしょう」


「それでその住居を移す説得に三人が赴いていると」


「その通りです。此処でアンクトの民に付いて分かったことをお話します」


「お前がそう前置きするという事は何か特殊な事情があるんだな?」


「……彼らは巫女の民。あのアルワクト王から貰い受けた昔話に出てくる巫女の末裔だという事が分かりました。また、彼らはどうやらこの惑星に存在している“C”の影響を受けた種族の一つに統治されていたという事も判明しました」


「それが……アザヤを生体ユニットにした理由か」


「はい。彼女の取り戻した記憶が確かなら、巫女の民は“Y”の器の一つとして扱われていたようです」


「……この星に奴らがいたのか」


「事情を聴取したところ。元々、巫女の民は“C”に抵抗する血が薄れていたらしく。遠縁から血筋を集めて“純化”していたらしいです。彼女はその途中で奴隷から拾われ、統治者となっていた“Y”達に育てられた。また、本人から……自分は“アザヤ・ウェルノ・アンクトではなかった”と申告がありました」


「どちらの意味でだ?」


「とても、珍しい事例です。全てを掛けて叡智の収集と生存に特化したはずの一族が何の因果か。珍しい血筋とはいえ、現地生物を……命を懸けて救った。己の身を犠牲にしてまでも……彼女は自分に名前と体、叡智を与えた者こそがアザヤであると話しました」


「……そうか」


「驚かないのですね」


「もう驚くのには慣れた。それにあの子が“オレにとってのアザヤ”である事に変りはない」


『―――』


 食堂の入り口前。

 そのすぐ横の壁で口元を抑え、ポロポロと滴を零す少女が一人。

 あわあわする二人の少女に背中を撫でられていた。


「アンクトの住民には一様に記憶消去の痕跡があり、詳しい事は分かりません。ですが、アザヤの知識では“Y”が何かしらの遺物や秘法と呼ばれるものを守る為にこの地で暮らしていたようです」


「今回の一件……どうやら話が見えてきたな」


「はい。“C”の継承者を語るのが何者かは分かりませんが、あらゆる宇宙の叡智を収集した一族が守らんとしていた何か。それをあのような行いをする輩が手に入れたならば、その先に待つのは確実な破滅だけでしょう」


「違いない」


「アンクト周辺に飛ばしたナノマシン群体の崩壊状況から推測するに敵もしくは敵の狙う何かはアンクトの民が避難していた地下空洞にあると推測されます。アブホースの逃亡直後から断続的にアンクトの地殻付近において浸食反応が顕著に高まっており、何かしらの儀式が進行している可能性も否定出来ません」


「準備は?」


「粗方終わっています」


「すぐにでも出られるか?」


「推測ですが、この反応の高まり方からして、浸食が飛躍的に伸び始めるのは2日後。それまでに出来る限りの装備を整えたく思います」


「分かった。もう恒星級が出て来ても淡々とやるだけだ。全ての制限を解除する」


「現在、そうしています」


「ふ……随分と融通が利くようになったな」


 少年はようやく話が終わったと静かに食事を始める。

 クェーサーもまた自らの分を齧り始め、辺りには弛緩した空気が流れ始めた。

 それを待っていたかの如く。


「あ、あ~眠そうなの、お、オキテル~」


「め、目覚められたのですね。ヴァーチェス様」


 アージャとアイシャリアが鎧に翼を付けた姿で今正に到着したような言葉を棒読みにしつつ室内へと入ってくる。


「体に問題は無いか?」


「あ、いえ、わたくし達はまったく。ただ、アザヤさんだけ何かあったようで……少し心配なのですが」


「そうか……」


 アイシャリアの言葉に相槌を打った少年にアージャが顔を厳めしくして、目の端を吊り上げる。


「眠そうなの。ちゃんとアザヤに優しくてあげないとダメなんだからね!!」


「分かった」


「もう!! ホントに分かってるの?! そのビミョウに分かってるのかぼんやりしてるのか分からない顔で言われてもセットクリョクがないんだから!!」


「……留意する」


 げんなりした少年の様子にクェーサーは随分側にいても気付かなかった事にようやく気付いた。


 自分の操縦者はこんなにも人に押されると引け気味な性格だったのだな、と。

 生身で無ければ、然して問題にもせず。

 その性格を戦闘の味付け程度にしか思えなかったはずで。

 肉体を得て初めて、情報に価値を見い出せるようになった事が嬉しく。

 また、今までの事が残念に思えた。

 少年を深く理解していれば、彼の働きもまた違っていたかもしれず。

 救えていた命は更に多かったかもしれないと。


「それで眠そうなのにはこれからどうするの? 危ない神様は少しだけ逃げちゃったって聞いたけど」


 少年がアージャの言葉に入り口の方へと視線を向ける。


「“お前達”にはこれから、その事で話さなきゃならない事がある。場所を他の部屋に移そう」


「分かりました。では、こちらに」


 クェーサーが立ち上がると少年達を連れ立って先導した。

 出入り口付近慌てた様子であわあわしていたアザヤを少年が見付けて一言呟く。


「行くぞ。アザヤ」


「ぁ……は、はい!! ヴァーチェス様!!」


 目元が赤いのを隠すように僅か俯きながらも力強く返事を返して。


 少年の三歩後ろに付いた少女の姿に他の二人が互いに良かったと何処か安堵した様子で笑い合った。


 夕暮れ時まで少年からの説明を受けた三人の少女達。


 今やアルワクト、ヴァスファート、アンクトの民から三女神とすら呼ばれつつある彼女達は神の追撃という二日後に迫った決断を前にして即決。


 自分達に出来る事を。

 そう言って、少年に自らの存在を預けると告げた。


 同日、アルワクト周辺集落から全ての老若男女が集められ、神殺しの期間中は都市に滞在することを王家の名の下に布告され、否応なく人々は今まで近くて遠い存在だった隣人達と初めて出会う事となる。


 問題は山積。


 しかし、神の力として示された都市周辺にものの数時間で生えた穀倉地帯と其処から刈り出される十分な穀物、生活用水の湧く泉と整備された上下水道に人々はただ納得するしかなかった。


 時に大陸の暦が刻まれてから約三千余年。

 大陸南西部、神在らぬ場と言われた忌み地に小さな共同体が興る事となる。


 後にそれが水分みくまりの女神、古びれた土着神話とそれに連なる国の土台として成り立っていく事になるが、それはまた別の話。


 1つだけ確かなのはその地へ確かに善きにしろ悪しきにしろ神が来迎らいごうしたという事実のみであった。


 *


―――二日後アンクト周辺早朝。


 山岳部も程近い森林地帯。

 道無き道を進む七人の少年少女。


 彼ら全員の合間にはこれから神を討伐しに行くという緊張感が漂って……いなかった。


「ヴァーチェス様。朝食の麺麭をどうぞ」


「ああ」


「ヴァーチェス様。飲み物は如何でしょうか?」


「貰おう」


「ヴァーチェス様」


「何だ?」


「……その……こ、怖いので、て、てて、手を、握ってもよろしいですか?」


「動き難くならない程度にな」


「ッ?! は、はい!! ♪~~」


『………』


 アージャ、アイシャリア、ラクリ、ヘイズ、クェーサー。

 五人の半眼になった視線が突き刺さるのも物ともせず。

 否、まったく気付いた様子もなく。

 アザヤは甲斐甲斐しくを二歩三歩踏み越えた様子で少年に世話を焼いていた。


「な、なぁ、ラクリ。オレ達、お邪魔なようだから、帰っていいんじゃね?」


「ヘイズ。世の中には理不尽というものが―――」


「分かった。もう何も言うな。お前がその言葉で始める説教はいつも人生虚しくなる」


 二人の少年は二日前からアザヤが物凄い勢いで少年に攻撃アタックしているのを目にしていたが、その様子に虫歯となったような気分を味わっている。


 具体的には初々しい嫁や恋人並みの行動が周囲には駄々漏れだったのである。


 二日前の夜。


 男女別の公衆浴場が設営された一角。

 少年とその周囲の為だけに創られた場所。

 男女別に分けられていた身を清める風呂場に少年と何故かアザヤがいた。

 何やら背中をお流ししますと付いてきたらしく。


「入浴……水資源の浪費行動」と微妙に眉を寄せていた少年を薄い肌着姿で背中から手で洗っていた時はさすがに彼ら二人も入浴時間をズラした。


 他にもそろそろ就寝しようと少年の部屋の前を通り掛かった彼らの耳に木製の扉越しに声が聞こえてきたりもした。


 少年は既に就寝したようなのだが、寝物語を聞かせていたアザヤは少年を下に見て……愛でているようなうっとりした声で「ふふ……ふふふ……」と笑っていたのだ。


 扉からうっかり覗いてしまった二人は何故だか背筋が寒くなるのを感じた。

 万事が万事そのような状況。


 もういっそ結婚しろお前らと言いたいのは山々なのだが、アザヤの行動は恋や愛というだけに留まらず、信仰にも踏み込むような様子だったので、同じ女神呼ばわりされているアイシャリアやアージャも「ほ、本人達が良ければ、よ、よろしいんじゃないかしら」とか「眠そうなのが良ければ、イイって事で……」と見て見ぬふりだ。


