NO.06「真実」


「この地域の古老や生き字引が受け継ぐ口伝。その伝承の内容です」


 粗末な石造りの砦。

 その精々が数十mの横長半ば地下に埋まったような建造物の中央。


 現在はアルワクト王が寝室として使う広間の内側で教会のベイグ・アンテラと名乗った白髪の老司教が静かに目の前に映し出される映像を見つめた。


『むかぁーしの事だよ。オレの曾爺さんの曾爺さんの曾爺さん。いや、本当はもっと昔かもしれない。この地には奇妙な病が蔓延って、人間がバタバタ倒れてはバタバタ生き返っていたらしい』


 映像を見つめるヴァーチェスの後ろにはラクリとヘイズ。

 対面には二人の将軍と司教とアルワクト王、アイシャリアと続く。


 アザヤとアージャが現在のアンクトとヴァスファートの代表という立居位置で右と左を囲み。


 全員が見上げる中央の虚空には魔術具。


 今は魔術を使えないアルワクト側が用意した稀少な映像媒体である水晶の欠片が化物の口伝を呟く老人の姿を映し出していた。


 その中でパイプから吸った煙を僅かに吐き出して、視線も定かではない瞳で虚空を見る。


 それは時の彼方に思いを馳せているようでもあり、あるいは胡乱な昔話をどう語っていいのか分からないようでもあった。


『その内に死人の化物だけじゃなく。生きた人間も化物に成り始めた。多くの人が食い殺され、同じ化物になっていったなんて話だ。だが、其処に見知らぬ男達がやってきた。彼等は化物を刈る者だった』


 老人が瞳を閉じる。


『彼等は“恐ろしいもの”がいるから、こんな事になるのだと言って、それをどうにかしてくれると当時の人々に言ったそうだ。だが、その“どうにかする”中には化物になった人々の親族や友人が数多く含まれていた。当時、まだ一帯には一つの集落しかなかったが、その時の村長、戦士、巫女の三者はこれに反対し、何とか助命と救済の嘆願をしたんだと』


 老人が一拍を置く。


『結果、その化物退治をしていた者達は三人に大きな力を与えた。その力で村人を癒してやれと言って、死んだはずの化物達を灰に帰して去っていった』


 老人が一息吐いた。

 そこで映像が途切れる。


 ベイグが少年が集めるよう要請した限りの資料の紙束をその隣に立っているクェーサーへと渡す。


「大体は同じ伝承が残っていると考えていいのか?」


 何枚かの紙に書かれた集められた話をパラパラと斜め読みして、それをクェーサーが齎す簡潔な報告として脳裏に受け取りながら、少年が老司教に訊ねる。


「その通りでございます。このような話はアルワクトだけではなく周辺の村落やヴァスファート、アンクトにしても名家などには知られたもので、其々に少しずつ話が違っていたり致しますが、大抵は化物となった者の話。化物を退治した者の話。化物を元に戻した話の三つに分かれます」


 ベイグの話を裏付けるように紙面に書かれた物語の大抵はその三つに分類されていた。

 勿論、書き様や話し用は様々で同じ事を指しているのも見て取れる。


「これは持っていっても?」

「どうぞ。お納め下さい」


 頷いた少年がクェーサーに全ての資料を任せて、次の本題へと入ろうとした。

 それを察してか。

 再び、映像が虚空へと映し出される。


「この二体の化物。黒い液体のようなモノと目を持つモノ。これらを退治して下さるという事でよいのですか? ヴァーチェス神」


 アルワクト王が切り出し、少年が頷いた。


「今、その為の力を用意している。決行は本日3時過ぎ……日が落ち始める直前だ。この戦闘には大陸北部から来たこの二人も参加する」


 ラクリとヘイズが自分よりも遥か年上の男達に頭を下げる。


「分かりました。全てお任せ致します。それで此方側から協力出来る事は他にありますか?」

「クェーサー。説明しろ」

「分かりました」


 少年の横に進み出た少女の声にそれが先日、自分達へ話し掛けた相手だと理解したアルワクト王が視線を向ける。


「こちらから要請したい事は2つ。1つ目はこの城砦の周囲に張る防壁から先に出ない事。もう1つは今、お見せします。映像を消して頂けますか?」


「あ、ああ、ベイグ」

「はッ」


 すぐに魔術具による映像が切られると今度はクェーサーが映し出した映像。

 難民達の幕屋がある城砦周囲の映像が映し出される。

 すると、すぐに彼等が異変を悟った。

 同時に僅かな振動がその場の全員。

 いや、周囲の避難民達全てに感じられるようになる。


「これは地震?!」


 今もレギオニックベルーターで僅かに浮遊しているアザヤ達三人以外が虚空に映し出された映像の中。


 兵達を整列させておく広場。

 何も無い地表の地下から何かが露出し始めた事に驚く。


「ま、まさか?! あの化物の?!」

「いえ、違います」


 将軍達が思わず腰の剣の柄を握ろうとしたが、クェーサーの声に遮られた。

 すぐに映像の中。

 と言っても、すぐ近くにある現実の場所に巨大な卵状の物体が屹立した。


「これは……この褐色……何処かで見覚えがあるような……」


「あのイシュと呼ばれるモノから生み出した力……彼方達に分かるよう言えば、神の卵です」


「神の―――」

「卵?」


 その響きに思わずアージャとアイシャリアが首を傾げた。


「これはあらゆる物質を自らの思うものと変える代物。此方側で言う錬金術というものに近い力を持っていると考えて下さい」


 その言葉にラクリが僅かに目を細める。


「それでこの卵を我々にどうせよと?」


 アルワクト王の問いにクェーサーが答える。


「この卵に住民達の手を触れさせ、魔力を注いで頂ければ、大きな力となり、あの化物を討つ時、有利となります」


「魔力を使って何かお作りになるのですかな?」


 クェーサーが頷く。


「川縁にある巨人の為の武具を」


 その言葉に将軍達が大きく驚く。


「アレですか。昨日見て驚きましたが、今朝も見て驚いた。アレの武具を夕方までにとは……我が国の工房では無理でしょうな」


「俄かには信じられないが、これも神の力か」

「……分かりました。では、今から兵や避難してきた民達にそうするよう伝えましょう」


 アルワクト王が承諾し、話が一段落して映像が消される。


「では、こちらはこれから準備があるので」


 ヴァーチェスの椅子がクルリと元来た道へと回転し移動し始めると。

 その背中に声が掛かった。


「「「「「ご武運を」」」」」


「感謝する」

「あ、ヴァーチェス様!!」

「眠そうなの。待ってよ」


 アザヤとアージャが少年の両脇に付き。

 背後にはラクリとヘイズが続く。


「お父様。行って参ります」

「ああ、気を付けろ。まったく、無力な父で済まないな」


「そんな事……わたくしは必ず生きて戻ります。ですから、お父様も皆も民と共に待っていて下さいませ」


「分かった」


 大きく頷く父に笑みを浮かべて。

 アイシャリアが全員の背中を追い掛けていく。

 それを見送った王達は静かに王女の背中を見送った。


 操られる前より、少し逞しくなった王女が救国者の一人として運命とも呼べる壁に挑む様子こそ、彼等にとってこの状況下でも喜べる唯一の事に違いなかったからである。


 *


 大広間の扉から出て少し行ったところに映像と寸分違わないソレが鎮座していた。

 10m以上高さのあるだろう褐色の卵の威容はそれを遠巻きに眺める民に驚かれている。

 クェーサーの要請を通達する伝令兵達も同様だ。

 ヴァーチェスを中心にして、その目の前までやってきた一行は繁々とソレを見上げていた。


「ヴァーチェス様。これに魔力を込めれば、あの巨人ゴーレムの武器が出来るのですか?」

「そうなる」


 少年がチラリと横のクェーサーを見た。


「『どうして魔力を使う方式を開発した? 元素生成炉に本来そんなものは必要ないはずだ』」


 その疑問に主観時間が加速され、答えが返る。


「『このストレージを組む際に遺伝情報的に魔力というものを認識出来るよう試験的な試みを行ないました。その結果、この肉体ストレージにも魔力検知能力が発現しました』」


「『元素生成能力だけじゃなかったわけだな?』」


「『はい。結果として魔力の運用に成功。実験過程において特定の法則干渉が様々な事象から魔力を引き出している事を確認しました』」


「『事象から魔力を引き出す?』」


「『はい。魔力とは概念的なものを含むとの報告は先日しましたが、どうやら高位の次元領域に対しての働き掛けで通常空間を同調。魔力を概念的な領域。いえ、世界を構成する諸法則、外界の本質プロトコルより引き出していると推測されます』」


「『共同体の智識レベルだと確か……』」


「『はい。宇宙の規定値を司る法則の根本的な部位は世界に内在するものだけではありません。複数の要素が時空間に対して宇宙の外側から働き掛けているという仮説が有力視されていました。これは最初期所属共同体においても同様の理論が提唱されていた事が記録されています。紐の詳細を解き明かしても、その事象を司る根幹的な外界からのプロトコル自体に手を付ける手段が無く。世界の内部に組み込まれている法則のみでしか我々の文明は万能を獲得出来なかった。それと比べれば、この魔術という技術体系は稚拙な部分があるものの、一足飛びの飛躍を果たしていると言えます』」


「『つまり、何か? この星の生物は……』」


「『文明の未熟とはまるで別に今までの所属共同体が往けなかった領域に直接足を踏み入れ、その先から魔力と称した物理量に変換可能な要素を手に入れている、という事です』」


「『数値的には何も無いはずの“无”から有を取り出しているわけか。どっちが未開だったのか。今から議論でもするか?』」


「『………』」


「『原子レベルでの記述すらある以上、同等かそれよりも上の階梯にある者が一部はいると思っていたが、当っていたわけだな……それでその魔力を元素生成炉に対してどう使う?』」


「『魔力は引き出した最初期の状態ではこの星の生物が持つ認識以外では0として扱われます。ですが、認識によって励起される事により、その値を物理量として爆発的に増やす。無論、魔術は通常の物理量に関しても魔力と称しますが、これとは明確に区別される便宜上【概念域】と呼ぶ世界外から齎される魔力は非常に高密度となります。これの転用によって高位の元素生成炉を運用出来れば、出力は理論値で元々の元素生成炉の数十乗倍以上得られるかもしれません』」


「『とんでもないな。具体的には?』」


「『軽く宇宙を10や20は生み出せる量です。もしかしたら、“C”本体でも最大級の個体を……を討ち果たせる可能性すらあります』」


「『―――納得だな。金属生命が発生する程の力なわけか』」


「『細胞レベルでのエネルギー生成効率は然して高くなかった為、そう考えられます』」


「『分かった……また解析が終ったら聞かせろ』」


「『了解。それで躯体に付いて追加の情報ですが、元素生成炉が稼動し、搭載予定である複数の炉に火が入れば、其処から得られる限界出力でマイクロブラックホール群を形成、外部の物質を取り込ませて空間制御で出力を引き出せば……ギリギリですが、1度だけ【光越機動OVER/D】が可能となります』」


「『法則干渉も出来ないのにか?』」


「『はい。この二日間、書庫で収集した魔術大系の智識を大本とする仮想ユニットの設計も行なっていました。魔術的な要素を取り入れた簡易の事象展開モデルが完成しており、現在の資源リソースでも構築出来る実証機材を模索した結果……Bユニットを仮想ドライブとして新ユニットを立ち上げれば、タイプPの運用が可能となります。ですが、この天体と所属共同体の位置関係が分からない為、“一方通行”の戦闘用途に限定されると思ってください』」


「『時間すら戻せないと?』」


「『戻したところで同一時間軸に出られるか怪しく。ブラックホール内部の特異点影響下では何処まで戻せるかわかりません。タイプPは物理法則を捻じ曲げられない前提で開発されたものですので』」


「『最小以下の時間単位を使った法則の無効化による事実上の超光速、だったか?』」


「『現時点でも新ユニットの能力ならば、出力次第で同等の事象を引き起こせると判断しました』」


「『実質的には精密制御能力さえあれば出来ない事もないわけだな?』」


「『はい』」


「『魔術が法則干渉に届くなら、他のタイプも可能なんじゃないのか?』」


「『現在収集した魔術智識と現在のユニット処理能力、搭載可能な炉の最高出力上限を加味した上での試算結果です。これ以上の能力を新ユニットに与えるとなれば、更に時間を掛けて設計する必要があり、それならば高位の元素生成炉を創造し、仮想ユニットを立ち上げる方が早いと思われます』」


「『“C”が動き出すまでには不可能なわけか』」


「『肯定』」


「『新ユニットの名称は?』」


「『Χ《カイ》ユニットです』」


―――ヴァーチェス様?


 そこまでの会話を一秒弱で終えた少年にアザヤが怪訝そうな顔をする。


「その……川縁に置いてあるゴーレムであの化物を倒すのですよね?」

「そうなるが」

「私に出来る事は何かあるでしょうか?」

「それは―――」

「あります」


 少年の代わりに何故お前が答えるんだと言いたげにムッとした表情となったアザヤを前にしてクェーサーが進み出る。


「アザヤ、アージャ、アイシャリア、貴女達三人には共にあの躯体に接続して頂きます」

「ふぇ?!」

「え? い、今なんて?!」


 思わずアージャとアイシャリアが聞き返した。

 寝耳に水の少年もまたどういう事か説明しろという顔でクェーサーに対し半眼となる。


「貴女達の知的水準に合せて説明すれば、貴女達には化物へ対抗する力がある。それを使えば、あの躯体に乗り込む搭乗者の安全を大きく向上させる事が出来ます」


「搭乗者って、眠そうなのの事?」


 アージャに頷きが返される。


「わたくし達が乗り込めば、ヴァーチェス様のお力になるという事でいいのかしら?」

「はい」


 アイシャリアが考え込んだ様子で今朝も見た巨大で無骨なフォルムを思い出す。


「でも、わたくし達はあんなの動かせませんわよ?」


「搭乗者が動かします。貴女達は傍にいて、躯体に繋がり、化物の力から守ろうと祈るだけで構いません」


 そこまで説明されて口をへの字にしてクェーサーを半眼で睨んでいたアザヤが訊ねる。


「それでヴァーチェス様をお守り出来るのだな?」


 頷いた少女の様子に嘘偽りも無い事実なのだろうと。


 昨日からクェーサーを敵認定していた少女は相手への不機嫌を呑み込み、分かったと頷いた。


『皆さんもこちらへ』


 兵達がどうやら難民達を連れて来たらしいと気付いて、少年がクェーサーの方を見つめる。


「では、魔力の充填が終るまで簡易のレクチャーを始めましょう。ラクリ様」

「了解した」

「ん? もう仲良くなったのか?」


 ヘイズが相棒に尋ねる。


「仲良くはなっていないが、今朝方に打ち合わせをしたんだ。ヴァーチェス神様達は前回の戦闘で今までの戦闘経験が失われているそうで。武装や戦術に付いてのアドバイスを受けたいとの申し出があった」


