失想ロストウィークス

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第1話

失想ロストウィークス




* 初日


「私、寿命、あと一週間なんだって」

フェンスに寄りかかっている幼馴染、天河嶺は何気ない風に言った。

「そっか」

俺は別段驚くことなく、かといって必要以上に醒めた風でもなく応えた。フェンスの上に腕を組み、爽やかな夏空の下に横たわる街を眺めながら、に。

そんな俺の態度に嶺は、不服そうに唇を尖らせた。

「なにそれ。反応うっすいね」

「まあ、死に対して無感情になったっていうか」

「無頓着になった?」

「まあ、そんなところかな」

ちらりと嶺の顔を盗み見る。相変わらず不服そうだ。

「ていうか、生まれた時からお互いの寿命なんか知ってるだろ」

「へえ、風人は生まれた時から物心ついてたんだね」

「揚げ足とるな」

「ふふん」

古臭い銀縁メガネの奥で底意地の悪い瞳がのぞく。

そんなんだからモテないんだ…。そう言ったのはいつだったか。ついでにドロップキックがお返しにきたことを思い出す。

「享年17歳、か」

「正確には17年と128日8時間28秒、だよ。全く運命っていうのは楽しいことばかりじゃないね」

「笑えねーよ」

嶺はくつくつ笑いながら何か呟いた。しかし、沸き起こる蝉の鳴き声に妨げられて聞こえなかった。

「だから、こんな所でぼんやりしてる暇はないんだよ」

「ここに来たいっつったのはお前だろうがよ」

「そうだっけ?」

漫画に出てきそうなほど見事なトボけた表情。胸の内に渦巻き始めていたどす黒い怒りの渦さえ吹き飛んでしまった。

「……次はどこに行きたいんだ」

「さすが、風人。分かってるじゃん」

太陽のような笑み。こいつ、本当に寿命一週間なのか?

「山の上の喫茶店に行きたい!ホットケーキ!」

「……マジかよ」

この山の上に嶺のお気に入りの喫茶店がある。だが、そこまであと250mほど坂を登らなければならない。

「さあ早く」

すでに嶺は俺の自転車の後ろに座っていた。

「俺にも奢れ。割に合わん」

「財布持ってくるの忘れた」

「ふざけんな」

「余命7日の可憐な少女にホットケーキを奢るくらい」

「くそったれが」

俺は渋々自転車に跨る。汗に濡れた制服がひっついて気持ち悪い。まあ、こいつは汗なんか気にするような玉ではないが。

「そこでさりげなく腰に手を回すとかすれば可愛げあるんだけどな…」

「?何か言った?」

「なんでもねえよっ…と」

地面を蹴る。熱せられたアスファルトが歪んでいる。

まだ夏は始まったばかりだった。




* 2日目


これまでも寿命がもうあと少ししかありませんという人間に会ったことは結構ある。ここまで身近な人間は初めてだったが。

自分がそのことをどう受け止めているのかよく分からない。

不思議な心に太鼓とラッパのファンファーレ。

カオスだ。

「何、その腑抜けた顔」

「いや、ふと思ったんだけど。お前、これまで何で勉強してきたんだ?」

ものすごく失礼なことを言っているという自覚はあった。だが、聞かずにいられなかった。なぜなら、こいつは今、俺の目の前で2週間後にある校外試験の対策問題集を解いていたからだ。