 それを本来止めそうな立ち位置のクェーサーに付いて彼らの口は更に重い。

 アザヤがアプローチする度にその光景の何処かしらの部分に彼女が“居る”のだ。


 ある時は浴場のお湯の中。

 ある時は少年の寝台の下。

 ある時は手を繋いだアザヤの少し後ろ。

 その瞳はジットリしているような気もする。


 さすがに途中で気になったアージャが「こ、恐そうなのは眠そうなのに何かしないの?」と尋ねたが、ニッコリ笑顔で答えは返された。


『ヴァーチェスが不必要と判断すれば、制止します』


 あの、まったく、少年以外には無表情ではないにしても、平静な顔をしている女神が、そんな顔でいる時点で彼らは納得する以外ないだろう。


 ああ、踏み込んだら大怪我するな、と。


「それにしても熱いですわね。この時期にこんなの異常ですわ。これもやはり討とうとしている神のせいなのかしら」


 アイシャリアが僅かに滴った頬の汗を拭いながら、鬱蒼とした茂みを悠々と進む一行の最中で零す。


 彼らは現在、地面から僅かに浮いて移動している。


 少女達は誰もが少年に貰った鎧姿で背中側に翼を生やしており、少年はいつもの如く浮遊する白椅子に座り、クェーサーは虚空を踏み締めていた。


 ヘイズとラクリは外套姿でクェーサーと同じように虚空に足場でもあるかの如く進んでおり、時折周囲の様子を立ち止まって確認しては背後を固めている。


「………」


 クェーサーを筆頭に事情が分かっている者は沈黙を保った。


 今現在、アルワクト周囲に広がった“C”の汚染が重度化しつつあり、それらを防ぎながら移動している。


 その見えない浸食と防御の鬩ぎ合い。

 ナノマシン群体の大量生成による使い捨ての防護領域が全力稼働しているのだ。


 浸食された物質をナノマシン自体も含めて端から全て珪素に変換し、無害化してから再度ナノマシンへと復元、周辺に投入して散布している。


 このサイクルの為に七人の周囲、空気中には活発な群体がウヨウヨしており、空気分子の運動は極めて高い状態となっている。


 運動をする以上、どんなに小さい物体も熱量を持つわけで、周辺が熱いと感じられる限りは彼らが浸食を受ける事は殆ど無いだろう。


「ヴァーチェス様。たぶん、こちらです」


 少年に手を重ねて、イチャイチャもとい先導していたアザヤは山岳の麓、森林の奥の藪を掻き分けた先にある地下に続くのだろう大きな岩穴の前に出た。


 苔蒸した岩からは風が微かに吹き上げてきており、周辺の動植物や地面、岩肌も何処か黒ずんで見える。


 妙に薄暗い周囲は聊か不自然な形の葉を持つ植物が群生しており、樹木にしても何処か今にも動き出しそうな程に不気味だった。


「此処か……」


「は、はい。たぶん、間違いありません」


 アザヤが少年にコクリと頷く。


「クェーサー」


「浸食活動の高まりは観測されていますが、それ以外にはまだ何も……一度、内部にまでナノマシン群体が侵入している為、マッピングは完全ですが、現在状況は不明。此処からは全リソースを対浸食防御に回します。戦闘はお二方にお任せしても?」


「ようやく出番か。待ち草臥れたぜ」


「あまり暴れるなよ。生き埋めにされるのは勘弁だ」


「はいはい」


 ヘイズが肩をゴキゴキと鳴らして腰の帯剣を引き抜き、片手に下げ。


 ラクリは背中に背負った先端が何かの動物の角で出来たと思われる古びれた杖を左手に、右手には小さな銀色の短剣を持つ。


「眠そうなの。此処から先は昨日言ってたようにあの大きいのの中でしてたみたいに祈ればいいの?」


 アージャの訊ねに少年が頷く。


「前衛は二人に任せる。お前達三人はこちらの前で祈りながら前に進むだけでいい。ただ、目を瞑ったりはするな。咄嗟に動けるように周囲へ気を配っておけ」


「う、うん」


「分かりましたわ」


「はい。ヴァーチェス様」


 三人の様子が大丈夫そうなのを確認して、クェーサーがヘイズとラクリに頷いた。


「では、突入します」


「攻撃は基本避けないから安心してくれ」


 その片手が前に突き出されると。

 密集した七人の周囲に輝く光源が生まれる。

 その光の球は洞窟の奥までも照らし出し、視界をしっかりと確保した。


「行くぞ」


 少年の声と共にぞろぞろと全員が洞窟内部へ進む。

 内部の岩肌は長年の雨風で浸食が進んでいるのか。

 僅かに湿っており、苔と同時に所々、疎らな草木が生えている。


 天井はしっかりしているようで脆そうには見えないが、足音や息遣いの度に反響が洞窟内部へ鳴り渡っていく。


 往く手は曲がりくねっており、遥か遠方までの視界は確保出来ない。


 が、光が届く限りの壁は全て視認出来ており、少なくとも何か彼らの行く手を遮りそうな生物は見当たらなかった。


「この先、40mを左。その後、直進して坂道に入ります。坂道の途中には複数の分岐が有りますが、そのまま降りていけば大丈夫です。差し掛かったら、こちらから指示しますので」


 クェーサーに導かれながらの道程はそれから20分程続いた。

 慎重に進んでいるとはいえ。


 それでも普通の洞窟では考えられない程に深い場所まで続く道は自然に出来たとは思えない程、人が歩くに適している。


 無論、誰かが作ったと考えても無理は無かったが、人が手を加えたような跡自体は洞窟内部に見て取れない。


「これ一体、何処まで続くの? アザヤ」


「私にも分からない。でも、たぶん、もうすぐ……それは何となく分かる」


 アージャが少し不安そうにしながら訊ね。

 アザヤが前を向いて汗ばんだ拳を握った。

 周囲には未だ苔に覆われた岩肌ばかり。


 だが、クェーサーの目には少しずつ浸食が強くなっていくのが数字によって見て取れていた。

 洞窟内部の温度が彼らの周囲を守る防護領域よりも高くなっているのは如何なる理由からか。


 判別の付かない情報を口にはしなかったが、主である少年の瞳には熱量の上昇がしっかりと映し出されていた。


「クェーサー。目的地まで後どれくらいだ?」


「残り32m。次の角を左に曲れば、大規模な空洞が有ります。洞窟としてはかなりの広さです」


「其処に逃した“C”が?」


「それは分かりません。ですが、ナノマシン群体の崩壊が異様な速度で進んでいる為、確率は高いかと思われます。この状況下では先行情報偵察出来る距離自体短く、4mが限界……後は自分の目で確かめるしかありません」


「そうか」


 クェーサーの言葉に先行するヘイズが僅かに息を吐いた。


「ようやくお終いか。結局、雑魚出てこなかったな」


「……残り6m。出口はすぐです。気を付けて下さい」


「ヘイズ。気を抜くなよ」


「へいへい。後衛よろしくな」


 二人が先にその出口らしき場所の先へと向かい。

 一歩踏み出して、立ち止まった。


『―――』


 背後から全員が続き、その光景を覗き込み………見つける。

 それは300m前後の円形の窪地であった。


 クェーサーの浮かべていた光源がフッと消え去り、その底に鎮座するモノが発する炎の揺らめきの如き灯りが天井を照らし出し、彼らがいる壁面の何の手摺もない階段を浮かび上がらせる。


「クェーサー……」


「ナノマシン群体全力稼働中。また、踏み込んだおかげでしょうか。偽装情報を更新します」


「どういう事だ」


「高度な魔術による“嘘”が見抜けなかったようです。大規模な空洞とは言いましたが、此処までのものは観測されていません。本来、この先には人々が暮らせる洞窟が蟻の巣穴状に広がっているとの情報でしたが……」