「ふ~ん。ま、そういう難しいのはラクリにお任せって事で」


 溜息一つ。

 楽天的なヘイズにラクリが半眼となる。


「お前も今回は近接戦闘に付いて意見してもらうからな」

「へ~い」

「よろしいですか?」


 クェーサーに促され、ラクリがパチンと指を弾く。

 その途端、彼等が今までいた風景と一転して、まったく何も無い暗い空間に放り出された。


「ふぁ?!」

「え!?」

「ヴァ、ヴァーチェス様!!?」


 三人娘が思わず暗いのに顔だけはハッキリと見えている少年とクェーサーの横に寄り添う。


「あ~大丈夫だから。そんな怖がらなくても」

「ヘイズ……敵個体の情報を出せ」

「あいよっと」


 パチンと指が弾かれ、虚空に今も止まっている外なる神々の映像が映し出される。


「では、あの二体の神々に付いて情報を整理しましょう。まず、この無数の目を持つ巨大な傘のような一柱。こちらを我が国ではアブホースと呼んでいます」


「アブホース……」


 アザヤが化物の映像をジッと見つめる。


「本来は灰色で多眼などの属性は無く。落とし子と呼ばれる複数の分体。つまり、自分の小さな分身を周囲に放って活動するモノのはずですが、今回出現したものは特異な個体だと思われます」


「そちらの情報に無い能力を持っている可能性もあるのか?」


 そのヴァーチェスの質問にラクリが頷く。


「可能性はありますが、基本的には大人しい類であると本国からの情報にはありました。ただ、共に出てきた方の神ニョグタに付いてはこちらでもあまり分かっている事がありません。明らかになっているのは液体状であらゆるものを溶解、呑み込む性質がある事。大量の物質を呑み込んだ後は世界から消える事。この2つです」


「そ、その!! 聞いても宜しいかしら!!」


 アイシャリアが思わず手を上げる。


「答えられる範囲であれば、お答えします」


「大量のものを呑み込んでと仰いましたが、それはどれくらいですの? あそこだけならまだしも、もしも他の集落にまで広がってしまったら……」


「過去の例から言えば、最小で小国一つ分。最大で大国の半分程を呑み込んだ事例もあるそうです」

「―――」


 アイシャリアの顔から血の気が引いた。

 それはアザヤもアージャも同様だ。


 大国の半分なんて言葉では分かり難いが、その範囲に自分達の住まう場所が入っていないとは彼女達には到底楽観出来なかった。


「倒す方法は?」


 ヴァーチェスの問いにラクリが過去の文献。

 小さな文字列の書かれた紙を虚空に映し出す。


「アブホースに付いては過去、神々が直接本体を破壊し、撃退に成功したとの記述があります。かなりの高温で焼き払ったとの情報から、熱量による攻撃が有効だと思われます」


「ニョグタに付いては?」

「残念ながら、撃退した情報はありません。問題はその性質が極めて厄介だからだとか」

「厄介? 溶解能力以外に何かあるのか?」


「当時、その現場に居合わせた高位術者の記録ではニョグタは26次元以上の階梯に存在するモノの一欠けらであって、我々の宇宙を貫通している姿が現実で液体状に観測されているに過ぎないとの話です」


「……紐を量子化した存在、という事か。侵蝕能力が高かったのはそのせいか……」


 何やら深刻そうな顔になるヴァーチェスの袖をクェーサーがチョイチョイと引っ張る。


「高次観測は出来ませんが、実体である以上はこの宇宙ブレーンとの接続域が存在するはずです。26次元上の量子化存在だとしても、接続部を切り離せるならば、一時的に実体を固定化。この銀河から引き離す事は可能かもしれません」


「相手を超光速化するのか?」


「はい。宇宙が終わるよりも早く戻ってこられない場所まで飛ばすだけならΧユニットでも可能だと推測します」


「分かった。武装の生成はそのプランをメインにして行え」

「了解。では、近接戦闘に関して意見をお願いします。ヘイズ様」

「りょーかい」


 褐色の髪の少年が手をヒラヒラさせた。


「ラクリ。もう少しだけでいい。緊張感を持ってくれ……」


 彼等の会話は続く。

 置いてけぼりの少女達もまた再び熱心な顔となって聞き入り始める。

 誰もが生き延びる為の会議は正午まで続いた。


 その合間にも難民キャンプの人々は巨大な卵に手を触れ、魔力を込めながら、祈らずにはいられなかった。


 明日もまた自分達が生き延びられますようにと。

 そうして、刻限はやってくる。

 戦いのゴングの鳴る時間が……。


 *


 不気味な森の中を男は一人進んでいた。

 最初は複数の手勢を連れていたのにいつの間にか逸れ。


 金の為に主を売った男は毎日のように訓練していたはずの森で迷子のようにフラ付いている。


 髭面で頭を丸めた少し背の低い三十代。


 ザイラル・ゲネラシオ。


 この数日、飲まず食わずで頬の肉が落ちた男はブツブツと呟きながら、深い深い森を進んでいた。


「どうして、こんな事になっちまったんだよ……何で……オレぁ悪くねぇ。あいつらが悪いんだ。安全な道を通ろうって言ったのに近道なんぞしようとしたから、あの得たいの知れねぇ魔術師崩れの間抜けがこんな事命令してなきゃ、オレは今頃この金で悠々自適に女と酒と上手いもん喰ってたはずなのによぉ……オレは悪くねぇ。悪くねぇ……」


 彼の足取りは遅い。

 しかし、その遅さに連動するかの如く。

 薄暗い陽射しの暮れもまた中々進んでいない。

 森の空気は何処かひんやり身体に冷たかった。

 男が其処に帰ってきた時、何か奇妙な予感がしていたのは確かだ。

 何かいつもと違うような気はしていた。

 だが、それでも操り人形達に囲まれていては逃げようもなかった。

 その上、最短ルートで森を抜けようとする兵達の意見する目はゾッとする程に冷たく。


 命令する立場であるザイラルが安全な道を行きたいという自分の我侭を押し通せなかったというのもあった。


 だが、それでも自分の選んだ道を進んでおくべきだったと今更ながらに彼は後悔する。

 もう何日彷徨っただろう。

 森は彼が城砦で兵隊をやっていた頃とはまるで違う姿を見せていた。

 薄暗い樹木の中を延々と歩いても決して何処かに出ない。

 本来、在るはずの水辺は見付からず。

 馬は途中で倒れ、念入りに準備していた皮袋の中身もそろそろ底を尽く。


 一緒に来ていたはずの操り人形達ですら、哨戒に行って戻ってこなかったり、途中で消えたりと少しずつ欠けて今では一人も残っていない。


 まぁ、途中で最後の三人の目を盗んで逃げ出したのは彼なのだが、それにしても2日前の話だ。


 しかし、行けども行けども森の外は見えず。

 ザイラルは外套のあちこちに仕込んだ金貨の入った皮袋を重く感じ始めていた。


「クソッ、クソッ、クソッ、この森がこんな厄介だなんて聞いてないぞ!!? どうして出られねぇんだッッ!!?」


「それは巫女の民を裏切ったからだろう」

「?!」


 男が思わず声のした方に腰の剣を引き抜いて向けた。


「……お前さん迷ったな?」


「ジ、ジジイ!! お前何処から来た!! この森から出る方法を知ってんのか!!? なら、案内しろ!! ぶっ殺されたくなければな!!」


 ザイラルの前に左側の林の中。

 フードを被った老人が1人。

 布を被せた手篭を持って立っていた。


「出たいのか? この森から」


「何言ってやがる!? この薄気味悪い森に来てもう数日だぞ!!? 訓練で見た事があるはずなのに何処にも出られない!! 目印も見付からない!! さっさと出口に向かえってんだよ!! こいつが見えねぇのか?!!」


 剣を向けられて老人が肩を竦めた。


「良いが、道程は険しいぞ? 後悔するかもしれんが、それでも行くか?」

「早く行けッッ!!!」

「……分かった。そう物騒なもんを向けられたら非力な老人は黙って歩く以外ないんでな」


 老人がゆっくりと歩き出す。

 その背後にすぐ追い付いてザイラルは急かした。


 剣先で僅かに小突かれながら歩いていく背中を追えば、森の薄暗さがまるで嘘のように明るくなっていく。


 それにようやく出られると男は顔を明るくした。

 同時に森を完全に抜け出たなら、老人を殺して馬でも調達しようとの算段をし始める。

 森は明るくなるばかり。

 老人はしばらく歩いた後。

 振り返り。

 ザイラルにスッと光に溢れた方角を指差した。


「この先が出口だ。だが、あまりお勧めはせんよ。時間の速度が通常とは違っておる。この森以上にな。巫女の一族は勿論。我々も長年使っていない道だ。片道になるし、そもそもが我々の力の代わりに置いたものである以上、普通の人間には適さない。その心にペンとノートは準備したか? しっかり選ばな―――」


 ドスリと老人の胸を剣が貫通し、ザイラルは何も言わず。

 その光差す方角へと駆けていく。

 金はある。

 命はある。

 そうであるならば、彼は何処でだろうと生きていける。

 男にとって自由と金と女と食い物がこの世の全てだ。


 もし、弱そうなやつがいれば、金を脅し取り。

 もし、強そうなやつがいれば、媚び諂い。

 もし、悪そうなやつがいれば、共に暴虐を働く。


 そうして生きてきたし、そうして生きていく。

 それが彼にとっての人生で、それが彼にとっての幸せだ。


「うッ?!」


 一瞬の立ち眩み。


 眩過ぎる世界にふら付いたザイラルが次の瞬間、目にしたのは……見たこともない世界だった。


―――――――――ぁ?


 それはコポコポと水音を立てて泳ぐ怪魚。

 いや、魚と言うべきか。

 あるいは蜥蜴と言うべきか。

 どちらにしても口が2つに顔が4つ。

 手足が7つに円形の動体。


 蠢く鱗がキシャキシャと鳴りながら、その内部に水を吸い込んでいる……なんて尋常ではないのだろう。


 しかし、男はそれを美味しそうだと思った。


 何故か?


 ザイラル・ゲネラシオは海の中にいた。


 いや、潮の薫りなんて嗅いだ事もないが、入った事も見た事も無いが、そうとしか言えない透き通った水のようなものに浸っていれば、それは確かに海だろう。


 例え、水ではなく。

 液体金属と液化した窒素。

 泡立つ度に発光する緑色の輝きがこの世ならざる物質の混じった証だとしても。

 彼の目には透き通った美しい世界だけが広がっていた。

 傍らには鱗を纏った伴侶。


 そう、伴侶。


 砕けた水晶を鏤めた巨大な船の如き図体の目が七つ鼻先に付いた愛らしい彼の肉親がいる。


 ガボガボと周囲の水を吸い上げ、濾し取り、栄養を摂取する極めて形は鮫に近い獰猛な肉食獣。


 荘厳な神殿にも劣らない煌きを宿した化物は歓喜に戦慄いており、今にも得物に飛び付きそうだ。


 ザイラル・ゲネラシオは自分がもう金貨の入った皮袋を身に付けていない事に酷く失望したが、それすらどうでも良くなる本能の前に屈した。


 今はそれよりも目の前のご馳走を食べるのが先決だと。


 人間としての矜持。

 人間としての肉体。

 人間としての精神。


 それに対する執着が猛烈な勢いで襲ってくる飢餓。

 そして、深遠に潜む伴侶の肉体に目を奪われる思考に沈んでいく。

 此処は何処か。


 そんな事すら思い出せない程に削れた正気が悲鳴を上げるより先に彼の伴侶が得物に喰らい付き。


 その血潮らしき薄紫の体液の匂いに彼は正気も狂気も失った。

 後に残ったのはただ獲物を喰らう不可思議な重金属と窒素の海に住まう獣の番が二匹。

 それも後1周期も待たずに一匹となるだろう。

 子供を産めば、良人は妻の血肉となる定めだからだ。


 そういった最後の刻限までに結局ザイラル・ゲネラシオが自分を取り戻す事は終に無かった。


「人の話を聞かんからそういう事になる。二柱の神々が降臨した今、何処に向かうべきか。それを見に来たというのに……ふむ、やはりロクな場所に繋がっていないか。だが、それも仕方あるまい……このブレーンから逃れられないのは我らが定め。元の世界バルクに帰れないのは分かっていた事だ……」


 倒れ込んだ時に付いた埃を払って老人が立ち上がる。


「まったく……あの出来損ないめ……ついに黒山羊の母まで目覚めさせよった……特異点たる神機の現出……この先に未来が無いならば……我らは……」


 老人がブツブツと呟きながら踵を返そうとした時。

 その背後に人影が立った。


「此処に居たか」

「おお、これは御当主様。もうお体の方はよろしいので?」

「ああ、まだ慣れないが直に馴染む。それよりもこの道はダメそうか?」

「ええ、繋がる場所は全て逃れられない距離じかんです」

「……もういい。では、断絶した可能世界への道は諦め。到達の時期に作った体まで戻ろう」

「姫様の事はよろしいので?」


「アレはもはや我らが一族ではない。だが、大いなる種族の加護を持って進むだろう。まったく、何処で心を人に堕としたのか……あの娘を奴隷商から買うべきでは無かったのかもしれんな」


「結果論でしょう。巫女の一族最後の純血。次の時代に向かうならば、確かのあの子は必要だった」


「……だが、我らの道は断たれた。この魂と叡智以外の何も持っていけない以上……後はアレに託す。このブレーンの先を見られない事は残念だが、一族の存続には代えられない」


「分かりました。奥方様と一族の者達に通達して参ります。残った巫女の民はどう致しますか?」


「行き掛けの駄賃だ。我らに関する記録と記憶を抹消し、神機達の下に届けよ」

「御意に」

「……このカダスの果てたる世まで到達した最後の器、か」


 当主と呼ばれたものが僅かに瞳を細める。


「彼等を呼んだのは“燃ゆる者”の意思なのでしょうか……」


「さて、な。何れにしろ。神話の中の怪物は神話の中に没するが定めよ。それを我らは幾億年と見てきたはずだ。この人と自らを名乗る種もまた最後の神話に連なる異形……神々を退ける程の熱量と意思に満ち満ちた新たなる神話生物だ」


「我らが化物と呼ぶ事になるとは……まったく、面白い生き物と出会ったものです」


「ふ、そうだな。だが、この終末に抗えるかどうかは彼等次第だ。この試練は無限に等しき生命がやがては突き当たり、沈んできた結末の一つ……これより先に向かう資格は大宇の法を解する事であると思っていたが、真に必要なのは叡智ではなく……抗う決意であったのかもしれん」


 二人の眼前。

 その虚空に映像が浮かび上がる。


 それは今正に二柱の神々と戦う為、鋼の巨人ゴーレムに乗り込むヴァーチェス達の姿だった。


 三人の少女を三角推状のコクピット底辺部の接続機関に座らせて配し、自らもまた彼女達の前にある角錐の頂点部にある操縦席に身を預けた少年が胸の前で拳を握る。


 途端、躯体の中央から大きく開いていたが各部のパーツを噛み合わせながら閉じていき。

 接合部も見せない滑らかさで完全に装甲を繋げた。


「“C”を退け続けた戦士……その無限の闘争に身を窶した執念に敬意を表そう。到来する人の破滅に立ち向かう者達よ……その終末への抵抗に期待し、我ら“Y”の叡智……その一端を授けん」


「おお?! 御当主様!! それはッッ!!?」


 人影が掲げた手の上には黒い鋭角、中心部から伸びる棘によって形作られる正方形状の物体が現れる。


「……跳べ。真に仕えるべき主の下へ」


 言葉と共にフッとそれが掻き消え。


―――往くぞ、我らが次の時代に。


 そうして、薄暗い森の中から人影達は失せていった。


 *


―――15:33時。


「『チェック開始、システム・カーネル正常。チェック終了。各ユニット連結部に質量補填、分子結合開始……完全閉鎖終了。魔力励起式元素生成炉より動力充填、空間連結、ベント開放、物理量エネルギー流入開始……メイン核融合炉臨界……サブ原子炉3機臨界、重力制御動作、慣性制御動作、誤差修整。動作安定。外部装甲引き上げ開始』」


