19 教祖

 秋。

 もう朝晩は、この前までの暑さが嘘のように肌寒くなっていた。

 俺が起きると隣で俺の女の子が寝てる。

 春までは一緒に起きてこの子は帰る支度をしていたけれど、今は起こさないようにひっそりと俺は準備をする。

 それでも時に起こしてしまい、朝ごはんを一緒に食べたりしていた。

 この日は起こさないことに成功した。

 俺はしめしめと思い用意をし、小さく「いってきます」と呟くと、こっそり家を出た。

 昨日遅くまで仕事をしていたようだから、ゆっくり寝かせてあげることが出来て俺は満足だった。


 夜、俺は仕事を終えて帰宅した。

 当然かるなは家にいる。

「ただいま」

 俺がそう言って部屋に入ると、かるなはパソコンに向かっていた。

 そしてこちらをちらりと見て「おかえり」の代わりに「久しぶりだな」と言った。

 俺は戦慄した。

 ちらりとこちらを見たその顔には鋭さがあり、紛れもなく各務様のものだったのだ。

「各務様ですか・・・」

「悪いがわたしである」

 夕飯の支度が済んでいるところを見ると、夕飯を作り終えたあとにかるなは各務様になったと考えられた。

「わたしはもう食事は済ませたので、おまえも済ますとよい」

「・・・」

「その後で話がある」

 俺はいやな予感しかしなかった。きっとかるなにとっていい話じゃない。

 着替えもせず俺はサッと食事を済ませた。今日は酢豚だった。とても美味しかった。

「お話とはなんですか」

 俺はベッドに腰掛けて、各務様に話しかけた。

「わたしの片割れはがんばっていたであろう?」

「はい」

「わたしもその片割れとして努力したのだ」

「ありがとうございます」

「しかし」

 各務様は少し首を傾けた。

「感情の抑圧は抑えられていなかったようであるな」

 或いは、と各務様は続けた。

「わたしの我が強くなってしまったのか」

 俺は肌寒さを覚えた。

「おまえはわたしを抱いていたのを覚えているか?」

「えっ」

 そういえば俺は各務様を抱いていたのだった。若かった俺はそういう設定に興奮していたのだった。

「わたしは覚えているぞ」

 混在しているんだ・・・あの当時のかるなと各務様の記憶は。

「あの時確かにおまえはわたしを慕っていたであろう?」

「はい」

「今は疎ましいか」

「あの時は各務様が一番でした。かるなは二番でした。自分のことは三番でした。でも今はかるなが一番です」

 各務様はふっと笑って「正直だな」と言った。

「あの時期のわたしと片割れの比率は同じくらいであったのだ」

「判る気がします」

「もうすぐ時が満ち、あの時期と同じようになる」

「え?」

「片割れは感じているのである。わたしを完全に消すことは不可能だと。そしてその思いも消すことは出来なかった。それが逆にわたしを大きくさせたのだ」

 各務様は微笑した。それはとても、美しかった。

「共存である」

「共存?」

「わたしと片割れの共存だ。つまり」

 各務様はまた小首を傾げた。

「わたしも片割れも、片割れ同士ではなくなるのだ」

「どういうことですか?」

「わたしは消える。片割れも消える。新しいひとりのわたしたちが出来あがる」

 俺は血の気が引いた。

 人格の統合だ。

「待ってください。それは避けたい」

 かるながかるなでなくなってしまう。

 各務様とミックスされた谷崎かるなが出来上がってしまう。

「おまえは気づかなかったのか?わたしがまだ現れていることに」

「え?」

 俺は耳を疑った。

「おまえとは会っていなかったが、わたしは毎日のように現れていたのである。それを片割れは気づいていたはずだ。知らなかったのか?」

「毎日?」

「ほぼ毎日だ。その証拠に」

 各務様はPCに向き直った。

「わたしは更新していたのだぞ。気づかなかったのか?」

 そういうと各務様はまたこちらに向き直った。

 抜かっていた。俺はもうすっかりサイトを見ていなかったのだ。

「わたしの宗教は未だ続いているのだぞ。それにも気づいていないのか?これは片割れの意思でもあった」

「かるなの・・・?」

「片割れが求めたのだ。わたしのことを。それがわたしたちを共存させる意思となった。わたしと、片割れの意思の表れが共存となったのだ」

「各務様。あなたのことは消せないのは判りました。でも俺はかるなを失いたくない」

「案ずるな。片割れの半分は残る」

「それではいやなんだ!」

 俺は声を荒げた。

 各務様は黙った。そしてどことなく悲しげに微笑した。

「おまえは嘗て、わたしと片割れを同じくらい慕っていたであろうに。わたしと片割れが同じ人間であるということを知ったとき、おまえは喜びを知ったであろう?忘れたか?わたしは記憶しているぞ」

 確かに俺は、かるなと各務様が同一人物だと知ったとき、自分はラッキーだと思った。ありがたいと思った。愛情が2倍になった気がした。確かにあの時はそうだった。でも今は・・・。

「わたしが、ではない、片割れが望んだことなのだ。わたしの存在も、わたしの宗教も、わたしの存続も、凡て片割れが望んでいることなのである。忘れるでない」

「各務様、お願いです。かるなを消さないでください」

「わたしではなく、片割れに望むのだな。わたしの意思ではない」

 各務様はそっと目を閉じた。

「各務様!」

 そしてその顔からは鋭さが消えた。かるなはそっと目を開けた。

 俺と目が合うと、かるなはハッとし、何かを悟ったようだった。

「わたし、各務だったのね?」

 俺はうな垂れた。今聞いた話が本当なら、かるなに頼めばいいのだろうか。

「何か話したの?何を聞いたの?」

「頼む・・・」

「え?」

「消えないでくれ」

 かるなは黙った。そして震える声で「わたし・・・消えるの?」と言った。

「各務になっちゃうの?」

「そうじゃない」

「じゃあなに!」

「お前、各務様に消えて欲しくなかったのか?」

「え?」

 俺は悲しみに打ちひしがれていた。

「毎日各務様は出てたのか?」

 かるなは戸惑いながら答えた。

「たまに・・・たまによ・・・」

「お前はそれを望んでたのか」

「・・・何を聞いたの?」

「俺は、うまくいってるんだと思ってた。うまく、各務様は小さくなっているんだと思ってた」

「健太郎・・・」

「なあ、俺はな?」

 俺はかるなのそばに行き、椅子に座っているかるなを軽く抱きしめた。

「消えろって、思ってて欲しかったよ」

「何を聞いたのよ」

 かるなは、俺から体を離すと、俺の顔を見て言った。

「教えてよ、わたしはどうなるの?」

 俺はその顔を愛しげに見つめた。

「どうなるんだろうな?」

「え・・・?」

「俺にも判らないよ」

 俺は呟いた。

「でも、お前にとってはいいことなんだろうな?」


 俺はそう思うしかなかった。

 心はやるせなさで溢れていた。

 かるなの精神力の強さは、こういった形で現れたのだ。


 かるなは、各務という宗教の、教祖なのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る