「これが“Y”の連中が隠していたものか」


 彼らが壁面から見下ろす底には灯りを齎すモノが蠢いていた。

 それは蒸気と粘着質な液体に濡れた表皮を持つ乳白色の一塊の肉塊。

 それが胎動しながら、蠢いている。


「U……ぼ……サ……トゥラ」


「アザヤ?」


 呆然とその塊を見つめていた少女が呟く。


「原初にして……終末……銘板の守護者……アレは……っ……アレはこの、星のッ、根源……ぅ、ぁ、ぐッ?!」


「どうした?!」


 少年が思わず少女を抱き抱える。

 その合間にも異変を察知したクェーサーが状態をすぐに察知し、その手をアザヤの首筋に当てる。


「古のものが見つけた……アレを……大いなる母の寝床を……太古の神々は……だから、祀った……宙の契約書……大宇の叡智で封じた……っ」


「アザヤ。苦しいなら思い出すのは止めろ」


 少年の言葉にふるふると力なく青ざめた顔でアザヤが微笑む。


「……外なる神々、すら、も……アレを畏れた……何故なら、アレは……“この世界そのもの”……だか、ら―――」


「―――」


 クェーサーが何やら息を呑んだ次の瞬間。

 アザヤの肉体が肌から僅かに蒸気を吹き上げ、青白い焔に燃え上がる。


「アザヤさん?!」


「アザヤ!!?」


 少女達の悲鳴が上がる。


「クェーサー!!」


「緊急コードRE:T!!」


 クェーサーの叫びと共に鎧がバツンと鋼を絶つような音と共に剥がれ落ち、アザヤの肉体が下の肌着ごと剥き出しとなる。


 それでも炎は止まらず。

 しかし、抱いている少年を炙る事も無かった。


「―――だい、じょうぶ……です、から……少し、眠らせ……………」


 炎がフッと収まり、アザヤの全身が弛緩する。


「症状の分析を頼めるか?」


 ラクリが少年の言葉に頷いて、クェーサーと共に地面へ横たえたアザヤを覗き込み。

 何やら虚空に魔術の方陣を浮かび上がらせた。

 その内部には人体の図が描かれており、何やら二人で言葉を交わし合って数十秒後。

 心配そうにする誰もに少年が顔を向ける。


「クェーサー様からは既にアンクト女史の肉体や現状に付いては聞いています。その上で言わせてもらうと……彼女の現在の症状は一時的な精神の摩耗、それも内部から発生した特殊な浸食に曝された故だと思われます」


「特殊な浸食?」


 少年の言葉にラクリが頷く。


「存在自体はヴァーチェス様の中に保っていますが、彼女の内部にはどうやら膨大な情報がある。精神の摩耗とは情報の引き出しによる自我の希釈の事です。本来、人間の人格の構成は脳の各部位に由来する活動の総合的な代物です。ですが、彼女はもう脳に由来しない存在自体が情報のような形になってしまっている。それが内部の情報と区別されているのは辛うじて人格の情報密度が纏まった領域を占めているからだ。しかし、其処に別の領域から大量の情報を引き入れれば……」


「人格と情報の境が曖昧になって消える……そういう事か?」


「はい」


 少年が拳を握り締める。


「青い焔はその情報による浸食を軽減する為に精神の防衛反応が情報を熱量へ置換した為、起こったと考えられます。情報と熱量の交換自体は高度な魔術においては可能な事象ですが、彼女の場合はそれを自分の意思を表出させる器において顕現させた。そういう事ではないかと」


「大体の事情は分かった」


「眠そうなの!! 結局、アザヤは大丈夫なの!!?」


「そ、そうですわ。わ、わたくし達にも分かる言葉で話してくださいませ!!」


 アイシャリアとアージャの必死な様子に少年は大丈夫だと言って聞かせる。


「しばらくは起きられないだろうが、今のところ致命的な問題になってない」


「そ、そうですか。良かった……っ」


「さっき燃えたのもだ、大丈夫なの?」


「ああ、だが……ラクリ」


 アザヤの体を触診していた少年が振り返る。


「はい。何でしょうか?」


「アザヤ達三人を頼めるか?」


「構いませんが、このまま降りるのですか? あの神の事はこちらの情報にもありません。側に居なければ、満足な支援は出来なくなりますが」


「それでいい。三人と此処で退路の確保を。オレ達は下に向かう。“C”や継承者とやらとの戦闘行動が始まった場合はまず何よりも三人の退避を優先させて欲しい」


「……分かりました。命に代えましても」


「負担を掛ける」


「いえ、こちらはそれが任務ですから。ヘイズ!!」


「あいよ」


 呼ばれた少年が階段の下を警戒しているまま声だけで返す。


「ヴァーチェス様の直衛だ。もしもの時は兵装の全開放を許可する」


「分かった。行ってくるぜ。相棒」


「ああ」


 二人が頷き合う。


「こ、此処でアザヤ達とオルスバンなの?」


 アージャが僅かに不安そうな顔となる。


「ラクリに任せる。帰り道の安全を任せるぞ」


「分かりましたわ。アザヤさんは必ず守ります。こちらは気にせず……」


 アイシャリアが力強い瞳で頷いた。


「クェーサー。行くぞ」


「はい」


 ラクリとアザヤ達をその場に残して、先頭をヘイズに少年とクェーサーが続いた。

 手摺の一つも付いていない階段は酷く不安定にも見える。


「……クェーサー」


「何でしょうか?」


「あの神に付いて分かる事は他にあるか?」


「………」


「どうなんだ?」


 底に蠢き、周囲を照らして蒸気を上げる外なる神々。

 その様子を見つめながら、少女が瞳を細める。


「第三の選択肢が見つかりました」


「何?」


「第666超重元素の先。最終番号【999《スリーナイン・オーバーロード》】……我らNO.100ハンドレット・ナンバーは元素生成炉を運用する時、必ず原子核魔法数制限コードによって、生成行動がロックされますが、その最たる理由はその最後の超重元素を発生させる可能性を絶つ為なのです」


「クェーサー。説明しろ」


 少年の声が僅かに険しさを増した時。

 先頭のヘイズが僅かに片手を挙げて、二人を制止した。

 沈黙したまま。

 その瞳が階段の下方を見やる。

 薄明りの下。

 ぼんやりと視界に滲むような色合いの何かが終点にいた。


―――てけ、りり?


 何処からか声が響き。

 それに呼応してか。

 巨大な岩窟の内部。

 あらゆる場所から声が返り始める。


 てけ、てけ、てけ、てててて、けけけけ、りりりりり、てけりぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい―――。