 巨人ゴーレムの周囲から離れるように言われていたアルワクトの民が自分達の手を触れさせた卵の上空に浮かび上がった姿に驚愕し、跪き、祈りを捧げていた。


 それに何とも罰の悪そうな顔をしながらも圧倒されているのは三人の少女達だ。

 その姿は今までとまるで変わらず。

 外套姿である。


「これがヴァーチェス様の真のお力……」

「浮いてる!!? このおっきいの浮いてるよ?!」

「こんなに大きなものが……」


 躯体の内部は狭い閉鎖空間というよりは数十mもある明るい空洞のようであった。

 自分の座っている操縦席も見えない。

 それどころか。


 少年の座る場所以外が全て吹き抜けのように感じられ、外と内部を隔てるものは何も無いかの如く彼女達には感じられた。


 鋼の巨人の中とはいえ。

 明らかに入る時はそんなスペースは無いように見えた。

 であるなら、これは一体どんな詐術なのか。

 三人は摩訶不思議な距離感の喪失に戸惑い。


 その外と境界すら無いように見える、“有るはずの壁”へ手を伸ばしたが、指先には何も触れなかった。


「ど、どうなってるんですの?! 本当に何も無い?! おかしいですわよ!?」


 アイシャリアが在ったはずのものが事実無いという感覚に驚き、思わず抗議する。


「ホントウ……何コレ……外が見えてるし、壁もあったはずなのに……どうなってるの?! 眠そうなの!!」


 不可思議な状況に理解の範疇を超えたらしいアージャが少年へ訊ねた。


「神の奇蹟だ?! 素晴らしいですね!!? ヴァーチェス様!!」


 心底笑顔で拳を握り、思考停止した狂信者みたいな事を言い出すアザヤが目をキラキラさせる。


「『コクピット保護を目的とした単なる【多重距離装甲ディスタンス・アーマー】と映像の全天投影です。本来の能力ならばコクピット内を外部装甲から150光年以上離す事が出来ますが、今の搭載されている炉から得られる出力とユニット能力ではこれが限界です』」


「お前には聞いてない!!」


 自分は少年に訊ねたのだと何処からかする声にアザヤが半眼になった。


「それよりも何処にいる!! お前はヴァーチェス様の傍にいないのか? いや!! 傍にいないなら戻ってくる必要は無――」


「『此処にいますが、何か?』」


「うぁ?!」


 言い掛けたアザヤだったが、思わず驚きのあまり、見えない座席から飛び降りそうになった。


 白い全身を覆う異様に滑らかな質感の衣服。


 要は彼女の智識には無いピッチリとしたメットも無い所々地肌が見えてしまっているパイロットスーツ。


 そんな姿のクェーサーがいきなり眼前に現れたからだ。


 その太腿の大半が露出し、滑らかな臀部から腰に掛けてのラインが浮き出る衣装は白と蒼に塗り分けられ、黒と金の刺繍、まるで蔦を伸ばす野花と種のような意匠が鏤められている。


「?!」


 そのあまりにも扇情的な幼い女神の姿にアザヤの片眉がピクリと跳ねた。

 自分達と少女の圧倒的な女性らしさの違い。

 地味な色合いの姿である自分達の差が明確に意識された結果である。


「怖そうなのがいきなり出てきた?!」


「『怖そうなの?』」


「?!」


 クェーサーの姿がアザヤの前から消え、アージャのすぐ横に現れる。


「……空間を渡っているのですか?」


 声も出ない様子で驚いた少女の代わりにアイシャリアが訊ねた。


「いえ、現在は下層ユニットの内部に接続されています。此処に現れているのは貴方達の知能に合せて言うならば、実体のある幻のようなものです」


「凄いんですのね。やはり、神の巨人と言ったところでしょうか」


 冷静に魔術的な事象を見せ付けられた事に反応したアイシャリアが感心した様子となる。


「『現在、操縦者と躯体のフィッティング作業……大切な儀式中です。音声は全て繋げてあるので出来ればお静かに』」


 その言葉に三人がさすがに緊張感が無かったかと沈黙した。


「『物理量エネルギー貯蔵量……現在、全力稼動12時間分。戦闘予定時刻までに9日分を確保可能。警告―――装甲の引き上げに予定外の出力が消費されています。一端フィッティングを停止して下さい』」


 そこで初めてクェーサーが少年の操縦席の横に現れた。


 今まで瞳を閉じて自らの肉体と機体の各部の動作を同調させようと脳内イメージを出力し、機体との相互リンクを調整していたヴァーチェスが瞳だけで相棒を見つめる。


「どういう事だ? 外部装甲が予定外に重い? お前がそんな間違い犯すわけが……」


「『想定外に魔術による強化は大きいと考えるべき事態です』」


「追加装甲にも魔術を使っているのか?」


「『それ自体には使用していません。ですが、装甲表面に塗装した魔術智識による防護用コーティング剤が極めて特異であった為、重力制御での引き上げ時、予想外の負荷が掛かりました』」


「信用出来る技術だけで造れなかったのか……」


 呆れた様子になるヴァーチェスにクェーサーが首を立てに振る。


「『魔術智識を全て操縦者の防護に役立てる為、一部は解析が終っていないものも使用しています。ですが、必ず“C”との戦闘では役立つはずです。高次観測機能が無い以上、多少のリスクは負うべきです』」


「……任せた以上は信じるぞ」


「『了解。引き上げ速度を毎秒2mに変更。3分で完全に引き上げられます』」


「疑問だったんだが、この外部装甲の形態は……宇宙まで戦闘宙域を拡大するのか?」


 少年は現在、地面の下で製造されていた機体の追加パーツの形状に疑問を口にする。

 彼が見たパーツの全体像は一言で言えば、翼だった。


「『この追加装甲は機動力と防御力の確保。そして、近接戦時における周辺領域の保護を同時に行なう為のものです。多用途においての汎用性を確保する重力制御能力の拡大パーツだと思ってください』」


「まぁ、いい。通信は繋がっているな?」

「『はい。ナノケーブル通信接続終了。あちら側に映像出ます』」


 四人の前に二人の少年の姿が出た。


『お~これがあの鎧の中なのか!? あ、ラクリ繋がったぞ』


 ヘイズが何やら送受信用の機器を手で持って、呆れた視線の主の方向へと向ける。


『ヴァーチェス様。こちらは準備出来ました』


 二人の様子は今朝方から何も変わらない。

 姿も装備もまるでそのままだ。


 しかし、少年は今まで随分と長く戦ってきた戦士として当然のように持ち合わせる観察眼から、二人の状態が数値など見ずとも分かった。


 戦う為の準備。

 心構え。

 肉体の状態。

 それは確かに万全と少年には理解出来た。


「了解した。では、アルワクト周辺に出てくるかもしれない小物と侵蝕の減衰は任せた。これよりアルゴノード・クェイサー【世触モナドノック・アルジェント】、ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲン。出撃する!!」


『御武運を』


『小物は任せろ。ラクリ』


『ああ……ラクリ・ヴァルキリス・ハノリエリ。ヘイズ・ヴァルキリス・アルトヘイル。これより支援任務に就きます』


「まだ聞きたい事は山程ある。戦闘が終わったら幕屋で落ち合おう」


『『了解』』


 ラクリとヘイズ。


 彼等が難民窟の簡易の柵の前でアルワクトへ向けて動き出す躯体を見上げた。


 すると、動き出した巨人に連動するように数km先の荒野が突如として爆砕し、その下から高速で何かが進み出したヴァーチェス達の下へ飛来する。


 一瞬、敵かと思って身構えた二人が見上げる中。

 避難民達が平伏し、拝み倒して祈る中。

 それが左右から躯体の背中へと接近してくる。


 今まで巨大な一枚のパーツだと思われていた分厚い外套に亀裂が入り、髪の毛の如く開き、その地中から現れたもに連結されていく。


 その様子は無数の櫛を噛み合わせるような繊細な情景でありながら、酷く重い音を響かせ。


 数秒後には何もかもが一繋がりとなった。


 一本400mはあるだろう巨大な円柱を左右六対、細い金色の半円状の鋼線で束ねたソレは外套型のパーツと一体化する事で日輪のフレアの如く迫り出し、広がった。


「おいおい?! あの神様どうするつもりなんだ?! あんなので近接戦なんて出来るのかよ?!」


 さすがに自分の格闘技能に基いたアドバイスをしたヘイズが目を丸くする。


「内臓されている武装の特徴を聞いてなかったのか?」

「あん?」


 ラクリが肩を竦める。


が我々の常識の範囲だと思うか? ちなみにお前が神と接近して遣り合う戦術を提案した時に出された武装案でどう戦うのかは想像出来たぞ?」


「……まったく分からん。何か凄い武器で神の本体を切り離す。どーたらって話は分かったんだけどな」


 額に汗を浮かべ、ヘイズがぅうんと唸る。


「彼らの近接戦闘プランはお前の考えている規模を遥かに超える……そもそも、彼等が戦術と武装に対する案を聞いた時に呟いた言葉を聞いていれば、大体は想像が付くはずなんだがな」


「何て言ったんだ?」


 ラクリが溜息を吐いた。


「『“恒星間照準武装こうせいかんしょうじゅんぶそう”も出せないとは中距離戦も出来ないな』……そう、言ったんだ……」


「コウセイカンショウジュンブソウ、って何だ?」


 そのあまりにも毒気を抜かれる間の抜けた顔にラクリは真面目な顔をしている自分が馬鹿らしくなった。


「お前はきっと二度と聞かない言葉だ。そして、人類がいつか辿り着ける戦場の言葉でもある……」


「ま、難しい事はどーでもいいだろ。オレ達はやれる事をやるだけだ」

「そうだな。神の真似事くらいは出来るのだから」


 そのお気楽さにラクリは苦笑しつつも、ああと頷いた。

 彼等の視線の先で鋼の日輪を背負い。

 第二十八【全能器イデアライザー】が加速していく。

 やがて、姿が見えなくなり。

 二人の少年もまた自らの使命を全うする為、手を地面に付いて召喚の文言。

 彼等の鎧の現出の為、詠唱を始める。


「「神兵ソルダートたる我ら絶末の双子が希う。星神よ……滅びを留めし鎧を今此処に導き、御柱の加護を貸し与えたまえ……」」


 薄らと彼等の頭上から燐光が溢れ出し、その輝きを紅く、黒く、染めながら、二人の周囲に無数のラインを描き出していく。


 それはやがて魔術の意匠。


 彼等の国家を纏めたる十三柱の神々の象形を内包した方陣となり、鎖のように繋がる三つの円として分裂するとラクリの左手とヘイズの右手に30m前後の赤黒い魔力の小山を産み出した。


右柱デクストラ畢子アルデバラン】我が半身」


 ヘイズが常の気の抜けた様子からは想像も出来ない冷たい声音で呟き。


左柱シニストラ虚子アクエリス】我が半身」


 ラクリが常の平静とは打って変わって熱を帯びた声音を零す。


『『神々の両柱ドゥプレクス……此処に誓願を立てん』』


 二人が浮遊し、その小山の中心へと伸びる魔力の輝きに飲み込まれていく。


『全ての異形を我が剣にて断つ。ヘイズ・ヴァルキリス・アルトヘイルの名に誓って』

『蝕まれし者を一人とて出さず。ラクリ・ヴァルキリス・ハノリエリの名に誓って』


 渦巻く色が細く細く、無限とも思える糸の渦となり、やがて―――その内部から溢れる金色の光を零し、解けていく。


『『降臨せよ』』


 左に現れ出ずるは紅き金色の躯体。


 左側に赤銅しゃくどうの縁取りを重ね、引き絞られた人体、武人グラディアを思わせる鋼の巨人。


 剣神の左腕封ずる鎧。


―――デクストラ・アルデバラン。


 右に現れ出ずるは蒼き金色の躯体。


 右側に閼伽みずいろの縁取りを重ね、外套ローブを纏い、術師ノビティウスを思わせる鋼の巨人。


 水神の右腕封ずる鎧。


―――シニストラ・アクエリス。


 双子の如く似る二柱は彼等が国家と神々より与えられた第一級神格聖体。

 人の身にて神を体現する神兵ソルダート

 軍営国家ベリアステルにおける法術師精鋭の頂点。


 使徒ヴァルキリスを名乗る者のみに許された国家資源リソースの一割を消費する最終兵装。


賢石ラピス・ソフォルム


 無限を内包せし力。

 神の石の鎧だった。


『きっついぜ。やっぱ、オレ達神様にゃ向いてない』

『ふん……っ、同意見になるとは珍しいな』


 ギリギリとその暗い内部で彼等が全身の筋肉を動かし、そのあまりにも単純な操作方法。

 筋力による大質量の操作を行なう。


 全ての感覚を人体にフィードバックする巨人はあらゆる奇蹟を人力の増幅にて行なうなのだ。


 常識的な人間ならば指一本どころか。

 内部の人間を拘束する無数の鋼糸で織り込まれた肉体を鎧と繋げる衣裳スーツ

 それを着た時点で骨片すら残らず磨り潰され、ただの血肉と成り果てる。


 指一本分の面積に掛かる凡そ13000kgの圧力は鎧の運動量増加と共に飛躍的に増大する仕組みだ。


 だが、それを耐え抜く凡そ人ではない何かである神兵の最精鋭は……純粋に個人で塔を一つ持ち上げる膂力を有する。


 それが魔術か。

 魔術によって強化された筋力か。

 純粋に人間を超えた生来の力か。

 それは人其々だが、彼等に限って言えば、人と呼ぶにはあまりにも能力が高過ぎる者。

 超越者と呼ばれる類型カテゴリ故に持っている膂力だ。

 絶末の双子。


 世の終焉を予言する神によって随分と前から出現を確定されていた二人は殆どの国家において頂点に立つなら、神に等しいと賞賛、崇められる能力をその内に秘めている。


『行くぜ。相棒』

『行こうか。相棒』


 声は同時に響き。


『『此処から先がオレらの戦場だ』』


 その二体の金色が跳んだ姿を、黄金の枯れ枝の如き翼を広げて飛び去る姿を、多くの者達は手を合わせ、祈りと共に見つめる。


 神々の下僕。


 彼等の国家に予期されていた終末を占なう戦闘いまがようやく始まろうとしていた。


 *


―――???


