どうらく

tsunenaram

どうらく

「きみはいつもこんな事を?」


身なりのいい男が、銀色の腕時計の留め具を留めている。手首のカフスボタンも、分厚い爪で丁寧に留める。媚びたかんじのない、こざっぱりとした無垢な男だ。


女の子はうなづいた。かれは背広を着て、財布から一万円札を三枚慣れた手つきで取り出し、その女の子に渡す。かんたんなつくりの、ただ、ていねいに静かに殺してなめした動物の革の財布だった。


繁華街の安いラブホテルの部屋は染みついて、無理やり消して、また染みついて、また無理やり消した煙草の匂いがする。絨毯敷きの床には不自然なほど汚れがない。「清潔です」といわんばかりのサプライのシーツにきいた糊。男は、精算機から部屋代を払った。また、あのていねいに静かに殺してなめした動物の革の財布から、七千円を出して。


「きみ、おなかはすいていないか」

男はどうらくだ。 媚びたかんじのない、こざっぱりとした無垢な、しかし、どうらくだ。

「門限があるので帰ります」女の子は首を振った。


「不思議だな。きみはこの街にいる女の子にしてはめずらしい」

「…どうして?」女の子はくしゃくしゃの長いスカートを手でのばした。

「髪が黒くて、短い。化粧もしない。この街の女の子をぼくは何人か知っているけれど、みんな、派手に着飾って大きな声で話していたよ。きみはなにかほしい物でもあるのか」

「…ないよ」

「家族のために?」

「…ちがう。家族はきらい」

「大きな借金が?」

「ちがう」

「妊娠している?」


どうらくが何を聞いても、女の子は答えなかった。


二人はラブホテルから繁華街へ出た。繁華街の歩道は汚い。歩道を占める8割の汚いはヒトで、残り2割の汚いは散らばった吸い殻、吐瀉物や痰、無造作に捨てられたごみ、細かい煤や塵だ。パチンコ屋に並ぶ男の脂ぎった髪。汚い。客引きの金歯。汚い。ヒトで埋まった細い横断歩道を無理やり横切ろうとするワンボックス。路地裏のかわいくないねこ。轢かれた鳩の肉片が飛び散っている。駅前のガード下の落書きの内容、どうしようもなくしょうもない 。


「あたしね」 ガード下で、女の子が急に話し始めた。 電車が駅のプラットフォームにはいってくる。雑音が聞こえて、女の子の声は時々真っ二つに引き裂かれた。

「あたしね、男の人になりたいの。お金貯めて、外国に行く。そこで男の人になる手術をするんだ。女ってソンなの。女だと賢くても損してばかりで、いくら勉強しても、意味ないの。結局、ひとりになっちゃうから、さみしかったら馬鹿なふりしてるほうがいいの、女だと。偉い人はなんだかんだ言うけれど、いつも、なにかどうしようもない、言葉であらわせない、<なんとなく>あるとわかるけれど、目では見えないなにかに邪魔されてるよ。薄いきれみたいなものにくるまれて、どうしようもなくひとりなんだ。だから、お金貯めて、あたし、男の人になる。絶対、なる」


どうらくは女の子の声を聞いた。雑音が途切れるのを待って、男は動物を静かに殺すように、そしてその革をていねいになめすように、尋ねた。


「男の人になるといったね。男の人になって、それから、きみは、どうするんだい」


「勉強するわ。どんどん、勉強をして、大学を出て、あなたみたいに偉くなる。お金もいまよりたくさん稼ぐの。やさしい奥さんや、かわいい子どもも生まれるわ。仲間に囲まれて、いい仕事をする。そうしてね―




あたしみたいな女の子を買う、どうらくの男になるの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どうらく tsunenaram @ytr_kiku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る