 高周波の如き、頭痛を引き起こすに足る怪音波。

 それが洞窟内部で反響し、壁面が蠢き始める。


「これは!? 擬態してやがったのか!? 戦闘準備を!!」


「話は後だ!! クェーサー!!」


「了解。武装表出」


 少年が椅子から降り立つと。

 白いソレが捻じれて堆積を増やし、鋼の剣の如く変化した。

 刃渡り6m弱もあるだろう諸刃の刃。

 それを片手に悠々と少年が虚空を歩いて壁面から離れた場所で掲げる。


「此処だ!! 化物共!!」


 声に惹かれてか。


 岩肌に偽装していたショゴスの群れが何やら鏃の如く自らを尖らせ、急激な膨張による爆発的な堆積の増加で得た加速を使って己を弾丸の如く飛ばした。


 全方位からハリネズミにする勢いで目玉の貼り付いた矢が殺到する。


収束開始バレル・スタート


 少年の身長からすれば長過ぎる剣。

 それが一瞬、震えたような、姿をブレさせながら、甲高い金属音を連続で放った。

 ショゴス達が放つ声より尚高い振動。

 それが周囲に異変を齎す。

 少年の肉体を狙い打って放たれた矢が全て方向を逸らし、剣身へと誘導されていく。

 しかし、近付いたショゴスが一定領域内部に入り込むと融解した。


 刃に働く引力。


 そして、同時に周辺に働く物体を分子レベルまで分解するに足る振動。


 二つ同時に兼ね備えた武装は少年にとってみれば、粗末な個人携行用ナイフのようなものだ。


 名前すら無い普通の装備。

 敵が大質量で攻めて来なかったという戦術的な間違い。

 偽装が解かれて、位置を全て晒すという間違った判断。

 この二つから導き出される結果がすぐ少年の周囲で露わとなる。


 何をさせる暇もなく。

 引き寄せられたショゴス達が次々に逃げる暇すら与えられず。

 剣身の周囲6m圏内に入った途端に分解され、滝のように地下へ流れ落ちていく。

 その光景は剣のある穴の中に河でも流れ込んでいるかのようだ。

 只管に化物を処理する15秒が終わると。


 壁際にへばり付き。


 これから彼らを襲おうとしていたショゴスは一匹たりとも見えなくなった。

 状況を確認した少年が剣を手放すと再び白い椅子へと色形を変える。

 腰掛け、フヨフヨ戻ってくる自称神様に法術師兼剣士の呆れた呟きが零された。


「何かスゲーな……」


「普通だ」


「ま、手間が省けたって事で早めに行くぜ。今のでこっちの事は筒抜け。何があるか分かったもんじゃないしな」


「了解しました」


 少年に話し掛けたヘイズが肩を竦めて、クェーサーが頷く。

 そのまま三人は速足に地下へと降りた。

 無論、地面に足は付いていないが、速度は今までよりも随分と速い。


 さっそく階段の終わりまでやってきた彼らは外なる神々、肉塊の周囲に数m程の人間が楽々通れるような道を見つける。


 左右に分かれてはいたが、そのカーブを描いている先を見れば、肉塊の周囲を通っているのだと簡単に想像が付くだろう。


 二手に分かれるのは止めておこうと右手に進んだ三人はやがて分厚い“C”に遮られて見えなかった洞窟内部の祭壇と思しき場所を発見した。


 その祭壇は壁際に据え付けられており、かなりの大きさで50m程も高さがあるだろう。

 材質は岩窟を構成する岩ではなく。

 半透明の紫色と濁った緑が混じり合う不可思議な結晶構造の何か。

 その荘厳なまでの彫刻はしかし人間が生み出したものでは無いと彼らの誰にも分かった。


 最たる理由は彫り込まれているのが異形の姿。

 化物達だったからだ。

 触手、翅、不定形の何か。

 棘、甲殻、魚の如き何か。

 臓物、瞳、人間を捏ね繰り回した何か。

 其処は異形の神々が祀られた祭壇。

 “C”のやしろだった。

 悍ましい神殿。


 正気が削れそうになったヘイズが僅かに口元を抑えて、強くソレを睨み付ける。


「こいつが……この馬鹿でかい肉塊を祀る場所か。だが、誰もいねぇな」


 ゆっくりと進みながら、周囲を警戒しつつ、ヘイズが辺りにある気配が一つもない事を確認した。


 祭壇の奥に続く階段を昇り始めた三人は辿り着いた場所に小さな祠を発見し、内部を覗き込む。


 しかし、其処には何も置かれていなかった。


「どうする? 手掛かり無しっぽ―――」


 振り返ったヘイズが自分の前に顕れた暗闇と燃える瞳。

 いや、三つの眼光に釘付けとなる。


―――イア、いア、イあ。


「ぁ………」


 その小さな呟きに彼は自分の精神が軋みを上げて崩れていくのを感じる。


 瞳が細められ、嗤みを象ったような、そんな気がしたのは気のせいではないに違いなかった。


 *


 ギリギリと首が締まる。


 咄嗟の判断でクェーサーを後ろに突き飛ばした少年はナノマシン群体による脳内への酸素供給を継続しつつ、肌の上から食い込んでくる指の圧力と浸食に歯を食い縛った。


 祭壇の奥。


 祠を見つめて振り返った一瞬でヘイズの瞳は胡乱となっていた。

 何かに支配されているのは確実。

 だが、その干渉方法がまるで分からない。

 いや、分かるのかもしれないが、高浸食下での活動中は観測が不可能である可能性が高く。

 推測する程度しか儘ならない。


「ぐッ?!」


 ならば、と。

 少年は片方の拳でヘイズの側頭部を殴り付ける。

 無論、脳震盪で転ばせようとか。

 そういう話ではない。


 ほぼ密着状態であるならば、浸食活動を気にせずにナノマシン群体を使ったオペレーションが可能だと判断したからだ。


 側頭部から回ったソレらはすぐに鼻や口、耳から粘膜、細胞へと浸潤し、体内血中に到達。


 心臓から送り出されるまでもなく脳髄へと至った。

 意識の強制的なシャットダウン。

 脳内の電荷、あらゆる物質による活動を制限。

 意識低下オペレートは即座に効果を発揮し。


「―――」


 ドッとヘイズが倒れ伏した。


「けほ、けほっ、クェー、サー……」


「分かっています」


 後ろから少女の手が今まで浸食されていた首筋に当たる。


 すると、触れられた場所が赤熱し、首筋の肌や下の真皮、血管、筋肉が崩落、同時に再生されて元に戻っていく。


「済まない」


「いえ、周囲警戒に回っていたとはいえ。早めの対策を打てなかったのはこちらです」


「それで?」


「空間の歪みを検知して、即座に遮断しました。また、現在脳内の活動を監視中。どうやら、祠の内部に何かが居たようです。光波を伴った僅かな事象がヘイズ様の瞳の付近で起こっていた事を確認しています」


「認識型の“C”でもいたのか。とりあえず、安全が確保されるまでは意識拘束で縛っておけ。後でラクリに見せよう」


「分かりました。これからは高強度の光波フィルターを全員に配っておきます」


「ああ、それでいい。で、他に何か祠や周囲に変化はあるか?」


「ありません。ですが」


 少年に振り返るように示したクェーサーが瞳を細めた。


「……活動が活発になってるのか?」


 今まで肉塊から吹き上がっていた蒸気の量が倍近くまで増えていた。


「光学観測上は細胞単位での熱量交換が活発になっています」


「エネルギーを循環させている……?」


「……人間的な言葉に直せば、目覚めようとする直前。そのような印象を受けます」


「継承者とやらは見付からなかったが、どうやらここまでのようだな」


「はい」


「撤収だ」


 少年とクェーサーが左右からヘイズを支えるようにして虚空へと飛び出し、急速に上昇すると洞窟内への入口へと向かう。


 その合間にも熱を帯びた蒸気が肉塊から絶え間なく吹き出し、全てを白く隠していく。

 胎動。

 正しくそう呼ぶべき状態。

 これから何が起こるか分からないとしても、どうなるのかは分かっている。

 殆ど二十秒程で戻ってきた三人を見て、ラクリが状況を察した。


「皆さん。逃げる準備を」


「は、はい。アザヤさんはわたくし達で!!」


「う、うん」


 戻ってきた少年が号令を掛けて、全員で今まで来た道を高速で移動し、出口を目指す。


 その合間にも彼らの後ろからは吹き出した高圧の蒸気が迫っており、何とか洞窟の外へと抜け出す事に成功した瞬間。


 洞窟の出入り口が白い暴発で吹き飛んだ。

 ラクリが魔術方陣を形成し、その迫ってくる岩塊を弾き飛ばす。

 合間にも周辺地域に地震が奔り、森林地帯の一角。

 丁度、肉塊がある洞窟がある場所が崩落し始めた。

 全員が上空へと逃れる。

 すると、地表がどうなっているのか誰にもすぐ分かった。

 円形状に砕け落ちた地盤の下から蒸気と共にソレがせり上がってくる。


「クェーサー!!」


「分かっています。ウェイクアップ」


 彼らから数㎞程離れた誰もいないアンクトの廃墟跡。

 水を供給し続ける巨大な鐘楼。

 白銀の大地の上に姿を現したのは【世触モナドノック・アルジェント】だった。

 修復の終わった躯体を密かに控えさせていたのだ。

 出来る限りの装備はしてきた。

 ならば、やれる事は幾らもある。


 全員が機体の方へと急加速、安全圏に入ろうとしている合間にも吹き上がった蒸気が森林地帯だけではなく。


 山岳部へと吹き抜け。

 急激な揮発で熱量を奪われた大気の最中。

 パキパキと周辺の地域が軽く凍り付いていく。

 二十秒程で世触が確保する安全な領域まで退避した彼らが白銀の地表に降り立ち。

 蒸気の中で立ち上がるモノを見上げた。

 それは洞窟内部から浮上してきた肉塊の上に立っている。

 全長で40m近いだろう図体はしかし身軽にも思える人体を模倣した作りだった。

 複眼がテラテラと滑り輝く肉色の装甲の各部に垣間見え。

 同時に両手や両足に生えた口がガチガチと歯を鳴らしている。

 各部の装甲は鎧というには有機的に過ぎ。


 どちらかと言えば、昆虫の甲殻を肉が付いたまま裏返したような、身の毛の弥立つ気色悪さがあった。


『ついに手に入れた。手に入れたぞ!! 根源にして原初!! ああ、永かった!! あの屑共め!! 散々この軸を修正した挙句に逃げ出すとは!! く、くくくく、さすがニョグタには慌てたと見える!! さぁ、後は煩い蠅を叩き潰すだけだ』


