最終話 人格

 俺は不安な思いで一杯だった。

 何か大切なものを、探していることしか判らなかった。

 それはなんだろうと一生懸命思い出す。

 そして俺はひらめいた。

 かるなだ!

 かるなはどこだ・・・。

 俺は人ごみの中を必死で探した。

 ごった返す人混みの人たちはみんな同じような笑顔で目は笑っていなかった。

 それが俺には恐ろしく感じた。

 こんなところから早く立ち去りたい。

 それにはかるなを探さなければ。

 かるなー!

 俺はありったけの声で叫んだ。

 遠くで振り向く人影があった。物凄く遠くだ。

 でも間違いなくそれはかるなだった。

 かるな!

 俺は必死で駆け寄った。

 足がもつれながらやっとの思いで近づいた。

「どうしたの?」

 かるな、探してたんだ。ここは怖い、もう帰ろう。

「怖くないわよ」

 するとその顔は一変した。

「みなわたしの信者なのだ」


 俺は目を覚ました。

 隣で寝ているかるなを揺り起こす。

 かるなの目がカッと開き、口は動いていないのに声だけ聞こえた。

「多くを望むと凡てを失うぞ」



 息を呑み俺は目を見開いた。

 いつもの天井が目に入った。

 ぐっしょり汗をかいていた。

 そっと隣を見ると、寝息を立てているかるながいた。

 すうすうと確かに寝息は聞こえ、これは現実なのだとやっと判った。

 かるな、なのだろうか。

 起きたら各務様になっているのではないだろうか。

 ベランダの外からはすずめの鳴き声がけたたましく聞こえた。


 俺はそっとベッドをあとにした。

 俺は身震いをひとつした。

 ファンヒーターのスイッチをいれ、ヒーターの前に立つ。

 もう季節は冬だった。


 かるなの様子は変わらなかった。

 いつも怯えながら家に帰ると、いつも通り部屋は暖かく、いいにおいがし、「おかえり」とかるなはで迎えてくれた。そのたびに俺は安心するのだった。

 各務様の言っていた「共存」はいつ起こるか判らない。

 いつ、かるながかるなでなくなってしまうか、判らないのだ。

 俺は毎日不安だった。今日が最後かもしれない、と毎日思っていた。

 どのような形でそれが起こるのかも想像ができなかった。

 急に起こるのか、徐々に起こるのか、まったくもって謎だった。

 俺に尽くせる手はもうないと思っていた。

 俺は「その時」を待ち、受け入れるほかないのだと思っていた。


 しかし季節は過ぎ、春が来ても夏が来ても、かるなは変わらなかった。

 そして秋が来て、また冬が来た。


 もうかるなの人格は落ち着いたのではないだろうか。

 俺はそこはかとなくそんな期待を抱き始めていた。

 もう、俺の前に各務様が現れることはなくなった。

 このままの調子でいってくれればいいと、そう俺は思っていた。


 その日家に帰るといつもとは違う、甘い匂いがする気がした。

「はい!バレンタイン」

 クッキーだった。

 もう何度目のバレンタインデーだろうか。俺はすぐに包みを空け、クッキーを頬張った。

 いつもの懐かしい味がして俺は「今年もうまい」と言った。 

 それは高校生の頃から変わらない、毎年の習慣だった。

 俺はふと懐かしく高校時代を思い出した。

 ふたりでアトリエに通い、美大を目指し、デッサンをしていた。

 あの頃俺は各務様にはまったのだった。

 たった数年前のことなのに、もう十何年も前のことのように感じた。

 こんな幸せがずっと続けばいい。

 何気なくていい。俺はそれを大事にしていきたい。

 幸せは些細な日常の中にある。

 かるな、お前もそう思ってるだろ?

 宗教なんて、各務様なんてくそくらえだ。

 


 ある日曜日の昼間、キッチンに立つかるなの傍で、おもむろに俺は思ったことを言ってみた。

「なあ、かるな?」

「なあに?」

「子供欲しくない?」

「え?」

 かるなは大きな目を更に大きくさせてびっくりしていた。

「まだ早いでしょ」

 そう笑ってかるなは言った。

「いつなら適当?俺、若いお父さんになりたいよ」

「そうねえ。わたしも出来るなら若いお母さんがいいかな」


 俺はいつかのプロポーズを思い出していた。あの時はまだ若すぎたし、色々あって焦っていた。

 でも今なら落ち着いて家庭が築けていけそうだ。

「なあ」

 俺は意を決した。

「前にも言ったと思うけど」

「ん?」

「結婚しないか?」

 あの時と同じように俺は言った。あの時は全力で拒否られたんだった。

「んふふ」

 かるなは照れたようにそう笑って

「そろそろ、しようか?」

 と笑顔で言った。

 俺は嬉しく思い片手でかるなの頭を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。

「幸せにするよ」

 心からそういった。

「ありがとう」

 そういうとかるなは俺の背中に手を回した。





 同じ人から2回目のプロポーズを受けた。

 健太郎の背中に手を回し、頭を撫でられながらわたしは考えた。

 1度目はわたしはまだ10代で、結婚なんて考えられなかったけれど、もう十分付き合ったし、お互いのことをよく分かり合えている。

 だから今回は快諾した。

 わたしは嬉しかった。

 健太郎から注がれる愛に、喜びを感じていた。

 しかし。



 わたしは「各務」という名で、数万の信者を従える、教祖をしている。

 あの頃と、なんら変わらず、それは、今でも続いていた。



 多少変わったことといえば


 ・・・わたしの人格、くらいであろうか?


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宗教上の理由につき キヅキノ希月 @kzkNkzk

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