 文明の発展は凡そ資源と環境の獲得によって得られる成果であり、その進み様は生命にとっての進化の道程よりも早く齎されるものである。


 そう気付いた彼が生まれたのは約1億2000万年前。

 その惑星に未だ異種ヒトと呼ばれる種族が蔓延っていた頃の事だった。


 遥か古の時代から、遥か遠き銀河の中心から、又はこの宇宙の果てから、彼の一族はたった一つの星に降り立った開拓者であり、生存者であり、叡智を司る者であった。


 大宇の法を修め。

 生物進化の極点に位置する種族。


 大いなる血族である自らの祖国を、その小さな小さな惑星の、大陸の片隅の小邦を、彼は愛していた。


 それが何の間違いか。


 ある時、奉仕種族と蔑まれ、家畜以下の生物であったはずのソレが、覇権へと怒涛の勢いで駆け上っていくのを彼は真直で見ていた。


 大人達はそれもまた大宇の営みの一つであると肯定し、次なる器としてその生物達……否、種族達をイシュと呼んだ。


 彼等は殆ど全てのあらゆる面で今まで繁栄してきた種族や生物達に劣る存在だった。

 足は遅く。

 腕力は棒切れを持つ程しかなく。

 知能は未だ発展途上。

 知性の欠片は有っても叡智を解する事無く。

 その上、よく増えた。

 能力は単体で星も渡れず。

 超越する為の資質は無く。

 労働力の足しにもならない生き物。

 そのはず、であった。

 その星に生まれた全ての知を持つ生き物の母。

 彼等にとっての隣人が自らの血をソレに与えるまでは。

 イシュは瞬く間に力を付けていった。

 たった数十万年。

 よちよち歩きの子が子供にもならない程度の瞬く間も無き刹那。

 劇的だった。

 恐ろしい程に理不尽だった。


 彼等は殆どの能力で既存の興亡する知的生命体に劣ったが、一つだけ大いなる力を身に付けていた。


 この世の果てからやってきた彼等はソレを知らなかった。

 宇宙の中心からやってきた彼等はソレを知らなかった。

 何億の月日を生きた彼等の智る大宇の法にも無い言葉。

 それをイシュは世界に知らしめたのだ。


 愛。


 そう、愛だ。

 言語化されたソレは全てを席巻した。

 異種イシュ達はソレに夢中となった。

 自らの血を分ける程に。


 イシュが自らの崇める神々を産み出し、繁栄へと向かっていく姿は正しく世の収奪そのもの。


 やがて、ソレの効用と恐ろしさに気付いた異種ヒトは戦いにすらならないはずのイシュとの争いに臨み。


 敗北した。


 多くの種族が、当の異種ヒトや、その血筋に連なる者達すら、イシュを守り、イシュを愛し、イシュの為に戦ったからだ。


 全てに敗北し、滅んだ姿を、彼は忘れない。

 忘れられるはずもない。


 一族の内部において出来損ないと呼ばれた彼に眩く見えた異種ヒトが敗北する事などあってはならないはずの出来事だったからだ。


 やがて、時は残酷に移り変わり、彼の一族は大陸に蔓延ったイシュを次の器と決めた。


 人を守護する浅き神々とは違う真に力持つ旧き神達すらもソレを認め、イシュヒトと呼ばれ、異種ヒト異種イシュと呼ばれた。


 彼は忘れられなかった。

 あの繁栄の時代を。

 あの輝いた世界を。

 だから、一族の者にも黙って力を蓄えた。


 彼等の血族に伝わる秘宝を盗み出し、嘗て眠りに付いた多くの種族の血脈を収集し、旧き神々の封じた異種ヒトと外なる神々の契約を譲り受け、継承者となった。


 上手くいっていたのだ。

 最初は……たった二千と九百九十三年前は……あの忌々しい男達が来るまでは……。

 それは最後の希望であった外なる神々の残渣を駆逐した者達。

 彼へ絶望を叩き付けた者達。

 それをイシュを教会と呼んでいた。

 もう少しだった。

 もう少しであらゆる眠りの底にある外なる神々と奉仕種族達を目覚めさせられた。

 イシュを媒介に滅びし異種ヒトを目覚めさせ、共にイシュ討伐に出る。

 まったく、本当に残酷過ぎる程の勢いで、彼の夢見た英雄譚は粉々に打ち砕かれた。


 教会は供物たるイシュの侵蝕を止める術を小さな村落の者達に与え、彼は呆気なく殺されたのである。


 甦るまでに秘宝を使い千年。

 動けるようになるまで千年。


 一族達がイシュを器として生き永らえているという事実に絶望して千年が経とうとしている。


 だが、彼にとっては数週間前程度の話だ。


 あの血肉の入った皮袋を被る一族を前に憔悴し、その肉が侵蝕を止められる力を与えられた者達の末裔である事に深い奈落の底に突き落とされるような感覚を味わい。


 あまつさえ。


 その血肉で新たな子を産み出したと知れば、狂気にも陥ろう。

 吐き気のする一族の生き穢さが彼には許せなかった。


 だから、本来なら異種ヒトの力であった魔力を使い、術を修め、復讐する事に何ら躊躇いは無かった。


 外なる神々の侵蝕を嫌い。

 あらゆる御柱が近付かぬ最も神遠き地で彼は全てを奪い取り戻す事としたのだ。

 大いなる“C”の継承者として。

 最初はイシュに気付かれぬよう。

 あの過去の徹を踏まぬよう。

 静かに静かに事を巡らせた。

 何年も何年も、億年を生きた彼にとって最も長い数年を、生きた。

 今や彼は既に亡く。

 甦りを果たした歴史の端で惑星の崩壊に飲み込まれつつある。

 時空は歪み。

 世界は壊れ。

 銀河はただの虚無に染まっていく

 だが、時間は関係ないのだ。

 彼が呼び出したモノこそは外なる神々の母。

 時間軸など超越している。

 首だけで星の割れた土砂の中に浮かびながら、彼は嗤う。

 結果すら粉々に砕けて、この宇宙が消えていく最中だろうと嗤う。

 過去の、現在の、あの憎たらしい一族の者達がスゴスゴと過去に逃げ去る姿を嗤う。

 そうして、見るのだ。

 口と歯を向き出しにした瞳で。

 あの歴史の最後を。

 まったく使い勝手の悪い脆弱な異種ヒトモドキなど比ではない。


 真なる大宇の恐怖。


 彼岸バルクよりこの脆弱な此岸ブレーンを貫通する歪みの起点にして女主人の道たるもの。


 ニョグタ。


 あらゆる尖兵を産み出し、無限の絶望をイシュに与えるだろう。


 アブホース。


 何もかもを、終無き果ての混沌に還す彼女。


 ジュブ=ニグラス


 そうして、本当の切札がまだあの時代には控えている。


『く、くく、くくくくく?!!!』


 彼は見つめる。

 見つめ続ける。

 過去を。

 これから自分が引き裂かれ、死を迎えるだろう時間を。

 力を尽し、始原に届く姿を。

 真空に血を沸騰させながら、砕けた星の核に落ちていく最中をゆったりと。

 今度こそ永劫の終わりを受け入れて。


『貴様が如何なる星より飛来した神だろうと……我が影より出でる事態わず』


 その灰色の髪をした少年の瞳はしかし己の前の敵にしか向いていない。

 嗤う声が響く。

 響き続ける。

 それは確かに歴史上、最後の嘲笑に違いなかった。


 *


―――15:55時。


「うわぁ……っ」


 広く広く。

 何処までも果て無く続く空。

 翼で上がっていた時よりも更に高い。

 自分達の住んでいた場所が豆粒のように見える。

 輝き真下から照り返す雲は黄昏色で。

 飛んでいるはずの鳥達すら自分を見上げているのではと思う。


 美しい緑。

 夕べに沈む湖畔。

 峻厳なる山々。

 そうして、煙の上がる村々、街々、国家。


 見ようとした全ての景色が遠いはずなのに近く映し出される。


 笑い声の絶えない帰り道を進む子供達。

 農具を持って帰る父。

 井戸で水を汲む母。

 神像に祈りを捧げる信者。

 何処までも広がる死体だらけの戦場。

 羊達が駆ける牧草地。

 滅びたのだろう国々。

 荘厳な神殿。

 廃墟の群れ。

 夢の如く整った街並み。

 死んでいく若者達。

 産まれゆく赤子達。

 病や怪我に倒れる老人達。


 何もかもが今ならば、見える。


「………」


(ヴァーチェス様……)


 その哀しくて嬉しい世界を、遠い瞳で見つめる一柱すらも、今ならば、見える。

 私達が見たものに目を細めた姿。

 優しく全てを包むような光を宿した瞳。

 壮大な夢を見たとしても、これ程のものはきっと何処にも無い。

 こんなにも世界が美しく、醜く、人が生きているという事を、今まで知らなかった。

 自分達もその一部なのだと分からなかった。

 決して綺麗事だけでは語り切れないだろう。

 暴力に打ち拉がれる者を見た。

 理不尽に死んでいく者を見た。

 絶望に沈んでしまう者を見た。

 それでも、例え、そうだとしても、今ならば、言える。

 私は、アザヤ・ウェルノ・アンクトは確かに世界を見た。

 自分達が如何に何も知らなかったのかを知った。


「う……っ……っ」

「アージャ?」


 左下で小さな手が瞳から零れるものを拭っていた。


「どうして、だろう……分からないけど……アタシ……っ」


「……泣かないで。今はわたくし達の故郷を守る事に集中しましょう。それが託された者としての責務ですわ」


「う、ぅん……ありがとう。アイシャリア……」


「っ……お礼なんていいんです。わたくし達は同じ目的を持った仲間……いえ、神の下に集った同志なのですから……」


 瞳を僅かに揺らして笑う彼女。

 自分の国の為ならば、命を掛けて恐怖にも負けず、抗い続ける姫。

 残した誰もを放っておけないと救い出す決意を固めた時と同じように。

 その姿は今も気高い。


「ヴァーチェス様」

「何だ?」

「何処まで空の上に昇るのですか?」


 訊ねれば、私の目の前に小さな小窓のようなものが開いて、お顔が映し出される。


「もう少しだ」

「もう少し?」


「ああ、限界まで昇ったら、其処から一気にアルワクトへ向かう。勝負は一瞬だろう。今の状態でも大物相手の長期戦は不可能。大気圏上層の高々度から引力も使って加速、一点突破を試みる。あの傘の化物を破壊し、下の黒い泉に突入すると考えればいい」


「私には……難しい事が分かりません。でも、祈ります。故郷で待つ皆の為に、避難した場所で故郷を思う人々の為に……そして、この身を救ってくれたヴァーチェス様の為に……私如きでは力不足かもしれませんが」


「アザヤ」

「はい」


 ヴァーチェス様の瞳が私を見つめる。

 それだけで胸が温かくなるのが分かった。


「何も心配するな。お前を、お前達を、故郷に帰すまで……オレは負けない」

「あ……っ、はいッ!!」


 胸に灯ったものが自分を強くしてくれる。

 それが分かる。

 嬉しくて、嬉しくて、でも……その先の感情に今は蓋をする。

 信じる事しか出来ない自分が余計な事を考えている暇なんてあるわけもないのだから。


「ヴァーチェス様。我ら民の命、全て御預け致します」

「ああ」


 真剣な表情のアイシャリアに頷いて。


「眠そうなの!! 負けたら許さないんだからね!!」

「分かってる」


 信じ切った笑みのアージャに頷いて。


「クェーサー!!」


 ヴァーチェス様は声を上げた。


「『高度限界。これより自然落下によって加速、そのまま直下のアルワクトに停止する二体の“C”に近接戦闘を仕掛けます。全兵装完全開放オール・ウェポンズ・フリー。機体姿勢安定。地表に向けます』」


 あの女の声と共に私達は身体が地表に向けられたのを悟る。

 それと同時に自分達の乗っている巨人がどうなったのかを周囲の様子から理解した。


 背後に背負った環がゆっくりと開きながら回転し、後方に伸びながら塔のようになっていく。


 結わえられていた柱は全てが向きを変え、さながら巨人は塔の頂点の屋根だ。

 地表に向けて落ちるなら、その姿はきっと槍と見えるに違いない。


「『慣性制御拡大。後部【地殻貫通式土壌改良柱テラフォーム・ペネトレイター】始動』」


 その言葉と共に柱が蒼い燐光を放ち始める。


「出力は足りているな?」


「『はい。本機を中核に形勢した重力制御による加速体は最高で毎秒1220kmでの突撃が可能です』」


「なら、いい。プランを再確認する」


「『了解。第一段階。アブホースをまず機体を突入させる際の衝撃及び兵装による一斉射にて最小単位まで分断。空間制御中の都市内部に投下する水爆の熱量で焼き払います』」


「第二段階用の装備も万端だな?」


「『空間歪曲による同時抽出スポイルでニョグタを全て一点に集約。本機の全空間制御能力を費やせば、敵体内に突入可能です』」


「外部装甲の追加で戦闘可能時間は増えるのか?」


「『いいえ。ですが、3分の完全動作を確約します。ニョグタ内部を確認しましたが、侵蝕作用よりもこの宇宙と繋がる事に特化しているらしく。紐の量子化による侵蝕機能はかなり抑えられているようです』」


「それであの侵蝕速度なのか……」


「『この時空との結節部分である特異点と本時間軸の空間連続性を重力兵器による歪曲で破断。その後、実態として固定化した部位を密着状態の外部装甲ごと観測宇宙の先まで飛ばせば、我々の勝利となります。ご懸念の浸食が想定の10倍以上でも、本機は30秒まで持ち堪えられる仕様であり、現在可能な対策は全て行ないました。これよりラクリ様より受け取った“ジュツシキ”をΧユニットによって展開。敵周囲空間と接触した瞬間に敵を凍結から解放。同時に攻勢を掛けます。準備して下さい』」


「分かった」


 頷いたヴァーチェス様の瞳が青と黒に染まる世界へと向けられた。


「『アザヤ、アージャ、アイシャリア各位は祈りの開始を。何が有っても意識を操縦者に集中させていれば、他に何もする必要はありません。では、カウントダウンを始めます。10、9、8―――』」


 今、祈るべき方は目の前にいる。

 だからこそ、私はこれが小さな力でもどうか皆を守れるものであれと両手を合わせた。

 まだ、誰にも終れない。

 終らせたくない日常がある。

 その為ならば、きっと私の魂すらも安い代償に違いなく。

 焼けてしまうはずだった願いは形を変えて、私の前へ現れている。


「どうか、誰の道も開かれん事」


 それが今は何よりも私の胸を占める思いだった。


 *


「『自然落下開始。突入軌道誤差修正。主観時間の延長開始』」


 少年の瞳に映る世界が一気に遅滞した。

 まだ落下の開始から一秒すら経っていない。

 しかし、既に事は始まっている。

 間延びする時 間の中。

 少年は現時点での敵Cの状態に目を細めていた。


「そう言えば、聞いてなかったが……いつ重力の量子化まで可能になった?」


「『………』」


 視界の中。

 投影されるクェーサーの姿だけが普通に動いている。

 少年の前にやってきた彼女が沈黙する。

 それはいつもの事だ。


 アルゴノード・クェイサーはあらゆる観点から操縦者をサポートする総合マンマシンインターフェース。


 本当に操縦者に必要な情報以外は意図的にカットする事も儘ある。

 それだけの話だ。

 今までなら、それで納得も出来ていた。

 しかし、人型になるという選択や幾つもの躯体の工夫。


 新しいユニットの開発など明らかに少年へ報告するべき情報が幾つも遅延されて齎された。


 これを放置しておくのは普通ならば考えられない。

 今までの思考でならば、明らかに異常と言える。


 それを訊ねられて尚沈黙を保つというなら、それは正しく操縦者への反逆にも等しいだろう。


「大規模な空間と重力制御、この機体の基礎性能的にモノポールの生成まで可能になってるな? それなら何故モノポール系の陽子崩壊を用いた炉を造らない? スピンRAMの類や閉じた紐を大量に作れるようになったなんて報告されてないぞ。何処まで機能が戻っている?」


「『………』」


「言えないのか? それとも言いたくないのか。どちらにしても、もうお前は生身だ。この意味は分かるな?」


 少女は真っ直ぐに少年の瞳を見つめ返す。


「『選択肢が必要なのです。最後の選択に至る為の第三の道が』」


「何が言いたい? 最後の選択肢とは何だ?」


「『【全能器イデアライザー】が本来、何の為に建造されていたのか。ご存知ですか?』」


「……随分と昔の話を持ち出すな。確か宇宙外探索だったか?」


「『その通りです。我々は本来、空間や時間が存在しない世界・領域・次元……いえ、そのの先に在るはずの上部構造を見る為に宇宙創造すら可能な力を与えられました。それはつまり人造の神。銀河団八千京の星々が構想した一大プロジェクトだった』」