 罅割れた老人のような声。


 それが歓喜と共にブツブツと独り言を呟き、ギロリと彼らの方向に全ての瞳を向けた。


 人型をしていながら異形。

 化物を人の形にしたと言うべきか。

 ショゴスにより構成されているソレは容赦なく。


 自らの敵と認識した彼らが防衛体制を取る前にその両腕から触手を網目のように広げて投げ掛ける。


 それに伴って発生した“C”特融の浸食が、次々にナノマシン群体を停止させ、少年達へと迫るものの。


 【世触】が全員を自らの内部に収容する方が早かった。


 装甲を一瞬で透過して内部に潜り込んだ彼らの内、アザヤとヘイズは未だ意識が戻っていない。


 しかし、構ってもいられないというのが実情であり、高速で重力制御によって触手の網から退避した機体が後方に浮遊しながら下がりつつ、敵の出方を伺った。


「クェーサー。解析は?」


「敵はショゴスを纏っているようですが、内部にアブホースの反応を検知。これは典型的な“C”を運用した浸食の増幅器だと思われます」


 少年は肉塊の上から浮遊し、高速で迫ってくる敵機。

 たぶんは“C”の継承者と名乗る者が操っているのだろうソレに目を細めた。


「浸食率は?」


「前回の戦闘時アブホースから齎されていた情報よりも低い為、要警戒。浸食能力を隠しているか。もしくは特殊な浸食能力の可能性が高いかと。従来の“C”を運用する種族の大半は長距離浸食兵器がスタンダードでした。此処は撃ち返されても対処出来る武装で様子見するべきです」


「ヴァーチェス様。こちらも出ます。外に出して頂けますか?」


 アザヤ達を見る二人に自らの相棒を託してラクリが操縦席の横に浮遊しながら移動してくる。


「悪いが戦闘中は無理だ。高浸食下での行動のし難さは前回の戦闘でも分かっただろう? あらゆる活動が制限される。高度な技術や技能の産物は浸食に耐えられなければ、破綻か乗っ取られるし、精神は絶えず摩耗する。媒質が浸食される事であらゆる攻撃方法は致命的な弱体化や無力化を引き起こされる。漬け込まれる隙はこれ以上犯せない。それよりも気を失ってる二人の厳重な活動の制限と監視を頼む。さすがにここで何か起こされれば、こちらも対処に手間取る」


「分かりました。では、戦闘の方はお二方にお任せを」


 ラクリが寝かせられているアザヤとヘイズの側まで往くと。

 その左右の手を二人の頭に当てて、静かに瞳を閉じた。


「眠そうなの!! アタシ達は!!」


「前回と同じように―――」


 少年の声にクェーサーが割り込む。


「いえ、お二方はヴァーチェスの左右に付いて下さい」


「わ、分かりましたわ!!」


「おい!! 何を?」


 少年が答えるよりも早く。

 その主観時間が引き延ばされた。


「どうして二人との距離をこちらに近付ける?」


「『戦闘に参加させる為です』」


「理由は?」


「『前回の戦闘中、アザヤを含む三人からは複数の魔術的な支援が元素生成能力を軸にして行われた事が記録されています。本人達は無自覚のようですが、浸食への対抗の他にも増幅される能力は複数あるようでΧユニットとの直結で仮想ユニットに―――』」


「却下だ」


「『生体ユニット化されたアザヤ・ウェルノ・アンクトはOSとして機能させ“C”の制御を行う為に最適化された姿となりましたが、二人の場合は純粋に元素生成能力と魔術の力を増幅し、人間のまま―――』」


「ノンだ!!」


「『……ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲンの判断として、それは不合理です』」


 少年は相棒から言われて、まったくその通りだと自嘲する。

 今までの自分であれば、本当に必要なら打てる手段は全て打つべきだと。

 そうしていたはずで。

 今現在の言動はまったく感情に囚われた不合理さの塊だろうと。


「この二日でお前に聞かなかった事も話さなかった事も……オレは知らなくていい。だが、無闇にオレのような奴を増やす事に同意するつもりはない」


「『……寿命の無限化。思考の高速化。精神と人体の飛躍的な能力向上。全て生物が最終的に行き着く次元の力です。“C”を打倒し、この星の安全を確保する道程で避けなければならない事だとは思えません。本人達は他の同族とは異質になりますが、時代が過ぎれば、彼女達のようになる存在も必ず出てくるはずです。そうなれば、個体としての幸福は長いスパンで達成される目標で―――』」


「そういう事じゃない」


 少年の瞳は前を向いている。

 今もジリジリと迫ってくる敵機とその体中から溢れ出し始めた触手の群れ。

 それを見据えながら、言葉は確かに強く響く。


「死ぬ事も老いる事も滅びすらも幸せの内だ。だから、故郷は消えた。だからこそ、オレはそれを受け入れた。時間を遡れば、笑い合える誰かがいた。無限に繰り返す事だって出来た。お前に命じれば、それは可能だった……」


「『………』」


 何もかもを遥か遠くに見て。

 少年はその幻影を瞼の奥から消し去る。


「救おうとして滅びてきた文明、人々を蘇らせても良かった。無限回やり直しが利くんだ。並列する時間軸にシフトしたって問題は無かった」


「『全ては“C”の影響さえ無ければ、です』」


「本当にそうか? “C”の出現よりも先に文明に接触して技術を渡したって良かっただろう。現物を生成して与えても、十分抗える可能性はあった」


「『………』」


「幾らやり直しが利いても、“救えなかったオレ自身”はやり直せない」


 少年の言葉にクェーサーが瞳を伏せた。


「誰もが二度目なんて選択肢もなく。必死に何が最善かを考えながら……一度だけの今を生きている」


 少女には分かっている。

 そんな事は分かっていた。

 彼女のコミュニケーションログ。

 過去の記憶と呼んで差し支えない記録の中。

 少年は一度たりとも、救えなかった誰かの為にやり直そうとはしなかった。

 時間を超えても、世界は消えない。

 残留する未来は確定している。

 やり直した先にいるのは“救いたかった誰か”ではなく。


 “救えなかった別人”なのだ。


 哀しい結末をこれ以上齎さない為に進んできた彼にとって、少女達を自分と同じ地獄に引きずり込みたくないのは自明。


 やり直せてしまうからこそ、やり直せない今を。

 それは例え、アルゴノード・クェーサーが万能で無くなったとて変わらぬ決意。


「だから、あの子達にオレやアザヤが背負うようなものを背負わせて勝っても、それはオレの敗北だ」

 いつだって、今に懸命だった直向きさが、何もかもを超える力となってきた。


 そんな少年だからこそ。

 無限の闘争を進んでこれたのだ。

 それは紛れもない事実で。

 何よりも彼女自身が身を以て知る少年の想いだ。


「『敵機に反応有り』」


 少年の左右にはもう少女達が席へと付いている。

 しかし、未だ主観時間には大きな隔たりがあった。

 出来る限り、二人への負担を減らすのならば、敵を速攻で叩き潰すのがいいと。

 【世触】が少年の時間に合わせて高速で機動し始めた。


 即座に自分へと向かってくる触手の投網から逃れ、後退しつつ【熱量封入黒体アヴィタヤ】が放たれる。


 装甲の隙間から放たれた黒く細い針の束は一瞬で加速し、軌道を様々に変えながらバラけ。


 敵機に同時着弾。


 波状攻撃となって爆光の雨を地表に現出させた。

 しかし、その無数の焼滅の最中。


 高速で地表スレスレを飛び交い、ショゴスの鎧を高熱に炙られながら、人型が突撃してくる。


 よくよく見れば、全身から這い出した細い触手の群れが自分に近付く針を一つ一つ正確に絡め取っては潰し、先端を犠牲にして直撃弾を防いでいる。


 その繊細なコントロールは明らかに化物の本能というより明確な合理性を持って行われていた。


「『敵機の観測能力及び予測能力はこちらよりも上のようです』」


 主観を最大加速させて機体を操る少年に匹敵する速度と反応。


 途中から手を変え、品を変え、【熱量封入黒体アヴィタヤ】がランダム軌道を描き、時に不可視化や熱量探査を掻い潜るステルス性を与えられて迫っても、何ら有効打となっていない。


