男同士、サシで飲みに行った話
「「かんぱーい」」
周りの喧騒を引き裂くように、カチン、と響いたグラスのぶつかる音。
向かい合うように座った俺と友人は、互いに自らの持ったグラスを口に付けた。生ビールの冷たさが、滑らかに喉へと滑り落ちていく。
「あー、やっぱ仕事後のビールは美味いなぁ! そう思わないか、寺本」
豪快に笑いながらスーツのネクタイを緩め、友人が愉快そうにこちらへ話しかけてくる。まだ一口しかアルコールを摂取していないにもかかわらず、既に酔っぱらっているかのようだ。まぁ、こいつのテンションはいつもこんな感じなのだが。
「そうだなぁ。多忙だった仕事の後なんて、なおさらだ」
俺はのんびりと答える。
グラスを傾けながら、ちらりと向かいの友人を盗み見るように眺めた。
――コイツがこうやって飲みに誘ってくる時は、必ず何かしらの企みがある時であると相場が決まっている。
前に誘われた時は確か、当時付き合い始めた恋人のことについて根掘り葉掘り聞かれた。どうやら勤務先の小学校で受け持っている児童――昔、俺の勤務先である保育園に通っていた子供たちのことだ――に聞いたらしい。全く、あいつら余計なこと吹き込みやがって。
あの時は酒の力も手伝って、導かれるがままに色んなことを話したような気がする。そのことに関する記憶がほとんどないのが、唯一の救いと言ったところか。
はてさて、今日は一体何を言われることやら……。
内心警戒しながらビールを飲みつつ、時折並べられたつまみを口に運んでいると、ヘラリと笑った友人がとうとう口を開いた。
「お前さ」
「何」
来たな、と思いながら身構える。友人はこちらの心情を察する様子もなく、サラッとこんなことを言ってきた。
「そろそろ結婚とか考えねぇの」
「ぶっ!!」
危うくビールを吹き出しそうになったが、すんでのところで押さえた。小さく何度か咳をした後、勢いに任せてダンッ、とグラスを置く。
「お前、何言ってんの……!?」
「何って」
そのままの意味だけど、と悪びれるでもなく答える友人の唇は、ゆるりと意地悪く弧を描いている。あぁ、この顔は……。
「結婚ったって、まだ早いだろうが」
小さく溜息を吐きながら、平静を装って一言そう言えば、「甘いね」と友人はわざとらしく肩をすくめた。
「男でもさ。三十過ぎてる時点で、その辺のことはもう考えないといけない範疇なんだよ」
「俺はそうだけど、彼女はまだ二十代前半だ」
「食べ頃じゃないか」
こういう不躾なことを、本当にしれっと言うから困る。仮にも小学校教師だというのに……こんな奴に勉強を教えられる子供たちが可哀想だ。と言うか、将来が心配だ。どうか、悪い影響を受けませんように。
思わず零れそうになった呆れの溜息は、次に繰り出された言葉によって呑み込まれた。
「まだ若いからこそ、さっさと閉じ込めちまわなきゃいけないんだ」
そうしないと、悪い虫がどんどん寄ってくるだろ?
つまみを挟もうとした箸が、空中でピタリと止まる。その反応に満足したように、友人は笑みを深めた。
「それに彼女は、お前と同じ保育士なんだろ? ハードな仕事だから出逢いなんてなかなかないって、お前は安心してるかもしれないけど……同業者とか、男の園児とか、それでもいくらでも言い寄ってくる輩はいるぞ。あんだけの器量良しとくればなぁ」
詭弁だとはわかっているが、コイツに言われてしまうと何故だか説得力が増して聞こえるから不思議だ。彼女の姿を思い浮かべ、どんどん不安が胸に蓄積されていくのを感じた。
「さっさと親にでもなんでも紹介してさ、公認してもらっとけ。すぐに結婚が無理なら、婚約でも構わない」
証さえありゃ、ちょっとは虫も減るだろうしな。
その通りだな……と思ってしまうのが、なんとなく悔しい。
気付けばいつだってコイツのペースに巻き込まれていて、結果コイツの言うとおりに行動してしまっている自分がいるのだ。
今度彼女と休みが合ったら、指輪でも見繕いに行くか……と頭の片隅で考えながら、俺は苦し紛れに尋ねた。
「それは、お前の経験談か? ……長谷川」
「あぁ」
何でもないことのように、友人――長谷川は笑う。
「結婚ってのは、いいもんだぞ」
言いながら、奴は上機嫌でグラスをあおる。瞬間、その左手の薬指にはまる銀色の輪っかが、まるで主張するかのようにきらりと光った。
グラスは、そろそろ空になろうとしている。俺は手元にあるビールをもう一口喉に流し込むと、ほんのり頬を染めている長谷川に問うた。
「奥さんとは、最近どうなの」
――その後、酒が入ったせいでいつもよりさらに饒舌になった長谷川に、相変わらずラブラブらしい彼の夫婦生活について長々と語られたのは、言うまでもない。
梨の実が香る頃に 凛 @shion1327
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