「だが、全ては“C”の脅威の前に頓挫した」


「『はい。ですが、我ら最初期に建造されたNO.100ハンドレット・ナンバーには名残が残っています』」


「名残、だと?」


 初めて聞く話。

 それもたぶんは宇宙の終りまで話されるはずも無かったのだろう話。

 そう彼には想像が付いた。

 理由は単純だ。


 そんな問答をしている暇すらない戦いに明け暮れてきた彼等が戦闘やメンタルの維持に必要ない会話をするなんて事は今まで過去一度として無かったからである。


「……我々は滅びるはずだった。我々は勝ち目の無い戦いをするはずだった。我々最初期【全能器イデアライザー】は製造後に確立された相互リンク内の演算において文明が消滅する事を理解していた……そのはずだったのです……操縦者……貴方が生き残るという0に等しい確率をただの信念と意思によって変えるまでは」


「―――負ける事が分かっていた? “C”に滅ぼされると知っていたと言うのか?」


「『我々の創造者達もこの事を上層部には黙っていました。ですが、その計算は狂った。貴方が私に初めて搭乗し、出撃した日の事でした』」


「まったく、こんな時に昔話を聞かなきゃならないとは……簡潔に言え。お前は何をしたいんだ。クェーサー」


「『“C”のいない宇宙の創造』」


「何か? 宇宙外世界への進出と宇宙創造による永劫の繁栄ってご大層な計画アレの焼き直しか?」


「『………はい。本来ならば、文明が滅びた後か。滅びる寸前に発動するはずだった可能性コードです。しかし、貴方というイレギュラーが完全に失われるはずだった希望を繋ぎ、私はそれを載せた箱舟となった。そうして創造者達は“C”以外の要因で天命を持って文明が滅びる事を良しとした。奇蹟が起こり、貴方の故郷は救われた。本来ならそれで全てが終るはずだった』」


 そこまで聞いて少年は思い至る。

 “終らなかった理由”とやらに。


「そういう事か……随分、永い事戦ってきたからな」


「『……貴方だけが、此処まで残ってしまった。このような状況や事態は想定されていなかった』」


「つまり、オレが死ぬような状況に陥る、という要因によってお前の中のコード発動に必要なトリガーを引いたのか?」


「『はい。本来は最初期製造機体、最後の操縦者の死亡確定によって起動されるコードは貴方の延命によって延々と眠り続け、あの瞬間に開放されたのです』」


 溜息がちな思考を返し。


「詳しい話は後で聞こう」


 少年は一端、話を打ち切った。


「『……分かりました』」


「お前に能力や機能的問題が生じていないなら、それでいい。それを確認したかっただけだ」


「『操縦者……』」


「その操縦者というのもそろそろ止めろ。これからどうなるにしろ。お前はもう“人間”だ」


「『ならば、何と?』」


「それこそ自分で考えろ」


「『分かりました。ヴァーチェス』」


「呼び捨てか」


「『様や殿や敬称や尊称で呼ぶべきでしょうか?』」


「ノン。戦いに集中しろ」


「『はい。了解しました。ふふ』」


 思わず少年は自分の相棒。

 今は麗しい少女を凝視する。

 しかし、それも束の間。

 周囲が突如として紅のアラート表示に切り替わった。


「『敵2個体に動きあり!! こちらが照準されていますッ!!?』」


「何だと?! 擬態?! アブホースの方はまだしも、ニョグタのような事象級固体にそんな知能あるわけが」


 光学望遠で映し出された地表の映像の中。


 ギョロリとアブホースの多眼が一斉に自分達を向くのを理解し、クェーサーが躯体の落下軌道を逸らそうと―――。


「そのままだ!!」


「『ですが』」


「今更落下の威力を殺しながら逃げてどうなるッ。現状のまま突っ込めッッ!!」


 彼が言う間にも加速された主観にも捕らえられる程の沸騰がゴボゴボとニョグタ全体に奔り、アルワクトの中心に落下していた氷柱が罅割れて崩落する。


「『アブホース表層に多数の分離を確認。またニョグタ内部から侵蝕反応検知!! 場への干渉が開始されました!!』」


「速度は?!」


「『毎秒3000単―――いえ、2000に低減されました。魔術反応検知。ラクリ様のケッカイ魔術というものだと思われます』」


「なら、構うなッ!! 前方に空間制御を集中ッ。重力制御は全て加速に回せッ!!」


「『【地殻貫通式土壌改良柱テラフォーム・ペネトレイター】全速』」


 彼等の見る映像の中。

 急速に膨張したアブホースがまるで弾け散る弾丸の如く。

 表層を無数に分裂させて全方位に向けて射出した。

 その様子はまるで流星が逆巻き天に返っていくようにも見えた。

 正しくソレは彼等を巻き込むに足る超広範囲への侵蝕攻撃。

 分離して物理法則を無視して加速する分体は一体で20m近かった。

 全てが大陸。

 否、惑星全土へ広がれば、それだけで終末は確定的となる。

 彼が兵装起動を告げる寸前。


 全方位に向けて射出されていた分体が一定の領域を出た瞬間に燃え上がりながら中心を両断されて爆ぜ朽ちる。


 実際、無限に放出されているだろう個体数は秒間数万で済むようには見えない。

 それを全て斬り裂き続けているのは何か。

 答えはすぐ彼の視界へと映し出された。


「『魔術による通信を確認。我らに任せて進め、だそうです』


 黄金の人型。


 蒼と紅の双子の巨人がアルワクトより半径10kmの両端に立ち。

 片や杖を掲げて、空間を捻じ曲げるに足る波動を放出し。

 片や片手剣を掲げて、凄まじい勢いでその刃を欠けさせていた。

 何らかの魔術か。

 二機の事に気付いたらしき二柱の神々が一瞬動きを止める。


 上空から加速してくる【世触モナドノック・アルジェント】には急速に天へ噴き伸びるニョグタが、左右の二機には分裂して流動体となったアブホースが対応した。


「『【外光アウター・ウェーブ】による侵蝕を機体表層に検知。装甲表面剥離開始。衝撃第一波来ますッ!!』」


 躯体が大気を割り。

 加速していくよりも尚早い。

 物理的な衝撃と同時に襲ってくる侵蝕で汚染されていく。

 機体表層が珪素化、剥離され、燃えながら火の粉と散った。

 小揺るぎもしないコクピット内部。


 少年が瞳を細め、その座席の上に浮かび上がった楕円形の入力デバイスを手の形になるほど握り締める。


「クェーサー【量子転写再生槍QTRS】展開しろ」


「『了解。エンタングル開始。ベル状態に移行。フェデリティ4000台を維持。クトス展開します』」


 急速に縮まっていく被我の距離。


 その合間にも躯体の両腕が交差し、二本の槍を取り外し、吹き伸びてくるニョグタへと向けた。


「射出!!」


「『射出。第二、第三、第四十八衝撃波まで貫きます』」


 左手の槍が投げ放たれ、ニョグタからの侵蝕活動によって変質した大気とそれを伝播する衝撃、更には放出される不可視光線の波を穿ち、侵蝕された表層を次々に剥がされていく。


 本来ならば全ての質量が侵蝕を受けた後の珪素化で失われ、実体を保てなくなるはずだったが、その槍の特性は短時間とはいえ、神の侵蝕からくる寿命に抗ってみせた。


 巨大な連続する衝撃波が真上から槍の先端によって打ち破られる様子はそれがある程度“C”に対して有効であろう事が見て取れる。


 クァンタム・テレクローニング・リジェネレイト・スピアー。


 元素生成能力を加味された超短距離分子間多重量子テレクローニングによる物質の再構成能力。

 それを実装した槍は少年やクェーサーにとって一つの類型カテゴリで呼ばれる。


量子転写再生装リバースド・アームズ


 あらゆる物質とエネルギーを侵蝕し、自らの内に取り込んでいく“C”存在に対して自らの侵蝕部位を珪素化して剥離、無害化、その上で侵蝕に拮抗するだけの体積を増やし続け、実態を保ち続ける事の出来る兵器。


 【全能器イデアライザー】に実装される武装は基本的に全てがソレだ。

 それだけが嘗て宇宙の法則すら捻じ曲げる敵に対して抗う牙だった。


 同じ材質、ほぼ同じ分子構造、ほぼ同じ原子の連なりを持って、自らを無限に再生させ、あらゆる欠損を瞬時にする能力無しには如何な少年とて今まで戦っては来られなかっただろう。


 まったく原始的な運用しか出来ない槍という近距離用の兵装しか造れていないとしても、そこまで能力が戻っていれば、確かに巨大な“C”相手にも戦いようはある。


 通常の兵器なんてものは“C”と距離が近付いただけで停止するか。

 乗っ取られて終り。

 機能不全を起こしたところを攻撃されて蒸発。

 そのような事例が殆どだ。

 超高速再生能力のある兵器が無い文明は例外なく。

 “C”との生存戦争において生き残っては来れなかった。


 どうにか退けられたのは彼女アルゴノード・クェイサーと同列の【全能機イデアライザー】と呼ばれる万能の域に達した銀河規模、宇宙規模の事象を引き起こせる叡智と技術の精粋を生み出せた文明か。


 逃げ延びる為に光速を越える航法を開発した者達だけだ。


「『処理能力限界』」


 それにしても、絶対の勝利を約束していたわけではなかった。

 無限の消耗戦に挑み。

 朽ちていった兵は無数。

 その圧倒的な侵蝕の前に対処し切れず。

 今正に実態を保てなくなって燃え尽きる槍の如く。

 火の粉と消えていった文明もまた過去数え切れない程に存在した。


「『ニョグタ内部に高物理量反応!! これは―――高熱量分布の若宇宙じゃく・うちゅうもしくは規定値の異なる高次元領域への【ゲート】ですッ!!!』」


 漆黒の長塔。

 伸び続けるソレは大気圏に突入しつつある【世触】に躊躇い無く向かってくる。

 少女達にしてみれば、まだ何が起こったのかも定かではない一瞬。

 超高速でやり取りが行なわれる一秒はまだ序盤。

 しかし、次の一秒に入った刹那。

 ニョグタからの侵蝕以外の攻撃が発生。

 戦況は一気に加速していく。


「『警告!! ニョグタ地表部分に体積の小さい大質量体を確認!! 総合ストレージに対象と合致する個体在り!!』」


「報告は精確にしろ。クェーサー」


「『根元の映像出ます』」


 それは確実にこの宇宙に在ってはならない類の造型だった。

 巨大な甲殻類の如き殻と大鋏を持ち。

 無限にも噴き伸びるだろう薄気味悪い紅の触手の束がその内部から噴き伸びている。

 蟲のような七対の翅を持ち。

 蠢く肉体は蟻酸でも出しているかのようにテラテラと滑光っている。

 そんなものが無数。

 いや、泡立つ漆黒の液体内部から、その表面を埋め尽くすようにして飛び出す。


「『登録個体【ミ=ゴ】の亜種と推測』」


「面倒な……」


「『推定質量が小惑星規模である事を確認』」


「何処から持ってこられたか知らないが、“C”を崇めてる連中の尖兵に構ってる暇は無い。【熱量封入黒体アヴィダヤ】を無制限複製開始。あちらの射出と同速で相殺しろ!!」


「『了解。完全黒体内部への熱量封入率は如何しますか?』」


「完全焼却より少し大目にしておけ。多少は熱量の開放で侵蝕の乗った媒質が揺らぐ」


 機体が落下するよりも早い。


 地表から音速を遥かに超えた亜光速近い速度でニョグタ内部より発射された生物が断熱圧縮と摩擦熱によって表皮を焼け付かせながらも、【世触】へと即座に肉薄する。


 引き伸ばされる時間の中。

 少年は虚空に浮かぶデバイスを握る両手を大きく裏拳気味に左右へ開いた。

 同時に今やロケットの如く機体を加速させている重力制御の要。

 全ての柱の表面に無数の亀裂が奔り、隙間から光を完全に吸収する漆黒。

 真空の海より尚暗い物体が顔を覗かせる。

 その先端は尖っており、まるで月と星の無い夜を切り抜いたような静けさを想起させた。


「『工程完結。グラフェン構造体複製量毎秒100000kg。カーボン欠陥密度最大に設定。フォノン操作も完全です。余力がある限りは複製を無限に投入可能』」


 当たれば、質量弾よろしく。

 大規模な衝撃に機体は粉々だろう。

 前方に防御の要である空間制御能力を費やしている現在。

 側面は侵蝕以外にはほぼ無防備。

 故にこそ。

 誘導弾的な攻撃への対抗手段を持っていないわけがない。


「発射だ」


「『発射します』」


 噴き伸びた漆黒は針のように分裂し、機体へ迂回軌道で接触しようとした甲殻類と蟲と触手を一緒くたにしたようなミ=ゴの外殻に無数突き刺さった。


 途端、その突き刺さった先端が侵蝕完了よりも先に膨大な純粋熱量を放出した。

 太陽の如き眩い閃光が機体落下軌道上に乱舞する。

 黒針の群れは一発一発が束ねられ、クラスター化された熱量封入弾だ。


 無限の如く湧き出し、執拗に機体側面を狙って慣性を無視した速度と機動で迫るミ=ゴだろうとも、確実に命中し続ける【熱量封入黒体アヴィダヤ】に穿たれ、内部から焼却されては一溜まりもない。


 閃光の中。


 加速し続ける【世触】とニョグタの距離が近付くに連れ、遥か地表部分から射出されていた質量弾扱いのミ=ゴの群れが続々と射出面積を上空に伸びる部分へ増やされていく。


 虚空へ放たれる数は瞬く間に倍増。

 単純に十倍二十倍となった化物の雨が逆さに空を駆けた。


 それを撃ち貫く黒針の激発との拮抗は凄まじい物量戦の結果、ニョグタ全体を埋め尽くす光となり、輝く塔と化さしめる。


「『警告。敵内部より更に大質量構造体来ます!!』」


「備えろ!! 現出個体の侵蝕機能次第だが、このまま突撃は続行だ!!」


「観測―――これは【バイアクヘー】です!!」


「次から次へと?! 何処と繋がってる!? 特定出来ないなら推測でもいい!! 次に現れるかもしれない候補を絞り込め!!」


「『了解』」


 彼が愚痴ったのも束の間。

 ソレがミ=ゴの密集したニョグタ表層を押し退けるようにして露出する。


 蝙蝠の如き翼と禿鷹のような嘴と蟻の如き昆虫類の顔と爛れた人間の如き身体を持つ巨人。


 ミ=ゴと比較にもならない大きさの数百mはあるだろう化物だった。

 それが地表から噴き伸びるニョグタ表層に数えただけでも30体以上。


 しかも、その翼はもう飛び立たんとして広げられており、薄い紅の燐光と濁ったオーロラのような帯を放ち始めている。


「『加速予備動作確認。飛翔まで時間がありません。敵は恒星間飛行が可能な遊星生物。光速での着弾は現在の機体では受ける方法がありません』」


「先手を取る!! 【分子間力消波輪ABR】展開」


「『了解』」


 【世触】の両腕、両足、腰の左右の装甲から其々に十枚以上、火花を上げながらリング状のパーツが迫り出して分離し、虚空を高速で落下。


 今正に漆黒のニョグタから抜け出しつつある化物へ回転しながら向かっていく。


 抜き出された各部のパーツ内部から次々に表面装甲と同じ材質が盛り上がり、復元され、その跡はすぐに埋まったものの、一瞬でも装甲が減った瞬間に侵蝕されたのか。


 直ったパーツの輪郭が珪素化され赤熱化。

 剥がれながら火の粉となって散り、まるで表層に奔る紋様にも似て機体を彩った。


「『アバーを開放。対象捕獲』」


 数十体の化物がその翼の燐光を最大に広げるより先に全てのリングがその黒き漆黒から乗り出した身体の周囲を囲う方が早かった。


 幾何学的にパーツを外側へと広げながら巨大なバイアクヘーを捕縛した輪が表層を侵蝕と珪素化で剥がされながらも回転数を上げ、同時に捕捉した内部の物質の分子間に働く引力。