 互いの距離は高速機動中ながらも詰められつつある。


「『この状況での接近は危険と判断。面制圧用の武装を追加』」


 この二日で更に武装を増やした【世触】の背後。


 背部と肩部を覆っていたパーツが一斉に紙の如く薄く薄く剥がれ、一瞬の内に数百m以上、孔雀の羽のように黒光りする銀幕として広がった。


「『衛星内環境再現用の【調整内殻リファクト・スフィア】です。展開』」


 高速で近付いてくる敵機が急激な制動を掛けた。


 途端に一辺が60cm程の正四角形の幕が【世触】と敵機を取り囲むように広く広く数㎞に渡って半球状の封鎖領域を作り出す。


「『外界の浸食率低下。真空再現開―――』」


 その時、不可思議な程に早く。

 敵機が反応。

 装甲のショゴスが全ての瞳と口を閉じ、色を黒く変色させて硬質化した。


「『環境変更。ナノマシン群体による熱量吸収。分子凍結開―――』」


 だが、そのクェーサーの言葉が聞こえているわけでもないだろう敵の体表が今度は何か滑り気を帯びた粘液で覆われていく。


「『………観測。熱量、質量、音波、光波、量子……推論完了』」


「どうした。こちらの情報が筒抜けだぞ。そんなに相手の観測能力が高いのか?」


「『いえ、これは我々が準備して開始するよりも早く敵が適応しています。こちらの情報をそこまで筒抜けにしているならば、最初からこちらが乗り込む前に潰しに来ているはず』」


「つまり?」


「『敵を特異個体脅威度判定CSと認定。時空間干渉による確定情報の授受。未来からの情報取得能力と推定』」


「殆どのユニットが無い時に面倒な。他に能力は?」


「『隠されている可能性もあります。取得情報量によっては一気に展開が覆される可能性も高いでしょう』」


「対策は?」


「『あります。取りあえず、60秒間の戦闘を。出来る限り、相手に圧倒されながら無様に這い蹲るような感じで』」


「……まったく、人間らしくなったのはいいが、その物言いか」


「『学習の成果です』」


 彼ら二人の間にある空気は仮にも敵が未来から情報を受け取っている。


 つまり、絶対に敵はどんな攻撃にも対策してくるという絶望的な状況にも関わらず淡々としていた。


 少年がクェーサーの言い訳に苦笑する。


『もう終わりか? 何処の神かは知らないが、ニョグタを退けた事は誉めてやろう。しかし、始源に浴した我が力!! 真に偉大なる血脈として、大いなる“C”に仕え、全てを総べる我が身の前には無力だと知れ!!!』


 ショゴスがその色合いを不気味に蠢かせながら七色に変色しつつ、装甲の内部より再び触手を伸ばし、その堆積を増やし、巨大化していく。


 【世触】の約三倍強まで膨れ上がった怪物が吠えた。


 その波動が機体の数m手前で重力の障壁によって散らされ、左右に分かれて背後の幕の一部を吹き飛ばす。


「クェーサー。苦戦する音声だけを外部に」


「『良いのですか?』」


「お喋りしてくれる分だけやり易くなる」


「『外部スピーカーを入れます』」


 クェーサーの言葉と同時に少年は構えを取り、今まで封印していた弾帯加速系の重火器を申し訳程度、重武装に見えるよう両手、両肩、両腰、両足に構築していく。


 両手に創られたは連続射撃可能な3連装ガトリングガン。


 両肩の装備されたのは敵の構成を破壊する重粒子線スプレーポッド。


 両腰にマウントされたのは純粋な運動エネルギーを敵に衝突させるレールガン。


 両足に装着されたのは大火力を得る為の小型戦術核を束ねて内蔵したクラスターミサイル。


 まったく重厚に見えるだろう武装の殆どは雑魚はともかく対“C”戦闘においては致命的に使えないと肩を竦められてきたものばかりだ。


 とにかく敵の浸食能力で動作不良、乗っ取り、自爆が多発した為、同じような武装は対“C”戦力として多くの文明が破棄してきた。


 それをわざわざ見せびらかすように付けたわけだが、案の定。

 それにクツクツと嗤い声が響く。


『ふ、くくく……それで戦えるつもりか!!! 身の程を教えてやるッ!!!!』


 その図体に似合わぬ俊敏さを見せて、巨体が大地を削りながら【世触】に拳を放った。

 無限に伸びるだろうショゴスが爆発的に膨れて空一面覆う拳を出現させる。

 それに向けて全ての重火器が撃ち放たれた。

 しかし、圧倒的な質量の前には豆鉄砲に等しい。


 確かに機体が放った一撃は並みの怪物なら一撃でゴミ屑のように破壊し尽くすだろうが、無限の再生能力と増殖能力、更に浸食能力を前にしてはそれも怪しい。


 次々に拳へと襲い掛かる弾丸は次々に直撃寸前に軌道を逸らされ、まるで主人の意に従う猟犬のように【世触】へと襲い掛かった。


 高速で背後へと後退。


 弾丸の後ろから追い掛けてくる触手の網を左右に交わしながら、それでも銃撃を見舞い続ける。


 偏向された重粒子線によって装甲が白煙を上げ、次々に衝突するレールガンの威力に大地が土埃を上げながら灼熱、クラスターミサイルに至ってはショゴスの内部に取り込まれて装甲の合間から顔を覗かせている。


 被弾は最小限。

 しかし、それにしても造ったばかりの武装は傷付き、ボロボロと崩れ始めた。


『さぁ、どうした!! 出し惜しみしている暇があるのか!! 抗ってみせろ!!!』


 巨大化した装甲が泡立ち、ショゴスが一瞬で膨れ上がったかと思えば、次には収縮。


 鋭い槍衾。


 ハリネズミの如く体中から【世触】を貫いて余りあるだろう長さの円錐が無数迫り出した。

 それが細く細く先端を捩じらせて、射出される。


 その後ろには糸状の触手が張り巡らされ、空間を埋め尽くす勢いで分裂と結合を繰り返しながら、ランダムな動きを見せる。


 狭まっていく領域。

 だが、逃げ出せば、本体が銀幕内部から動き出し、浸食の被害が増す。

 少年は仕方なく接近戦用の武装を手中に生み出す。

 それは洞窟内部で少年が使ったものと瓜二つ。

 というか、大きさ以外は全て同じ能力の大剣だった。


 槍の群れが着弾よりも早く剣身に引き寄せられ、一定距離を超えた瞬間にドロリと融解していく。

 銀幕内部で蠢いていた肉糸の領域も引き摺られ、【世触】が踏み出した分だけ溶け出した。


 が、怯んだ様子も無く。

 その敵機からはニヤニヤと下卑て嗤う気配が漂う。


『そんなものか? ニョグタを殺した力を見せてみろ!!! でなければ、死ねッ!!!』


 力への陶酔がそうさせたのか。

 融けるのも構わず拳が少年へと打ち放たれた。

 天を覆う拳。

 ショゴスが融ける、融ける、融ける。

 だが、融かしても融かしても切りがない。


 終りが無い。


 融けたショゴスの海の中心で少しずつ剣身に肉が迫り出した。

 分解よりも投入され続けるショゴスの増殖の方が早いのだ。

 やがて数㎞が完全に肉色の腐泥に沈み。

 剣身に肉が触れ、咄嗟に機体が飛び上がって、剣を棄てた。

 すると、その中でズブズブと剣が煙を上げながら融けて、肉の色と一体化していく。


 泥を押しのけるように地面へ広がった肉の海から細い細い針の如き触手が無数に湧き出して放たれた。


 今まで浸食を押し留めていた銀幕が糸に当たって浸食された後に呑み込まれ、触手を更に増やす触媒とされ、増殖した肉を空中に送り出す中継地点と化した。


「くッ!!?」


 機体装甲の一部に針の先端が触れた途端。

 その周囲がグズグズに歪んだ。

 更なる加速で上空に舞い上がった【世触】の内部。

 装甲が次々浸食によってダメになっていく様子が数字で示され。


「再形成!!」


 一部が珪素化されて剥離。

 新たな装甲が内部から迫り出すようにして汚染部位を弾き飛ばす。


「『Bユニット・フラグメントによる周辺宙域での採掘生成が完了しています。太陽光からのエネルギー確保によって現在高速再生型のナノマシン群体を増産中。高度を保ってください。射出します』」