「なんでって言われてもねえ…。みんなやってるから、てのが大きいと思うよ」

「余命6日でもか?」

「惰性だね。人生なんてみんな惰性で生きてるようなもんじゃん」

そう言って嶺は再び問題集に視線を落とした。

「お前そんな諦観できるほど強かったっけ?」

「ふふん」

嶺は勝ち誇って鼻を鳴らした。

「余命6日だから」

理由になってねえよ。

嶺はそうかあ、と言いながら問題を淡々と解き進める。

「死んじゃうのはとっても惨めかもしれないけどさ」

そこまで言って嶺は背中を反らせ、骨を鳴らした。言葉を編んでいるのかもしれない。

「生きてるってことはかっこ悪いことかもしれないよ?」

「……過激な言い方だな」

俺は肩を竦めながら言った。

風人、あと65年だっけ?その時には分かると思うよ。

嶺は静かにそう言った。

なんだか、嶺が俺の手の届かない、とても遠いところに行ってしまったかのように感じた。




* 3日目


君が訪れた時はきっとおっきなシフォンケーキをご馳走してあげる。

その言葉を信じて、俺は嶺の家に奴の教科書で膨らんだ鞄を持って訪問していた。だが、出されたのは安っぽい醤油煎餅だった。

「……シフォンケーキは」

「いや、作ろうと思ったんだよ?買い物にも行ったし。だけど、肝心の小麦粉買うの忘れてた」

「ふざけんな」

デジャヴ。

「この暑い中、てめえのクソ重い置き勉を持ってきてやって、なんだこの薄っぺらい煎餅は…!」

「へへ。うっかり」

「……」

嶺のふにゃ、とした悪意のない顔を見ると、怒る気力さえ失せてしまう。これはこれでこいつの卑怯極まりない所なのだ。

嶺はバッグの中に詰め込まれた大量の教材を引き出し、丁寧に積み重ねていた。

「どうすんだよそれ」

俺はうず高く積まれた教科書の山を指差して言った。

「葬式の時に棺桶に入れてもらう。向こうで勉強できないじゃん」

俺は自分の迂闊さを呪った。言葉に詰まってしまう。

「勉強してないと、嶺が来た時にバカにされるからね」

「……今でも十分バカにしてるよ」

「それもそうか」

嶺は得心顏で頷いた。

「まあでも、お菓子作りなら風人なんかには負けないよ」

事実だ。趣味がお菓子作りなんて女子が実在することに俺は驚くけど。

「次こそ、風人にシフォンケーキをご馳走してあげるよ」

「いつだよ」

「次は次だよ。とりあえず小麦粉を買わなきゃね」

嶺の言った、次、という一言がひどく重く聞こえた。

本当なら今すぐにでも食べたい気分だった。理由は考えないようにしよう。じゃないと、悲しすぎる。

「約束しとくから」

嶺は笑って、言った。




* 4日目


今日は特に変わったことはなく、"いつもの日常"を過ごした。いや、これがいつものだと意識して気付いたのだから、ある意味特殊な1日だったのかもしれない。

あえて俺は登下校中以外、嶺に話しかけないようにした。

みんながみんな、嶺の命日を知っているわけではない。嶺には嶺なりの終わり方があるのだろうし。

幕引き。主人公死亡のバッドエンドの後始末をつけに。

あちらこちらで繰り広げられる愁嘆場。嶺は笑いながら、泣く友人達を慰めていた。

だいたい己の死期が迫る人間の行動というのは3つに分類できる。

一つは運命を前にして自暴自棄になる奴。

一つは悲嘆に暮れて死期が来る前に自殺する奴。

一つはいつも通りに過ごす奴。

だが、変わってしまうのはむしろ周囲の人間だ。生まれた時から余命を知っている当人はある程度、心の準備ができていることが多いが周りはそうとはいかない。家族やそれに近い者以外。