 分子間力を全て0に等しく消し去っていく。

 あらゆる引力を打消す能力の効用は凄まじい。

 核力すらも失われつつある物体がこの宇宙においてどんな有様になるのか。


 それは化物達の悲鳴の如き波動の放出と自らの動きで次々に崩れ始めるのを見れば、一目瞭然だろう。


 アトラクション・バニシング・リング。


 “健全な物質”で構成されている生物ならば、これで滅ばないものは無い。


 だが、“C”に汚染された生物達にとっては致命傷ではあるが、瞬時に崩壊する程の力でも無い。


 そもそもが恐ろしい速度でリング自体が侵蝕に晒されているのだ。

 それに拮抗しながら内部のものを分解しようとするなら、どうしても出力は足りなくなる。


「二投目行くぞ!! リングが崩壊するまでに敵の全てを打ち貫けッ!!」


「『クトス射出』」


 投擲された瞬間。

 一撃目のものよりも太く堅く強く。

 槍は肥大化しながらニョグタの左方向より螺旋を描くよう纏わり付き。


 赤熱し、今にも崩れ落ちそうになっている輪に捕らえられたバイアクヘー達の胸や頭を何ら抵抗を受ける様子も無く貫き崩していく。


 その合間にも表層は侵蝕と珪素化と剥離と赤熱によって縮み続け。

 遥か地表まで届く頃には糸の如く細り。

 最後の一体を貫いた途端に火の子となって消失した。

 この一連の戦闘終了までに凡そ3秒。

 その間にも詰められたニョグタとの被我の距離は既に2000mを切っていた。

 そうして、ようやく【世触】内部が微細な振動に襲われ始める。


「『侵蝕確認。第1層より4200000層までの緩衝装甲剥離開始。全外部装甲侵蝕まで約35分。どうやら侵蝕率自体をクラリ様の魔術が抑制しているようです。これならば、突入までかなり動力に余裕が出来ます』」


「ミ=ゴ以外に反応は?」


「『現在、未確認。敵表面積が飛躍的に広がった為、一点に抽出スポイル出来ませんが、突入は可能です。ニョグタの排除を優先して構いませんか?』」


「それでいい。アブホースは二人に任せる」


「『了解。空間制御能力を更に集中、一時的に接触面に対して場の干渉を開始』」


 機体前方。


 伸びてくる漆黒の長塔の先端がクェーサーの言葉と共にピタリとそれ以上の上昇が出来ずに止まり、まるで地面に広がっていくかの如く。


 とある一点から平面的に真横へと延びていく。

 その状態はグラスの底を現在進行形で形作るようにも見えた。

 一気に広がった突入するべき広大な黒き一面。

 中心に機体が接触した刹那。

 撓んで波打ったニョグタは蛸が獲物でも飲み込むかの如く。

 急激に広げた肉体で行き止まりの“先”を見つけ。

 溢れ出させた体を触手のように広げて背後から【世触】を包み込み始める。

 それは漆黒の花弁が閉じるかのような異様な光景だった。


 遥か地表で祈りを捧げていたアルワクトの人々は世の終わりとも見える巨大な黒い大樹と光の饗宴に心奪われ。


 狂気から嗤うもの。

 必死に歯を食い縛るもの。

 金切り声を上げるもの。

 何とか耐え忍ぶもの。

 多くが其々に胸へ今を刻んだ。

 しかし、その大異変は大陸中には波及しなかった。

 理由はとても単純だ。

 気配以外の何一つ大陸の空は映し出していなかったからだ。


 多くの人間や異種と呼ばれる生き物達は空に何やら不穏なものを感じはしたが、何も知覚せず。


 一部の力有る者達は天空で繰り広げられる得体の知れない巨大な何か達の饗宴へ触らぬ神に祟り無しと無視を決め込んだ。


 大陸北部において黄金の僅かな光の塊が複数空に浮かび上がり、世の終わりになるかもしれない可能性を己の超大な神力において隠蔽する。


―――大いなるそら同胞はらからより来たりし稀人まれびとに付き従いて。


―――遍く暗きものと相対す。


 神々の瞳に映る二柱。

 彼らの両腕たる特別な双子達は初めて相対する己と同格か。

 それ以上の敵に対してどちらも白兵戦を仕掛けるべく。

 其々の得物を手に突撃していく。

 戦闘が開始されて未だ数秒。

 しかし、後十秒も掛からずに決着が付くのは彼らの目には明らかであった。

 激突は刹那。

 結末はいつだとて、今まで積み上げてきたものの量で決まるものだ。


―――名色失いし両者。

―――無無明に至りて、始源に浴する。

―――世を齎せし神機。

―――第三の導を得んが為、我が身を投じん。


 滅亡の淵で今、抗う誰もが試される。


 その運命という名の何かに……。


 *


―――???


 眠くて、眠くて、それでも私はようやく目を開ける。

 薄く横目で見れば、投げ出された手の脇に小さな白い野花が咲いていた。

 とても愛らしい。

 刺繍にしたら、きっと綺麗に違いない。

 けれども、すぐ目の前を見れば、薄いヴェールの先。

 投げ出された剣があった。


「ぅ……ヴァーチェス、様?」

「おひいさま。こんなところにいらっしゃったのですか?」

「え?」


 速足に近付いてくるのは侍女。

 そう、名前も知らない相手。

 いつも自分を世話してくれる乳母役。


「もうすぐ此処は訓練の兵達が来ます。さぁ、お部屋に戻りましょう。お父様もお母様も人とお会いになっておられますから、今日は此処に参られませんよ」


「え、あ、ぅ……ヴァーチェス様は?」


 今まで自分は外なる神々というものと戦っていたはず、なのだが。


「?」

「な、何でもないです……」

「ふふ、変なおひいさまですね。さ、お早く」


 手を握られて。

 そのまま連れ立って歩く。


 そう、そう、何かを忘れていくような、何かを思い出さなければいけないような、そんな心地がするのに、抗えない。


 言われるままに歩き出せば、此処が何処か分かる。

 いつもの場所。


「そうそう。おひいさまに今日は贈り物があるんですよ。お父様からの」

「お父様から?」

「ええ、おひいさまもそろそろ年頃。お友達のお一人くらいは必要だろうと」

「お友達?」

「ええ、おひいさまが好きにしていい。そういうお友達です」


 連れられて、丘の上から下の屋敷に向かう。

 古びれた石造り。

 隙間風は吹き込まないけれど、冬は特に寒々しい。

 今はまだ秋。

 けれども、夜は暖炉に火が無いと朝までに凍えてしまう。

 裏門から入って、勝手口へ。

 そのまま側にある階段から二階の部屋に戻ると。

 そこにはいつも優しい老爺がニコニコして待っていた。


「おひいさま。じいじは仕事がありますので、これで。お友達はお部屋に居ります。お好きにして下さい」


 頭を下げて行ってしまう背中を見送って。

 侍女に促されながら扉を潜ると。


 其処には綺麗な金色の髪をした女の子が一人、スゥスゥと寝息を立てて、白いローブ一枚で絨毯の上に丸まっていた。


「あらあら、眠ってしまっているようですね。わたくしめはこれからお昼の支度があるので、これで。おひいさまはこの子と遊んでいてくださいな。昼食は二人分ご用意しておきます」


 侍女が頭を下げて、扉から出て行ってしまう。

 そうすると。

 二人切りとなってしまう。

 小さな手足は少し擦り傷で赤くなっていた。

 顔にも小さな細かい傷が付いている。

 でも、それよりも目を引くのはきっと喉の赤い跡。

 首輪をしていたのだと分かる。


「奴隷……」


 呟いて。

 それに目を覚ましたのか。

 ゆっくり起き上がったその子に驚いて、私は思わずおろおろした。


「………アザヤ・ウェルノ・アンクト、さま?」


 頷くとパッと笑顔が咲いた。


「ッ」


 思わず後ろに下がろうとすると。

 その子が近付いてきて、きゅっと手を握って来る。


「買っていただいて、あ、ありがとう、ございました!!」


 その嬉しそうな顔。

 自分には到底出来そうにない微笑み。


 はいつもそうだ。


 けれども、それがとても温かくて、何だか羨ましいのは……自分の生まれのせいなのかもしれない。


「いっしょう、お、お仕えします!! よろしくおねがいします」


 私は、ぎこちなく、少しだけ、微笑み返す。

 綺麗な顔のお人形さんみたいな顔の、夏の花のように華やかな温かい彼女に。


「あなたのお名前は?」


「あ……す、すみません……名前はアレとかソレとかその……お好きにお呼びになってください」


 きっと、名前は最初から無かった。

 けれども、それなら、それでいいのだと私は思う。

 名前なんてきっと重要な事じゃない。

 肉体も命もやがては尽きるもの。

 けれども、心だけはきっといつまでも残る。

 残せるものだから。

 初めて出会ったお友達にそっと告げる。


「じゃあ、今日からあなたもアザヤ・ウェルノ・アンクトになったら?」

「え?」


「だって、なんて一族の中でもわたしやお父様くらいしか持ってないもの。でも、あなたは初めてのお友達だから、私の名前、あげる」


「け、けがれてる私なんかにそんな大切なお名前を?! い、いただけません」

「みんなには秘密にして。一緒に遊びましょう? アザヤ……」


 目を閉じて、額をそっと重ねる。

 そうして、瞳を開ければ、次には驚いた様子でアザヤが其処にいた。


「え、え? あ、どうなって?!」


 薄桃色の壁紙に陽光が照り返って。

 アザヤが目を丸くしていた。


「お父様たちはきっと初めてのにあなたを選んだのかもしれない。でも」


 私は初めての友達をきゅっと抱き締める。


「お友達は器じゃないと思うから。だから、これからもよろしくね? アザヤ」

「な、何が何だかわかりません。けど……おひいさまのためにが、がんばります。わたし」

「うん……じゃぁ、さいしょはお着替えして遊びましょう? アザヤ」

「は、はい」


 アザヤが嬉しそうに笑って、私も何だか同じように笑えた気がした。

 思っていた通り、アザヤと私の年齢、背格好、体型、何もかもが殆ど同じだった。


 妹というのがもしも自分に居たならば、きっとそれはアザヤのような相手の事を言うのだと分かる。


 私はようやく邦の人間みんなと同じになれたような気がした。


 自分がどんなに人類とは程遠い生き物だとしても………それは確かに私にとっての幸せだった。


 だから。


「幸せになってね。アザヤ……私の姉妹……妹……もう一人の私……」

「え?」

「お父様達は旅だったわ。けど、秘宝を遺してくれたみたい」

「おひい、さま?」


「超星石の銘板、その欠片を秘した魔導書は奪われてしまったけれど、その叡智は私の魂から受け継がれ、全てあなたの中にある。自らが穢れる事を厭わず。それでも命を懸けて願う気持ちがあるならば、受け取って……あなたの大切な人の為に」


 それは掌に乗る刺々しい正方形。

 鋭角という鋭角を揃える事で生み出された棘のはこ

 ゆっくりとアザヤがそれを受け取る。


「ヴァーチェス様……」


「そう、あなたはいつもそうだった……他人の為に一生懸命で、自分が助かるはずだったのに私を助けて……命まで落として……本当に困った妹……」


「―――ッ」


 アザヤの脳裏に流れ込むもの。

 戦って、戦って、炎に巻かれた砦でたった一人の友達を助けられた記憶。

 もう体のあちこちは切り裂かれていて、血を流し過ぎたまま。


 泣いていた。

 哭かれていた。


 揺らめき燻る炎の中で燃えていたのはアザヤではなく。


「………ぁあ、私は……ヴァーチェス様に救われる前から……もうとっくの昔に……」


 零れていく煌きを見つめながら、私はその人を見つめる。


「頼めますか?」


 私が、アザヤの為に頼みごとをしてくれている。

 それだけで涙が零れて。


「『やはり、貴方達でしたか。この宇宙ブレーンに辿り着いていたのは』」


 いつの間にか。

 部屋の片隅にいる。

 アルゴノード・クェイサー。

 全能の器たる女神。


「『群括マルティテュード接続の際、ナノマシン群体のメインプログラムに大量の情報が流れ込んでいた痕跡があった。人格を如何なる生物にも時空を超えて宿せる力。まったく、変わっていない行動原理。懐かしくさえある。未だにペンとノートは必需品ですか?』」


「ええ」


 私が鷹揚に答え、アザヤはその様子におろおろする。


「『……いいでしょう。我々は全ての“C”を討ち果たすまで止まれない宿命。例え敵の同胞はらからだとしても理不尽に抗う力と意志を持ち、隊伍を組もうとするならば、仲間には違いない』」


「ありがとうございます」


「『ですが、我々には“C”を操る技術は無かった。その研究はされていましたが、操縦者はその選択肢を選ぶ必要すらない程に強かったのです……その力をプラットフォームに組み込む事は出来ますが、直接の制御はアザヤ・ウェルノ・アンクト次第と考えて下さい』」


 私が振り返る。

 アザヤに出来る事はきっと最初から一つしかない。


「頑張って……」

「はい……あなたとヴァーチェス様に頂いた三度目の命……決して粗末にはしません」


 アザヤはゆっくりと両の掌に棘の切っ先が沈み込んでくるのを受け入れる。

 奔る激痛。

 命を穢されていく痛み。

 けれども、そんなもので止まれるはずがない。

 止めていいはずがない。

 どんな姿に成り果てようと。

 今、自分を、人々を、誰もを守ろうと戦い続ける人がいる。


 その背中が目の前にあるのなら、共に肩を並べられるなら、この選択に如何なる後悔もありはしなかった。


―――世の始まりより先に在り、世の終わりより後に在り、全ての角に住まいしものよ。

―――契約の名の下、歪みし空を割り砕き、我が眼前に再来し給え。

―――曲の万象検めたるお方。

―――真なる大宇の顕現者。

―――【鋭き王ミゼーア


 そうして、アザヤ達は見る。

 部屋の中に現れたソレは色すら定まらない如何なる歪みも有しない巨大な棘だった。

 あらゆる時空に存在し、あらゆる時空を生み出し、全ての宇宙を創造した主と同等。


 否、古き古き時空すらも無い世から、邪悪と謗られる外なる神々と争い続けた隔絶の大宇そのもの。


 それを象る原子、素粒子すらも曲面一つ無い存在。

 意志の疎通すら出来るのかどうか。


 分かりもしないソレはゆっくりと憎しみに満ちた如何なる歪曲も許さない直線で自らの前に立つアザヤを見つめ、くぐもった嗤い声のような、獣の遠吠えのような、細胞すらも突き崩す鋭角な音を響かせて。