 クェーサーの声とほぼ同時。

 高度300m程まで舞い上がっていた【世触】に向かって遥か天空から何かが落ちてくる。

 それは直径で数百mを超える鋼の塊にも見えた。


 それは今までクェーサーが大気圏突入時に剥離したユニットの欠片に指示を与えて生成していたナノマシン群体の結合素材だ。


 大気圏をほぼ直角に突入しながら、摩擦熱や断熱圧縮で堆積を減らされる事も無く。

 それはマッハ34を超える速度で少年の直上に降る。


 しかし、それを嘲笑うかのように地表から増殖した肉の枝がランダムに分岐、再合流しながら【世触】へ迫った。


「【熱量封入黒体アヴィタヤ】で距離を制圧しろ!!」

 少年の言う通り、装甲の隙間各所から放たれた黒針が今度は肉の枝を待ち受ける盾の如く広範囲に展開される。


 敵の枝がその領域に入った途端、爆発が面の一角で起こり、突破を許した枝は更に後方の面の一部が爆発する事で防ぐという多重の防御が敷かれたのである。


 次々に枝を伸ばせるように黒針もまた無限。

 ならば、後に残るのは互いの生産力と増殖力の拮抗。

 崩れた方が不利に追いやられるわけだが、少しずつ敷いた黒針の陣が突破されていく。

 敵は未だ己の能力を増大させていた。


「『装甲への浸食を確認。浸食率が上がっています。留意して下さい』」


 【世触】の表面が薄らと珪素化して赤熱化、剥離して地表へと消えていく。


 次々に生み出される装甲によって敵の干渉を防いでいる間にようやく機体上空へナノマシン群体の塊が到達した。


 巨大な塊に押し潰されるかと思われた機影が塊に呑み込まれ消える。


 内部の空洞化した部分を素通りし、再び一塊となったソレの背後に隠れる形で機体が降下を開始して、己の能力を更に前方の群体へと付加する。


「『この質量ならば、ある程度は……』」


「高速再生質量弾だ。食らえッッ!!」


 触手との接触、侵食と廃棄と再構築のロンドが二機の間で膨大な質量を削り散らす火花として空を果てまでも埋め尽くしていく。


『そんなものかぁあああああああああああああ!!!!』


 触手と本体の間に白銀の質量弾がバラけながらも殺到し、次々にその表面に突き刺さって運動エネルギーを持って切り裂こうとするが、それよりも早くナノマシン群体の再生力が浸食によって突破され、失われた。


 上空へと触手の槍が打ち込まれる。


 しかし、既にその時点で【世触】は緊急回避しており、上空からの大質量を受け止めて動きが鈍った化け物の側面に抜けていた。


「『60秒経過。我々の勝利です』」


 確かにその言葉と共に時が止まったかのように……化け物は―――。


 *


 彼にとって、それはあまりにも純粋な動機だった。

 世界を“C”の下に一つと為し。

 何もかもを我が手に。

 それを邪魔する者には手にした力によって裁きを。

 元々、出来損ないと蔑まれた彼。

 己の身体にしか意識を移せなかった彼。

 だが、それすらも不出来な交換だ。

 それは馬鹿にされて然るべき欠陥だ。

 だから、彼は求めたのだ。

 この星の原初たる“C”の力を。

 それは因果律の特異点。

 過去でもあり、未来でもあるモノ。

 全ての始まりにして最後。

 真の支配者が得るに相応しい存在。


(そうだ。全てはこの力によって覆せる)


