8粒

今、フェリシティの目の前にウィリアムが座っている。

失ったはずの恋人は、穏やかに珈琲を飲んで、無駄になるところだったバースデーケーキを食べている。


カフェのロゴ入りシャツとハーフパンツ姿の青年は、恋人に穴が開きそうなほど見つめられるなか、顔をあげてほほ笑んだ。


「どうして? どうしてこんな......凄いことが起こったのかしら?」

「僕にも分からない。奇跡としか言いようがないよ」


ウィリアムは3年もの間、行方不明になっていたことを知らなかった。フェリシティに新聞の日付を見せられても、まだ狐に摘ままれたように首をかしげている。

半信半疑の二人に、『何でもないような事に何故そんなに拘るのか?』と、コリンズ氏は眉をひそめた。


「貴女が協会に泪を譲ったからではありませんか」


コリンズ氏に視線が集まる。

ウレタン入りの耐衝撃ケースに、フェリシティから採取した涙の小瓶をいとおし気にそっと納めた。ケースを鞄にしまい終わった彼を見つめる二人の鼻先に、先ほどフェリシティがサインをした誓約書をひらひらとかざして見せる。


《この泪にまつわる一切を譲渡することを誓う》


「要はですね。同じ泪はもう流せないと言うことですよ。その為、泪の主成分となる原因を全て貴女に放棄して頂いたのです」


「泪の原因?」

「そう、例えば恋人の遭難。独りぼっちのbirthdayなど、ですな。まぁ、規約は泪の性質により多少異なるのですが……」


全て、無かったことになってしまったのだ。

彼の事故も、お葬式も。


独りぼっちの苦しみに泪をながし続けた日々も。


「貴方、魔法使いなの!?」


規約についてあれこれと話し続けていたコリンズ氏を、感謝と畏怖と好奇心の入り混じった瞳でフェリシティは見つめた。

コリンズ氏は説明を止め、その視線を静かに受け止めると、コミカルなしぐさで肩をすくめる。


「ご冗談を、私はコレクターですよ」


彼はニヤリと笑い。

重そうな鞄を抱えると、懐中時計をのぞいた。


「おや、もう行かなくては」


ポケットに懐中時計をしまい、替わりになにかを取り出してウィリアムの手に握らせる。彼にのみ分かるよう、素早くウィンクして見せた。


「よい週末を!」


それから帽子をとり、芝居がかった大袈裟なお辞儀をすると、ドアベルを響かせて去っていく。


ウィリアムの手の中には、無くした真珠の指輪が光っていた。


いつの間にか嵐は過ぎ去り、雨はやんでいた。

切れ切れの雲の隙間から陽光が差し込み、光のカーテンのように白く輝いている。

カフェから出たコリンズ氏は、飛び石のように散らばる水溜まりを避けながら先を歩いている。そのスキップを踏むような歩調は愉しげだ。


足下の水面は空を写し、頭上には大きく虹の橋が架かっている。


その道を、不思議な紳士の背中が小さく遠ざかっていった。

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Tears collecter ~泪の収集家~ 縹 イチロ @furacoco

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