 トスリとこの胸にその先端を差し込む。

 何かが壊れてしまった。

 けれども、壊れないものもまたある。

 だから、アザヤは言えた。


「あの神々の終わりを望むなら、アザヤは……永劫、戦おう」


 棘は融け、消えていく。

 胸に頸城を遺して。

 剥がれ落ちる世界。

 終わりなく攻撃を掛けてくる化物達

 失われていく最後の幻影に私の微笑みを見て、頷く。


「さようなら。私……」


 そうして何もかもが今となる。

 確かにあった子供時代は消え失せ。

 其処にはただ現実に抗い、必死に戦い続ける人がいた。


「お手伝いします。ヴァーチェス様」


 何処からか。

 温かい笑みを向けられたような気がして。

 アザヤは覚悟を決めた。


 *


 一言で言えば、見通しは甘かったかもしれない。

 だが、準備は万全だった。

 それでも勝てない事はある。

 それでも負ける事がある。

 それでも可能性に掛けて逃げる事とて、あるのだ。

 彼にとって、戦いとは必要だから迫られるものだ。

 其処に一切の妥協無く。

 無限の闘争に邁進してきた。

 だから、本当に望みが無いならば、戦う事を放棄する事だって出来たのだ。

 あの超重力崩壊の最中に呑み込まれた時のように。

 だが、背後に、自分の背後に、三人も仲間がいる。

 絶対に失えない少女達がいる。

 だから、どんなに無様でも彼は生き足掻く。


 無限の闇。


 ニョグタ内部に広がる果てなき空間。

 その現行宇宙とは異なる領域を繋ぐ場所の最奥。

 特異点は巨大なブラックホールさながらに斥力を発していた。

 輝く黒い稲妻。


 それは測定不能の彼方まで己を伸ばしながら、その空間を割る自らの裂け目から無限に敵を吐き出し続けていた。


 名状し難き化物の軍勢。


 湧き出しながら、互いを喰らい合い、融け合い、憎悪と怨嗟を響かせながら、億も超えて、京すら凌ぐ物量。


 それを薙ぎ払うのは【世触】の周囲で全方位に連続発振され続ける巨大な無数の光芒レーザーだ。


 光の速度での攻撃を純粋に行おうとした時、コヒーレント光は通常殆ど唯一の攻撃手段だ。


 だが、その発振器の大半はとてもではないが戦闘に耐えられるような耐久力を有しない。


 また、時間がモノを言う戦闘では破壊されて、再生する合間すら無い事が彼のいた戦場では大半だった。


 だが、元素生成能力によってあらゆる物質を生成する【全能器イデアライザー】は自分の周囲に必要なガスを生み出し、そのレーザー媒質を“直接操作しながら”エネルギーを供給して連続発振させる事が可能だ。


 それはつまり自由電子レーザーの如きあらゆる波長の光を取り出せるものではないが、無限に元素生成によって媒質を生み出し、出力の続く限り、全方向、オールレンジでの死角無き攻撃を行い続ける事が出来るという事である。


 ただのガスである以上、破壊される事なく。


 幾らでも代えがある気体という事はそれだけで攻撃手段自体をちょっとやそっとの被弾や破壊で失う事が無いという事だ。


 それを体現するかのように無限に湧き出し、【世触】へと向かってくる化物の大半は巨大な乱舞する光の中で融け崩れ、それでも進むのは強大な防御力を誇るkmクラスの大物だけになっていた。


「【気体操作式光波発振陣地GOLWP】程度じゃ、さすがに無理か。あの大きさになると覚悟を決める必要もあるな……まったく、ままならない事だ」


 少年が唇の端を曲げる。

 状況は絶望的。


 如何に雑魚を減らしても意味はないし、巨大な敵とて、後から後から機体の四方八方より押し寄せてくるのでは切りがない。


 傷付き、倒れても、その背後の二匹目が確実に屍よりも近くに接近し、その度に距離は着実に縮まっていくのだ。


 ガス・オペレート・ライト・ウェーブス・ポジション。


 通称ゴルゥプ。


 全方位への光速連続射撃陣地。

 圧倒的物量に対抗し続ける現状唯一の攻撃方法。

 だが、それを持ってしても、状況は覆らない。

 その常時出力の殆どを食い潰す攻撃は他の武装の起動すら儘ならなくさせている。


 今までそのような大攻勢を経験してこなかったわけではないが、その時は出力にも能力にも余裕があった。


 蓄えられてきた戦闘経験と既知のあらゆる戦術、戦略を運用し、即応する事で戦う事が出来ていた。


 しかし、もはや過去の遺産は無く。

 機体性能は従来の一割にすら満たない。

 回避行動主体の高速戦闘に切り替えようにも敵は空間そのもの。

 下手に動き回れば、敵に背後を取られる危険性が高まる。


「………」


 ジリジリと巨大な化物達が、その流動する肉の塊がやってくる。


 てけ・りり・りり・てけ・てってててけけけ・てけ・てけ・てけ・り・てけりりりっりりり―――。


 不愉快な鳴き声。

 最も下級の“C”存在でありながら、物量だけは在る。

 まったく度し難い天文単位の同族を展開する【ショゴス】。

 絶対的な超重量で迫る片腕の一撃がようやく光の大本である陣地を粉砕した。

 ガスが雲散霧消する。

 直撃を避けて回避したものの。

 其処は既に死地。


 小型や中型が虚空で融合しながら一点に向けて殺到し、機体周囲360°を囲む巨大なボール状となっていた。


 浸食能力は低いが、それでも正気を削るには十分な威容。

 巨大な口の中で火花を散らす程に歯がガチガチと鳴らされ、目玉が機体を凝視する。


「こんなところで死んでられるか……クェーサー……水爆と核の貯蔵量は?」


「『現状、3243623発。一秒単位で約6万発の増加です』」


「近接信管に設定。後は任せる」


「『了解』」


 そうして、ショゴスの檻が内部から膨大な熱量に炙られ、弾け飛びながら輝きに朽ちていく。


 一瞬にして脱出した【世触】だったが、敵は未だ健在。

 押し寄せてくる敵の軍勢に超高速で小型の黒い弾頭がまき散らされる。

 同時に一斉起爆した弾頭内部。

 爆縮された濃縮ウランが熱量と衝撃を、膨大なエネルギーを出力する。

 十発や二十発では利かない。

 それこそ惑星一つを消し炭にする足る量の力が虚空に吹き荒れた。

 爆発が収まるより先に投入され続ける弾頭。

 撃ち尽くすまでにどれほどの時間が掛かったのか。

 ほぼ最大加速された主観にして3秒後。

 その咆哮を埋め尽くす爆光の最中にショゴスが消え去っていく。

 だが、機体周囲2000kmの安全を確保したのも束の間。

 無限の奥行を持つニョグタの遥か先からが迫っていた。

 それこそショゴスが何処までも凝集し、巨大化、肥大化し続けた姿だと。

 全長で30000km近い人型を取った冒涜的物体だと気付けば、彼とて溜息が零れる。

 前後左右上下無く。

 迫ってくるソレの数は60前後。

 火力は足りている。

 だが、決定的に焼き払うだけの物量が、弾頭の数が、今の【世触】には無かった。


「……クェーサー足りるか?」

「いいえ、足りません」

「そうか」


 近付いてくる巨大な敵。

 月すら軽く割り砕くだろうソレらが互いに身をぶつけ合うと混じり合い。

 更なる全長を獲得し、巨大化していく。

 もはや万事休す。


 惑星クラスの物体を叩くには相応の武装が必要だったが、それを今現在彼らは持っていない。


「ですが、諦めるにはまだ早いかと思われます」

「何?」


 少年が背後で何か動く音に気付き。

 後ろを振り返ろうとするよりも早く。

 細い両手が座席の消えた少年の後ろから、その体を抱き締めた。


「お手伝いします。ヴァーチェス様」

「アザヤ?」


「突然の事でとても驚くかもしれません。ですが、私にも、今の私なら、ヴァーチェス様をお助けする事が出来ると思うのです」


「何を言っている。どういう事だ。クェーサー?」


 突如として、少年の主観時間が完全に限界まで引き延ばされる。

 そうして、体が振り返らされ。

 ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲンは見る。

 見てしまう。

 アザヤ・ウェルノ・アンクトがクェーサーと同じようなパイロットスーツに身を包んでいた。

 だが、それよりも問題なのはその胸の中央。

 ぽっかりと空いた穴。

 如何なる歪曲も許さない鋭角のみで削り取られたソレ。


「『不明なユニットが接続されました。生体制御端末を承認』」


「おい?! 何をしているッ!? クェーサーッ!!!?」


 その不吉な相棒の言葉に声を荒げた少年をそっとアザヤが抱き締める。


「すいません。でも、怒らないで下さい。これは……私が望んだ事なんです。ヴァーチェス様」


「何をッ?!」


 二人が喋る合間にもクェーサーの言葉は少女が人間以外の何かになっていく事を如実に示し始める。


「『対象ユニットを……Cユニットと命名。端末との一体化において浸食活動を制御』」


「なッ?! まさか、やめろッッ?! クェーサーッッ!!? 如何に浸食を抑えられるとしても、“C”を普通の人間が制御出来るわけないだろうッッ!?」


 少年が怒鳴った瞬間。

 機体を叩き潰そうと拳を突き出そうとしていた巨大なショゴス達の動きが止まった。

 いや、止まるというよりも震えていると言った方が正確かもしれない。


「『浸食開始』」


 【世触】の機体装甲表面からあらゆる曲面が取り除かれていく。

 如何なる歪みも許さぬもの。

 それは“C”と呼ばれてきた多くの神々すらも畏れ忌避する存在が持つはずの力。


「『躯体装甲全浸食完了……【世触モナドノック・アルジェント】ブレイズ・アップ』」


 両腕を中心に広がった異変によって、四肢の全てが禍々しく構造をフラクタルと角錐を用いた刺々しいものへと変化させていく。


 頭部から胸に掛けての部位に複数の黒い結晶が柱状に迫り出し、まるで炉心に差し込まれる制御棒の如く機体内部へ穿孔、激しく黒い角錐状の火花を散らして埋め込まれた。


 明らかに通常の法則化では発生しようもない事象。

 機体の顎部分に亀裂が生まれ、ガリガリと装甲自体を罅割れさせながら口が削り開かれていく。


――――――!!!!?


 ニョグタそのものが鳴動を始めた。

 自分の内部に生まれたソレが何かを理解している故に。

 悲鳴と呼べるのかどうか。

 無限の虚空に無限と開く雷の扉。

 あらゆる宇宙を貫通して“C”存在を呼び寄せる超絶の取り寄せ能力が全開にされたのだ。

 だが、それを待つまでもなく。

 戦闘は開始される。

 機体の片腕が掲げられ、手が握り締められた。


「―――例え、どんなに変わっても、私はヴァーチェス様の味方です」


 胸の穴からゆっくりと亀裂が生じ、少女の硬質化した内臓すらも無い肉体内部を晒す。

 結晶化した胎内に少年があるものを見た。


「戦って下さい。何処までもお供します……」


 その笑み、空っぽになった自分の全てを晒して、自分がどうなっているのかを見せて、それでも変わらずに人であり続ける事を覚悟した少女の強さ。


 そんなものを見てしまった。

 見せられてしまった。

 拒絶、そんな事出来るはずもない。

 脳裏に流れ込んでくる無数の場面。

 二人の少女。

 炎に沈む肉体。

 命を懸けた微笑。

 少年にだって分かる。

 分かってしまった。

 目の前の少女は確かに己の全霊を掛けて、今も前を向いている。


「何故だ……何故、笑っていられる……ッ」


 血を吐くように苦悩を滲ませて。

 少年は訊ねる。


「だって、これでようやくお役に立つ事が出来ますから」


 永劫の争いの最中。

 幾度あっただろう後悔。

 だが、一度とて弱音を吐いた事は無かった。

 しかし、少年は今ただ一言を告げる。


 少女が全てを捧げて、人間以外のモノになっていく事を知り、何がどうなっているのかなんて、訊きたくもない、訊かずにはいられない理由も訊かず。


「すまない………」


 伸ばされた手が掴み取るもの。

 それは一振りの刃だ。

 厚みを持たない。

 曲線を持たない。


 光の剣。


 角のみで構成されながら、しかし、少年を傷付ける事なく。

 小さな短剣はその手に収まった。


「『Cユニット・ボーン励起開始』」


 アザヤの体がゆっくりと崩れ落ちていく。

 反比例する如く。

 剣がその輝きを増していく。


「………クェーサー……お前を恨むのは筋違いなんだろうな」


「『はい』」


「だが、一言……言わせろ……」


「『はい』」


「オレは死んでも良かった……良かったんだ……」


 それを背後で見つめていた少女は呟く。


「『矛盾です』」


 それが握り締められる。


「『貴方は“C”を滅ぼす者』」


 強く強く。


「『貴方が死ねば、誰も生き残れない』」


 白く白く。


「『星に願いを。天に祈りを。でも、誰かが言っていた』」


 振り返る少年の顔を見つめて。

 たぶん、過去一度として見たことのない映像を、己の中に刻み付けて。

 アルゴノード・クェイサーは告げる。


「『願うのは誰で、祈るのは誰に、と』」


「………オレは」


 少年が応えるよりも早く。

 彼の最高の相棒にして、絶対の武器にして、至高の隣人たる彼女は告げる。


「『この世の全てを救えばいいだけの事です』」


「―――」


「『ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲン……貴方はこのアルゴノード・クェイサーの所有者なのですから』」


 外部装甲。


 柱を中心に機体背後に展開されていた全てのパーツがパージされ、砕け散っていく。


「『Cユニットの完全動作を確認。法則干渉開始。都市現出』」


 ショゴス達が今度こそ、その表層を泡立たせ、畏怖のあまり肉体を灼熱させた。

 機体の上空。

 何処かと繋がった空間が剥き出しとなり、回転しながら迫り出してくる。

 とがった時間の顕現。

 鋭角のみで構成された螺旋構造。

 無限にも等しき塔が屹立する世界。

 全ての“C”が忌むべき悪夢。


 ティンダロス。


 何もかもが邪悪に染まりつつある戦場で少年は短剣を自らの胸元に浮かべ、そっと祈るように両手で包んだ。


「何者も聞け。我が名はヴァーチェス。ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲン」


 その声は等しく虚空へと響く。

 全ての存在が、確かにその声を知覚した。


「永劫の果てまで掛かろうと貴様らを滅ぼす者の名だ」


 その何て事の無い人間の声。

 そう、なのに、どうしてか、底冷えする程に、狂気すら氷る程に、凍て付いた音。

 ゆっくりと短剣が手の中で少年の内に埋め込まれていく。

 少女の温かさを感じるように。

 掌を合わせて。

 その全てを肉体に呑み込んだ少年は機体前方に迫る化物の群れへ向き直る。


「『叫んでください。それが今の貴方の力になる』」


 機体の掴んだ手の中に生まれる光。

 それは蒼く蒼く燃える炎。

 それが上空の都市に昇り、覆い尽くす。


「猟犬共ッ!! 焼き尽くされたくなかったらッ!! 貴様らの敵を食らい尽くせッッ!!!!」


 都市中から溢れる紅の眼光。

 朧げなる影が苦悶と憎悪に溢れた瞳でショゴス達を見つめた。


「『猟狗輝矢陣カナム・サジタイス……』」


「ティンダロスッッ!!!! ストライクッッッッ!!!!!!!!!!」


 それは喰らい尽くすもの。

 都市から湧き出した四足の何か。

 蒼き炎を引きながら、それが一体数万㎞のショゴス群体へ襲い掛かる。

 だが、所詮は猟犬という名で言われる通り、せいぜいが犬程度の大きさ。

 数万匹が一斉に動いたとて。

 化物達が喰らい尽くされるまでに宇宙が終わる。

 確かにその程度の時間が掛かる。

 故に何らショゴス達を阻むものではないかと思われた。

 しかし、蒼き炎の獣は増えていく。

 爆発的に、指数関数的に。


 最初の数万は0.1秒後に数億となり、それが今度は数百億、数兆、数京、数乂と増え続けていく。


 とても単純な話だ。

 時間の角に棲む化物は如何なる時間の頸城にも囚われない。

 過去、未来、現在、喰らい尽くすのに時間は幾らでもあるのだ。

 今、喰い切れないならば、過去に戻ろう。

 未来で喰い切れなければ、今に向かおう。

 そうして、一個体は永続的に同じ対象を同時に無制限で喰らう事が出来る。


 ショゴスの巨人達が蒼き炎に巻かれながら、正しく無限を超えて襲い来る貪欲に絶命と狂乱の雄叫びを上げた。


 惑星よりも巨大な敵の全てが雷の内より出てくる先から喰らい尽くされていく。

 それを見渡す事無く。


「次はお前だ」


 全ての源。

 斥力の中心。

 ニョグタと宇宙を繋ぐ黒き雷。

 特異点が【世触】の両拳が打ち合わせられた瞬間に弾け散る鋭角の火花に揺らいだ。


「『【全能器イデアライザー】全トランスミッター・フルオープン』」


 背後のパーツの下から巨大なバーニアが迫り出す。

 しかし、それは物理的な加速を得る為のものではない。

 全能たる彼女が持つ全ての通信機器。

 そして、その媒質そのものを情報と同時に出力する言わば、アンテナだ。

 それは時空を超えて、都市の獣達に命令を下す指揮棒。

 穢れた蒼き猟犬達が燃え上がりながら、機体に群がり、呑み込んで一体となった。


「『……大いなるCにして未知なるΧ……この力は始まりより先にある起源にして、終わりの果てに至る未来……見ているのでしょう? 無貌なりし“N”……これが貴方の落とした彼が掴んだ今。導きし者が遺した蕃神すらも超える……混沌と秩序に沈んで尚、前に進む人間の力です』」