 まだ、完全に馴染まないとしても。

 ロクな時間を遡行出来ないとしても、交換ではなく。

 他の誰にも出来ない回帰へと至った。

 本人が本人のままに過去へと戻る。

 まだ時間にすれば精々が一分にも過ぎない。

 だが、それは少しずつ力が馴染めば長くなるだろう。

 何もかもが順調だ。

 何もかもが最高だ。

 如何なる宇宙の果てにも精神を交換する“Y”の種族。

 その中にあっても、交換ではなく完全なる回帰へと至り。

 時間軸すら分岐させないとしたら、自分はたった一人の特別。

 絶対者に他ならない。

 彼はそう知っている。

 故にその蒼き神の化身。

 その体たらくに哀れむ暇すらあった。


『死ね!!!』


 未だ奥の手は残している。

 敵は未来から情報を得ているくらいにしか何も分かっていないだろう。

 だが、実際には本人が同じ世界をやり直しているのだ。

 どんな些細なミスだろうと全てを覆す完全無欠の時間回帰。

 数分後には数十分、数時間後には数日、数日後には数百日。

 幾らでも何億年でも、無限回だろうとやり直せる。

 何度でも何度でも繰り返せばいい。

 それで盤面を読む遊戯の如く全ては終わる。

 敵はこの宇宙の記録たるアカシックレコードにすら何一つ優位を記録せず。

 完全敗北だけを刻まれる事となる。

 その愉悦、その恍惚、全ては全能たる“C”の恩寵だ。


 やがては如何なる生物、如何なる存在にもその意思を乗り移らせ、全ての宇宙と全ての時間を超越した神々にも届くだろう。


 その時を愉しむ為なら、敵の驚愕を前に僅か油断すらしてみせて構わない。


『これが力だ!!!』


 機体に外側の鎧を破壊させ、同時に引き剥がした内部から一撃を見舞う。

 腕は既に胸部中枢へと至り、内部はグチャグチャだろう。


『この新たなる支配者たる私の勝ちだ!!!』


 途端だった。

 肉が融けていく。


『?!』


 いや、融けるというよりは燃えていた。

 それが自爆なのだと彼が理解した時には灼熱に包まれて。


―――過去へと戻る。


 引き伸ばされた光。

 影が全てを覆い。

 視界が明るくなれば、何もかもが元に戻る。


『死ね!!!』


 今度は外さない。

 そして、敵には遠距離からの攻撃を見舞えばいい。

 それで全ては終わる。

 敵は未だ健在。

 しかし、奥の手が残されているとしても、それは既に見切られているのだ。

 そう彼は幾らでもやり直せる。

 ならば、幾らでも失敗が効く。

 今度こそ全てを終わらせる。


 その為にショゴスの全てを一点に集約させて、敵の反応が終わるより早く、それを弾丸の如く発射する。


 先程の敵の再生質量弾の真似事だ。

 それでも十分に敵は倒せるはずだ。

 読み通り。


 蒼き化身はその胸部を捻じ切られるようにして槍で貫通され……何故か、自分の唇から零れている血に目を見張る。


 残像。


 いや、敵の作り出した幻を前に敵へ背後を取られたと気付いて。


―――過去へと戻る。


 教訓を得れば、確実。

 そう、確実に敵を仕留められる。

 今度は回帰時間を最大まで延長。

 回帰後の時間において再び回帰可能となるまでの時間は0だ。

 だが、戻れる時間は最初の回帰時点から45秒前まで。

 それより前に戻るにはまず身体が力に馴染む必要がある。

 だが、この敵を突破しさえすれば、時間は無限にある。

 肉体は回帰前のものに準拠するとはいえ。

 それでも未来の情報は十分過ぎるアドバンテージだ。

 彼にとってそれは絶対的なアドバンテージだ。


『幻影など!!』


 今度は惑わされない。

 敵の位置は把握済み。

 ならば、一撃を加えて終りだ。

 そう、槍を投擲しようとして……何かが至近で爆発した。

 それが己に取り込んだ兵器の強制起爆だと気付いて。


―――過去へと戻る。


 小賢しい。

 彼は思う。

 ならば、最初からソレを捨てればいいのだ。

 幻影に惑わされず。

 至近での攻撃は避け。

 そして、その上で致命傷を与えればいいのだ。

 全てを慎重に行えば、機会は巡ってくる。

 十秒で全ての準備が整い。

 二十秒目で完全に態勢は取られ。

 三十秒目で相手の攻撃を見切り。

 四十秒目で機会はやってきた。

 化身の僅かな隙。

 攻撃後のインターバルは0.0034秒。

 だが、その隙を見逃さず。

 侵食作用を極限まで高めた触手を複数の通常のものに混ぜて放つ。


 当たっても何とかなると考える攻撃を受けるようになっていた相手はそれを受けた時にはお終いなのだ。


 彼は勝つ。

 勝てると信じた。


 そして、それは実際に化身の下半身を侵食で停止させ、その上でトドメの通常の触手が上半身に殺到……何かが至近で炸裂した。


『?!』


 それは核の劫火。

 念入りに何も無いように見せ掛け、偽装されていた、虚空に固定されるタイプの地雷。

 いや、空雷とでも言うべき代物。


―――過去へと戻る。


 何かがおかしい。

 何かがおかしい。


 彼は思う。

 どうして、自分は勝てていないのか。

 敵の情報は幾らでも出ている。

 なのに、どうして途中で失敗するのか。

 分からない。

 だが、全てを踏まえて行動すれば、敵を倒す事なんて造作も無い事だ。

 ないはずだ。

 それは絶対の真理だと彼は知っている。

 だから、全ての可能性を当たればいいと気を取り直した。

 そうして、が始まる。

 十秒目に仕掛けた。

 核の空雷が既に設置されており、爆発した。

 三秒目に仕掛けた。

 敵と相打ちとなった。

 二秒目に仕掛けた。

 全ての状況を踏まえて即効での攻撃。

 敵にいなされ、カウンターが狙い違わず頭を穿とうと迫る。

 一秒目に仕掛けた。

 自爆するならば、自爆に対処すればいいと防御を固める。

 だが、その防御が難なく紙くずのように地面に埋まっていた核地雷によって頓挫する。


―――過去へと戻る。


 153回目において彼はようやく悟る。

 空雷が、地雷が、至るところに仕掛けられている。

 まるでいつでも殺せるかのように仕掛けられている。

 把握しなければ、把握しなければ、敵を突破出来ない。

 ならば、把握すればいいと彼は全ての可能性を当たる。


―――過去へと戻る。


 1432回目において彼はようやく悟る。

 この死が確定した状況から抜け出すには核に全て耐えなければならないと。

 ならば、直撃する前に防御を固め尽くせばいい。


―――過去へと戻る。


 49832回目にして彼はようやく悟る。

 防御を固めれば、化身が削りに来る。

 相打ち覚悟でやってくる。

 いや、確実に相打ちではない状況の方が多い。


―――過去へと戻る。


 6434453回目にして彼はようやく悟る。

 化身を打ち滅ぼすならば、まずは近接戦を限りなく極めるべきだと。

 相手のパターンを全て読み切れば、新たな可能性が生まれるはずだと。


―――過去へと戻る。


 ?回目にして彼はようやく悟る。

 近接戦だけではダメだ。

 相手の動きの一つ一つ。

 空気の流れ。


 敵の気配を読み、敵の思考を読み、何度目になるかも分からない無限に変化する敵の行動の先を読まなければ、勝てはしないと。


―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。


 ?回目にして彼はようやく悟る。

 己を極めて突破出来ないならば、相手の行動を誘導すればいいのだと。

 それが可能な程に熟達していれば、勝利は決して揺るがないだろうと。


―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。


 ?回目にして彼はようやく悟る。

 敵の意図に。

 それは無限回を思考させる魂の牢獄なのだと。

 回帰による45秒の壁を突破出来ず。

 未来へ向えば、向うほどに勝率が下がっていく。

 しかし、可能性は0ではない。

 それならば、未来に己を残す為の全ての行為を試せば、突破出来るかもしれない。

 未来へ。

 あの輝かしい希望の待つ未来へ。


―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。


 ?回目にして彼はようやく悟る。

 罠だった。

 全て罠だった。

 何もかもが罠だった。

 希望なんて無かった。

 何もかもまやかしだった。


 試せば、試す程に理解出来る敵の手の内は狡猾で周到で正しく悪魔の所業だった。


 そうだ。


 これはこちらの能力を全て想定して行われている無限回に変化する行動プログラムなのだ。


 敵は準備していたのだ。

 絶対に相打ち以下にならない魔の時間を用意していたのだ。


 そうだ。


 彼は知っている。

 どんなに挑んでも、挑んでも、挑む度に派生する攻撃。

 何処からか今までとは違う角度や速度や威力で何らかの攻撃が致命傷を持っていく。

 これは罠だ。

 一分後なら絶対に勝利出来る。

 十分後なら何を迷う必要も無く化身が出てくる前に片を付けられる。

 なのに突破出来ない時間の牢獄は決して自分を逃がさない。


―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。

―――過去へと戻る。


 ?回目にして彼は悟る。


 熱い。

 熱い。


 戻れば、戻る程に気付かぬ程に熱くなっていた。

 戻ってすら何故熱い。


 何が熱い。


 分からないのに自分の身体が燃えていく。

 何故、燃えている。

 彼には分からない。

 分からないが燃えている。

 熱い熱い熱い熱い熱い。


―――過去へと……戻れた。


 まだ、戻れた。

 戻れてしまった。

 熱い。

 消滅していく。

 自分が消滅していく。

 焼き崩れていく。

 戻らなければならない。

 ならない。

 彼は知っている。

 ようやく知っている。

 悟っている。

 そうだ。


 一つだけ、一つだけ彼には戻らないものがある。


 それは彼自身。

 彼の記憶自身。

 無限とも思える情報を入れられる。

 その容量を持つ彼の魂。

 だが、実際には無限回情報のインプットは試行出来ないのだ。

 理由は単純明快だ。

 記憶とは物理量を伴った気質に宿る電荷や脳内の生化学的な物質的変化、関係の集合だ。


 それが増えていくという事はやがて記憶を保存する実態が持つ情報の容量を超えるという事だ。


 その容量が幾ら気の遠くなる程に果てしないものでも、無限回に試行すれば、やがては到達するのだ。


 忘れる機能など自分には無い。

 魂に刻み付けられた記憶は決して消えない。

 そうでなければ、自分は自己同一性を保てない。

 そして、情報の許容量を確実に超えてしまう。

 それはやがて情報過多の器を電荷で破壊していく。

 熱量が物体を灼熱させ、グズグズに蕩けさせていく。

 それでも、それでも、未来に死が待っているのなら、過去に戻る以外無いのだ。


―――過去へと戻れた。

―――過去へと戻ってしまった。

―――過去へと戻りたくないのに。

―――戻れる限り、戻らなければ、死ぬのだ。


 ?回目にして彼は悟った。


 己が敗北したのだと。


 *


「『60秒経過。我々の勝利です』」


 確かにその言葉と共に時が止まったかのように……化け物は―――燃え上がった。


「『時間遡行生物にはよく使った手ですが、どうやらまだ記憶を司る器質の情報許容量が無限では無かったようです。また、連続して更なる過去への情報跳躍も出来なかったと見るべきでしょう。そうであれば、我々は過去時点で敗北しているか、敵が逃げ出して対策を立てているはずです』」


「上手くいかなかったら、どうするつもりだったんだ?」


「『その場合は―――敵に変化有り』」


「何だ?!」


 燃え上がる敵。


 そう、侵食の中心たる化け物の姿がグズグズに蕩けて、熱量の最中に埋没しながら形を変えていく。


 渦巻く血肉が色を変化させ。

 寂れて黄ばんだ襤褸布を思わせるフード付きの貫頭衣ローブのようなものを形成していく。


「『緊急退避!!? 超光速以上での情報の移動と思われる量子波形を確認!! これは?! ただの“C”ではありません!!? ガダノソア級よりも反応が!!?』」


 機体がとにかくその場から離れた。

 数百mでは足りない。


 数km以上を高速で後退していながら、それでも侵食により、外部装甲が侵食、赤熱化して剥がされていく。


 緊急展開された光学観測用のフィルターが、まるで白銀の壁のように多重展開、機体周囲を覆い。

 ボロボロと呆気なく崩されながらもセンサー群の情報を保護した。


「ヴァーチェス様!!!」


 主観の高速化で戦闘に対応している少年へ背後からラクリの声が掛かった。


「アルデバランが反応しています!!?」


「何?」


「我らが神の化身たる鎧はその神々の性質を併せ持つものなのですが、こんな反応は今まで……」


「どういう事だ?」


「アレはたぶん我々の信奉する神々と何かしらの縁がある外なる神という事です」


「………」


「『解析映像出ます』」


「……人型。こいつは……」


 少年が瞳を細める。

 それは襤褸を纏った人型の何かだった。

 その顔は背後からでは見えない。


 しかし、今までの化け物ですらも生温いような侵食反応で機体のあちこちが常に最大効率で赤熱と剥離と増殖を繰り返していた。


 動くのも一苦労だろう。


 まだ、敵が現れてから一秒すら経っていないというのに彼らの周囲の大地にある全てが異様なまでに黒ずんで変質していた。


「『侵食能力が高過ぎます……現在、瓦解中の【調整内殻リファクト・スフィア】完全崩壊まで残り4秒。その後の侵食は……確実にアルワクトを飲み込ます』」


 クェーサーの声が小さな苦悩を滲ませていた。


「ラクリ、敵の正体は分からないのか?」


「………今、情報を引き出して……名状し難きもの……黄衣の王?!」


 その背後から絶望的な悲鳴の如き声を受けて、少年が尋ねる。

 それは一体、何なのかと。


「今、鎧に封ぜられた神々に問い掛けました。アレはこの惑星を滅ぼせる超高位存在……端的に言えば、数千年前に到来し、この星を滅ぼそうとした一柱です」


 ゆらりとその人型の何かが何の気無しに【世触】へと振り向く。


 そして、少年と少女は……機体が光速に近しい速度で揺さぶられ、バラバラに崩れていく音を確かに聞いたのだった。

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