「よぉ」

「何?」

トモダチの涙を拭ってあげている嶺を見ながら同級生Aが、俺の肩を叩いた。

「お前、いいのかよ。学校なんか来てて」

「は?」

「彼女がもうすぐ死ぬってのに、どっか連れてってやればいいのに」

嶺が彼女?勘弁してくれ。

「違うのかよ⁉︎いつも一緒にいるのに」

俺はため息をついて首をふった。

「俺がどうこうできることじゃないし。本人がやりたいようにやればいいじゃん」

「冷たいなお前」

「どうしようもないからな」

「はっ、ひどい奴だよ」

Aはつまらなそうに鼻を鳴らし、何処かへ歩き去って行った。

気分が乗らない。授業を受ける気力さえ霧散してしまったようだ。

俺はそっと鞄を持って教室を出た。ちらりと盗み見た嶺は友人達を慰める業務に邁進している。ご苦労なことだ。

「……雨」

外は灰色だった。

ひどく冷たい雨が降っている。クールべの筆のタッチが、確かこんな感じだったとふと思い出した。





* 5日目


「風人、昨日私のこと避けてたよね?」

そう言って嶺は俺の手を引っ張って外に連れ出した。昨日に引き続き雨が降っていた。というか、むしろひどくなっていた。

そして今、俺は嶺を後ろにのせて、ずぶ濡れになりながら自転車を走らせていた。

「風人なりの理由があってそうしたのかもしれないけど、私は傷ついた」

死ぬ前の思い出作りに付き合ってよ。走馬灯を増やすんだ。

「もうちょっとあと少し」

嶺は楽しそうに呟いた。

返事をするように錆び付いた車輪がなく。

「坂の上行ってどうするんだ」

俺の問いに嶺は答えなかった。

代わりに俺の背中にそっと手を置いた。柔らかな温もり。

もうすぐこの温もりは消えてしまう。

ハンドルを握る手に力がこもる。背中によりかかる嶺の温もりが急に何よりも愛おしく、儚く感じられた。

坂を登りきった時、俺は不思議と息切れもせず、妙に冷めた気分で自転車から降りた。

喫茶店は休店日だった。だが、嶺はそちらには目もくれず両手を大きく広げて天を仰いだ。

「ほら、風人。ショーシャンクごっこ」

「分かりにくい……」

「これ、やってみたかったんだよ。死ぬ前にさ」

冗談めかして嶺は言った。

「嶺」

ゆっくり嶺は俺に振り返った。その顔は照れ笑いを浮かべていた。俺は嶺から視線をズラした。俺は並んで、嶺の左手に右手を添えた。

ひどい雨で、2人とも全身ずぶ濡れだ。所在なさげに震える右手と左手。

「風人」

こういう時どういう言葉を紡げばいい?ごちゃ混ぜの想いは心の中で溶けていく。

「私、死にたくない」

歪んだ声。その瞳は銀縁メガネの向こうで、レンズの水滴に邪魔されて見えない。

笑おうとして、泣いている。声にならない声で嶺は助けを求めているのに、俺は。

「死にたくないよ……っ」

俺は重く沈んだ街を見つめたまま、右手に力を込めた。嶺もまた、俺の手を強く握る。

嶺がどこかに行ってしまわないように。無駄だと知りながらも、いなくならないように。ずっと。





* 6日目


世界は奇跡で満ちている、とどこかの夢見がちなバカが言ったらし い。

愛とか希望で世界が変わるならどんなに幸せだろう。地球儀を眺めて世界征服を考える無垢な子供のようなものだ。

それでも願わずにはいられない人たちには必要な幻想に違いない。明日、世界が終わりますと告げられて一昼夜で星間飛行可能なロケットすら作られると思えるほど。

窓の無い部屋で、小さなプラネタリウムが映し出す星々を眺めて俺は一人思索に耽っていた。

外は晴れたなら、暮れゆく陽のために紅く染まっていることだろう。最近は日が長くなって時間の感覚がおかしくなりそうだ。

嶺はどうしているだろうという思いがよぎる。まあ、勉強しているんだろう。あいつはそういう奴だ。

俺は俺なりに事実に折り合いをつけないといけない。昔から分かっていたことだが、それを目前にした時のことは考えていなかった。こんなにも苦しいことだったなんて。

人が死ぬということは物理的な損失も大きいのだと。明日から、俺の前に座る人がいなくなる。明日から、俺と一緒に学校に行き帰る人はいなくなる。

そんなのは嫌だなあ……。

俺はいつの間にか涙が一筋こぼれ落ちていることに気付いた。風がいなくならないことを祈っていた。所詮、俺も奇跡を願うバカの一人だった。

嶺は、呪われたカナシイヒト。

俺は、祝われたフツウノヒト。

天井に映し出された偽物の星々があまりに綺麗で、漏れた吐息が妙に大きく聴こえる。

世界中に一人だけみたいだな、と小さく呟いた。




* 7日目


一昨日の土砂降りが嘘みたいに空は透き通るほど晴れ上がり、いつものような夏の日が訪れた。

俺の前にはふっくらした旨そうな手作りシフォンケーキが置かれていた。ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる。

朝、学校に来るとこれが机の上にあった。

犯人はすぐに分かった。嶺だ。あいつは似合わないくせにお菓子作りが大好きなのだから。

だが、辺りを見回しても嶺の姿は見当たらない。隣の席の奴に聞くと、朝来てすぐ帰ったそうだ。一体何がしたかったのかよく分からない。

ちなみにシフォンケーキの上には、ホイップクリームででかでかとハートマークが描かれていた。普段から俺と嶺の関係を穿っていた女子達が遠巻きにして見ていた。

俺は弁当箱から箸を取り出し、シフォンケーキに突き刺し、ハートマークをぐしゃぐしゃにつぶしてしまった。そして、がっついて食べ始めた。

ナニアレ。アリエナーイ。カワイソー。ヒドーイ。

匿名希望達の非難の声が沸き起こる。俺はそれを一切無視して黙々とシフォンケーキを嚥下した。

時計の針は9時を指していた。

あいつどこで死んだかな。外じゃなくて、時間通り家で死ねてたらいいけど。あいつは忘れっぽいバカだから。

そして。

あいつはシフォンケーキ作りに人生の最後を費やした。

「ふざけんな」

気怠げな顔で、あの雨の中を小麦粉の袋を持って歩いていくあいつの姿が脳裏に浮かんだ。

甘いはずのシフォンケーキが不意にしょっぱく感じた。俺の涙だった。

「ふざけんなよ本当に」

パタパタとケーキの底に敷いてあった紙の上に涙が落ちる。

最後の最後に卑怯じゃないか。嶺のくせに。

勝手にお別れして。俺はまだ、ありがとうもさよならも言ってないのに。

ちくしょう。嶺。てめえ。お前、シフォンケーキは甘く作りやがれ。涙が止まらなくてしょっぱくなっちまったじゃねえか。

最後の一欠片を口に入れた時、俺は嶺がこの世から完璧に消え去ってしまったと分かった。

寂しいのか、悲しいのかよく分からない。

君がいない日なんてなかったのに。今日から君がいない夏を過ごさなきゃいけない。

俺は、嶺があのふにゃ、とした笑顔を浮かべて立っているんじゃないかと思って外を見た。

アイスクリームみたいな入道雲。

ダフニッシュブルーの夏空。

世界は君がいなくても廻り続ける。だが、俺だけはこの夏に置いていかれてしまった。

蝉がうるさく鳴くこの夏に。


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