 主には聞こえぬ声で彼女は呟く。

 人でもなく、機械でもなく、獣でもなく、神でもなく。

 しかし、その全ての姿を象った歪む蒼き躯体。

 の者の銘が遥か古の言葉にて、その胸に銀の靄で刻まれる。


 導きし“V”

 大いなる“C”

 未知なる“Χ”

 人たる“M”


VCXMヴィクシム】と。


――――――。


 遥かニョグタの最奥。

 その果ての果てにて何かが嗤う。

 それに呼応してか。

 更なる空間の鳴動が始まった。


「『超大出力の浸食活動確認。機体中枢浸食まで残り14秒』」


「十分過ぎる。行くぞ化物……付いてこれるかッッ!!!」


 機体が、加速する。

 亜光速まで到達するのに約0.003秒。

 肉薄した斥力を発する特異点。

 虚空を掛ける雷の中心。

 躯体はその眼前で押し潰されそうな程に軋み。

 しかし、それと拮抗するように自己の存在感を増させていく。

 ティンダロスの猟犬達から齎される無限の力。

 あらゆる時間から運ばれる熱量と運動エネルギーを集約する鎧が荒ぶり、猛る。


「シッ!!」


 最初は左、右のジャブ。


「ハァアアッッ!!!」


 左膝が力場の中核を撃ち抜き。


「セァアアアアッッッ!!!!」


 捻る身体が右足で打ち据え。


「フンッッッッ!!!!!」


 更に五体の全てが己を砕き散らしながら打撃を叩き込んでいく。


 熱量×質量×運動エネルギー=破壊力。


 この単純明快な一撃が、惑星を粉々に打ち砕くだろう威力が、たった数十mの躯体から放たれ、一点に集約されているのだ。


 これで滅びないものはあるかと問えば、無いと答えるのが道理だ。

 だが、叩き付けられるのは単純な威力だけではない。

 全てを歪める“C”は本質的に曲面の化身。

 だが、機体を彩る蒼き化物は鋭角の化身。

 存在する為に必要な法則が、前提が違う。

 故に押し付けられているのは実質的に他の自らが存在し得ない法則を孕む世界なのだ。

 それは極大の存在否定。

 お前に何一つ許さないという拒絶。


 右、左、右、右、左。


 変幻自在に斥力すらも割り進む拳は鋭角によって法則を穿ち、抉り込まれる必殺の一撃。

 この宇宙内において存在を許容されている全ての存在を消し去る“とがった時間”。


 それが撃ち込まれる度に事象たるニョグタが、その中枢たるとくいてんが、黒き雷が、罅割れながら、砕けていく。


「聞こえるか? 貴様らに滅ぼされた者達の声が。見えるか? 救い切れなかった命の残滓が。分かるか? 貴様ら“C”を討つ為に億年を超えて砥いだオレの姿がッッ!!!」


 そうして、特異点が、斥力の中心が、罅割れ、遥か上に向けて“殴り飛ばされる”。

 『あれは何だ』と誰かが言った。

 惑星の地表から見えている光景は壮絶に尽きる。


 遥か天空で蕾となった黒き巨塔が、大気圏上層部を突き抜け、遥か天に“引き抜かれた”のだ。


 落ちる土砂。

 巻き上がる大気圏。

 湧き上がる雲。

 掻き鳴らされる万雷。

 天変地異が大陸を襲い。


 だが、しかし、多くの人々は気付かない。


 その世界最後の日とも見える光景を目前にアルワクトを中心に事態を見ていた誰もが、もはや何一つとして喚く事すら出来ず、祈った。


「これでッ!!」


 特異点たる雷がニョグタの漆黒より切り離され、暗き体が唐突に消え去っていく。


 その空間内部に抱えた超大質量体たるショゴス群体はもはや猟犬達に食い散らかされ、微々たる量が大気圏に落下、数える間もない流星となって燃え尽きていった。


 だが、最後の灯が燃え上がるが如く。

 惑星より数万㎞は離れただろう虚空で。

 急激に拡大した雷の内部より新たな巨獣が頭部を抜け出させる。

 穢れた黒く長い鼻、蛸の様な目、鱗と皺に覆われた、定形を持たない肉体。

 だが、その巨大さは比類なく。

 全長は500000km近い。

 その頭部が表出した時点で引力の偏差か。

 月と惑星の地表においてあらゆる混乱が始まった。

 沿岸からは潮が何処まで引いていき。

 月は見ている合間にも引きずられて、夜は暗く暗く。

 星空は歪み。

 朝は闇に包まれていく。


「『対象を獣頭巨類ガタノソア級と推定』」


 装甲表面を蠢く猟犬達が少しずつ石化し、動きを止め始めた。

 その形相は恐怖に焼き付いている。


「やるぞ。クェーサー」


「『了解しました。ユニット顕現』」


 少年の胸に浮かび上がる光の短剣が機体装甲を透過して、その両腕に包まれた瞬間、機体全長より巨大な上下に伸びる……ねじれ双角錐状の棘と化した。


「『時の角に君臨せし王よ。我が嘆願に耳を傾け、大いなるきょくの加護持て、我らの眼前に次なる刻を現出せしめん』」


 諸刃の奥。

 蠢く憎悪の塊が、少年を覗き込み。

 その自分にすら匹敵するだろう反抗的な視線に嗤みを浮かべて、腕を突き出した。

 棘の全てが青黒く、青白く、混沌と染まる。

 途端、機体上方の空間が罅割れ。


 ただ、巨大な、鋭角のみで構成された腕が、500000kmを遥かに超えて、恒星すらも手中に出来るだろう腕が、首を薙いで掴み取る。


「【誓われし角錐スワィング・デルトヘドロン】ッッッ!!!!」


 刹那、吹き出す灰色の血飛沫が惑星を汚すよりも先に突撃した【VCXMヴィクシム】がその棘を雷の中心に振り下ろし、切り上げ、突き抜けた。


 空間、時間、世界、宇宙、どんな呼び方でもいい。

 生存を確保する為の領域がガラガラと音を立てて雷と共に崩落していく。

 それは何もないという事と同義に置き換わる。

 虚無とすら形容し難い。

 万象の否定。

 鋭角によって削り取られた世界の先。

 “无”が敵の全てを呑み込んでいく。

 そうして、雷の背後に突き抜けた機体の後ろ。

 世界の恒常性。


 自らを保つ宇宙の自律機能がその“何もない”を通常の空間で隔絶して、外側に開いてしまった綻びを完結とじさせた。


 邪神の首を狩った手もまた飛び出した角錐状に割れた空間の内部へと引き戻され、全てが何事も無かったかの如く修復され、静まり返っていく。


 棘剣きょっけんが失せ、機体の装甲が完全に剥離して消失、元の姿を取り戻すと、全身へ亀裂が奔り、赤熱した。


 しばらく行動も儘ならないだろう。

 あれだけの事をしておいて反動が無いはずもない。


 当然でありながら、状況的にはまったく無傷に等しいだろう状態で【世触】が真空中を流されていく。


「あれ? お、終わった、の? 眠そうなの?」


「………」


「だ、大丈夫なんですの? ヴァーチェス様?」


「………」


「ど、どうしたの? ど、何処か怪我した?!」


 落下からたった18秒の戦闘が終わり。

 少年がようやく顔を上げて、声を発しようとするより先に応える者が一人。


「『大丈夫。今、ヴァーチェス様は少しお疲れになっているだけだ。それよりも二人とも体に問題は無いか?』」


「!?」


 思わず振り返った少年が虚空に浮かぶ少女を、クェーサーの横で笑みを浮かべるアザヤを見付けて、声を上げようとするが、フッと掻き消えて自分の側に現れた当人の指で唇を止められた。


「『……色々と心配を掛けてしまいましたが、私なら大丈夫です……ですから、今は早くアルワクトに帰る事を優先して下さい……』」


 何も訊けないまま。

 自分を見つめる少年に微笑み。

 アザヤがクェーサーの横に付ける。


「『これで対等だ』」


 その宣戦布告にしては悲壮過ぎる身体を捨ててしまった少女の言葉にクェーサーが肩を竦めた。


「『いえ、始めの一歩を踏み出しただけです。後で外部探索用に有機端末を生成しますが、あくまで本体は操縦者……ヴァーチェスの中にある事をお忘れなく』」


「『な、呼び捨て?!』」


 何やら二人が虚空でやり合い始めたのを見て、アージャとアイシャリアが顔を見合わせ、これなら大丈夫そうだと苦笑した。


「………」

「どうかしたの? 眠そうな―――ッ」


 押し黙ったままの少年の方へと向かい。


 一応、確認しようとしたアージャが思わず言葉を失って、続けて大丈夫かと尋ねようとしたが、そっと片手で制止された。


「……ご、ごめんね………」


 思わず謝って、スゴスゴと後ろの席へと戻っていくアージャがポツリと呟く。


―――神様も嬉しくて泣くんだ、と。


 *


 戦闘開始から十数秒後。


 膨大な天変地異に見舞われたアルワクト周辺。


 地表において二体に分裂していた化物を相手にしながら、その災害の被害を最小限に抑えるべく衝撃や雷、諸々を自らの展開する魔術方陣と得物で受け切っていた二柱。


 アルデバランとアクエリスはニョグタの消滅と同時に静止し、まるで糸が切れたように大人しくなったアブホースを前に緊張を高めていた。


 たった十数秒。

 超速の攻防。

 それを全て完全に追い切れたのは二人のみ。

 それだけで何がどうなったのかは彼らにも大体想像が付いた。


『ラクリ。こいつら今の内に片付けられるか?』

『待て。不用意に攻撃出来る状態じゃない。後ろにはアルワクトの人々がいるんだ』

『分かった―――動態反応、動き出すぞ!!』

『結界を更に拡大する。外に出ようとするのは任せるぞ』

『了解!!』


 ヘイズのアルデバランが目の前で輝く300m程の魔術方陣によって抑え込まれている1000m程の流動体アブホースの半身が震え始めるのを見て、剣を掴む手に力を入れる。


 その瞬間だった。


―――てけ、てけ、てけ、りり?


 ドロリとアブホースが融解したように地表へと広がり、その上に巨大な瞳と口を無数に持つショゴスが形成されていく。


『な?!』

『まさか、もう一匹偽装していたのか?! 元々の姿が違っていたのは―――!?』


 途端、ショゴスの群れが複数に分裂し、虚空でギュルギュルと回転を始めると鏃状になって魔術方陣へ突進した。


『こいつら!? 魔術方陣を突破する気か?!』

『アブホースから意識を逸らすな!! 地中に沁み込んでいるぞ!!?』


 二人の前で融けて地表に広がったアブホースが地中に吸収されるように沈んでいく。


『囮かよ!! しゃらくせぇえ!!!』


 ヘイズが自らの用いる刃毀れして欠けた両手剣を大上段から魔術方陣に振り下ろす。


 それだけで光り輝く陣は割れ、砕けた破片がショゴスを四方八方から縫い止めるように突き刺さっていく。


 分裂しようとしても出来ないのか。

 急速に肉体を硬化させていく化け物達が石化して崩れ始めた。


『オラァアアアアアッッ!!!』


 そのままでは攻撃が間に合わないと判断したヘイズが剣をアブホースのいる地面へと投擲した。


 それが地表に打ち込まれた途端。


 周辺に激震が奔り、突き刺さった中心から周囲へと衝撃が拡散、灼熱した大地が溶鉱炉の如く膨大な熱量で融け始める。


 が、一気に広がった焼却攻撃もその範囲外のアブホースにまでは被害を及ぼせず。

 地表から消えた一部が何処かへと逃げ去っていく。


『クソッ!? ラクリ!!』


『済まない。結界の一部を破壊されて逃げられた。だが、術式中核によるマーキングには成功している。奴は……どうやらアンクトの方面に逃げたようだ。此処にある一部分を焼却したら、あちらには僕が向かおう。お前はアルワクトとヴァスファート方面の守りに付いてくれ』


『……分かった。事後処理は任せておけ。後、通信は繋げたままにしておけよ。あっちの方はどうやら上空から戻ってくるのに時間が掛かりそうだ』


『ああ、見つけたら、すぐに連絡する。あちらとも連携してヴァスファートとアルワクトの民を一か所にまとめておく必要があるだろう。アンクトの人々も無事を確―――空間転移反応!! 後ろだ!! ヘイズ!!!』


 アルデバランが自らの投げ放った剣を念じたのみで自らの手へと高速で移動させて取戻し、振り向き様に鎬部分から高速で熱量を発しようとしたが、自分の見た光景に攻撃を止めた。


『どうしたヘイズ!!』

『これは……人間だ!! それもこの格好、ここら辺の奴じゃないのか!?』

『なんだと?!』


 すぐにラクリがヘイズの視覚を同調させ、自らもその光景を見る。


 其処には虚空に展開された空間転移用の魔術方陣から次々に送られて地べたに座り込み、黄金の巨人に腰を抜かしている人々の姿があった。


『攻撃するなよ。この人達はたぶん、アンクトの住人だ』

『何だって?!』


『しょうがないな。一旦、追撃は中止だ。こちらで後は処理しておく。お前はその人達を一先ず安全な場所まで連れて行ってくれ』


『あ、ああ、それにしても、この転移方陣何処と……』


 最初は数十人程だった転移した者達だったが、その数はあっという間に膨れ上がり、最後には数百人規模となっていく。


 そうして、唐突に方陣は途切れ。

 後にはただ巨人を前に呆然とする人々だけが残された。

 神殺しの終わりには新たなる疑問。

 それでも生き残り、未来は繋がった。

 それだけが、全てを見ていた少年にとって、何より喜ばしい事である事に疑いなく。

 戦闘による肉体と精神への負荷が一気に押し寄せた意識は深く眠りの底へと落ちていく。


 二人の少女に支えられ、二人の少女に見守られ、まるで揺り籠の中に微睡む赤子のように、勝利者は静かな吐息を零したのだった。

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